第11話

 朱里ちゃんが言っていた通り、今日は一段と暑い気がする。

私は二つの内の一つのトマトジュースのパックを頬に当てながらプールへの階段を上っていた。

もう足プールする気満々なので、革靴に履き替える時に靴下も脱いでいる。

すると、ちょうど階段の真ん中まで上がった時だった。


 ──誰?


 二人分の足が見えて私は止まった。

湊君と、短いスカートの女の子だ。

緑色の爪先の上履きだから一年生とわかった。

何を話しているのか、プールの床と白い日傘の細長い視界から私は様子を窺う。


 ……おおう、積極的な女の子さんです。

べたべた触ってます……湊君も笑っています。


 そんな二人を微笑ましく見ていた私だったけれど、ちょっと様子がおかしい事に気づいた。

湊君の顔が段々険しくなってきたからだ。

それにストレッチしている最中だし邪魔なのでは、と変な心配もした。

それでも女の子さんは湊君に話しかけまくっていて、肩やら腕やら、べたべたべたべた──もや。


 ……ん? もや?


 何だか自分の胸の辺りが変になった。

いつものあの感じじゃない──倒れる前の動悸とは違っている。

すると、スカーフを握っていた手から目を戻した時、湊君と目が合った。

そして、ふいっ、と顔を逸らされてしまった。

それを変に思った女の子さんが私に気づいて、私は軽く会釈するものの、ふんっ、という感じでこちらも逸らされて、それから湊君、私にと数回交互に見られた。

あからさまに、じろじろ、と見られるのは気持ちのいいものではないな、と思った。

それに女の子さんの目が睨んでいるようにも見えたからだ。


 これはまずいタイミングで来ちゃったのかなぁ……。


 今日は大人しく帰ろう、とため息をついた時、女の子さんがこっちに向かってきた。

帰るのかな、と私は階段を降りて邪魔にならないように端に寄る。

女の子さんは少し巻いた髪が綺麗で、勝ち気そうな子だなと──。


「──清海くんはトマト嫌いですけど」


 え?


 持っていたトマトジュースをちら見した女の子さんは言った。


「何も知らないくせに……どういうつもりで清海君に近づいてるんですか?」


 どういうつもりも何も、私はプールが好きで──。


「──泳げもしないのに」


 ……ああ、そういう事。

その目は嫉妬だったわけね。

安心していいのに。


 私は軽く頷いた。

だって私が泳げないのは本当で女の子さんは何も間違っていない。

だから肯定の意味でそうしたのだけれど、これは間違いだった。


「何よっ! 余裕ってわけ!?」


 鎖骨のところをどんっ、と押されて私は尻もちをついてしまった。

鞄もトマトジュースも、白い日傘も、ばさばさっ、と地面に落ちた。

あまりの事に女の子さんを見上げていた次の瞬間、


 ──あ、やばい……っ。


 変な動悸、息が詰まりそうな感覚。

セーラー服の襟元をぎゅっ、と握って何とか耐える。


 耐えなきゃ、また──。


 女の子さんも私の異変に気付いたらしく、焦るように窺ってきた。

彼女は知ってるんだとわかった。

言う事聞かない私の体の悲鳴に気づいている。

けれどどうしたらいいかわからないみたい。


「あ、あたし、あの──」


 大丈夫、平気だから。


 顔を上げた私は笑いかけた。

変な汗が顎まで伝ってくる。


 大丈夫、今回は軽い方だから。


 そう声に出来たらいいのに、声が出ない。


 また暗いところに、私……──。


 その時、私に影が差した。

ゆっくりとまた顔を上げると、そこにはいつかみたいに湊君の顔があって、自分の足に私を寄り掛からせてくれた。


「先輩、ゆっくり息して」


 私は首を横に振る。


「大丈夫、できます」


 すぅ、はぁ、とリズムを取ってくれる。

爪が食い込むくらい握っていた指も緩めてくれて、その手を握ってくれた。

大きくて、優しい湊君のその手を私はしっかり握り返した。


 ああ、空が青い──。

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