3年C組の秋葉翔ちゃん18歳

 試合前。

 椅子に座り、靴紐をきつく結ぶ。

 今回の卓球ダブルスは私と涼子対会長のリベンジマッチ。ソフトボールの雪辱を果たす機会はここしかない。


「お、おい。あれってもしかして……」


 会長のあたりを指差して、何やら恐れおののいている涼子。

 君がそんなに驚くなんて、一体相手はどんな選手を連れてきたんだろう。中国人の留学生選手くらいだったら私は別に驚かないよ。その時点で勝ち目はなくなるけど。まあ会長は勝利のためだったら平気で世界ランク一桁のプロ選手だって連れてくるだろうね。

 靴紐を結び終わり顔を上げる。そして会長のほうを見る。

 そのとき、涼子が驚いた意味が分かった。


「てめー! お前のペア男子じゃねえか!! 女装してたってバレバレだかんな!!」


 涼子が叫ぶ。

 確かに、会長の隣には一見中性的な女の子がいる。ふわっとしたウルフカットの。

 ただ、その子をよくよく見ると──私の目は誤魔化せない──どう見たって、ウィッグを被った翔くんだった。涼子は女装は見抜けても、まさか翔くんだとは気付いてないみたいだけど。

 翔くんは恥ずかしそうに俯いていた。もじもじしててかわいい。

 よく似合うなあ。……いや、そういうことじゃなくて。なんで会長の隣に……?


「おーっほっほっほっ! 涼子さんったらあんまり勝てないからって、変な言いがかりまで付けてきやがりましたの! この子は正真正銘、3年C組の秋葉翔18歳ですわよ!!」


 会長はそう言って、翔くんの肩に腕を回した。

 なぜか翔くんもまんざらでもない顔をしている……気がする。なんだか心の奥がむかむかする。この2人の様子を見てると。


「……あ、てめえ! 翔じゃねえか! 何してやがんだ!」


 ようやく気付いた涼子が言った。会長は笑う。

 何かを言おうとしていた翔くん改め翔ちゃん。口を開いた瞬間に会長に手で口を塞がれてしまった。なんだかイラつくなあ……!



 試合開始直前、台の近くで礼と握手をする。

 私は会長との握手の際、精一杯の憎しみを込めて握り込んだ。モブ子並みの握力があれば、ここで再起不能にしてやるのにな。なんてことを考えながら。


「あらあら、一般庶民のあなたたちは学校の備品のボロいラケットとラバーでよろしいんですの? それでディグニクス使いのわたくしに勝てるとでも思っているのかしら? 思い上がりも甚だしいですわ!」


 ディ、ディグ……?

 いったい何の話をしているんだろう。卓球用品の名前なんて知らないし。


「ルールは1ゲーム11点制。5ゲームマッチの3ゲーム先取でいきますの。サーブ権は私たちが先にいただきますわ」


 ルールのおさらいをする会長。サーブ権ってじゃんけんで決めるんじゃないっけ?


「そして第一サーブは私……そちらはどちらがレシーブですの?」


 うん。ルールに詳しくないから何の話か分からない。

 アイツのサーブを綾芽が返せ、と涼子に言われる。つまり私がレシーブをすればいいらしい。

 

 審判の合図で試合が始まった。

 会長はトスを上げ、その球を下から擦るように打った。

 相手コートで一回バウンドしてネットを越える球。この緩いスピードなら私でも打ち返せる……!

 と思い構えたら、球が私たちのコートで再びバウンドした瞬間、相手のコートへと戻っていった。審判が手に持っていた得点板をめくる。


「……魔球?」と呆気に取られた私は呟いた。


「バカヤロー! どっからどう見てもバレバレの下回転サーブだったろ!?」


 わけもわからず涼子に怒鳴られる。

 下回転ってなんだ。専門用語?


「おーっほっほっほっ! 初球は様子見のつもりでしたけど、まさか綾芽さんが回転も見抜けない初心者だったとは驚きですわ! この試合もはや勝ったも同然ですわね!」


 そう言って会長は隣の翔くんに目配せする。

 む、むかつく!


 平常心、平常心。ボソボソと呟き、次のサーブに備える。

 おそらく、あの下から擦る打ち方で回転をかけてるんだろう。種さえわかれば対処は簡単なはず。私は腰を低く落として構えた。

 だがしかし、2球目のサーブのフォームはさっきとは違っていて、どこの方向に回転をかけているのか分からなかった。辛うじてラケットに球を当てることはできたものの、ピンポン球は明後日の方向に飛んでいく。


「綾芽! さっきのはフォア前の順横だ! 適当に打ち返したって狙った方向にはいかないんだって!」


 またまた涼子に呪文を唱えられながら怒られた。

 涼子の動体視力だと見えるんだろうけど私にはサッパリなんだよ。あと卓球に詳しすぎじゃないか、君。


「まあ次は綾芽のサーブだ。レシーブは翔。回転とか気にしなくていいから、とりあえず相手のコートに入れろ。翔が返してきた球をアタシがドライブで得点する。まずは追いつくぞ」


 涼子に小声で作戦を伝えられる。

 とにかく球を冷静に打てばいいのね。

 私のサーブ。

 1球目、バウンドせずに場外ホームラン。

 2球目はネットに激突。相手コートに入らないぞ。

 景気よく得点板は捲られ、それは0-4を示していた。涼子に睨まれる。


「へたくそですわね」


 棒立ちの会長にも一言だけそう言われた。呆れた感じで。


 その後涼子が奮闘してくれたものの、ほぼほぼ私のミスのせいで1ゲーム目は1-11で負けてしまった。こっちの1得点は会長が最後の最後に情けでのサーブミスでくれたものだ。よく分からないけど、卓球で完封勝利はマナー違反になるらしい。

 あまりの申し訳なさで、最後のほうは涙目になりながら試合してた。


 悲しみに暮れていた私だったが、それはすぐに憎しみとも怒りともとれる感情へと切り替わった。


「やりましたの! まずは1ゲーム、楽勝でとってやりましたわー!」


 そう言いながら、会長が翔くんに胸を押し当てるように抱きついたのだ!



 ピキリ。



 それを目撃した途端、私の頭の血管がはち切れた。


 おかしいよ、そんなの。

 なんで会長が翔くんに抱きついてるわけ?

 誰の、誰の許可をとって……。生まれもよくてお金持ちでスポーツも万能で生徒会長だったら何してもいいってわけじゃないよ。勉強があまりにもできないせいで2留しててお嬢様気質のそのあくどい性格のせいでクラスに友達いないからって、翔くんとペア組んでいいわけじゃないよ。あと翔くんもなんで嬉しそうにしてるの? 君は私の彼氏になってくれるんじゃなかったの。この前海でかわいいって言ってくれたよね。それがさ、女装なんかして抱きつかれて、会長にへらへらしてさ。胸? 巨乳だったらあんなクズの性悪女でもいいんだね? 私だって平均くらいはあるよ? どんな事情があったとか知らないけど、普通に考えて断るよね? これ私の考えてることおかしい? なんか間違ってる? 君は押しに弱すぎると思うよ。誰でもいいの? 誰でもいいんだね翔くん。女の子だったら誰にだってそうやって照れるんだね。もしかしてモブ子に対してもちょっとかわいいなあって思ったりとかそういうこと考えてたんじゃないの? 女の子くどくためだったらその中性的なかわいい顔と低身長を駆使してちょっと恋愛下手な感じと思わせぶりな態度でその気にさせるんだね。ひどい、ひどいよ翔くん。どうせ私はチョロインですよ。かわいいって言われただけでその人のこと気になっちゃいますよ。モブ子と違って告白された回数0ですからね私は。絶賛気になってますよ君のこと。この先何があるか分からないけど、私もどうせ乗せられてあっさり落とされて告白オッケーしちゃったりするんだろうね。翔くんにとってはその他大勢の一人ですよ私は。どうせね!


 心の中で闇の思考がぐるぐると回って止まらない。

 私は無意識のうちに2人を真っ赤な顔とすごい目で睨んでいたらしい。気付いた涼子に恐る恐る声をかけられる。


「お、落ち着けって……な、な?」


「落ち着いてる!!」


 負の感情が抑えきれない。涼子が心配してくれてるのに、私は声を荒げた。

 そんなやり取りが会長の耳に入ったらしい。会長が翔くんから離れ、こっちのほうに来た。涼子を勢いよく跳ね除け、私に耳打ちをする。その声はどこか楽しそうだった。


「ごめん遊ばせ。もしかして翔くんかれ……綾芽さんの彼氏でしたの?」


「ち、違……そんなんじゃなくて」


 私は会長の肩を押して距離をとった。


「あらあら。あなたの目が嫉妬の炎で渦巻いているからそうなのだと思っていましたわ。でしたら私が翔ちゃんとイチャついていたって何の問題もありませんの!」


 会長は一呼吸おいて、お嬢様ポーズをとった。

 そして高笑いを上げたあと、言う。


「付き合ってるわけでもないのにスキンシップごときでそこまで嫉妬するだなんて、とんだ束縛女ですわ! 勘違いヤローですの! 独占欲が強すぎですわー!」


 言いたい放題の会長の言葉。それを聞いているうちに目頭が熱くなるのを感じ、それが涙となって流れ出た。


「図星過ぎて涙が出てきましたの!?」と追い打ちをかけられる。


 今すぐにでも逃げたい。

 そう思い私は誰にも顔を見せないように、会場から飛び出していった。



 綾芽先輩が突如として消え去り、場が静まり返る。

 してやったり、という満足そうな表情を浮かべる俺のペアの会長。

 再び甲高い声で高笑いを始めた。

 その高笑いの最中、涼子さんのラケットが、まるで投げナイフかのように鋭い弾道で、彼女に向かって飛んでくる。


 会長はそれを動じることなく2本指で受け止めた。バトル漫画かな?

 涼子さんは怒り交じりの声で言う。


「綾芽がいなくなっちまった……卓球は棄権するよ……だけどな!!」


 涼子さんは会長を指差した。

 すぅっと息を吸い込んで、吐く。


「今日の夕方のアームレスリングで……マジで殺してやるから覚悟しとけよ」


 覚悟の決まった、久しぶりに聞いた涼子先輩の冷たい声。思わず背筋が寒くなり身震いする。

 涼子先輩はそれだけ言い残して、会場を後にした。


 知らない間に戻ってきていたらしいモブ子の声が、背後からぼそぼそ聞こえた。


「綾芽先輩を泣かせた……許せない、許せないよね」


 あの明るい声のモブ子だとは思えなかった。まるで本気で怒ったときの涼子さんのような声。俺は振り向くことができなかった。

 


 修羅場とはなにを意味するのか。

 俺は数時間後の会長の無残な姿を見て思い知ることになる。

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