汗だらけでも青春なんだよ、チクショウ!

「いいっすか? 俺たちは1日40キロも走ってるんですよ。5日続けて! 今日の午後練くらい、息抜きとして休みにしてもいいと思うんですよ」


 渚は先生に向かって、絶対無理な提案をした。

 もちろん先生はそんな要望を聞き入れるわけもなく、軽口を叩いた渚をこっぴどく叱っている。


 そんな2人を横目に、俺はポカリを飲みながら青い空を見上げた。

 今、俺と渚は陸上部名物、夏の1週間の地獄合宿の真っただ中。

 一週間で320キロ。東京から仙台市くらいまでの距離を踏破する体力づくり。

 まあひたすら距離を走るだけだから、心を無にするか悟りを開けば耐えられないことはない合宿。もちろん俺は辛さと果てしなさを感じないように、心を完全に閉ざして足を前に前にと進めていた。


 だが、心を無にしても1週間という期間は流石に長い。

 集中力だって、疲労やらなんやらのせいであまり続かない。

 特に今日は心を無にすることすら大変だ。

 

 だって本当だったら今日は、夏祭りだから。


「俺も祭りでお姉さんと遊びたいんすよ!!」


 食い下がる渚の声が聞こえてくる。いい加減にしろよ、と先輩の怒鳴り声も響く。

 遊びたいよな、お姉さんと。俺も気持ちは痛いほど分かるよ。

 特に今回は、綾芽先輩から誘われてたんだぜ。夏祭りデートにさ……。



 河川敷。祭り会場の入り口あたりに立って、人を待つ。

 スマホで時間を確認すると、午後5時50分だった。少し早く来ちゃったな。


 いつもは人の気配なんて無いだだっ広い場所だけど、毎年この日だけは露店が立ち並んで、人もたくさん来る。小学生から大人まで、この町の人がみんな来てるんじゃないかなってくらい。時々、中学生の初々しいカップルなんかも歩いてて、胸が少し締め付けられる。


「ごめん、ちょっと待った?」


 待ち合わせ時間ちょうどに涼子が来た。


「全然。……せっかくのお祭りなのに、なんでジャージ姿なの」


 学校指定の体育着の上着と短パンでラフな感じの涼子。

 浴衣まで着てきた私がバカみたいじゃないか。


「楽な恰好でいいかなって思って」


 君はもうちょっとオシャレに気を遣いな。


「久々の2人きりのデートなんだからさ、少しは気合入れてきてほしかったなあ」


 私は少し悲しそうな振りをした。涼子が面倒くさそうに頭を掻く。


「綾芽とアタシだからこそ楽な恰好でいいじゃん。……でも意外だったよ。お前のことだからアタシじゃなくて翔のこと誘うと思ってたし。また変な作戦とか立ててさ」


 ごめんね涼子。

 実は君の考え通り、初めは翔くんを誘ったんだよね。


「勇気を出したんだけど、残念ながら部活が忙しくて来れないみたいで」


 ……もしも翔くん来てくれてたら。私の浴衣姿も褒めてくれるかなあ。

 あーでも、褒められたらまた照れちゃうからダメか……。


「何考えてるかとかすぐ分かるぞ」


 嘘。顔に出てたか。

 涼子が妄想に浸る私を冷ややかな目で見つめていた。


「花火って8時からだっけ?」と涼子が聞いてきた。私はうんと頷く。


「その時間までさ、露店見て回ろうよ。私この日のためにお小遣い貯めてたんだよね」


 そう言って私は諭吉を3枚取り出して涼子に見せつけた。

 3万円もあればお祭りで豪遊できるはず。


「そんなに使わないだろ」


 私ひとりだとそうなんだけどさ。

 モブ子みたいにバカじゃないからあの詐欺みたいなくじ引きもやらないし。


「今回はいつもお世話になってる涼子になんでも奢っちゃおうかなって思ってね」


 言った途端に、涼子の眼が光り輝いた気がした。

 私には手に取るように分かる。

 君は砂糖菓子やらチョコバナナやらが欲しくて欲しくて堪らないのだろう。

 まあお祭り価格はかなり割高だけど、そこも目を瞑ってあげよう。


「なんでも……本当に?」


 ゴクリ。涼子は唾を飲み込んだ。


「うん。欲しいもの、なんでも、何個でも」



 涼子に遠慮なんて言葉はなかった。

 2時間前には3人いたはずの諭吉。今となっては私の手元には1枚しかない。2万円分も食い物に使ったのだコイツは。私はたこ焼きを1人前買っただけだというのに。


「……そんなに食べたら太るよ? 虫歯にもなるし」


「うるふぇえ。あたふぃがくいたいんふぁからだふぁってふぉ」


 ──うるせえ。アタシが食いたいんだから黙ってろ。

 食い意地張るなあこの子。せめて話すときくらい飲み込もうよ。


「そろそろ花火始まるね」


 私は時計が20時を表示しているのを確認した。

 風情のある音とともに夜空に花火が上がっていく。

 カラフルな花火が花開いた。リズミカルに花火が上がる。そのたびに明るくなり、その彩った空に2人で見惚れていた。


「綺麗だね」


 涼子は花火を眺めながらノールックで綿あめを口に運んでいた。


「あー。彼氏と見たらどれだけ楽しいんだろうなあ」


 私はふと呟いた。


「それ、一緒に来てる友達の前で言うことじゃねえから。……来年、2人で行ってこいよ」


「……私は来年の今頃には死んでるんだよ?」


 涼子、予言のこと全く信じないからなあ。私は力なく笑った。


「ま、久しぶりに涼子と遊べてよかった。最後のお祭りだったし」


 私は芝生に寝転んで、花火が映る空を見上げた。


「最後なわけないだろ。これからも、ずっと続くんだよ」


 ちょっとカッコいいセリフを涼子がぼそっと呟いた。



 54、55、56……。

「畜生! なんで俺らは、俺らは……ッ!!」


 川のあたりから花火が上がって、真っ暗な空が多様な色で染まる。

 俺たちはその綺麗な景色を眺めながら、ひたすらに腕立てをしていた。


「世間一般の皆さんは女の子と花火を見ながらイチャコラしているというのに! 男だらけの環境で筋トレをすることは青春なのか!? どーなんだあ!」


 渚、ぎゃーぎゃー騒ぎながら腕立てをするな。

 俺も虚しくなっちゃうからさ。綾芽先輩とのデートを棒に振ったせいで。

 あーあ。行きたかったよ、本当に。


 綾芽先輩、どんな格好でお祭りいるんだろうな。

 私服かな、なぜか制服かな、部活着……気合い入れて浴衣。浴衣は絶対似合うよなあ先輩。

 そんな妄想に花を咲かせる。

 いつの間にか腕立てのテンポが落ちていたらしい。先生に注意されてしまった。


「こんな汗だらけの青春やだーーーー!!!」


 うるせえ。

 たとえ彼女がいなくたって。

 汗だらけでも青春なんだよ、チクショウ!

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