第37話

 焔君は六限目の自習時間、教室にいなくて、そのまま帰りのホームルームもいなかった。

そうなると考えられるのは保健室か、とあたしは今まさに保健室の扉を開けた。


「失礼しまーす──あ」


「あ、ごめんなさい」


 髪の毛が濡れた男子生徒が保健室から出るところで、驚いたあたしは半歩下がる。


 首にゴーグル……水泳部か。

突き指でもしたのかな?


 上履きの色から一年生とわかったその男の子は指にテーピングをしていた。


「あの、他に誰かいた? 金髪の男子とか」


「え? いえ、俺一人でしたけれど」


 いつもならベッドですやすや寝てるのに珍しい。


「そう、ありがとう。指お大事に」


 ありがとうございます、と男の子は保健室を後にした。


 ※


 保健室にいないとなると空き教室……は、鍵かかってるからないとして……部室だろうなー。


 教室に戻ったあたしはバッグに荷物を詰めて立ち上がった。

そして焔君の机に行って、机の横に掛けてあるバッグを反対側の肩に掛ける。

こうやってバッグを部室に持っていってあげるのも何回目だろう。

疲れたりとかはないけれど、ため息が出てしまうのも何回目だろう。

こんなに吐いてたら幸せが減りそうだ。


「自販機寄ってこ……」


 ※


 あたしはストレートティーで、焔君はミルクティー。

大体飲み物はお互い決まってこれだ。

飲み込んでの、ほっ、と一息。

ため息よりもずっといい。

そして、焔君の分のミルクティーを自動販売機の取り出し口から取った時だった。


「──巴さん」


 横から呼ぶ声がした。


広瀬ヒロセ君?」


 同じクラスでクラスの副委員長の広瀬ヒロセ万里バンリ君が財布片手に立っていた。


「これから部活? って、黒崎の──」


「あ、うん。どっか行っちゃってるからついでにね」


「大変だね」


 広瀬君は自動販売機にお金を飲ませた。

特に大変とか思った事はないけれど、そんな風に言われると何て返したらいいかわからない。

肯定するのも変だし、否定するのも変だ。


「……広瀬君も部活?」


 広瀬君は空手部に所属している。

結構いい成績を残しているとかで、ちょっとした有名な生徒の一人だ。

そこそこ学力成績もいいし、何よりカッコイイとかでも話題の上る。

黒くて、さら、とした髪に涼し気な目元は、なんとかの貴公子、というあだ名で呼ばれるも納得しちゃうって感じだ。


「今はちょっと休んでるんだ。肩やっちゃってね」


「そうなんだ、お大事に。じゃああたし、部活に──」


「──トモエさん」


 行こうとして振り返った時、呼ばれて顔だけ戻すと──。


「俺ね、トモエさんの事好きなんだ」


 ──と、言われた。


 …………ほぅ。


「……もうちょっと反応欲しいんだけどなぁ」


「あ、えーっと、結構驚いてるよ? でもあたしは焔君と──」


 付き合ってる、と言おうとしたら広瀬君はあたしの口を塞いだ。


「──あっ、ご、ごめんっ!」


 そう言いつつ、口を塞いだ手はそのままだ。


「えと……黒崎と付き合ってるのは知ってるよ。一年から同じクラスだし」


 そりゃそうか、とあたしはぎこちなく頷いた。


「わかってるよ。わかってるんだけど……それでも言いたかったんだ。ずっと我慢してたけど、言っちゃった、ね」


 広瀬君は眉毛を下げながら、へへっ、と笑った。

そういえば前に聞いた事がある。

広瀬君に告白した子は断られた時に、好きな人がいる、と言われたと。

それがあたしだったなんて思いもしなかった。

あたしは広瀬君の手を剥がした。


「……知らなかった」


 改めて言うと、広瀬君はため息混じりに笑った。


「あのさ、巴さんって俺の事よく知らないでしょ? 例えば好きな飲み物とか」


 広瀬君はあたしと同じストレートティーを見せてきた。


「クラスメイトから友達、の、ちょっと上として見てよ。少しの間だけでいいからさ。どう?」


「……あはっ」


 今までの印象と少し違う広瀬君が目の前にいた。

あたしはそんなに男の子と喋らないし、クラスではいつも焔君と一緒にいる。

知らないのはもちろん、面白いかも、とあたしは思った。


「いーよ。そしたら広瀬君改め、万里バンリ君って呼ぶね。あ、の方がいい?」


 万里をそのまま呼んでマリ。

一年の時に担任の先生が間違えてそう呼んだ事から、割とこのあだ名が定着していた。


「好きな方でいいよ。ごめんね引きとめて。じゃあ、また明日ね」


 そう言って万里バンリ君は帰って行った。


 ※


 ゲーム部の部室の扉を開けると、やっぱり焔君がいた。

固い床でよく寝れるものだな、と思いつつ、あたしはその隣に座った。

半分開いている窓の下に壁に背をつけて、ストレートティーにストローを挿す。


 全然起きないや……。


 目にかかっている金色の前髪を上げてやると、焔君の唇が、むにゃ、と動いた。


「ホームラくーん……」


 子供みたいな顔をして眠っている。

プリン頭の黒いところを撫でてやっていると──。


「──むぅー……巴ちゃん?」


「そうだよー。もう部活時間だよー……って、ちょっと?」


 焔君は、もぞもぞもぞ、と体勢を変えてきた。


「んー、起きた」


「人の足、枕にしてるくせに?」


 いいじゃーん、と焔君は目を擦って、その手であたしの三つ編みの先をつまんで揺らしてきた。


「ん?」


「何か良い事あった?」


 鋭い。

顔に出ていたのかな、と軽く頬を揉む。


「……広瀬君にね──」


「──広瀬?」


 ん? 反応早い。


「うん。広瀬君に告白? みたいな、そんな感じでさっき話してたんだ」


「……ふーん」


 あ、眉間に皺。

それに三つ編みを揺らす手がすごい高速。


「……ヤキモチ?」


「うん」


 ほんと、すぐに答えるんだから。

そんな焔君の即答は嬉しかったりするけれどさ。


「巴ちゃん可愛いもんね」


「なーに? また何かしたの?」


 少し照れたから誤魔化してみる。


「してない。っていうか、巴ちゃんは俺のだからな」


 どきっ、とした。

こんな焔君は初めてだったからだ。

いつも弟みたいに手がかかるのに、子供みたいに我儘な感じがするのに、今のはなんか、キた。


「何かあったら言えよ?」


「……いつも焔君の事ばっかりだよ?」


「そーじゃなくて……まぁいいや」


 ん?


 すると焔君は寝返りを打って、あたしの爪先の方に顔を向けた。


「もうちょっと寝る?」


 うん、と頷いた焔君から数秒後、すーすー、と寝息が聞こえてきたのだった。

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