第4章 赤点を回避させよう!
何を優雅にコーヒータイム
♂
金曜日夕方の静かな教室。
教科書とノートを乱雑に机の上に広げたまま、椅子に寄りかかって天井を見上げる。
「今回ばかりはダメかもしれん」
シャーペンをクルクルと回しながら渚がボソッと呟いた。
「何にも分からんね」
死んだ目で天井の黒いシミを眺める。
「せめて2個くらいには抑えたい、赤点」赤点とることはもはや確定らしい。
そう。
俺たちは赤点、そして留年の危機に瀕していた。
普段の部活動、遊び、今月の球技大会、体育祭。勉強以外の全てに全力を注いでいた俺たちは、来週月曜日から始まる中間考査のことなんて1ミリたりとも考えていなかった。
その付けが回ってきたのだ。いや、勉強する時間が無かったわけではない。現に部活動はテスト1週間前の、今週月曜日から休止期間に入っていた。テストに集中するためだ。お膳立てされているこの状況で赤点を取ったらもれなく死刑である。
まあもちろん月曜日から木曜日にかけて、「明日があるさ」のマインドのもと盛大に遊び倒したけどね。やるべきことをほったらかして遊ぶのは最高に楽しい。
「今週末の3日間がヤマだな」
俺は言った。要領のいいヤツなら前日の徹夜で余裕で高得点が取れるらしいけど、そんな器用な真似はできない。
「翔、明日か明後日勉強会しようぜ。俺の家でさ」
渚の提案。
友達と一緒に勉強会を開くのは一見効率的だけど、実際のところマリオカート大会だったりホラー映画に熱中してしまって勉強は全く進まないというオチなんだよな。これはトラップだ。一人で静かに勉強するべきだ。
頭の片隅にそんな冷静な考えもあったが、俺は快諾した。
まだなんとかなると思っているんだ、頭のどこかで。
「あーでも、そもそもバカが2人集まったって勉強できねえなあ。出題範囲とか分かれば勉強のしようもあるんだけどな」
渚は頭を掻いた。
出題範囲なら授業で先生が言ってたけどね。俺も聞いてないから分からないけどさ。
またしばらく2人で天井を見つめる。天井よりも教科書を見るべきだとか、そういうのは分かっている。
1分くらいしてから渚が突然指をパチンと鳴らした。俺のほうを向く。
「思い出した。この学校の2年生に、テストの出題問題を必ず当てる凄いお姉さんがいるんだって! その人捕まえて問題を予言してもらえばテストなんか余裕じゃね!?」
「確かに……っ! 綾芽先輩にその人のこと聞きに行こう!」
俺たちは机の上の教材を置き去りにして、先輩たちがいるであろう部屋に向かった。あの人たちが毎日たむろしている、『超能力研究会』の部室に。
「ここか。今気づいたけど部活休止期間だったらいなくね?」
部屋の前に来て、今更なことを渚は言った。
「いなかったら終わる。俺たちのテストが終わる」
祈りながら俺はドアノブに手をかけた。どうやら鍵はかかっていないようだ。俺はドアを押して中の様子をうかがう。
「お願いしますの!
真っ先に俺の視界に映ったのは、土下座してまで何かを懇願する、あの傲慢な
♀
翔くんが部屋に来る少しのこと。
「それにしても、綾芽先輩って最近なんか地味ですよね」
私が淹れたカフェオレを飲みながら、モブ子が言った。
地味とはなんだ地味とは。
君みたいなどこにでもいそうな女の子には言われたくないセリフだったぞそれは。
部長であり予知能力を持っている私のどこが地味だというんだ。モブ子を睨む。
「分かる。なんか夏休みくらいから様子が変だよな、コイツ」
そう言う涼子はスティックシェガーをドバドバとコップに投入している。
君のためにそもそもかなり甘めのカフェオレを買ってきたんだけど。なんで砂糖を6本も入れるかな。糖尿病になるよ。
「そう! ちょうど夏休み辺りからなんですよね。綾芽先輩がある意味普通の人になったのって。前までは頭のおかしい人って感じだったのに、最近まとも過ぎてただのかわいい女の子になってるって言うか……面白味が薄れてきたというか……」
モブ子のめちゃくちゃ失礼な話を聞きながら、涼子は更にミルクを投入し始めた。
話に入っていないだけで全部聞いてるからね、君たち。
私は意味もなく窓の外を眺めた。外の景色を見ながら優雅にコーヒーを口に運ぶ。
「どうせ翔のせいだろ」
口に運んだ液体を盛大に吹き出してしまった。制服が茶色く汚れる。私は2人を睨んだが、この非情なヤツらは心配する素振りすら見せずに会話を続ける。
「あー、なるほど。綾芽先輩って恋愛絡むと無能になりますもんね!」
む、無能!?
やっぱりあの海以降、モブ子の自覚なき毒舌がキツくなってる。翔くんにかわいいって言われたときに隙を見せてしまったのがよくなかった。ここは先輩としてガツンと指導しなければ……。
「ただのポンコツだよ。男の趣味も悪いしさ……アタシなら翔はない」
「翔くん顔は整ってますけどまだまだ中学生感強いですよねえ」
「違う! 翔くんのことは気になってるだけであって、その、好きとはまた別というかなんというか……! 好意はあるけど気持ちがまだ確定していない状態であって気持ちは揺れ動き続けているというか! つまりえっとその──」
いてもたってもいられなくなった私は早口で捲し立てるように抗議した。
涼子がジト目で私のほうを見る。モブ子が口を開いた。
「あー……。これは確かにヘタレですね。チョロインのくせに気持ちを認められない面倒くさい人ですね」
「そこまで言わなくてもよくない!?」
調子に乗ってるよね、モブ子!
球技大会でちょっと活躍して、ちょっとチヤホヤされたからって人はここまで変わってしまうのか。私は心の中で泣いた。純粋を具現化したような感じで私の意見には全部肯定してくれた、あの都合のいい女の子はどこに。
今となってはかわいい顔して毒しか吐かない扱いずらい女の子に変貌してしまった。悲しいよ、先輩は。
それからも少し言い争い(半ば私への悪口)があった。モブ子と私の掛け合いを眺めながら、涼子がゲロ甘コーヒーをすする。これが最近の日常。
そんな時間を過ごしていたときだった。突然勢いよく扉が開けられた。
「あなたたち、テストが翌週に控えてるというのに、なぜ部活をやっていますの!?」
「あ!
モブ子に半殺しにされた生徒会長が現れた。涼子の顔が極道モードへと瞬時に切り替わる。私は彼女の肩を押さえた。
「世界一のメディカルチームからの治療を受ければ骨折やら脱臼やらは3週間程度ですぐに元通りですわ! あなたみたいな一般庶民は半年以上かかるでしょうけれども!」
あのいつもの調子で高笑いをする会長。恐らく金持ちマウントだ、これは。
「まあ、綾芽先輩ならあの程度の怪我、翌日には治ってますけどね」
モブ子が言ってやってくれた。会長が悔しそうな顔をする。
私はトラックに撥ね飛ばされた上でまた轢かれても数時間後には元通りだからね。
頑丈さだけは今のモブ子も認めてくれているみたい。
「ふんっ。言っておきますけれど、球技大会で敗北を喫したからといって廃部を撤回するわけではありませんわ」
えっ。
全校生徒の前であんなに派手に負けたというのにまだやり合う気なのか。
私は会長を睨んだ。会長も睨み返してくる。
「あと勘違いなさらないほうがいいですわ。
「ぐっ……」
言い返せない。かなりイラつくが、全部正論だ。
悔しさで歯を食いしばる私を、嬉しそうに鑑賞する会長。彼女は呟いた。
「この嫉妬女」
腹立つっ!!
殴りたい。殴りたいけど、ここで暴力事件を起こしたら間違いなく速攻で問題が公になり、廃部は免れない。心の中で300回くらいあのムカつく顔をぶん殴った。妄想リンチを終え、冷静になる。私は聞いた。
「……それで、生徒会長が何の用ですか」
「一応の確認ですわ。来週末が期限ですの。まさか忘れているわけじゃないですの」
会長は喉を押さえて、コホン、コホンと咳をした。突然どうした。
「『この1か月間で私たちの活動が有意義なものであると認めさせますよ。そうしたら廃部は撤回してくださいね』」
「わ。綾芽先輩の声真似だ」
いや、似てないし……。
会長はニヤリと笑って、元の声で話し始める。
「球技大会前の綾芽さんは確かにこう宣言しましたわ。……で、どこが有意義ですの? 結局のところ部員は怪力女とヤンキー、そして無能なボス猿しかいないんですの」
火であぶろう。私の心の中で会長は今灼熱の炎であぶられている。
「それに! テストが翌週に控えるこの大切な時期に!! 何を優雅にコーヒータイムなんかやってるんですの!? みんな私を悪者みたいに言いますけれど、どっからどう見たって悪者はあんたらですの!!」
「それは確かに」とモブ子が頷いた。いや納得しちゃいけないんだよここは。
涼子がうずうずしている。きっとこの女を殴り殺したくて仕方がないのだろう。しかしそれはそれで困る。
私は非常に不本意ながら、聞いた。
「分かりましたよっ! ……何をすればいいんですか?」
正直、何をすればこの人が活動を認めてくれるのか分からない。ならば直接何をしてほしいのかを聞けばいいのだ。ヒアリングは大切。よく覚えておいてね。
「ふふ。綾芽さんはやっぱり物分かりがよくて助かりますわ。……私からのお願い、それは」
「私に勉強を教えてほしいんですの」
会長は頭を下げた。
「嫌ですよ」反射的に断った。
「なに言ってるんですの!? 断るんだったらこの場で解散ですわ! この部活!」
「それはそうなんですけど……」
大体この人、一応高校3年生でしょ。学年違うじゃん。
「むきー! で、でも本当にお願いですわ。一生のお願いですの」
突然足にしがみついて、頬をすり始めた。気持ち悪い! 退けようとしても全然退かない。フィジカルエリートはこれだから嫌なんだ。何故かモブ子も涼子も助けないし。私は叫んだ。
「なんでですか! 同じクラスの人とかに教えてもらえばいいじゃないですか!」
「あんた鬼ですの!? 私に友達がいないのなんてとっくの昔に知ってるでしょ!?」
会長は2回留年していて今年20歳だ。性格も悪いしそりゃ友達もいない。
「お願いですの! お願いですわ! 私としっかりお話してくださる子、正直あなたたちしか居ませんの! ここで拒否されたら私はどうやって生きていけばいいんですの!? 今でさえ孤独に便所飯で寂しいんですの!」
「そこまで言うんだったら廃部撤回してくださいよっ!」
「テスト対策が実を結んだら撤回しますわ! でもその前に撤回したらあなた方が勉強を教えてくれるインセンティブがなくなりますの!! 見捨てられたら、来年はあなたと同級生になってしまいますの!!」
ついには土下座までしてきた。
流石にドン引きだ。笑う気すら起きない。
「綾芽さんの未来予知でテスト問題を予言するんですの! 昔みたいに!!」
号泣しながら懇願してくる。会長の嗚咽が部屋中に響く。
「お願いしますの! 私にどうかご慈悲をくださいですの!!」
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