3

「……おいリサ。馬の足音がするぞ」


「何?」


 クッカの腕を掴んで森の中へ入ろうとした男が立ち止まり、女に向かって言った。男と女が、森の中の一本道の先を見つめる。

 ユタカとクッカも思わず同じ方向を見た。規則的な馬の足音と共に夕闇の中で馬に乗った人影がどんどんこちらに近づいてくる。

 男と女が目を細めて人影を凝視し続ける。


「……軍服だな。警備の剣士か?」


 女は独り言のように言うと徐に腰のナイフを抜き、両手に携える。


「っくそ! 何でこんな辺鄙な所に……」


 手を掴んだままでは戦えないと思ったらしい男は、クッカの手を離した。腰の山刀を抜いて構える。


「ユタカ!!」


 クッカはその隙に一目散にユタカに駆け寄り、傍らに屈み込んでユタカの手を握った。泣いたせいなのか、クッカの手ははっとする程に温かかった。


 馬の足音はどんどん近くなり、馬に乗る人物がはっきりと見えるようになってきた。群青色の軍服を纏い、腰に剣を下げている。あれはイスパハルの軍の制服だ。


「おい! 何やってるんだ!」


 馬に乗った人物が声を張り上げた。遂にユタカ達の元へ辿り着き、馬から飛び降りてこちらに走ってきた。


 男は二十代半ば位に見える。強い意志を感じさせる切れ長の藤色の瞳で、下ろせば肩程までありそうな金髪を後頭部で一つにまとめている。非常に背が高く、身体は細身だが肩や腕の厚みが感じられる。よく鍛えられていることが伝わってきた。


 男は走りざまに同時に腰に下げていた長剣を抜刀した。

 長い剣身が夕日にきらりと反射した。ユタカが初めて見た本物の長剣の輝きは、冷たさよりもずっと、頼もしさを感じさせるものだった。


 軍服の男は威勢の良い叫びを上げて切りかかって来た男の山刀を、長剣で受け止める。剣身同士が激しい力でぶつかる斬撃音と共に、火花が散った。

 その音のあまりの鋭さにユタカとクッカは思わず身を強張らせ、握り合う手に力を込めた。


 暫しの拮抗の後、軍服の男が横に薙ぐように力を込めて剣を振った。山刀が振り払われる。その衝撃で男の身体が少しだけ傾いた。軍服の男はその一瞬の空きを見逃さず、山刀の男の手に刃を振り下ろした。


「あ゛……!」


 手を切られたらしい男が山刀を取り落とした。血を見ることになると思ったユタカとクッカは思わず目を背けたが、どうも男の手からは出血していないようだ。

 何が起きたのか見えなかったが、軍服の男はおそらく、男の山刀を握った手を剣の側面で打ったのだ。


「アルヴィン!」


 女が男のものらしい名前を呼ぶ。女は男があまりにも一瞬で軍服の男に倒されたのを見て、そのあまりの力量に抵抗する気力を無くしたらしい。


「っ……クソが……!」


 男と女はそのまま、足早に森の中に消えていった。


 軍服の男はそれを追いはせず、はあ、と溜息をついて長剣を鞘に戻す。こちらに向き直るとクッカとユタカの元に歩みを進め、二人の前に屈み込んだ。

 さっきまで鋭く感じられた藤色の切れ長の瞳はずっと優しい表情になっていた。


「悲鳴が聞こえた気がして急いで来たんだ。

 本当は倒したかった所だけど、子供の前で人を斬るのはあまりに気が引けるから。この辺の警備を増やしてもらうように領主様に言っとくよ」


「シ、シズ兄さん……!」


 クッカが涙声でそう叫ぶと、しゃがんだ軍服の男にぎゅうと抱きつく。男が笑いながらクッカの背中を撫でた。どうやら二人はお互いを知っているらしい。


「クッカ、おっきくなったな」


「うん……ユタカを治すから、兄さんちょっと手伝って」


「ああ、早くしよう」


 クッカはシズ兄さんと呼んだ男と共に、横向きに倒れたユタカの身体を優しく支えてゆっくりと仰向けにした。

 倒れているユタカの目の前が、ユタカの顔を覗き込むクッカの顔でいっぱいになる。クッカの長髪がユタカの頬にさわさわと触れてくすぐったい。クッカが頬を伝う涙の跡をそのままに、ユタカを元気づけるようにこりと微笑んでくれた。


 もう一度、この笑顔が見れた。

 そのことで堪らなく安堵したユタカはもう一度はらりと涙を零したが、顔は元から涙でぐしゃぐしゃだったからクッカには分からなかったかもしれない。

 クッカは涙で赤くなった目と鼻の頭を雑に擦ると素早く呪文を詠唱して指で紋を切った。

 クッカがユタカの腹に手を当てる。空気から滲み出てきた柔らかな光の粒が、クッカの周りで踊り出す。光はいつかの夏に孤児院の皆で見に行った蛍によく似ていた。


 光が舞うたびに、あれほど激しかった痛みが鮮やかに消えて行く。

 ユタカの表情に力が抜けて来たのを見てクッカは微笑み、次は殴られた頬に触れた。クッカの指先が触れた所から痛みと腫れが霧散して行く。


 ずっとずっと昔、クッカが回復魔術を習い始めたばかりはこんなではなかった。ユタカの擦りむいた膝を治そうとしたが、幾ら呪文を詠唱しても全く変化がなかったのだ。

 クッカは明らかに成長していた。そんなクッカと自分を比較しそうになったユタカはあまりに惨めになりそうで、そのことは考えるのを止めた。


 ―


 シズは怪我の治ったユタカとクッカを抱き上げて馬に乗せてくれた。シズは二人の後ろに乗ると手綱を握り、孤児院へと走らせた。しばらく走らせたところで、シズが口を開いた。


「ユタカ、だったよな。はじめまして。俺はシズ・アトレイドだよ。クッカが三才の時に孤児院出てって国の剣術の学校に入ったんだ。今は国軍の剣士だよ」


「アトレイド……?」


 シズの言葉にユタカは思わず鸚鵡返しに聞き返して振り向いた。アトレイドは自分の同じ名字だ。


「そうだそうだ! シズ兄さんがユタカの苗字の元ネタだよ。皆んなが大好きなシズ兄さんから名字を取ったの」


 クッカがユタカの後ろで声を弾ませて言った。


「へえ! おれみたいなのの名字で恐縮だな……嬉しいけど。宜しくな。ユタカ・アトレイド」


 シズは笑いながら手綱を握ったままの拳でぽんぽんとユタカの肩を叩いた。

 ユタカはこんなにすごい人と自分が同じ名字を持っていることが少し気恥ずかしくなって、はにかんで返した。


「たまたま、同じ孤児院だからってクッカを迎えに行く係になって。国軍に孤児院出の奴なんて殆ど居ないから周りに覚えられてるんだ。

 それで、早めに行けそうだったから久しぶりに一泊しようかと思ってさ。でも、そうして本当に良かったよ。危なかったな」


「うん……でもユタカがあたしを助けようとしてくれたの。それであいつらにやられて怪我しちゃって」


「そうだったのか。ユタカは凄いな。

 子供なのにあんな男に刃向かっていけるのは大したもんだ。それだけ勇気があるんだな。剣士になったらどうだ」


「そうだ! そうしたらいいじゃん! ユタカってめちゃくちゃ運動神経いいもん!」


 クッカが大きな声でシズに便乗する。


「……おれは身体の線が細いから、剣士になんてなれないよ」


 思いがけないシズとクッカの意見にユタカは動揺して、小さな声で返した。さっきぼこぼこにやられたのをシズが見ていたら、絶対にそんなことは言わないだろうと思ったからだ。


「まあ確かに、細いか細くないかと言われたら細いけどさ。俺もユタカくらいの歳じゃそんなもんだったよ。

 俺もそんなに体格に恵まれてる方じゃないから、そこは鍛えればいいし。運動神経は良いんだったら見込みはあるよ。そこは変えられないからな」


「本当?」


 ユタカの沈んだ表情が明らかに変わったのを見て、シズは歯を見せてにっと笑った。


「ユタカがその気なら、十五になったら俺が推薦状を書いてやるよ。こんなでも俺の推薦だと言えばそこそこの効力ある地位にはいるんだぜ?」


「……考えてみる」


「おう、前向きに頼む」


 シズは嬉しそうな声でそう言って、大きな手でユタカの頭をわしゃわしゃと撫でた。

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