中学時代の日記帳
♂
とりあえず全員お風呂から上がり、またリビングでくつろいでいた。
「いや、あの2人遅すぎじゃないですか?」
モブ子が言った。涼子さんがコンビニに行くと言ってから、もう2時間近く経っているけど、帰ってくる気配がない。まあ渚もいるし、そもそもあの涼子さんが強盗に遭う心配もあんまりないんだけど。
「アイス買ってきてってラインしたのに既読も付かないし」
「どうせそこら辺で道草食ってますの。あの女のことだから、火に向かう蛾の如くスイーツ店にでも吸い込まれたんですわ」
「こんな遅くにケーキ屋さんとかやってないですよ」と俺は笑った。
ついでに、あの人に料理させちゃダメだ。
ちゃんと作れるのに最後の味付けで全てを無に帰すタイプの料理下手だ。
「……それにしても、やることないですね」
モブ子がスマホの画面を眺めながら呟いた。壁にかけてあったデジタル時計をチラッとみたら、それは22時を指していた。いつもだったら朝練に備えてもう寝てる時間だ。今は部活休みだから関係ないけど。
それにしても。俺は部屋のみんなを見渡して思う。
俺含めてこの4人だとめちゃくちゃ気まずいんだよな。会長さんは綾芽先輩を陥れることしか考えてないし、モブ子は俺に興味ないだろうし。俺も無いけどさ……。
これから一緒の部屋で寝る綾芽先輩と話せるほど俺もメンタル強くないし。先輩はすごい顔をしながら、なにやらスマホに高速で何かを打ち込んでいた。めちゃくちゃ長文。どうしたんだろう。
早く2人帰ってこないかなあ。俺は伸びをした。別に涼子さんと何か話すわけじゃないけど。渚がいれば精神的に安心するんだよ。なんか落ち着いてるし。
それから1時間くらい経ってから、綾芽先輩が突然立ち上がった。
「私そろそろ寝るね」とリビングから出て行った。階段を昇る音が聞こえる。
「……あんたもさっさと行きますの」と会長に小突かれた。
「いや、行きませんからね」
そりゃ男として行きたいけど、せめてもの抵抗。
実際のところ、モブ子がちゃんと止めてくれるだろう。彼女のほうに視線を送る。
「そうだよ翔くん。先輩も内心楽しみにしてるんだから」
前までは先輩第一で動いていたモブ子が今や自分の感情を優先するようになっている……。先輩をからかいたいということで、会長と利害が一致しているみたい。
この2人のフィジカルエリートを前にしたら、俺はもう従うしかなかった。
腕力がカンストしているモブ子と会長に手を引っ張られ、先輩の部屋へと向かう。
「涼子さん! 助けてーッ!!!」
いないけど。涼子さんいま家にいないけど。
この2人の暴走を止めてくれるのは涼子さんしかいない!!
まあそんな祈りも虚しく普通に部屋の中に放り込まれた。
倒れ込む俺を、驚いた顔で見つめる先輩。先輩はドアの方を向いて叫んだ。
「ちょっと! 部屋の鍵閉めてたんだけど何で普通に開けられたの!?」
いたずらな笑顔を浮かべながら部屋の中を覗き込むモブ子。
「私が朝来たときにガンガンやってたら壊れちゃったんですよね」
「弁償してもらうからね!?」
「細かいことはいいですの。さっさとドア閉めますわよ」
会長が強引にドアを閉めた。
「チェックアウトは明日の7時ですの。そのとき言ってやりますわ。『ゆうべは、お楽しみでしたね』って。おーっほっほっほっ!」
向こうでなんか言ってる。
先輩がなんとかこじ開けようとするけど、向こう側で2人が押さえているせいかビクともしなかった。30秒くらいして諦めた先輩が、俺の方を振り向いて言った。
「はは……2人きりになっちゃったね」と、先輩はドアの前で力なく笑った。
その場で足を組んで座る先輩。顔が赤い。
当然だけど俺の心拍数も尋常じゃなかった。
「お、俺、床で寝るんで。気にしないでください」
「本当? カーペットの上でも痛いし、もう10月だけど寒くない?」
そりゃ痛いし寒いけど他にどうしろって言うんだ。
まさか一緒に……あーだめだこれは都合の良すぎる非モテの妄想だ。
先輩はスマホを取り出して、ラインのトーク画面を俺に見せた。
「今閉じ込められちゃってるけどさ、涼子に助けてーってラインしたの。涼子だったらあの2人のこと止められるから。既読つかないけど……。流石に日付変わる前には帰ってくるでしょ」
「はは……そうですね」
リビングでやけに長文のメッセージを書いてたのはそれだったのか。
「だからさ、別にここで寝ることは考えなくていいんだって。ゲームでもしながらお話ししよっか」
先輩はテレビの近くにあったコントローラーを俺に差し出してきた。なんで今どきのゲーム機じゃなくて、スーファミが女子高生の部屋にあるんだろう。
「午前中にさ、涼子と渚くんが2人でやってたでしょ? あれ見て私もやりたくなっちゃったんだ」
「俺、こんなに古いゲームやったことないかも」
起動してやけに明るいオープニングが流れる。
オープニングが終わり、スタートボタンを先輩が押した。ドン!と何かが降りてきた。データ選択画面だ。左から順に、0%0%0%。初期状態? 涼子さんたちが遊んでたのに?
「あー……このゲーム、よくデータ飛ぶんだよねえ。古いからかな?」
「はあ……」
しばらく先輩が操作する様子を眺める。
先輩の動かすキャラクターが敵キャラを吸い込み、何らかの操作をして俺のキャラクターが生み出された。一つ目のヘンテコなキャラクター。「ワドルドゥとして頑張りたまえ」と先輩は笑う。
しばらく2人で言葉も発さずゲームを進めた。
無言だけど、自然と気まずい感じはしなかった。明かりも付けない部屋の中で、テレビ画面からの目に悪い光だけが2人を照らす。15分くらいで、ラスボスのハンマーを持った大王様を倒し、やけに高速なスタッフロールが流れる。それを眺めていたとき、先輩が聞いてきた。
「翔くんってさ、好きな人とかいるの?」
「それって、どういう意味ですか?」
「質問に質問で返すのはよくないよ」
先輩の顔を見るのがちょっと怖かった。画面をぼーっと眺める。
「……気になってる人だったら」
隣に。
「ふーん」
先輩はコントローラーを置いた。
ふーん。ってなんだ。どうせ気付いてるくせに。
「その人のさ、どんなところが気になるの?」
「意地悪ですね、その質問」
可愛くてすごい照れ屋で。
しっかり者っぽく見えてどっか抜けてる感じとか。
なんだかかなり嫉妬深いところもある、感情豊かなところとか。
みんなを振り回すようで逆に振り回されている、その空回りしてるところとか。
隠れて変な本収集してるところとか。なぜか俺に構ってくれるところとか。
いくらでも思い浮かぶけど、まさか本人にここで伝える勇気なんてない。
「先輩こそ、いないんですか?」
「…………それはね」
先輩は、俺の手を優しく握った。
その先輩の顔を見ようとするけど、画面がちょうど暗転していて見えない。
えっと、こういうときって……ハグ? キス? え?
というかこれって、告白みたいなものじゃ──?
硬直しているそのときだった。
ドアの向こうでモブ子が叫ぶ声が聞こえた。
「ちょ、会長さん! 寝ちゃダメですって! いま絶対いいとこですから!」
その声を聞いて、俺と先輩は慌てて距離を取った。
モブ子、ムードぶち壊しだって。
先輩がどうしようもないといった感じで笑っている。
先輩はスマホを開いた。
「もう0時過ぎてるのに、まだ帰ってこないなあ。既読も付かないし。……仕方ない、最終手段だ」
先輩は突然靴下を履いて、ベッドに上がった。そしてカーテンを開き、窓を全開にする。
「綾芽先輩、何やってるんですか?」
月明りで照らされた先輩。彼女は平然と言った。
「飛び降りる」
「はぁ!? 下コンクリですよ!?」
「いやいや、私の頑丈さ知ってるでしょ? ちょっと折れるくらいだったら明日には治ってるから」
ニコッと笑う先輩。窓枠のレールに足をかけた。
それにしてもこの先輩の回復力とか、どうなってるんだろう。
「モブ子と会長さんには気づかれないように、ちょっとブラブラしてから戻るよ。翔くんはこのベッド使って寝てていいから」
彼女はそう言って、飛び降りた。
なんか嫌な音が聞こえた気がするけど、大丈夫かな……。
先輩のベッドに上がり、窓の外を眺めてみてももう先輩の姿は見えなかった。
俺はベッドのほうに視線を移した。先輩、いつもここで寝てるんだよな。いい香りがする……。
「……ん?」
ベッドと壁の隙間に、何やら本が挟まっていた。
それを取り出して読んでみると、今日の午前中に見たあの類の雑誌だった。ここに挟まっているのは先輩自身も見落としていたみたい。
無礼なのは承知の上で、その隙間を覗き込んでみた。
ベッド下の床に、何やらいろいろと本がまだ落ちている気がする……。
「ちょっとくらい、見たってバレないか……」
いや本当に失礼な変態行為なのは分かっている。
気になっている人のベッド下を覗き込むなんて最悪の変態ヤロウだ。
だけどまあ、下着とか盗むよりはマトモだろう。
ベッド下に手を伸ばす。
発掘されたのはファッション誌だったりまたBLだったり諸々。
ただ、一つだけ不可解なものがあったんだ。
「……キャンパスノート?」
学校の授業とかで使う、普通のB5のノート。普通よりは分厚いけど。
ただ、かなり汚れていたし、湿気か雨かでふやふやになっていた。
名前とか科目名は書いていない。
ということは授業ノートではなくて、メモ帳とか自由帳……?
俺は中身を覗いてみた。あるページに目が留まる。
『10月6日 占いは今日も当たった。涼子ちゃんと初めて話した。噂に聞く、暴力的文学少女だ』
ぷっ。
俺は思わず吹き出してしまった。
これは綾芽先輩の中学時代の日記帳だろうか。
あの涼子さんに文学要素なんて全くないと思うけど、暴力的なのは昔から変わらないみたい。
俺はページを捲った。
『10月9日 占いは今日も当たった。涼子ちゃんとどんどん仲良くなれている』
『10月14日 占いは今日も当たった。涼子ちゃんがコンタクトになった。かわいい』
涼子さん、もともとメガネだったって言ってたっけな。
『10月21日 占いは今日も当たった。涼子ちゃんが突然ストレートヘアーになった。私が教えた通り、どんどんイメチャンしてるけど目付きのせいなのかあんまり人は寄ってこない』
天然パーマだったとも言ってたっけ……。
『10月28日 占いは今日も当たった。涼子ちゃんは──』
『10月29日 占いは今日も当たった。今日は涼子ちゃんと──』
『10月30日 占いは今日も当たった。スイーツ店に涼子と──』
・
・
・
『11月16日 占いは今日も当たった。涼子が──』
綾芽先輩と涼子さんの何気ない日常をかわいい丸文字で綴った、和やかな日常。ある日を境に涼子ちゃんじゃなくて呼び捨てになってるところが、なんか2人の関係が深まったみたいで面白い。
それにしても。俺は気になった。
「占いは今日も当たったって、どういうこと?」
綾芽先輩、そんなに占い好きだったんだ? 全く聞いたことないけどなあ。
頭の片隅に、なにか引っかかるものがあるけれど、いまいち思い出せないでいた。
ページを捲る。別に調子は変わらない。
12月5日までは。
その日のページには、ただ1文だけ書き殴られていた。
『死にたくない』
思わず全身の毛穴が開く。窓の外から肌寒い風が入ってくる。
どうした。前日まで、涼子さんとの楽しい日常が書かれていたじゃないか。
俺は息を呑み、またページを捲った。
『12月6日 占いは当たった。涼子が励ましてくれる』
『12月7日 占いは当たった。私を庇って、涼子が殴られた』
『12月18日 占いは当たった。涼子に諦めんなと小突かれた』
『12月22日 占いは当たった。涼子に病院に連れていかれた。異常はないみたい』
その日を境に、日記の雰囲気のようなものが変わった。占いは相変わらずだけど。
罪悪感を覚えながら、次々とページを捲る。
残り数ページを残した1月17日。しわくちゃになったその紙に、ふやけた文字でこう書かれていた。
『もうやめよう 涼子が悲しむ』
俺はゆっくりとノートを閉じた。
見たことがバレないように、元あった位置に静かに戻す。
あの明るい綾芽先輩が、何か隠し事をしている。
俺はそう確信した。
これは中二病の類とかじゃない。直感的に分かった。
「──なんなんだ……?」
その日はどうやったって眠れなくて。
俺が先輩の布団に包まりながら考え事をしていたら。
気が付いた時にはもう朝だった。
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