裏切り者
♂
暗い林道を2人で歩く。
街灯なんてものはなく、月明りだけが俺たちを照らしていた。
「翔くんってさ、背伸びた?」
歩きながらモブ子が聞いてきた。
「どうだろ。最近身長測ってないからなあ」
いったい何が目的なんだろう、この子。
チラッとスマホを見ると、渚から『告白じゃね?』とメッセージが来ていた。モブ子に限ってそんなことはないだろう。若かりし頃(3か月前だけど)の早とちりがちな俺の誤解が炸裂して、1回振られてるんだし。
「おっきくなったよ。だって夏休みの頃──初めて翔くんと話したときはさ、私と身長同じだったもん。──それがさ、ほら」
モブ子が俺に近づいてきて、背筋をピンと伸ばした。俺もきちんと立って身長を比べてみると、確かに俺はモブ子より4、5センチくらいは大きい気がした。
3か月でそんなに伸びたのか。自分の成長に驚く。
「……俺にもやっと成長期が来たのかも」と自慢げに笑った。
低身長はずっとコンプレックスだったから。
「高1で160もないのはちょっと悲しかったんだよね。渚はあと1センチで170なんだよ、とかって嘆いてるけど、その悩みは俺にとっては贅沢な悩み」
モブ子があははと笑う。
この調子で伸びてくれるといいな。
「……あともう少しだね」と彼女がポツリと呟いた。
「ん? 何の話?」
「先輩たちがいなくなるの」
卒業のことかな。表現が物騒だな。
「まだ11月だし2人とも2年生でしょ。全然だよ、まだまだあるって」
「そんなことないよ。3年生って2月から学校来なくていいし、ただでさえ受験で忙しくなるんだしさ。あの部室でたくさんお話できるのもあと残り少ないんだ」
進路活動ね。
あの2人の先輩はそういうこと一切考えてない気がするけど、まだ2年生だからかな。
「涼子さんって何になるんだろ」
「パティシエ」
「案外まともな進路だった」
完全な偏見だけど、驚安の殿堂で働いている涼子さんの姿が思い浮かんでいた。地元大好きそうだし。ヤンキーだし。渚とそのまま結婚して子ども3人くらいに囲まれて幸せな家庭築いてそうだし。
「でもあの人が作るスイーツじゃ売れないでしょ」
冗談っぽく俺は笑った。
「涼子先輩の味覚、普通の人とかけ離れてるからね」
2人でまた林道を歩き続ける。
道は小さな池へと繋がっていた。月の光の反射が綺麗だ。
「翔くんはさ、将来のこと考えてる?」
よさげな大きな切り株に、2人で座る。池を眺めるモブ子が聞いてきた。
「何も考えてない。普通に大学行って……普通に就職するか公務員になって……って感じじゃない?」
そういえば渚は箱根駅伝に出る、とかって息巻いてたっけ。
アイツは俺なんかよりも全然走る才能もあるからね。5区走って山の神なんかになったりして、国民的スターになる渚の姿を想像した。それで色んな人からちやほやされても、アイツは涼子さんに一途なんだろうな。1度決めたらその道を突っ走るようなヤツだし。1人海外のマラソン大会で走って外国人選手相手に奮闘する渚を、テレビの前の涼子さんが子どもと一緒に手を握りながら応援して……。競り勝ったときは柄にもなく涙を流したりして……。
いや、なんで俺は渚たちの将来のことばっか考えてんだよ。
「綾芽先輩は、どうなんだろ」
無意識に言葉が出た。
モブ子が無言になる。
あの人のことだから、モブ子に進路の話とか得意げに話したりしそうだけどな。
海賊王に私はなる、ドン。とかね。
「ねえ、翔くん」
俺の問いかけは無視して、モブ子が口を開いた。「なに?」と俺は聞き返す。
「私たちさ、付き合お」
「え?」
突然どうしたの。
俺は最近、モブ子と接点はほぼほぼなかったし。
綾芽先輩のことしか考えてなかったのに。
ここにきて突然告白なんて、どうしたんだ。
自分がどんな顔をしているのか分からない。ただ、モブ子が真面目な顔をしていることだけは確かだった。
だけど、俺は一応聞く。
「これなに。女子のみんなで結託したドッキリとか?」
「そんなんじゃないよ」とモブ子はクスクスと笑う。
「私さ、翔くんと同じで将来やりたいことなんかないんだよね」
「……そうなんだ」
「でもね、今したいことだったらある。翔くんは何がしたい? 正直にさ」
モブ子は俺の顔をみてそう尋ねた。
正直に、したいことね。
空に浮かぶ星たちを眺めながら考える。
告白してくれたことは嬉しいけど。モブ子と付き合う気はない。
そんな俺がしたいことは……矛盾してるかもしれないけど。
「彼女が欲しいね」
「綾芽先輩?」
間を入れずに、即座に聞かれた。
俺は頷いた。
この子は俺の気持ちだって知ってるだろうし、今更否定する意味なんてない。
だからこそ分からないでいた。明らかに脈の無い俺に、なぜモブ子が告白してきたのか。一番に考えられるのは、からかい目的の嘘コク、だけど。
「綾芽先輩もね、君のこと少しは好きだよ」
「はは。少しは、ね……。ねえモブ子。なんで突然俺に告ってきたの」
「それが私の今したいことだから」
うーん。
俺は腕組みをして、首を捻った。
全く意図が分からない。この子、たまに何考えてるか分かんないところあるから。
「私ね、先輩たちのこと好きなんだ。先輩たちっていうか、あの部室の空気感が、かな。綾芽先輩が思いつきみたいに変なことやりだして、涼子先輩が気怠そうに愚痴を言って。それで、私がただニコニコ笑っている──2人の彩りとして。そういう何気ない日常の空気感」
俺はその様子を想像した。
なんとなく、いいなって思った。
無駄な時間、の一言で大人には片付けられるような青春の一コマ。
「俺も、そういうの好きかも」
「分かる? でもね、最近ね。それが終わりに近づいてるなって思うんだ」
「終わり……?」
切り株から立ち上がり、水面に近づくモブ子。俺はその場で、彼女の後ろ姿を見つめていた。
「翔くんはもう知ってるかもしれないけど、涼子先輩が彼氏つくっちゃったんだよねえ。いや、いいんだよ。別にね。……ただね、少しね……。どんどん距離が生まれてる気がするの」
「恋人ができると、確かにそういうのあるかもね」
とは言うものの、俺の頭の中には渚の顔が浮かんでいた。
アイツが9月から先輩と付き合ってるってことは、2か月くらい俺に内緒にしてたってことだよな。でも、特に付き合いが悪くなったとは感じない。気配りのできる渚が例外なのかな。
涼子さんはどうだろう。確かに、そういうバランスのとり方が不器用っぽく見える。
……それとこの告白は何の関係があるんだい?
「綾芽先輩もさ、最近は翔くんのことばっかりなんだ」
「そ、そうなんだ」
それは嬉しい。
あの人も、俺のことを考えてくれてるってことだから。
「ずっとだよ。8月くらいから。ず~~っと。口を開けば翔くんがー、翔くんがー。”占い”によると今日は……ってさ。毎日毎日。私の顔を見るなりね」
……占い?
「私ね。翔くんに嫉妬してる。ヤキモチ焼いてる。私の先輩、翔くんが取ったから」
「別に、そこまで言わなくても」
「そうかもね。ただね、もう少しだけ、話聞いてくれるかな?」
モブ子は振り返って、俺に顔を見せてくれた。
暗がりのせいであんまり見えないけど。泣いているように見えた。
「前までの私はね。……球技大会で、会長さんと勝負したときまでの私はね。綾芽先輩の幸せが、私の幸せなんだーって思ってたんだ。あの人がしたいことを全力で応援して、それで一喜一憂する先輩を見て、私も喜んだり悲しんだりする。それが私の一番の楽しみだったの」
「でもね、その球技大会で会長さんと話をしてから…‥それはなんか違うな~って思ったんだよね。だから、しばらくの間は先輩じゃなくて、私がやりたいことをやることにしたの」
俺は頷きもせず、ただ彼女の目を見ていた。
「私も涼子先輩や会長さんみたいに、先輩のことを小馬鹿にしたりからかったりした。でも別にやりたいことではなかったんだよね。当たり前だけどさ」
「じゃあ今度は、私の意志で、翔くんとの恋を応援してみたの。だけど……これも楽しくなかった。翔くんには悪いけど、嫉妬どころじゃなくて、憎しみみたいな、そんな黒い感情が出てきちゃった」
「重いって、モブ子」
俺は微妙な顔をした。
こんなとき、どう会話すればいいかなんて分かるわけもなかったから。
「そこまできてやっと分かったんだ。私が今したいことって、綾芽先輩と、涼子先輩がいて、そこに私がいる。この3人の日常を守ることなんだって」
モブ子が俺の手に、手を重ねてきた。
正直、寒気がした。
「分かった? 言いたいこと」
モブ子が笑う。
いつもみたいにニコニコ、ってわけじゃない。
笑ってるけど目が笑ってないよ、とでも表現するのが的確なんだろうか?
「翔くんには、綾芽先輩を諦めてほしい」
そして彼女は付け加えた。
「綾芽先輩にも、翔くんを諦めてもらう」
俺は何も言えなかった。
怖かった。支離滅裂だった。狂気ってのは、こういうことを言うんだ。
その日常を守ることが、なぜ恋を諦めることに繋がるのか、意味が分からなかった。
「そうすれば、前までの日常に戻るはずなんだ。綾芽先輩が翔くんと恋なんかしなければ、幸せになれるはずなんだよ。──ほら、私が翔くんと形だけでも付き合えば、あの人だって諦めざるを得ないでしょ? あの人はピュアだから後輩の彼氏奪うなんてことできないしさ」と笑うモブ子。
「だ、だからってそれとこれとは話が別──」
口を手で塞がれる。
モブ子は俺に近づいて、耳打ちをした。
その一言で、俺は身動きが取れなくなった。信じられなくて。
「本当の綾芽先輩は、君のことなんか好きじゃないよ」
緊張で息を呑む。
恐る恐る、怯えた目をした俺は口を開いた。
「それって、どういう──」
「占いだよ。綾芽先輩は占いが好きなんだ」
俺の頭には、先輩の中学時代の日記が浮かんでいた。
確かに、あれを見たら先輩は占いが好きなんだろうなって、思う。
だから、だからそれがどうしたって言うんだ。
俺の言いたいことを察したらしいモブ子。
彼女はニコっと笑って、口を開いた。
「涼子先輩だね。涼子先輩に聞けば、全部分かるだろうね」
モブ子は俺から離れ、林道へと歩き出した。
思い出したかのように突然足を止め、振り向く。
「告白の返事はどうなったのかな?」
俺は首を横に振った。
そんなの、承諾するわけがなかった。
そっか、と残念そうな顔を浮かべて、モブ子はまた口を開いた。
「翔くんが、先輩のことを信じられなくなっても、その意味が知りたかったら聞いてみるといいんじゃないかな。涼子先輩に……あの裏切り者にさ」
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