第27話
まぁこれも、しょーがない、と一つなのかな。
「──ユキ。なんか久しぶりって感じ」
「ユヅ? 珍し、あんたが朝からいるなんて」
「たまにはね」
登校してきたばかりの
彼女は私と同じ中学で、今はクラスが違うけれど時々こうやって喋る。
私は四組で、ユヅは二組だ。
ユヅはセーラー服のスカーフをしていなくて、スカートが短くて、明るい茶色に染めた髪をポニーテールに
「……何、またやられた?」
「そうみたい」
ユヅは私の下駄箱の中を覗いてそう言った。
私の上履きがないのだ。
別に初めてじゃないから驚かないけれど、がっかりはする。
ユヅにもこういう経験があって、すぐに察してくれた。
「よ」
登校してきた琥太郎が隣に並んだ。
めんどくさい時に来たもんだ。
「どした?」
「何でもない。おはよ」
ばんっ、と下駄箱の扉を閉める。
「……宮下君、ちょっとユキ借りてくわー」
どうして琥太郎に許可を取るのか、けれどユヅはそのまま私の手を引いて土足で廊下を歩き出した。
大体の予想は私もユヅもついている。
さっき下駄箱で、ユヅは手のひらくらいのコンパクトミラーを開いて後ろ周りを確認していたのだ。
そしてユヅは廊下の柱にいた二年生に近づいた。
「逃げたら大声出す──案内しなさい」
ユヅは、凛とした雰囲気がある。
校則違反だらけの格好だし、私は似合うと思うけれど、ちょっと怖い、と思う人は多いだろう。
二年生の二人組はユヅに気圧されたのか、頷いてからゆっくり前を歩き出した。
「……ふっ」
「何笑ってんの、ユキ」
あんたが優しいからだよ、ユヅ。
※
そろそろ部活が始まる前、私はグラウンドの近くにある水道場で上履きを洗っていた。
赤い絵の具を塗りたくってゴミ箱に捨てるなんて、手の込んだ事をしてくれていたからだ。
「──今日スリッパだったのってそういう事か」
琥太郎。
「……そ。犯人は昨日私に告白してきた男子の事が好きだったんだって。そして私がフッたからだって」
「は? くっだらね」
そう吐き捨てる琥太郎はリンゴジュースのパックを水道場の上に置いた。
私の分だ。
この前私が奢ったから、これでチャラ。
洗剤がないと無理だ、と洗うのを諦めた私は水を止めて、水道場の
「傷ついたんだから、しょーがない」
「
わかったような口だけれど、当たってる。
こんな事本当は嫌だ。
「……私は別に」
リンゴジュースにストローを挿して、飲んだ。
甘いけれど、さっぱりする。
私に告白してきた男子達、その男子達を好きだった女子達。
そして私を好きだという琥太郎。
「どうして傷つくかもしれないのに好きになるんだろ」
ふと、聞いてみた。
「……しょーがないんじゃない?」
琥太郎はグラウンドを眺めたままそう答えた。
「気づいた時にはもう遅いっつーか、そういうもんなんだよ。ヴァージンちゃん」
リンゴジュースをふいてしまった。
何て事言いやがりましたかこの野郎、と口を拭きながら睨んでやる。
「お? 性的な意味じゃねぇぞ? 好きな奴も出来た事ねーって意味」
だとしてもそのチョイスはどうだろうか。
「まぁ……今まで一度もいないっちゃいない」
「一人も? マジか。小学ん時も中学ん時も?」
まるで外国人のように私は両手を軽く上げて、そう、とジェスチャーする。
年の離れた姉達には彼氏がいたし、その結果がさんざんだったのをもう嫌というほど見ている時期でもあった。
「終わりがあるってわかってるのにさ、なんかね」
「ばーか。最初っから終わりを考えて好きになる奴なんかいねぇよ」
ん、と琥太郎は私が飲んでいたリンゴジュースを奪い取った。
そして水道場の近くの壁際に置いていた鞄を自分の肩に掛ける。
自分の鞄とは逆の方で、両肩に同じ鞄が掛けられていてちょっと滑稽だ。
私は洗うのを諦めた上履きを軽く絞って、両手の指にかけて琥太郎の隣を歩き出した。
しと、しと、と赤く染まったままの上履きからコンクリートの地面に点を落としていく。
「……怖くない?」
「俺はお前を好きで怖い事なんか一個もない」
また、ん、と言った琥太郎は私のリンゴジュースを顔に近づけてきた。
飲め、って事らしい。
そのストローを咥えて少し飲んで、そして口に含んだままにした。
琥太郎がこうしたのはわかっている。
答えを言わせないためだ。
琥太郎はただの一度も、私への好きの答えを言わせない。
「──あんたってずるい男だわ」
私がそう言うと琥太郎は、ふっ、と笑った。
「何よ」
「んや、お前とこういう話すんのは初めてだと思ってよ」
そういえばそうだな、と琥太郎側ではない腕をぐるん、と振り回して上履きの水を飛ばす。
部室まで後少し、この上履きは部室の窓際にでも干しておこう。
「琥太郎の事、嫌いじゃないよ」
「言うなって」
そうはさせるか。
「ううん、言う。私さ、知らないだけなんだ。気持ちとか形とか、そういうの。始まる前の前なんだよ」
私はまた、ぐるん、と腕を振った。
弾かれた水滴の一線が私の前に描かれる。
琥太郎の事は嫌いじゃない、むしろ一緒にいて楽だ。
他の男子達みたいに一線引いたように身構えたりしないし、普通に接してくれる。
こういうのが私だと知って、受け入れてくれる。
そして、何度も私を好きだと言ってくれる。
考えたら、告白してきた男子達は、ただの一回だけだった。
「……ずるいのは雪乃だっつの」
琥太郎は部室の鍵を開けた。
締め切っていた部室は熱がこもっていて、私はそのまま真っ直ぐに入って窓を開ける。
そう、ずるいのは私の方だ。
「ごめん」
「謝んなって。っていうか、聞き流すわ。お前が言う、ちゃんとした形、ってのが出来てからにして。じゃねぇとさすがの俺でも凹むからよ」
これも初めてだった。
琥太郎の中身が少し見えた気がした。
窓の縁に上履きを立てかけて、それを見つめていると、背中で琥太郎が言う。
「凹むっつーか、泣くかも」
振り向くと、琥太郎はもうテーブルに頬杖を付きながら私を見ていた。
「……あんたでも泣くんだ」
「そりゃあな」
ユヅと上履きを見つけた時、犯人の後輩は泣いていた。
私が簡単に断ったからだという理由だった。
本当は、好きな人の好きな人が自分じゃなかったという理由だ。
やっぱり私、このままがいいや……。
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