語彙力が完全に0になった先輩

「凄かったなあ」


 雲を見つめる渚が、しみじみと呟いた。

 球技大会2日目の昼下がり。

 渚と一緒にこっそり屋上に侵入して、2人で座って弁当を食う。屋上への鍵は施錠されていたが、なぜか外し方を知っていた渚がガチャガチャしたら開いた。謎の裏技の使い手である。


「衝撃的だったよな」


 俺は卵焼きを頬張りながら言う。

 は確かに衝撃的だった。昨日の夕方に行われたアームレスリング。我らが1年A組の代表選手、モブ子がトーナメントを見事勝ち抜き、マッスル・オブ・スクールの称号を手に入れたのだ。

 ……本人からしてみればめちゃくちゃ不名誉らしいけど。


 モブ子が人間離れの腕力を持っているのは、超能力研究会の2人と俺しか知らないことだった。

 握力が学校一強いらしいという情報だけを判断材料に、半ば悪ふざけでクラスの代表選手に仕立てあげたはいいものの、まさか対戦相手を全員病院送りにするレベルだったとは誰も思っていなかったらしい。試合を見たあと、しばらくみんな語彙力が低下して、渚に至ってはやべーやべーしか口にしなくなった。


「モブ子ちゃんが凄いのはもちろんだけどさ、1番根性あったのって、会長だよな」


「ゴキブリ並みの生命力だったね」


 訂正。ゴキブリ並みの生命力を持つ先輩は別の人だ。

 てことはあの生徒会長はゴキブリ以下の生命力……貶しているのか、これは?


「全部折れてるのにどうやったらあんなに粘れるんだって」


 渚は昨日の試合を思い出したのか、変な風に笑った。


「モブ子対会長が一番見ごたえあったよね」


 ちなみに決勝戦はわずか2秒で終わってしまった。

 本物の競技選手だったらしいんだけど、人間離れしたモブ子が相手じゃ仕方がない。


 現在の会長はというと、病院で治療を受けているそうだ。

 生命力が強くとも、回復力までは綾芽先輩には及ばないみたい。エースを失った3年C組はいまいち戦力に欠け、善戦はするもののほとんどの試合で敗北を喫していた。女子バレー2回戦の1A対3Cも、モブ子の強烈なサーブが炸裂して俺たちのクラスが決勝に進出した。1年生の快進撃ということでこちらも盛り上がりを見せている。とにかくモブ子が大活躍だ。



「やっほー、2人とも」


 突然後ろから綾芽先輩の声が聞こえた。

 想定外の出来事に口に含んでいたお茶が変なところに入っていった。むせる。


「あ、綾芽先輩!? どうしてここに……」


 後ろを振り向き綾芽先輩を見上げる。

 風でめくれ上がりそうな前髪を押さえながら俺と目を合わせる先輩。

 なびくスカートの中を密かに覗き込もうとする渚が視界の隅に映ったので、軽くど突いた。


「君たちが屋上に行くって、モブ子から聞いたの」


「いや、モブ子にも言ってない……」渚が怪訝な顔をしている。俺も同じだった。


 気にせず先輩は俺の横に来て座った。スカートのポケットからハチミツ味の豆乳飲料を取り出した。ストローを指して、飲む。ちょっと色っぽい。


「これさ、涼子から貰ったんだけど、甘すぎて無理」


 綾芽先輩はストローを口から離して、甘いはずなのに苦笑いした。


「そういえばさ、翔くん」


「なんですか?」俺は先輩をもう一度しっかりと見た。


「昨日、会長えながさん一緒に卓球出てたよね」


 ギク。

 俺の背筋が凍る。


 昨日の放課後、偶然涼子さんと遭遇し、あることを聞いた。

 それは綾芽先輩が、会長と俺がペアを組んで卓球していたことにひどく嫉妬していたということ。……涼子さんはだからどうしろ、とまでは言わなかったけど。


「ハグされて嬉しそうだったね?」


「うっ……」


「女装、楽しそうだったねぇ」

 

 先輩、笑ってるけど目が怖いよ。


「ご、ごめんなさいっ!」


 俺はすばやく土下座した。

 先輩がアハハと笑う。俺は顔を上げた。


「冗談だって、冗談。ちょっとからかっただけ。全部、あの人が強引にやったことなんでしょ? 女装して参加したのも、抱き着かれたのも、それで嬉しそうになったのも……」


「えっと……」


 嬉しくなったのは、それは──煩悩というか。つまり男としての不可抗力。

 コイツアホだなあ、っていう目で渚が俺の様子を眺めている気がする。


「まあいいけどねえ。翔くんだって男だし、私は別に君の誰でもないんだし。ただね……」


 誰でもないわけじゃ──。喉まで出かけた言葉が詰まる。風が吹く。

 先輩は立ち上がった。数歩歩いて、またこっちを振り向いた。




「気持ちがブレない男の子でいてほしいなーって」




 え。

 綾芽先輩。それって。

 それって、つまり。その。


 俺はゆっくり後ろを振り返り、渚の顔を見た。口をポカンと開けた、間抜けな表情。

 再び先輩を見る。目をパチパチさせる俺。2回ほど目を拭った。

 変なリアクションをする俺たちを前に、先輩は未だにキョトンとしていた。


 だが数秒後。先輩は言葉の意味をようやく理解したらしく。

 目を大きく見開き。顔が紅潮し。口元からあうあうと変な声が漏れ出した。


「あ、え! 違う違う違う!! そういうのじゃない!! 違うから、違うからねっ!? ほんとに! わー! わーー!!」


 語彙力が完全に0になった先輩。ダッシュで扉の方へ駆けていき、ドアを強引に閉めた。階段を猛スピードで降りる音が少し反響している。

 先輩がいなくなった屋上に、風に乗せられて球技大会の歓声が聞こえてくる。俺は渚を見た。渚も同時に俺を見た。思わず手を握る。

 お互いが興奮気味に、叫んだ。



「「い、今のって……ッ!!」」

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