空っぽの告白

 12月22日。終業式の日。

 涼子さんと、綾芽先輩の未来予知について話をしてからというものの、俺は前までみたいに、先輩たちの部室へと足を運んで、綾芽先輩と話をするようになった。


 だけど、空っぽに見えた。先輩の無邪気なあの笑顔が。

 そこには何もなかった。

 薄ら寒かった。白々しい空気を感じてしまう俺がどこかにいた。


 結末もトリックも全部ネタバレされた状態で読む初見のミステリー小説を前にしたときのような。イカサマ的な麻雀アプリで、「さあこの役で上がってくださいね」というお膳立てが透けて見える作為的な配牌を見たときのような。

 そのときの、吐き気がするほどのどうしようもないやるせなさだけがあった。


 彩りも胸の高まりもなかった。景色が全部灰色だった。

 思い通りに事が運んでご満悦なモブ子の笑みだけが、なぜか心に残っている。



 その日の放課後、俺は綾芽先輩に呼び止められた。


「今日さ、陸上部休みでしょ。……よかったら、デートしたいなって」


 あれほどまでに愛くるしかった紅潮顔なのに。全てが作り物に感じられた。


 先輩。

 先輩には、俺がどう見えているんですか。どう見えていたんですか。

 恋愛ノンプレイヤーキャラクターですか。

 先輩の遊びのためのお人形ですか。

 先輩の青春とやらのための、単なる登場人物ですか?


「……かけるくん?」


 先輩はぼうっとしていた俺の顔を覗き込んだ。


「ホントですか。嬉しいです」


 にこやかに、わざとらしく笑った。



 デートというのは、駅前のスタバで新作のフラペチーノを飲んで、近くのゲーセンでクレーンゲームをやったり、プリクラを撮ったり。2時間くらいカラオケで歌ったり。そんな、普通の放課後のカップルみたいなデートだった。

 先輩は楽しそうだった。楽しそうに振舞っていた。

 メタ認知があるとはいっても、その笑顔はやはり俺の心を蝕んだ。だけど、初々しくも見えるその感情表現が、本当は含みを持ったものなんだという事実が即座に俺を失墜させた。無気力感とやるせない怒りが、同時にふつふつと湧いてくる。


 先輩は敏感だった。

 演技が下手な俺はどこかでつまらなそうな顔をしてしまったみたいだった。


「翔くん、もしかして楽しくなかった……かな」


 帰り道。

 前を歩く俺に、先輩が背後からそう尋ねてきた。


「そんなことないですよ。俺、先輩のこと好きですもん」


 先輩の顔を見ずに、前を向き続けて言った。

 本心だ。本心だけど。

 どこかで失望感を拭いきれない俺がここで振り向いてしまったら、先輩が悲しんじゃうから。


「本当? 嬉しいな。私も翔くんのこと、好きだもん」


 先輩が、俺の背中に抱き付いた。

 先輩の身体は冷たかった。


「嘘、ですよね」


 やめろ。

 言うな。

 涼子さんにお願いされたじゃないか。

 そんなこと言わなかったら、俺らは上手くいくんだろう。

 占いによる、嘘で塗り固められた恋愛だとしても。


「へ……?」


 先輩の呆気に取られた、たった1つの声。

 抱き付く力が弱まる。

 俺は振り向いて、先輩のその哀しそうな顔を見つめた。


「先輩、本当は俺の好きところなんかないくせに」


「翔くんの、好きなところ……」


 先輩は怯えた顔をして、黙ってしまった。


「ないですよね。だって──」


「あるよ!!」


 語気を強めて、先輩が叫ぶ。


「あるの、あるよ。……でもね、その」


 俯く先輩。言葉に詰まっている。

 今必死に考え出したって、もう遅いんだ。


「ないんですよ、本当の先輩が俺を好きになるところなんて。だって俺は綾芽先輩よりチビだし、顔もカッコいいわけじゃない。おまけにこんなメンドクサイ性格で、構ってもらえたらすぐに好きになっちゃう、早とちりな只の男子高校生だから」


「綾芽先輩。俺、知っちゃったんですよ」


 やめろ。言うな。

 心の大切な部分がそう叫んでいるのに、なぜか口が止まらない。


「先輩は未来予知で俺の存在を知ったから、好きになろうとしてるんだって!」


 綾芽先輩のその失望顔が、俺は忘れることができなかった。


「それって、もしも先輩に未来予知の力が無かったら、俺のことなんか好きになってないってことですよね。じゃあそんなの恋してるって言えないじゃないですか。先輩は先輩のその力にんだ!」


 もう、めちゃくちゃだった。

 後戻りができないところまで来てしまった。だったら、もう全部終わらせてしまえ。そう悪魔の心が囁く。


「違うの。違うんだよ、翔くん」


 涙を浮かべる先輩。

 分かっている。俺は分かっていたんだ。

 誤解を解きたいその言葉は、先輩の本心から出てきたものだったなんてことは。


「俺、先輩のこと好きだよ。でも、このことを知った以上、付き合えない。……ごめんなさい」


 永久にも感じる数秒。沈黙の時間。

 誰か、俺を殴ってくれ。馬鹿でアホで脳の足りない俺を殴ってくれ。

 どこに、本人にこんなことを伝える意味があったんだ。──どこに!俺が抱え込んで、全部我慢すればそれで解決した話じゃないか。


 先輩の平手打ちが、左頬に向かって飛んできた。

 勢いで、俺の顔は横を向いた。

 すぐに向き直すと、そこには大粒の涙を流す儚い先輩の姿があった。




「最低だね、私。ごめん、ごめんね、翔くん。ごめんね……」




 見た人が死にたくなるほどの哀しい笑顔を浮かべた先輩。

 先輩は、涙を拭いながら、永遠と謝り続けた。

 ちっぽけな俺には、謝るのはこっちの方だと言ってやるとか、涙を代わりに拭いてやるとか、そんなことはできなかった。目を逸らした。先輩から。

 こんなにしてしまった責任は感じていたくせに、その責任から逃れたくて。



 気が付いたとき、先輩は居なくなっていた。

 俺は近くにあった自動販売機で甘い缶コーヒーを買った。

 ガードレールに腰掛けて、それを飲む。


 クズだな、俺。


 冬の乾いた夜空を見上げ、小さく、気味の悪い苦笑いをした。

 俺と綾芽先輩は、相思相愛だったと思う。

 全部壊した。全てなかったことにした。

 

 自分勝手なエゴで、何もかも。

 勝手に感じたんだ。これは空っぽの告白だって。

 その本心を勝手に決めつけて。




 涼子さんがいたずらに糖分に求める、その理由が分かった気がした。

 こんなの、まともに抱え込んだら苛立ちで潰れちまうから。

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