最終章 欠落紋の英雄
第38話 【SIDE:ルギウス】勇者の堕落
「おやぁ、お目覚めですか?」
目を開けると俺は知らない森の中にいた。
ここがどこなのか、何をしてこうなっているのか、曖昧になった記憶を手繰り寄せる。
「まだ無理しない方がいいですよ、勇者様。コテンパンにやられたばっかりですからねぇ」
すぐ側には黒いローブを着た男が腰掛けていてケラケラと笑っている。
そうだ、俺はこの男から黒い石を受け取りリジルと戦って、それから――。
「っ……! 思い出したぞ、リジルの奴め!」
俺はリジルに決闘を挑み、敗北したのだ。
しかも、あらかじめ決闘の舞台に仕込んでおいた魔石で爆破攻撃を仕掛け、挙句の果てには使うことはないと豪語していた黒い石にまで手を出した上で、だ。
くそっ……、なぜこの俺がリジルなんかに……。
「それは単純。勇者様の持つ紋章よりもリジル君の持つ紋章の方が強いんですよぉ」
黒いローブの男は俺の思考を読んだかのように言葉を投げかける。
「しかも積んできた経験値が違いますから。黒い石を使ったとはいえど、勇者様には荷が重かったですかねぇ。クケケケケ」
「おのれ、気味の悪い奴め。愚弄するならただではおかんぞ!」
「と言われましても、勇者様がリジル君に負けたのは事実ですから」
「くっ……。だが、だがあと一歩だったんだ!」
リジルの一撃を受け、父上にも見放された俺は藁にもすがる思いで黒い石を使用した。
まるで自分の中には無い力が流れ込んでくるようで、この力なら誰にも負けないと思えたほど。
その力の前にリジルも追い詰められていたはずだ。
あと一歩、あと一歩だったのだ。
そう思っていたのに、
「あと一歩ぉ?」
黒いローブの男は呆れ果てたといった顔で俺を見た。
「勇者様はリジル君が観客や後ろにいた使用人の女の子を庇いながら戦ってたことに気づかなかったんですか? 彼は自分の攻撃機会を犠牲にしてまで防御に徹していたんです。あれが一対一なら瞬殺でしたよ。しゅ、ん、さ、つ」
「ぐ……ぬ……」
「それに、彼は勇者様のことも殺さないようにしようと立ち回ってましたからね。彼の持つ紋章の力を持ってすれば致命傷を与えることもできたはずなのに」
更に重ねられた黒いローブの男の言葉に、俺は剣を抜きかけて止める。
黒いローブの男が言った言葉に引っかかるものを感じたからだ。
「おい、お前、名は何と言う?」
「はぁい、クロノワール・パニッセシュピエールと申します。長いですし、気軽にクロとでも呼んでいただければ」
クロと名乗った男は何が面白いのか、ケタケタと相変わらず不気味な笑いを浮かべている。
「クロ。お前、リジルの紋章の力を知っているのか?」
認めたくはないが、リジルの紋章の持つ能力は非常に強力なものだった。
スキルを打ち消し、瞬間移動したかのような動きを繰り返して。
あれが紋章の力のほんの一部なのだとしたら、明らかに強すぎる。
……認めたくはないが。
「紋章の力? ええ、存じてますよぉ」
「奴の紋章は欠落紋なのに、なぜあれ程の力を持っている。紋章の柄が欠けた欠落紋は数ある紋章の中でも最弱とされる紋章のはずだ」
「あの欠落紋が最弱ぅ? ああ、そうか。そういえばワタシがそういう風説を流してたんでした。うっかりうっかり」
「……どういうことだ?」
「いやぁ、あの欠落紋というのはかつての魔王軍で予言された天敵のような紋章でしてね。あの持ち主が現れたら忌むべきものと扱われるように、人間の伝承やら書物やらを長年かけて改変してたんですよぉ。んー、ワタシってばやっぱり頑張り屋さん」
「なん……だと?」
クロはペラペラと喋っているが、俺はその言葉をすぐに処理することができない。
「狙いは良かったと思うんですけどねぇ。実際、リジル君も君たち勇者一族に一度追放されたらしいですし?」
「……待て、待て待て! じゃあ何か? 欠落紋が最弱ってのはお前が流したデマで、実は強力な紋章だったってのか!?」
「はぁい。強力も強力。予言の通りで言えば最強の、そして伝説の紋章ですねぇ」
「し、しかし、それならリジル以外の欠落紋を持った奴らもいるはずだ。そいつらももれなく伝説の存在だってのか?」
「んもぅ、察しが悪いですねぇ。欠落紋を持つ者がそうポンポン出てきてたまりますか。欠落紋を持った人が過去にもいて、全員が大成していないってのもワタシの流した噂ですってばぁ」
……何ということだ。
それが事実だとしたらリジルこそが真に選ばれた剣士ということではないか。
俺は湧き立つ感情を潰すように、勇者紋が浮かんだ右手をきつく握る。
「クロ」
「はぁい?」
「お前は魔王軍の残党なのか?」
「あら、今度は気付いたんですね。その通り、ワタシは魔王軍幹部の呪術士、クロノワール・パニッセシュピエールですぅ」
クロの名前にどこか聞き覚えがあると思ったら、書物に出てきたかつての魔王軍幹部の名だ。
欠落紋を持つ者が天敵というのは文字通りの意味なのだろう。
「あの黒い石は何だ? どうしてあれほどの力が出せる?」
「おやぁ、お気に召しました? アレは前に申し上げた通り力を増幅させるためのアイテムでしてねぇ。とはいえアレはまだ試作品のようなもので。あくまであの力の素晴らしさを勇者様に知ってもらうためのお試し品なんですよぅ」
「……ということは、もっと強い力を呼び起こせると?」
「はぁい。そういうことでございますぅ」
「……」
クロが欠落紋の印象操作をしていたのは事実だろう。
本来、勇者としての俺が取るべき行動は理解しているつもりだ。
だが、しかし……。
今はコイツの手のひらの上で踊らされていたという屈辱よりも、勇者としての矜持よりも、強さへの渇望が勝った。
「おい、クロ。あの黒い石をもう一度よこせ。もう一度リジルを……。それに、俺を嘲笑った父上や王都の奴らに俺の力を知らしめてやるのだ!」
「んっふっふっふー。それならいーい方法がありますよぅ」
「どういうことだ?」
「それはですねぇ――」
呪術士クロが嬉々として語った内容は、衝撃的なものだった。
「……なんだと? 王都をモンスターの群れに襲撃させる?」
「えぇ。面白いでしょう? あなたにはその先頭に立ってもらおうかなぁ、と。もちろん、今度はあんな試作品なんかじゃない。アナタの真の力を呼び覚ます黒い石をお渡しいたしますよぅ」
しかし、それは……。
「何を迷うことがあるのです? アナタが今更王都に戻ったところでどうなるか、どういう扱いを受けるかお分かりになりますよねぇ」
「……」
「ならもう気にすることはないじゃないですか。アナタは力を手に入れ、ワタシはその力を利用させていただく。それでいいじゃあないですか」
確かに、俺は王都にいる一般人にも攻撃を仕掛けた。
その時点で一線は超えてしまったのかもしれない。
仮に王都に戻ったとて勇者の威光などはもう無くなり、嘲笑と侮蔑の目を向けられながら暮らすことになるのだ。
それに、父上の態度からして俺が勇者一族に迎えられることはもうないだろう。
ならば、王都に戻ったとして何になる?
どこか田舎の村で恥を抱えたまま生きていけというのか?
……。
…………。
なら、いっそ――。
「……クロ。王都襲撃の件、それから黒い石の話を詳しく聞かせろ」
「クククク。仰せのままに」
もう、いい。
リジルに破れ、俺はすべてを失った。
なら、もういい。
恐らく、人はこうして堕ちていくのだ。
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