母親と回顧

「般代さん?! なんでいるの!?」

「ティマーリエ君だったの? あーもう、びっくりして損したー」

「いや、質問に答えてよ……」

 がっくり、と肩を落としながら、僕は般代さんに尋ねた。

「だって、一応私、曲がりなりにも元死刑囚だし、もういないと思うけど、私の顔を覚えてる人に会ったらまずいし、なにより、将来の旦那さんの家だしね!」

「勝手に確定にされてるし!」

「あ、ティマーリエ君って苦手な食べ物ある?」

「だからさぁ! ……あぁ、もういいや。諦めた」

 もう何を言っても聞く気がない彼女に、僕は説得するということを諦めた。

 ――そういえば、なんか美味しそうな匂いがここから漂ってるけど。

「ねえ、般代さん」

「ん、どしたの?」

「今、ひょっとして何か作ってる?」

 僕の質問に、彼女は顔を輝かせた。

「作ってるわよ! 久しぶりにこっちの料理食べたいなーって思って、フェミマ作ってるの!」

「え?!」

 やばい、どうしよう。僕あれ苦手なんだけど……。

 フェミマは、この国では一般的な料理で、トマト、溶いた生卵、豚の腸詰を、中をくりぬいたラクレットチーズの中に入れたもの。それを表面が硬くなるまで焼いた後、表面に穴を開けて食べる。

 ただ、想像通りかなりチーズの風味が強いから、そういったものが苦手な人にはお勧めできない。

 そして、僕はチーズは大の苦手だ。だから僕は全く作ったことがない。

 多分般代さんは、僕がチーズが苦手なのを知らない。だからフェミマを作ってるんだろうけど、食べられないんだなこれが……。

 ――でも、チーズっぽい匂いがない。ほんとにフェミマなのか?

 あ、それで思い出した。

「ちょっと質問いいかな」

「うん? なに?」

「般代さんが歌ってたあの歌、あれ誰から聞いたの?」

「うた?」

「うん、『ひーとっつ刻めばあいてをえらびー』ってやつ」

 僕が歌うと、彼女は「ああ、あれ」と呟いて。

「あれ、帰ってきた日にナタージャさんから教えてもらったのよ。歌うとティムが喜ぶって」

 彼女がそう言ったが、僕は、お父さんが教えてくれたことに驚いた。あの歌、覚えててくれてたんだ。

「まあ、変わった歌よね。なかなか面白い歌詞だし」

「……それは否めない」

 口ではそう言ったけど、口の形は、笑っていた。

 

 その日の夕方。珍しく父さんが早く帰ってきた。まあ、僕がお願いしたんだけど。

「父さん、お帰りなさい」

「ナタージャさん、おかえりー」

「――ああ」

 それだけ言うと、父さんは玄関を過ぎて、すぐに自分の部屋に入った。

「……結局何も変わってないじゃん」

「そう? 目じりに涙が見えてたけど」

 般代さんの言葉に、僕は耳を疑った。

 なみだ? あの父さんに?

「――きっと、嬉しかったんじゃない? 久しぶりに家族から『おかえり』なんて言われて」

「――……」

 その言葉に、僕は過去を思い出してみる。最後に「おかえり」と声を掛けたのはいつだっけ。

「……かれこれ9年ぐらい言ってないかも」

「それじゃあダメだよ。家族はもっと大事にしなくちゃ」

「分かってはいるんだけど、さぁ」

 トクリュイエ――般代さんを逃がしてから、より一層家族と距離を置いていたから、かけようもなかったんだけど、それでも声をかけなさ過ぎたな、なんて、今になって思う。

「そて、そろそろ中身も溶けた頃かしら。ちょっとフェミマ見てくるから、ティマーリエ君は器とか用意してて」

「分かった――あと、今更言いにくいんだけど「フェミマ、苦手なんでしょ?」

 彼女から急に言い当てられて、心臓がギクッ、となった。

「私がフェミマ作ってるって言ってから、あなたの顔が少し強張ってたから、苦手なんだろうなーって」

 すでに見破られていた。母さんにも言われてたけど、やっぱり感情が表に出やすいらしい。

「どうする? 今からなんか別のおかず、パパーって作ってもいいけど」

「大丈夫、さすがに申し訳ないから」

 僕はそう言って、彼女と並んで、調理場へと向かった。


「――フェミマ、か。久々に食べるな」

「ティマーリエ君が苦手だっていうから、作ってなかったんでしょうねー」

「まったくもってその通り……」

 いつもは二人しか座らないテーブルに、大体10年ぶりに、三人目が座る日が来た。やっぱり三人分の食器が並ぶと、いつもはスカスカなテーブルが、少し賑やかになる。

「さて、食べるか」

「いただきまーす」

 双掌を合わせて、彼女が何か言った。多分日本語なんだろうけど、僕らにはなんと言ったか分からなかった。

 変な目線を感じたのか、彼女はフォークを手に持ったまま、顔を上げた。

「――? どうしたの」

「いや、何やってるんだろう、て思って」

 僕の疑問に、般代さんは「ああ」と納得したように声を上げた。

「これはね、日本で食事をする前に、食材や、作ってくれた人に対しての感謝を込めて『いただきます』って言うんだって」

 結構深い意味だった。父さんはその説明を聞いて、頷いていた。

「――まるで、この国の『願いの日』の様な風習だな」

「まあ、あそこまで酷くはないし、日常的に言ってるしね。と言っても、大体の国民はその意味を分かってるけど」

「――願いの日って、何?」

「それは後々授業で学ぶ。その時に習いなさい」

「ほら! 早く食べなきゃ冷めちゃうよー!」

 彼女の呼びかけに、僕と父さんがフェミマに手を伸ばす。

 フォークをチーズの表面に刺すと、パリッという音と一緒に、香草や野菜の焼けてるいい匂いが漂ってきた。そこにチーズ臭さは全くない。

 代わりに、牛乳が温まったときにする香りが上ってきた

「あれ? これって――」

「あれ? 嫌だった? 私、チーズ嫌いだから、代わりに牛乳と卵を入れて、上からモッツァレラチーズをのせて食べてたんだけど」

 なんと、偶然なのかなんなのか、母さんと同じ方法でしていた。

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