第6章 喧嘩

怖くなったんだ

 先輩たちが修学旅行から帰ってきてから3週間。もう少しで12月。

 俺は一度も綾芽先輩がいる、あの部室には入らなかった。

 陸部の大会の関係で忙しかったのもある。

 だけど、俺は林間合宿のときのモブ子の言葉がずっと気がかりだったんだ。


 そのモブ子本人はというと、これまでと全く変わらずに接してくれている。

 教室で会えばにこやかに挨拶してくれるし、渚も加えて3人で話もよくする。

 だから、俺はあのとき夢を見ていたんじゃないかって、最近思っていた。思い込みたかったんだ。


「渚。今日さ、涼子さんと話をしたいんだけどいい?」


 昼休み、渚と2人で飯を食っているとき、そう聞いた。


「別にいいけど。……なに話すんだよ? 綾芽先輩に対する作戦会議か?」


 コイツは何も知らない。いや、知らなくていいんだ。


「そんなとこ。そろそろ告白しちゃおっかなー、みたいなね。でも、俺よくよく考えたら綾芽先輩が好きなシチュエーションとかよく分かんないし……そこで先輩との付き合いが長い、お前の彼女様の出番ってわけ」


「なるほどね」と渚は頷いた。


「俺も参加しちゃダメなん?」


 おにぎりを頬張りながら彼は訊く。俺は手を横に振った。


「ごめん。流石に渚だとしても恥ずかしい。結構ロマンチックに告るつもりだから」


 変な嘘をついた。渚にこんな嘘をつくのは初めてかもしれない。

 だけど仕方のないことなんだ。




 放課後。12月が近づき、朝夕はコートが必要だ。

 住宅街の道を涼子さんと歩く。涼子さんはあんまんをもぐもぐと食べていた。


「それにしても珍しいな。翔がアタシに話があるなんて」


 あんまんを食べ終わった先輩は、紙くずを丸くまとめ、バッグの中に突っ込んだ。そしてまたあんまんを取り出す。この人の食欲どうなってんの。


「ちょっと、綾芽先輩のことで聞きたいことがあったんです」


 ふうん、と興味なさそうに食べ歩く先輩。


「本人じゃダメなんか? アイツ、お前が最近来てくれないから寂しがってたけど」


 その寂しがりは、本心なのかな。

 まだ何も分からない。

 だけどモブ子の言った通り、俺は徐々に疑心を抱き始めていた。


「ま、アタシはモノが食えりゃなんでもいいけどさ」


 この人から話を聞き出すために、さっきコンビニで2000円ほど散財した。

 高校生の懐事情からすれば痛すぎる出費だけど、真実を知るためには必要だった。

 公園にたどり着いた。東京ドーム4個分くらいの、でっかい公園。


 木陰のベンチに座る。


「先輩って、占いってあると思いますか」


 父親とキャッチボールをする小学生を遠目に見ながら、そう聞いた。

 涼子さんはストローで豆乳を飲んでいた。


「占いなんてない。存在しちゃいけないもんなんだよ」


 気怠そうな先輩は、またバッグを漁って板チョコを取り出した。


「綾芽先輩はどう思ってるんですかね」


「……」


 先輩はいたずらにチョコを食べ始めた。

 甘いモノを食べてるのに、なんだかイライラしている。

 その苛立ちを見て確信した。この人は、モブ子の言う”占い”の秘密を知っている。


「お前、どこまで知ってんの」


 視線を感じて横を振り向くと、涼子さんが俺を睨んでいた。

 先輩は俺が本当に聞きたいことを察したようだった。

 あのことを伝えよう。俺は決意した。


「勉強合宿のときに、綾芽先輩の日記を見ました。中学時代の」


「それがどうしたよ」


「その日記には、綾芽先輩と涼子さんの何気ない日常が綴ってありました。なんて変哲もない、普通の女子中学生らしい日記です。……ある点を除いて」


 俺はその違和感を全部説明した。

 毎日の日記のはじまりには、ほぼ必ず占いの結果が書いてあったこと。

 ある日を境に、日記の雰囲気が変わったこと。

 突然、その日記が突然終わってしまったこと。


 綾芽先輩が書きなぐっていた言葉については、言えなかった。


 俺の話を聞いて涼子さんは深いため息をついた。

 しばらく無言で、遠くを見つめながら何かを考える先輩。


 涼子さんは俯き、これまでに見たことのない、悲しく、そして寂しそうな表情を浮かべ、ボソボソと話し始めた。

 

「全部アタシのせいなんだ……アイツが壊れたのは、アタシが悪いんだ」


「アイツが……壊れた?」


 先輩はずっと、どこか1点を見つめていた。多分、俺のことなんか見ていない。

 ずっと、自分の心の深海にでも漂っているかのような雰囲気だった。

 

 そして、綾芽先輩が壊れたという、その意味が俺は理解できないでいた。


「お前が訊きたいことって、その日記の占いの意味、だろ」


 コクリと頷く。

 日記の占いと、合宿のときのモブ子の言葉が重なり合う。


「……アイツは……綾芽は」


 一言一言、丁寧に言葉を選ぶ先輩を前に、俺は息をゴクリと飲む。 




「綾芽は、未来を視ることができる」




 意味がよく、分からなかった。

 未来予知なんて、胡散臭い芸能人とか、中二病の妄想とかでしか聞かないから。

 現実的じゃない、その言葉を咀嚼するのにはずいぶんと時間がかかった。


 言葉の意味を噛み締めても、いまいちまだ結びつかない。

 綾芽先輩にその未来予知の力があって、それがどうして俺の恋愛に関係するのか、どう頭を捻ったって理解できなかった。



 そして、最後のチャンスはここだった。

 今、それ以上の言葉を聞かないでこの場から逃げてしまえば、モブ子や涼子さんの頭が狂っていたんだ、ということで片付いた。俺は今まで通りの恋をすることができた。できたはずなんだ。難しいことなんか何一つ考えないで、綾芽先輩はかわいいっていう男子の馬鹿で間抜けな動機だけで恋愛ができたんだ。


 だけど俺は。

 違和感を覚えつつも、好奇心に抗うことはどうしたってできなかった。


「……海のときにも訊いたけど」


 涼子さんはまたバッグからドーナツを取り出し、それを口に運んだ。


「お前、おかしいと思わないのか?」


 海のとき。

 水着姿を褒めたら先輩がどこかへ行ってしまって、涼子さんと2人きりになったとき。あのときの特段に怖かった涼子さんは、確かに全く同じフレーズで、俺に訊いてきた。そのときは今以上に、何も分からなかった。今も分かるわけではないけど。

 頭の中がモヤモヤする。もう少しで、全てが繋がりそうな気がする。

 繋がる必要なんてなかったのに。俺は数分後に後悔することになる。


「今の綾芽の行動原理は、未来予知から来てるわけ」


 嫌な予感がする。

 気温なんかは1桁で肌寒いはずなのに、背中のあたりに汗をかいた。嫌悪感で顔を顰める。


「……要するに、アイツは全部知ってんだ。この先どうなるかっていう結末が全て」


 俺はベンチから立ち上がって、下方の涼子さんを見つめた。

 先輩はもうドーナツを食べ終わっていた。


「何が言いたいのか、端的に話してください」


「いいのか?」涼子さんは辛そうな顔をした。


 いつの間に降ってきたのだろうか。

 ポツポツと、冷たい雨粒が俺の身体に当たる。

 少し考えて、涼子さんは再び口を開いた。


「恨むなよ、アタシのこと。……言ったかんな」


 緊張で息をするのを忘れていた。

 先輩は見上げた。俺の目を見たわけじゃない。雨が降ってきたことに気が付いて、どんよりとした空模様を確認したんだろう。



「綾芽は視たんだよ。アイツとお前が恋仲になるって未来を」



 何も言えなかった。

 先輩はため息をついて、バツが悪そうに、髪をポリポリと掻いた。


「全部先行してるんだ。アイツの行動はお前が言ってる、占いが元になってるんだ。おかしいよな、ホントに。人を好きになるのだって、全部占いがそう言ってたからなんだよ。訳が分かんねえよな……」


 占いが行動を先行している。

 綾芽先輩は未来予知で視たその”事実”を実現させるために無意識的に動いている。

 じゃああの人は。いつも俺に構ってくれる、無邪気なあの人は。



 は、俺のことなんか好きじゃない。



 俺は力なく、空に向かって笑った。

 なんだ。全部モブ子が言ってた通りじゃないか。

 あの綾芽先輩は、占いでオレのことを見つけた。だから俺に構って、好きだと思い込んで、付き合おうとしているんだ。そんなの、全部フィクションで、嘘に塗り固められた疑似恋愛じゃないか。


 茫然と立ち尽くす。

 涼子さんはベンチから立ち上がり、公園の入り口の方へと歩き始めた。

 彼女はピタと止まり、おい、と俺に声をかけた。


「でもさ、綾芽を責めるのは間違ってると思う」


「責めるつもりなんか、ないです」


 涼子さんの後ろ姿に向かって、俺はそう叫んだ。

 そっか、と先輩は安心した風に呟く。


「あの力に呪われて、1番怖いのは綾芽のはずなんだ。その本心を押し殺して、無理に楽しそうに振舞ってんだ。……アタシのせいなんだ」


 先輩は振り向いた。哀しい顔を浮かべて。


「だから、アタシが綾芽を助ける。占いなんか嘘だって、気付かせてやる」


「涼子さんは占い、信じてないんですか」


「アタシまで信じちゃったら、アイツの逃げ場なくなっちゃうだろ。……そうだ、翔」


 先輩が戻ってきた。そして言う。


「翔はこれまで通り、綾芽の恋愛に付き合ってあげな。……頼むよ」


 涼子さんが頭を下げた。

 だけど。



 できるわけがなかった。

 知らなければ、どれだけ気楽に普通の恋ができたか。


 俺はモブ子の策にまんまと嵌ったわけだ。


 オレは先輩の”本心”とやらが、信じられなくなってしまった。

 怖くなったんだ。

 秋葉翔が好き、と思い込んでくれているあの先輩が、秋葉翔は本当なら何でもない只の後輩だったってことに気付いてしまうことに。

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