第30話
そういえば、私は特別リンゴジュースが好きだとか琥太郎に話した事はない。
けれど琥太郎はいつも私にリンゴジュースをくれる。
今日は私が、とそれを二つ買って部室へと向かった。
※
またいない、か。
鍵が開いていた部室はおそらく一度、琥太郎が来たのだろう。
琥太郎のバッグがテーブルの上にある。
ホワイトボードを確認すると、一年生と二年生は運動部のポスター作成の撮影、と書いてあった。
そういえば私達もこの時期にやったな、と思い出す。
私はいつも通り、真ん中にあるテーブルからパイプ椅子を引いて、窓際へと置いた。
がらっ、と窓を開けて
何て、聞こう。
窓の縁に組んだ腕を置いて、外を眺めながら考える。
私、何かした? 私の事、好きなじゃなくなった? ──違う違う、全部違う。
顔を横に向けて、腕に頬をつけて目を瞑る。
琥太郎は私に聞いたりしなかった。
いつも、言ってくれていた。
私がどんな顔をしても、変わらず、真っ直ぐに伝えていた。
何て、言おう。
うん、これが一番しっくりきた。
琥太郎、私ね──。
「──むかついてんの」
「へぇ?」
後ろから声がした。
ぱっ、と振り向くとそこにはインスタントカメラを持った琥太郎が立っていて、私を見ていた。
「はい、雪乃がむかついてる瞬間の後ろ姿」
インスタントカメラから写真が出てくる。
取り出して、はい、と私に渡してきた。
まだ像は浮かび上がっていなくて真っ黒だ。
「で? 何でむかついてんの?」
にやけた口がそこにあった。
私は顔を上げてそれを見ていて、琥太郎は私を見下ろしていた。
「……最近、あんたを遠くからしか見てなかったからよ」
「ふぅん?」
琥太郎はテーブルにインスタントカメラを置いた。
「これ、飲んでいい?」
「……うん」
さんきゅ、と琥太郎は言って、すぐにストローを挿して飲み出した。
たったそれだけの動作は何回も見てきた事なのに、じっ、と見つめてしまった。
何でもない事なのに、嬉しいと思っている自分がいる事に気づいた。
けれどまだむかついている自分もいる。
「琥太郎」
「ん?」
「あんた……私の事、好き?」
ああもう、聞くんじゃなくて言うはずだったのに──。
「──まだ聞きてぇの?」
「え?」
琥太郎は私の方へ歩いてきた。
窓際にいた私はそのまま動けなくて、琥太郎に詰め寄られてしまった。
窓の縁に手を置かれて、前はもちろん、右も左にも動けないように囲まれてしまった。
「俺が距離取ったの、わざとだよ」
「……なんで、そんな事……」
「俺がいつも見てるもんをお前に見せたかったんだ」
写真みたいに、と琥太郎は付け加える。
この前、飛行機雲を撮っていた私と、さっきの私のように。
「意味、わかった?」
琥太郎の顔が少し怖かった。
笑っていないからだ。
目が男のそれで、口が男のそれだから──真剣だから、怖かった。
「……賭けたのね」
くくっ、と琥太郎の喉が鳴る。
「馬鹿みたい」
「そうだよ。お前の事になると馬鹿になっちまう」
すると琥太郎はリンゴジュースを私に飲ませようと私の口にストローを近づけた。
動かない唇をストローでなぞられた。
また、まだ、私に答えさせないつもりなのか。
負けて、たまるか。
私はそのストローを咥えて、一気に飲んだ。
その行動に面食らったのか琥太郎の目が丸くなっている。
半分くらい飲んだところで私は、はっ、と息をついて琥太郎を睨んだ。
「あんたは馬鹿で、ずるい男だわ」
「知ってるよ」
そう、琥太郎は自分を知っている。
知った上で私に飲ませた──この感情を、飲ませた。
「それと厄介な男で、むかつく男で──」
「──ふはっ、まだ言うんか!」
笑ってられるのも今の内よ、と私は琥太郎の胸倉を掴んで引き寄せた。
「あんたは私の事が好きな、私の好きな人だわ」
琥太郎は私に飲ませて、知らせた。
この感情──恋とかいう、毒を。
だから私は吐きだす。
私の中に出来た気持ちをだ。
琥太郎から貰った幾つもの挑戦状──告白の返事を。
「……あと面倒臭い男でもある」
「ちょっ、まだあんのかよっ!」
ある、いっぱいある、めっちゃある。
まだまだ言い足りない。
私に思い知らせるためだとしても、距離を置くとかむかつく。
他の女子と仲良くしたりとか、むかつく。
「雪乃?」
私は琥太郎を離して、写真で顔を隠した。
それでも顔を見られたくなくて少し逸らす。
琥太郎も……ずっとこんな感じだった? 背中向けっぱなしだった私にむかついて、こんな風に……泣いたり、してた?
涙が溢れてきて、困った。
けれどこんな顔は見せたくない。
悲しくないのに、変だ。
「……背中見続けんの、もう嫌なんだよね」
琥太郎が私の手を掴んで下ろした。
そのまま琥太郎はしゃがんで私の膝小僧の前で見上げた。
「余裕でいるの、もう無理。今、めちゃめちゃ嬉しくて……泣きそうだ」
私の膝小僧におでこをぶつける琥太郎は俯いていた。
つむじが見えた。
「……ふっ、ははっ!」
こんな琥太郎は初めてだった。
初めて、可愛いと思った。
「お前……っ、人がどんだけ不安な毎日をだなぁ?」
「何よ不安って」
「ど、どっかの誰かにひっかかんじゃねぇかな、とか、
繋がれた手の中にある写真が目に入った。
そこにはさっき撮られた私の後ろ姿が写っている。
「琥太郎」
琥太郎が顔を上げて私を見ている。
私も、琥太郎を見ている。
「私、あんたを見てるよ。後ろ向いてない」
「……うん」
「ほんと、馬鹿だね」
「うっせ、何回──」
「──何回でも言うわ。あんたが好きよ、琥太郎。待っててくれて、ありがとう」
ああもう、恥ずかしい。
恥ずかしくて、もう涙がこぼれた。
もういいや。
琥太郎のどこが好きとか、はっきりとはわからない。
むかついて、寂しくなって、恥ずかしくなって、魔でも何でも差したって事でいいや。
全部、琥太郎に持ってかれたって事で、いいや……。
「──お前、綺麗だなぁ」
ああ、久しぶりだ。
けれど前と違う。
嬉しい。
「そ?」
なんて、余裕ぶいた聞き返しをしてみたりして、本当は顔見れないくらいどきどきしている。
また泣きそう。
すると私が目を擦った時、琥太郎が中腰になって顔を覗き込んできた。
こんな至近距離は初めてだ。
いつも一緒にいたのに、今日は初めての事ばかりだ。
恋と気づいてからの、初めてばかりだ。
……ん、あ、おぅ!!
「──ちょ、ちょちょっ、ちょっと待った!!」
私は琥太郎の口に写真を押し当てた。
「……お前、空気読めや。ここはちゅーするとこでしょうが」
何となく察したけれど、それはまだ恥ずかし過ぎるというか、気を失うと思うし、というか心の準備も何もないので、としどろもどろしたら琥太郎は、ふっ、といつもの笑顔でこう言った。
「まぁいいや。今日もお前が好きだよ」
明日から覚悟しとけ、と写真を持った指にキスされた。
さて、新たな毒に私はどう対処しましょうか。
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