2.プールサイドの人魚姫

第7話

 ──二年三組、芹ヶ野セリガノナギ

走れなくても喋れなくてもいい。

あわになってもいいから、私は飛び込みたい──


 最後……っと。


 今日は返却された本が多かったな、と私はカートに積まれていた最後の一冊を棚に戻した。

手を組んでそのまま下に伸びをする。

それから肩の力を抜いて、ふぅ、と一つ息を吐いて、今日の部活はこれで終了。

私は図書部に所属している。

当番制で貸し出しの受付、返却された本の整理をする。

それと読んだ本の批評を書く、というのが主な活動だ。

本は好き、嫌いじゃない。

私は受付に戻ろうとカートを反転させた。


 ……私はこれくらいしか、出来ないのよね。


「──お疲れ様です、芹先輩」


 後輩の蝶野チョウノさんが受付でそう言ってくれる。

蝶野チョウノ千草チグサさんは小さくて可愛い女の子だ。

最近、生物部にも入ったとかで掛け持ちの兼部は大変そうではあるけれど、以前と比べて明るくなったような気もする。

見てて飽きない、という感じになった。

私はカートから手を離して蝶野さんの頭を撫でる。


「えっ、あの……何でしょう?」


 いえいえ、でたくなっただけでして。


 その困った顔もまた可愛く、どうしてやろうかと前屈みになって蝶野さんの頬をふにっ、と両手で挟んで顔を近づけた時、東宮トウミヤ先輩が受付の奥にある司書室から出てきた。

今日も爽やかで眼鏡が似合っている我が部の部長。

お疲れ様です、と私は軽く会釈した。


「お疲れ様。蝶野さんとたわむれ中?」


 そうです。


「ち、違いまふぅ」


 拒否られちゃった。


 私は蝶野さんをじぃっ、と見つめて頬を膨らませる。

その時、蝶野さんの目が変わった。

手も剥がされてしまった。


「芹先輩、ちょっと顔色悪いです」


 え?


 蝶野さんがそう言うと東宮先輩までも顔を覗き込んできた。


「ほんとだ。平気?」


 平気。


 そう頷いてみても二人はまだ眉を下げて、私が苦手な顔をしている。


 この顔は、好きじゃない。


「芹ヶ野さん。ここ、座って」


 えー……。


 私は口を尖らせて東宮先輩を見る。


「芹先輩、無理しないでください」


 無理なんかしてない、平気、普通。


 やだやだ、と軽く首を振っていると、私の頭に軽く何かが当たった。

振り向くと後ろには司書の先生が立っていて、丸めたプリントがその手にあった。


「座りなさい」


 司書の先生に言われたらそうするしかない。

だって怖いから。

私は仕方なく、本当に仕方なく東宮先輩が引いてくれた椅子に座った。

そのまま目の前の机に右頬をつけて突っ伏す。

髪の毛が邪魔だ、と、ぺいっ、と手で振りやって皆を見上げるとまだ心配そうな顔をしていた。


 ──私の心臓は、私の言う事を聞いてくれない。


 あーあ、なんで私こんななんだろ……でも机冷たくて気持ちいいし、いっか……。


 ついでに、とすぐ近くに立っていた蝶野さんの手を取って、自分の頭に乗せて、じっ、と見つめた。


「撫でて、ってさ」


 東宮先輩に言われて慌てて気づいた蝶野さんが頭を撫でてくれた。

さらに気持ちよくて私は満足の息をつく。


「……先輩の髪、綺麗ですね。長くて、真っ直ぐで」


 切りに行くのがめんどいだけなの、とは言わないでおこう。

けれどその通りで、あっという間に腰まで伸びたという感じだ。

もう暑くなってきたし、少々鬱陶しいのだけれどこうやって言われたらちょっと嬉しい。


「少しそのままでいなさい」


 司書の先生が改めてそう言う。


 はいはい。


「はい、は一回だけでいい」


 はーい。


 何も声にしていないのにどうしてか司書の先生に見透かされる。

毎度の事だけれど不思議でならない。


「芹ヶ野さん、何かあったら呼んでね。あ、蝶野さんいるから大丈夫だね」


「え、あの、私、受付が──」


 代わりにやっとくから、と東宮先輩が変わってくれるようで、私は蝶野さんを独り占め、と蝶野さんの制服のセーラー服のスカーフの先をつまむ。

蝶野さんも近くに椅子を持ってきて、やっとそばに座ってくれた。


「……芹先輩、もっと色々言っていいのに」


 ぽつり、と呟いた蝶野さんを見上げる。

すると彼女は少し困ったように目をうろちょろさせて、それからまた言った。


「……色んな声、出していいと思います。皆、聞きたがってると思いますし。わ、私も聞いた事、ないですし」


 色んな声ねぇ。


「一年の間でちょっと有名になってるの、知ってますか?」


 私は軽く首を横に振った。

ある意味有名ではあるかもしれないと自分では思っているけれど、それは脆弱ぜいじゃくだって事。

体育も参加出来ないほどのもろさだって事。


「先輩の声がレアだって事ですよ」


 そういえば最近知らない後輩達に挨拶される事がよくある。

何だ何だ、と思っていたけれどそういう理由があったのか、と今知る。

きっと他の二年の子達に聞いたのかもしれない。

部活繋がりでそんな話をしていたのかもしれない。

そんな私は後輩にこう聞かれているし、じゃあ、こうしてみよう。


「──私の声、聞きたいの?」


「はいっ…………えっ!?」


 蝶野さんは私の頭から手を離して、ちょっと大きな声で驚いてしまった。

私は、しーっ、と人差し指を唇に添えた。

ここ、図書室ではお静かに。

じゃないと司書の先生の鋭い目──ビームが飛んでくる。

そうじゃなくても他の生徒にご迷惑。


「もう……不意打ちとかひどいですっ」


 仕返しか、頭のてっぺんをぐりぐり、と軽く押してくる蝶野さんが可笑しくて可愛い。

それからまた彼女は私の髪を撫でつけるように頭を撫でてくれて、気持ちよくて私は目を瞑った。

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