片鱗

 ――本当なら、見えなかったのかもしれない。

 見ない方が、よかったのかもしれない。

「けど……それじゃあ、あの下衆と一緒なんだよね」

 せっかくの楽しいデートを邪魔された、でもそれ以上に――

「まだ……いたなんてね」

 ふつふつと、怒りが込みあがるのを感じる。

 走りながら、徐々に息が落ち着いていくのがわかる。

「―――……」

 入り組んだ路地、その終点は行き止まりになっていた。

 少なくとも、一般の人にはそう見えるかも。ただ――この行き止まりには見覚えがある。

 奇妙なまでに正方形になっている路地の、その中心にある、一つだけ他より大きな石を、思い切り踏みつける。

『カコンッ』

 床の見た目は変わってない。でも、微かに、何かがぶつかったような音がした。

「……変わってないのね。ううん、変わるわけないか」

 私が踏んだ石畳が発光し始めた。けど、いまさらそんなことには驚かない。

印相転換ワープスタンパー

 地面に印を描き、衝撃に応じてその印同士の位置を入れ替える術式。

 前にそれを利用して、自身の隠れ家を隠していた術師がいた。そいつがしていたことこそが、郊外から品物を売りに来た子の『人攫い』。そして、そのさらった子たちをゲス共に売りさばく――

「『奴隷商売』……」

 口をついて出た言葉に、私は、自分の唇を軽く嚙む。

 トクリュイエとして、過去にその奴隷組織は潰した、そのはずだった。

 だけど、それでもやっぱり、芽は完全に潰せたわけじゃなかったんだ。

 徐々に浮遊感を覚える中、意識はすっきりとしてくる。

 まあ――勘を戻すにはちょうどいい。

 浮遊感が最高潮に達した瞬間、目の前にあったレンガの壁が薄暗い通路に切り替わる。

 設置されていた術式が発動し、場所を移されたことは、過去のことで知っていた。

 その一本道になったいる道を、私は進む。そうしたら受付につく。

「あーい毎度どーも。今日も生きのいい商品がそろって……あ?」

 簡素なカウンターにいた受付役の男が、私を見て眉をひそめた。

「――あんた、みねぇ顔だな。ここ初めてか?」

「いいえ、来たことはあるわ」

 来たことは、実際ある。


「――きゅぅねんまえにぃ、ねぇ」


 両手の中で、骨がずれる感触とともに、「グッ」という、男の静かな断末魔がした。

「さぁあてぇ」

 尋常じゃないほどの感情を久々に抱く。

 常人ならば耐えられないような情報が頭になだれ込むけど、私にはさして何ら変わらない。むしろ、「帰ってきた」実感が湧いてきた。


「とりあえずぅ、ちまつりにあげ」


「般代さんっ!!」


 ――え?

 突然聞こえた声に、活性化したはずの試行が止まった。

 ……いやいやいやいや、ないない。きっと幻聴。そう思って、受付の先にあるオークション会場に足を

「い、いた! 般代さぁんぐ?!」

 踏み、とんだ方向は。

「――ティム君?! なんで来てるの!」

 さっき置いていったはずの私の婚約者、ティム君だった。大声で私を呼ぶものだから真っ先に口を閉ざしにって正解だった。じゃないと流石に聞こえてしまうだろうし。

「だ、だって……」

 何かを言いよどんで、口を動かす彼を見ながら、私の耳は聞いてしまっていた。

「――なんか、変な音しなかったか?」

「ああ、なんか変なのが鳴ったよな。それに術式が発動した痕跡があったのに誰も来ねえし」

「――っ。気づかれた?」

 呟くと同時、奥から重いドアの開く音と、二人分の靴音が聞こえてきた。

(あーもうどうしよう! せっかくここを壊滅させるいい機会だったのに!)

 苛立ちと焦りで、思考が暴走する。頭が、焼けるように熱い。

(何か、何か何か何か何か何かなに――――)

 ふと、手に温もり。

「……ごめん、般代さん。僕のせいだよね。僕が、来なければ……」

 沈んだティムの声を聴いて、冷静さを取り戻した。

(――落ち着いて。ティム君が来たからって、すぐすぐ『計画』がバレるわけじゃない。それに、向こうはきっと、というか絶対、私の存在に気付かないはず)

 トクリュイエという存在は、すでに処刑されている身であることは、国内では周知の事実。だからここは。

「――ねぇティム君」


「――おい、そこに誰かいんのか?」

「あ、ご、ごめんなさい! 自分の、その……こ、婚約者が間違ってここに入ってきちゃって!」

 ティム君のその声に、隠れていた私はおずおずといった感じで隠れていた物陰から出てくる。

「すみません! まさか、ここに、術式があると、思ってなくて……」

「ほぇーそうか」

 警戒心の欠片もなく私に近づいて、まるで品定めをするかのように、私の体をじろじろ見ながら、二人組の片割れが近づいてくる。もう一人は一応警戒のためか、ティム君から離れていない。

「まあでもなんだ、せっかく知り合えたんだ。茶の一杯くらいでも」

「飲むわけが――」

 薄汚れた手で私の頬に伸ばしてきた腕を、がっとつかんで

「ないでしょっ!」

 柔道の背負い投げの要領で、触れてきた相手を壁にぶん投げた。――で。

 そして、まだに、ティム君の近くにいたもう一人の方を、蹴り飛ばす。

 初めにぶん投げた男の方を見ようとしていたティム君の手をつかんで、術式が発動する部分まで退いて、起動した。

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