第18話
他のお客さんはいなくて、お店にはアキ君と私の二人だけ。
カウンターテーブルを挟んで私達は話をした。
「──紅茶専門店『
「まんま苗字だけどな。爺ちゃんの代からずっとこんな感じで店やってる」
するとアキ君はカウンターの右端を指差した。
そこには英国紳士が被りそうなシルクハットが置かれていた。
シルクリボンが薄っすらと光沢を帯びていて、私はアキ君に目を戻す。
「今は婆ちゃんと俺がメインでやってる。はい、ダージリン」
そう言ってアキ君はアイスティーを出してくれた。
大きなビー玉みたいな氷が四つ、夕焼けのような色の紅茶の中に浮いている。
「い、いただきます……」
グラスを持った私はシルクハットの方を向いて、軽く頭を下げた。
アキ君のお爺ちゃんにだ。
そして口につけた瞬間、冷たい香りが、ふわっ、と広がった。
ストレートの紅茶は少し渋いけれど──。
「──わぁ、美味しー……」
ぱっ、と頭を上げてアキ君を見ると、アキ君は満足そうに口をにんまり、とさせて微笑んでいた。
私は俯きがちにグラスを口につけて、ちらっ、とアキ君を
なんか恥ずかしいな……学校じゃないからかなぁ……あ。
「アキ君、ヘアピンしてるの?」
アキ君の耳の上辺りに、白いウサギの可愛らしいヘアピンがあった。
いつもと違うように見えたのはそのせいかもしれない。
いつも隠れ気味の目が今はより見えているし、と、くすくす笑っていると、アキ君はヘアピンを押さえながら恥ずかしそうに口を尖らせた。
「ば、婆ちゃん命令なんだよ。前髪切らないんならこれしろって」
「あはっ、似合ってるよ。可愛い可愛い」
「か、可愛いとか……っ」
するとアキ君は、ケーキ用意してくるから、とカウンターの奥に行ってしまった。
男の子に可愛いは駄目だったかな、とちょっと反省する。
けれどウサギのヘアピンなんて可愛い以外にないし、と言い訳もする。
もう一回、ふふっ、と笑った私はグラスを持ったまま、くる、とカウンタチェアーを回転させて、カウンターの
店内の雰囲気をもう一度見るためだ。
壁に掛けられた絵も気になる。
子供の落書きのような、抽象的なクロッキー画のような絵で、ヘアピンと同じウサギだったり、猫だったりと様々だ。
シルクハットの紳士の絵もある。
これはアキ君のお爺ちゃんかな、と思った。
その隣には懐中時計を見ている女の人の絵があって──。
──これって……。
私はカウンターチェアーをくる、と回転させて向きを元に戻した。
そしてアキ君が置いたままにしていた懐中時計を見て、また絵を見た。
やっぱり同じ時計だ……。
※
「──お待たせ、って、サイさん?」
ケーキ皿を両手に持ったアキ君が戻ってきた。
私はと言うと、懐中時計を手に絵の前に行っていて、見比べをしていた。
「あっ、勝手にごめんなさいっ」
慌てて戻って懐中時計をカウンターテーブルに置く。
「ちょっと気になっちゃって」
「ふぅん? 別にいいけど。とりあえず試食な」
アキ君はケーキ皿を置いた。
白いケーキ?
「レモンパイ。上の白いのはメレンゲ、中の黄色いのがレモンカード、下はパイ生地」
私は体を傾けながらケーキの断面を見つつアキ君の説明を聞く。
何やらレシピを言っているけれど、とにかくもう止まりそうにないので私はフォークを掲げて、じっ、とアキ君を見つめた。
もう食べていいでしょうか、と。
そんな私にやっと気づいたアキ君は、ふーっ、とため息をついた。
「はいはい、召し上がれ」
「いただきますっ」
おぉ……メレンゲふんわり……あ、パイはさっくりしてる……。
フォークの感触を楽しんで、私は大きくひと口、食べた。
「どう? ……って、聞くまでもなさそうだな」
とっても美味しくて、私の顔はにやけていた。
うんうんうん、と頷いて、アキ君も早く食べて、と目で伝える。
「じゃ、俺も……んー、うんうん」
アキ君も頷いた。
それに笑っている。
「めっちゃくちゃ美味しい! 酸っぱ甘い感じ、私好き!」
「ははっ!」
あ。
思わずはしゃいでしまった。
けれどこんなに私好みの味だなんて思っていなかったから余計に嬉しかったからしょうがない。
もう暑くなってきた今の季節にレモンというのもぴったりだ。
「このケーキさ、この前観たDVDに出てきたケーキなんだ」
「そうなの?」
「うん。サイさんは映画とか観てて、気になる料理とかない?」
「…………いっぱいあって、困る」
アキ君はまた笑ってアイスティーを飲んで、私もアイスティーを飲んで、ふふっ、と笑った。
その時、カウンターの奥から誰か来た。
「あらあら、いらっしゃい」
「婆ちゃん」
「こ、こんにちはっ」
こんにちは、と微笑むアキ君のお婆ちゃんは黒いシックなロングワンピースに、白い前掛けのエプロンをつけている。
髪を綺麗にまとめていて、上品な人、という感じがした。
「雅兎の学校の子かい?」
「うん、犀川さん。忘れ物届けてくれたんだ」
「まぁまぁ、ありがとうねぇ」
「い、いえっ。あの、アキ君──雅兎君、と同じクラスの犀川です。初めまして、お邪魔してます」
ゆっくりしていってちょうだい、と言ったお婆ちゃんはエプロンのポケットに手を入れながらカウンターの端に移動する。
何をするのだろう、と思った時、それが目に入った。
私が見ていると、アキ君が教えてくれた。
「婆ちゃんは店に立つと懐中時計をハットの横に置くんだ。いつもの事だよ」
そう言ったアキ君も懐中時計をお婆ちゃんが置いた隣へと並べた。
不思議で、けれど愛おしいシーンだと気づいた私は、いつの間にか微笑んでいたのだった。
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