第19話

「サイさん、本当にいいの?」


「うんっ」


 ケーキを食べ終えた私はまだ帰っていなかった。

それはお婆ちゃんが、これから団体のお客様が来るの、と言うので手伝いを申し出たのだ。

二人で回せるかしら、と曇った顔をしていたので思わずというか何というか。


「はい、出来たわよ」


 くる、と回って私はアキ君と向い合わせになる。

お婆ちゃんにエプロンの後ろの紐を結んでもらっていたのだ。


「どうかな?」


「どう、って……言わせんの?」


 わっ、べ、別に深い意味はないので!


「可愛いって素直に言えばいいのに照れちゃって。ねぇ?」


 お、お婆ちゃんっ!


 私の後ろからお婆ちゃんがそう言うので、かーっ、と顔が熱くなってしまった。

私はセーラー服に白いエプロン姿になった。

肩のところと裾がフリルになっている可愛いエプロンだ。


「まぁ……似合ってんじゃ、ない?」


 ふんっ、とカウンターの中へ戻っていくアキ君にそう言われた私は、増々顔が熱くなってしまって、けれど嬉しい気持ちに顔がにやけて、困った。


「じゃあ早速お仕事ね。テーブルを拭いてもらっていいかしら?」


「あっ、は、はいっ」


 私は丁寧にテーブルを拭いていく。

さっきの懐中時計のところも、と並べてあるそれを見た時、ずっと気になっていたのでカウンターの中にいるアキ君に聞いてみた。


「あの、この時計、えと、十二時のところなんだけれど──」


「──ん? ああ、サファイアだよ」


 十二時のところに小さな石があって、それぞれ金色、青色の石だった。


「ヘキの目と一緒って思っただろ」


 うん、と頷くとアキ君は、ふっ、と笑った。


「爺ちゃんと婆ちゃんの結婚時計なんだ」


「……素敵──」


 ──まるで映画みたい。


「俺もそう思うよ。爺ちゃんのは俺が形見として譲り受けてさ。だから……届けてくれてほんと、ありがとな」


 アキ君は今までに見た事がないような顔で笑った。

まるでさっき食べたメレンゲみたいに柔らかく、ふんわり、していた。


 何だろ……きゅっ、ってなった……。


 それはレモンカードを食べた時みたいな甘酸っぱいような感じ。

店内に香る紅茶の匂いも胸をどきどき、とさせている。


「あ、そうだサイさん。さっき思ったんだけど、してみない?」


「こっ、コラボって?」


 手の甲で口元を隠していた私は慌てて顔を上げた。


「映画部のサイさんが映画を観て、その映画に出てきた洋菓子を洋菓子研究部の俺が作る。どう? 部活の記録にもなると思うんだけど」


 わっ、それは嬉しい! だってそれって──。


「──もちろん試食付き」


 やった!


 私はその場で軽く飛び跳ねた。

けれどアキ君に、ぶはっ、とふき出されてしまったので、また俯いてテーブルを拭いて誤魔化す。


「あのさ、俺、ずっとサイさんと喋りたかったんだ」


 アキ君はカップを拭きながらそう言った。


「たまに、話してるよね?」


 教室で、隣同士の席で、何気ない話だけれど、時々、たまに。


「うん、だからさ──席替えしたくないって事」


 少し顔を横に背けたアキ君は、ちらっ、と私を目だけで見た。

私はもう何て言っていいかわからなくて──ううん、言うのが恥ずかしくて、だからアキ君と同じように、ちら、と何回もまばたきしてしまった。


「わ……私も、その……っ」


 甘酸っぱいような胸に手を置いて、こく、と唾を飲み込んで私はアキ君を見た。


「……もっと色々話したい、と思ってるよ。映画とかお菓子とか……アキ君が好きな物の話、とか」


 もっと知りたい。

アキ君の話が、知りたい。

美味しい紅茶を飲みながら、美味しい映画のお菓子を食べながら、アキ君の優しい声を聞きながら、私も、私の話をしたい。


 だから──。


「──それじゃあ、たまに店の手伝いに来ないかい?」


 えっ?


「ば、婆ちゃんっ、話聞いて──」


「──うふふっ、雅兎もその方が嬉しいくせに」


 アキ君はみるみる赤くなってしまって、カウンターの中にしゃがんでしまった。

私も少し照れつつ、お婆ちゃんと二人でカウンターの中を覗く。

アキ君は髪をわしゃわしゃ、と掻きながら照れていて、私はお婆ちゃんと顔を合わせてちょっと笑った。


「ところで犀川さん、下のお名前は?」


 うっ、と私は眉間に皺を寄せてしまった。

私は自分の名前が恥ずかしいのだ。


「……アリスだよ、婆ちゃん」


 すると復活──カウンターから浮上したアキ君が顔を出してそう言った。

まぁ! と、お婆ちゃんは驚いている。


「可愛いお名前ねぇ、気に入っちゃったわ」


 うふふっ、と笑うお婆ちゃんは、クッキーがそろそろ焼けるわ、とカウンターの奥へと行ってしまった。


「──俺も好きだな。アリス」


「えっ!?」


 アキ君が言ったのに、アキ君は少し間を置いてから慌てて言い直した。


「いやっ、その、名前な名前!」


 は、恥ずかしいのは私の方なので!


 けれど名前を呼ばれるのがあんなに嫌だったのに、何だか嬉しい、と思った。

にやけた口元がそれの表れだ。


「あ、アキく──。私ね、アン王女が食べてたジェラートが食べたいんだ」


 マサト君はウサギのヘアピンを止め直しながらこっちを向いた。


「……ローマの休日の?」


「うんっ」


 映画みたいに不思議で素敵なこの気持ち。

ジェラートみたいに少しずつ甘くなるといいな、と私は微笑むマサト君に少し、溶けたのだった。


「はいはい、アリスさん。仰せのままに?」

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