第6話
「──で、どんくらい進んでんの?」
二組の教室の扉を閉めた時、伊吹が聞いてきた。
「…………あはぁ」
真っ新。
「マジか。マジか」
二度繰り返されても一問も解いていませんが、と私は腕を組んだ。
偉そうにする事でもないけれど、一問も解けなかった、というのが正解だ。
「そういや俺も三組に入んの初めてだわ」
「お、じゃあさっきの私の感じわかるかもね。三組にようこそー──」
と、教室の後ろの扉を開けた時だった。
顔に何かが向かってきて、後ろのめりになったけれど避けきれなくて、こつんっ、と何かが当たった。
それが、足元に落ちて、声が聞こえた。
「──ようこそー、森岡さーん」
げっ!!
教卓に狼、いや、数学の先生がいた。
まさか教室で待ち伏せているとは思いもよらなかった私は思わず、気をつけ、のように姿勢を良くした。
「せっ、センセ、えーと──」
「──森岡さーん、逃げれると思いましたかー?」
まさかー、ただの休憩でー、とは言えずに私は赤いタオルを首から外した。
すると伊吹が足元に落ちた紙飛行機を拾ってくれて、それが居残りプリントだとわかった伊吹も私をじと、と見てきた。
どっちの目も見れずに私は限界まで俯く。
「伊吹くーん。君も森岡さんと一緒に俺から逃げてましたねー、んー?」
まさか自分もとは思っていなかったのか、伊吹も私と同じように気をつけ、の形になって、そして私の手の甲を軽く小突いてきた。
まるでノックするみたいに、どうにかしろ、何か言え、というようにだ。
けれど私は直立のまま動けないでいる。
言葉を探してみてはいるけれど、何と言ったらいいのやら。
どれもこれも言い訳ばかりで、不敵に笑う狼から目を逸らすのが精一杯だ。
そしてスタートしてしまった。
先生のくどいくどい説教がだ。
「……どうしてくれんだよ森岡」
伊吹が、ひそひそ、と話しかけてきた。
私も先生を見ながら、ひそひそ、と返す。
「……あはぁ?」
「ちょ、おっ前、誰のせいだと──」
その瞬間、先生の説教が止まった。
ひそひそ話は丸聞こえだったらしい。
「──これ以上長引くと遅くなるな」
お、釈放か?
なんて思ったけれどそれは私の大きな勘違いで、先生は教卓の上に置いていたファイルからプリントをもう一枚出した。
「追加です。今日はそのよく飛ぶ紙飛行機をやる事。これは明日の分な」
げぇ!
そう言おうとしたら伊吹が私の口を手で塞いだ。
「お、俺が、責任もって教えますんで」
伊吹はそう言って先生を見据えて、私はそろそろ息が苦しくて手を剥がした。
「……まぁいいだろう。帰り、ちゃんと送ってやれよ?」
了解っす、と伊吹が言うと、先生は私の頭に追加のプリントをぺそ、と乗せて教室を出て行った。
足音が聞こえなくなってからやっとで二人して、はーっ、と安堵する。
私はそのまま足を抱えてしゃがみ込んだ。
「……追加とかありぃ?」
上履きの赤い爪先を指でつつく。
「長い説教よりはましだろが」
それはそうだけれど、と同じくしゃがんだ伊吹と顔を合わせる。
「教えてやっから、な?」
優しいなぁ、伊吹は。
さっきも私がやらかしそうになって止めてくれたし、上手い事言ってくれたし、こういうとこ、中学の時と全然変わってない。
渡された居残りプリントの紙飛行機を手に立ち上がって、私は赤いタオルをまた首に掛けた。
「はーい、っと」
私は紙飛行機を飛ばした。
さすが私の究極の折り方、よく飛──。
「──やばっ! 窓開いてんだった!」
「はぁ!?」
私と伊吹は慌てて窓際の一番前の席に飛んでいく紙飛行機を追いかける。
机と机の間をすり抜けて、そして私達は同時に紙飛行機を掴んだ。
ちょうど私の席の横で、窓から出かかっているところだった。
私は自分の席の上に片膝を乗せた状態で、伊吹は私の席の椅子に片足を乗せた状態だ。
安堵と共に顔を見合わせて、ふき出した。
「あはっ! また校内散歩しなきゃかと思った! セーフセーフ」
「ふーざけんなよ森岡っ。飛ばすとかねーわ!」
ごめんごめん、と私は自分の席に座って、苦笑いする伊吹も隣の席に座った。
あーあ、プリントぐっしゃぐしゃ。
紙飛行機の跡と握った跡でプリントは無残な有り様。
それを伸ばしながら私はまだ笑っていた。
そんな私を伊吹は頬杖をついて見ていて、ため息をついている。
「もー伊吹、まだ怒ってんの?」
プリントを
「怒ってねーよ。面白ぇなと思って」
伊吹は隣の席の椅子を私の席の前に移動して座り直した。
向かい合わせで、顔の距離が近い。
「やっぱお前いると楽しいな」
「いきなり何ー?」
「俺の周りにはいないタイプって話」
タイプとは。
伊吹のクラスには私みたいな子は──まぁ、いないかもしれない。
先生から逃げる子なんてそういないでしょう。
「──つまりさ……わかんねぇかなぁ」
「何が?」
何となく思い出した解き方の計算式の途中で、伊吹が机の上で組んだ腕を乗せてきて、何故か上目遣いで私を見ている。
「──俺、お前の事好きなんだけど」
私はシャーペンをくるり、と回して、そして、かたんっ、とプリントの上に落とした。
「…………へっ!?」
「中学ん時からずっと」
伊吹は恥ずかしいのか口を尖らせていて、頬が赤くなっている。
じゃなかったら散歩も居残りも付き合わないし、と付け加えられた。
私は恥ずかしくなって赤いタオルを頭に被って、タオルの端で顔を隠した。
「いいい伊吹っ、え、あの、好き!?」
「だからそう言って──ははっ!」
伊吹は私の手を取って、赤いタオルを捲る。
照れ臭そうでも見た事ない男の子の目で──狼みたいな目で、私を見ていた。
「すげぇ真っ赤。で、返事は?」
ど、どうしよう!? 多分私、もう逃げられない、かも──。
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