第二話

 それからしばらくして、予想外の事態が発生した。僕たちが、中学生の時だった。瑛の親の転勤で、彼女が遠くに引っ越すことになってしまったのだ。

「瑛ちゃん、元気でね」

 出発の日、僕は彼女を近くの河原に呼び出した。

「うん、怜央れおくんも。また……会えるよね?」

「うん、会おう。僕はずっとここにいるから」

「たまに、会いに来るねっ! 怜央くんの小説、楽しみにしてる」

「僕も会いに行くよ。夢も必ず叶えてみせるね」

 目に涙を浮かべて、何度もうなずく彼女の頬をそっと包み込む。そのまま彼女の身体を抱き寄せた。ぎゅっと腕に力を込める。はじめは体を強張らせていた彼女だったが、徐々に力を抜いて優しく抱きしめ返してくれた。

 瑛は鈍感だ。きっとこのハグの意味にも気づいていないだろう。だけど、僕の気持ちには今だけは気づかなくて良い。時が来たら、ちゃんと伝えるから。今だけは――――。

 彼女を抱きしめる腕により一層力が入る。この温もりを、匂いを、柔らかさを身体に刻みこむませるように。

「れ、怜央……くん……、ぐ、ぐるしぃ……」

「あ、ご、ごめんっ、瑛ちゃん!」

 彼女の苦しそうな声が耳元で聞こえ、慌てて我に返る。腕の力を緩めて、彼女を開放すると少し咳き込んだ。すぐに呼吸を整えた彼女は目にまだ涙を浮かべている。時計をちらりと確認したら、そろそろ出発の時間だ。

「怜央くん」

「ん?」

「……」

 お互いに無言で見つめ合う。彼女は何か言いたそうに何度か口を開きかけては閉じ……と繰り返していた。僕は黙って彼女の言葉を待つ。だがその時、高く鳴り響くクラクションが聞こえて、彼女はハッとしたように音の方を振り返った。見上げると橋の上で、彼女の父親が車の窓から手を振っていた。

 どうやら、もうタイムリミットらしい。

 瑛が再び僕の方へ顔を向け、目を彷徨わせる。けれども、結局何も言わずに別れの言葉を口にした。

「もう……行くね」

「うん。気をつけて」

「ありがとう、怜央くん」

 ふんわりと微笑んだ瑛は、どことなく寂しげに見えた。けれど、それも一瞬でいつもの明るい笑顔の彼女に戻る。

「電話とかしようね!」

「うん、しよう」

「じゃあ、またね」

 泣きそうになるのを堪えるように彼女は手を小さく振ると、すぐに車の方へ走って行った。一度も振り返ることなく――――。

 僕は、車が走り去っていくのをいつまでも立ち尽くして見ていた。

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