第3話

 何だかんだで伊吹も三階の三年生の教室に行った事がないらしい。

するとちょうど二階の階段を曲がった時、三年生の青色の上履きの爪先が見えた。


 裸足?


 上履きから、すらっ、とした足が見えて、短いスカートでセーラー服のスカーフをしていなくて、明るい茶色のポニーテールで、すっ、と横を通り過ぎていくその先輩の後ろ姿を私は目で追っていた。


「どうかした?」


「う、ううん。なんか、かっこよく見えた、だけ」


 そう、見惚みとれた。

背筋を真っ直ぐに伸ばして歩くその姿にだ。

それともう一つ、何だか少し、寂しそうにも見えたからだ。


「あの人もある意味有名、かも」


 伊吹が呟いた。


「綺麗な先輩だから?」


「否定はしない。ま、色々ある人って事で」


 伊吹は色々知ってるんだな、と感心する。

逆に私が知らないだけなのかもしれない。

こうやって校内でも行った事ない場所は沢山あるわけだし、知ったらそれでいいかとも思う。


 ※


 三階の廊下まで昇ってきた時は少し息が切れてしまって、ふぅ、と私は息をついた。

暑いせいもある。


「おお、やっぱ高いねぇ」


 廊下の窓から腕を投げ出して下を見ると、さっきまでいた中庭があって、自動販売機が小さく見えた。

その時、向かい側の実習棟の三階に先生──狼の姿があって、私は勢いよくしゃがんだ。

もう見えないと思うけれど、赤いタオルを頭に被って顔も隠す。


「いきなり何──ああ、そゆ事」


 気づいた伊吹が狼の行き先を見届けてくれる。


「──行った行った。ってか、びびってるくらいならちゃんと居残ればいいのによ。進級出来んのか?」


 からかう伊吹に私は口を尖らせながら立ち上がる。


「だから休憩だってば。


 実習棟の窓から狼の鋭い目こっちを見て、目が合ってしまった。

その瞬間、私は廊下を走り出した。


「伊吹の嘘つき! 行ってないじゃんか!」


「俺のせいにすんな! その赤いののせいだろ! 目立ってんだよ!」


 伊吹も後ろを走り着いてくる。


「私のラッキーカラーだっての!」


「アンラッキーだろが! って、ちょっとストップ──」


 ──と、伊吹に手を掴まれ、私は急停止した。

そのままバランスを崩して後ろのめりになってしまって、伊吹が受け止めてくれた。


「窓からしか見えねんだから、しゃがんだ方がよくね?」


 耳のそばで伊吹の声がして、伊吹の胸の中に私の背中がすっぽりはまっていて、力が強いのが、わかった。


 ……あれ? 何だこれ。


「森岡?」


「や、何でも、ない」


 少し声が上擦ってしまった。

その時、屋上に続く階段の上から誰かが降りてきた。


「──伊吹君?」


花茨ハナイバラ


 花茨、と呼ばれた子は同じ二年生の女の子で、ふわふわの長い髪の毛が可愛くて──眠たそうな顔をしていた。

ぼーっ、と見上げていると花茨さんが手を差し出してくれた。

伊吹に寄り掛かったままだったから起こしてくれようとしてる手だと気づいた。


「あ、ありがと。えと、伊吹と同じクラス?」


「うん、そうだよぉ」


 私と同じくらいの背で、そういえば、と思い出した。

成績順位上位の人だ、と。


「ちょっと忘れ物しちゃってねぇ、取りに来たのぉ」


「屋上に?」


 伊吹がそう聞くと、花茨さんは、本当は立ち入り禁止だから内緒にしててねぇ、とにっこり笑ってその場を後にした。


「……初めて喋ったけど、ゆるっとした子なんだね」


「いつもあんな感じで眠そうでよ、五限目はいつもいねーんだ」


 へぇ、と思った私は察した。

伊吹と同時に屋上へ続く階段を見て目を合わす。

確かにここなら隠れる場所としてはいいかもしれない。

二年の花茨さんが教室棟の三階、その屋上にいるなんて思いもしないだろう。


 ※


 とりあえず狼に見つかってしまったし、と私達は中腰のまま反対側の階段に向かい、ゆっくりと降りていく。

踊り場にある橙色のステンドグラスが光っていて、床や私達を照らしている。


「そういえば伊吹、忘れ物あったんだっけ」


「あー、うん。部室なんだけど──森岡も来る?」


「行く!」


 私は即決、笑って答えた。

料理部は調理室が部室のようなものだし、それも実習棟の横にあるため部室棟に一度も行った事がなかった。

本当なら中庭を通った方が早いんだけど、と伊吹は言うけれど、私は眉をしかめて訴える。


「ふはっ、その顔やべーって。わかってんよ。見つかりたくねーんだろ?」


 ぬっ、からかわれたっ。


「このまま正門の方に出て、ぐるっと回って行こうぜ」


 伊吹が少し先の階段を降りていく。

その背中を見て、私は思った。


 何かやっぱり大きくなったよなぁ……肩とかごつい? 感じになったし……。


「──森岡」


「え? あ、ん?」


 伊吹が止まってちょっと首を上げて私を見た。


「後ろじゃなくて、隣、歩かねぇ?」


「何で?」


「後ろに張り付かれるって、何か怖くね?」


 怖い、とは。


「あはっ! 何、伊吹、まだあの話信じてんの?」


「うーるせっ」


 口を尖らす伊吹の隣へと私は階段を二段、降りた。

中学のの時の友達らと怪談をしていた時の事──階段を降りている時に右回りに後ろを向くのはやめなさい、もし向いてしまったら、あなたの後ろに影がつく、黒い影ではなく赤い影が、ひっそりと──なんて、影がどうするとまでの話でもないのに伊吹が誰よりもびびっていたのを思い出す。

しかもまだそれを覚えてて信じてるなんて。

怖がりは相変わらずで、私は可笑しくて笑いが止まらなかった。


「──あ、先生はっけーん」


「うぇ!?」


 私は伊吹の肩を掴んでその背中に隠れた。

けれど階段の下も上も見ても誰もいなくて、そして伊吹は、ぷぷっ、と笑い声を上げて、わかった。


「うっそー。仕返しじゃあ」


「……こんにゃろ! くそびびった!」


 背中を軽く小突いてやると、伊吹はそのまま小走りで階段を駆け降りたので、私も小走りで追いかけた。

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