第13話 地蔵

 夜露が身に凍みた。私は地蔵であった。霜月も暮れ、師走の風が吹きはじめる季節であった。地蔵といいしも、私はかの地蔵菩薩ではない。いつの時分かも良くわからない冬のある日、ここを通りかかった旅人にすぎない。何の妖術かは知らぬが、気が付くと私は地蔵になっていたのだ。


 ここは伊豆の山間の峠道。つづらに折り重なった道を上りきったところにある甘味処の隣に私は立っていた。


 峠道は別段人通りも多いわけでもなく、時々柳行李を背負った行商人や、三四人の田舎芸者を連れた旅芸人、肩から鞄を下げ、帽子を被った書生が絵を描きに来る程度だった。


 隣の甘味処を商う老夫婦は既に店を移転する体力もなく、ただこの峠で朽ち果てることを待つ生きた屍であった。しかし、隣に感じる懐かしくも淡い、故郷の囲炉裏の暖かさは、私の退屈な日々を紛らすには丁度よかった。


 雲雀鳴く春の麗らかな日のこと、こんな会話があった。


「あんれまあ、珍しいお客さんじゃのう」「ほれほれ、何処から来たんだい?」「はあー、狐様じゃ狐様じゃ」「稲荷はあるかのう? なければ厚揚げでもいいかのう?」「こりゃこりゃ明日にでも何か起こるわい」


 狐の親子がやってきた。軒先に出された座席に仲良く並んで座っている。狐たちは人間が怖くないのか、それとも老夫婦を知っているのか、動じる様子もなく欠伸をした。ややをして店の奥から厚揚げをのせた皿を持った婆さんが出てきた。皿を狐たちの前に置くと、彼らはさも当たり前かのように食べ始めた。赤子の狐も知っていたように食べる。随分と立派な狐だった。


「たらふくお食べよ。これから夏じゃ。体力はあって損はなかろうて」「こんな日にはわしたちも食べようか」「そうじゃそれがいい」「今日は気持ちええからのう。ばちも当たるまいて」


 老夫婦は自分等の厚揚げを持ってくると狐たちの向かいの座席に座って食べ始めた。何とも奇っ怪な光景だった。もしやすると老夫婦が狐に見えてくるのである。私はそれを見てから老夫婦のことを狐夫婦と呼ぶことにした。新緑のそよ風が吹くある春の日の出来事であった。


 また、あるときはこんなこともあった。夏も盛りの八月の朔日。丸眼鏡に学生帽、詰め襟の学生服、袴と高下駄、キャンバスを抱えた書生が峠の向こうからえっちらおっちらやってきた。額には玉の汗が浮かび、季節違いにも程がある出で立ちであった。彼は甘味処の軒先にある座席にどっかり腰かけると、肩に掛けた鞄の内より浅黄色のハンケチを取り出してその汗を拭き始めた。


 狐婦人が注文を取りにやって来た。


「はてさて、今は冬じゃったかのう」「違うわい夏に決まっておろうが」「だとすれば何の所以があってそんな格好をしとるんで?」「東京は暑いから何処かいいところはないかと友人に訪ねたらここを紹介された。夏でも涼しいと言われてこの格好で来てみればとんだ嘘っぱちよ」「まあまあ、そりゃあ確かに東京よかは涼しいかもしれませんが、それでも冬ほどは冷えませんよ」「ようくわかったわい」「では、お冷やと団子はどうです?」「戴こう」


 書生は終始むすりとした顔であった。それもむべなるかな。この哀れな書生は悪友に騙されてここまで来たのだ。私は書生を馬鹿にしない。例え彼に常識が足りなかったとしても馬鹿にはしない。馬鹿であろうと馬鹿にはしない。私は地蔵なのだ。

 書生は暫く休むと上着を脱いで肌着だけになり、そのしかめっ面を更に際立たせ、峠の向こうへ消えていった。彼はいい絵描きになるだろう。書生には向いていない馬鹿正直なあの書生はいい絵描きになるだろう。


 秋も終わりの末つ方、山も色付く神無月にはこんなこともあった。私がいつものように落ちる葉の数を数えていると、さりさりと幾人かの足音が聞こえてきた。私は、ははあ最近はよく人が通る、などと思案していると向こうから旅芸人の一行がやってきた。大荷物を背負った男を先頭に年増の芸者、十七八の芸者、十四五の芸者の四人組であった。彼らは遠くから歩いてきたと見え、一番後ろを歩いていた小さい芸者とも呼べぬ芸者がこの甘味処を見つけると不意に走りだし、軒先の座席に腰かけた。年増の芸者が窘めるような声を上げたが、それに耳を貸す者は誰もいなかった。


 彼らは次々に腰かけた。終いには年増の芸者も溜め息を吐いて腰かけた。それぞれが足を揉み肩を解し、背負った荷物の結び直しをしていると中から狐老婦人が現れた。そういえば最近老人の方を見ていない。病気にでもかかったのだろうか。そうならば、彼はもう死ぬ運命なのだろう。敢えて病院にも行かなかったに違いない。何をそこまでさせるのかはわからないが、甘味処の意地なのだろう。意地ならば仕方がない。狐亭主は死を受け入れたのだ。


 旅芸人たちは三本の櫛団子を頼んだ。はて、なして三本なのだろうか、などと考えていると櫛団子が運ばれてきた。狐婦人もやや困惑顔である。まさかとも考えたが、それは杞憂に終わった。旅芸人たちは団子を櫛から外すと、それを三つずつ取り分けたのだった。よく考えてみればわかる事である。ここの櫛団子は一本の櫛に四個の団子が刺さっている。ははぁ! 私は思わず唸ってしまった。成る程、倹約を図るためか。人間という生き物は三つ以上は沢山と数えてしまい、三つでも四つでも気にしなくなるらしい。


「どちら迄行くので?」「下田であります」「下田ですか。ということは何処かで一泊することになるのお」「ええ、最近は旅芸人お断りの宿が多くって……野宿なんかもざらにあります」「はえぇ、そりゃまた結構な。こないな娘もいるのにかいな?」「仕方ないのです」「なら家に泊まっとくかい?」「助かります」


 こうして、狐夫婦の家に四人の旅芸人が上がりこんだ。私は甘味処の奥に消えていく彼らを見送った。私は何年も昔に見た、峠の麓の里にあった立て看板を思い出した。そこには、旅芸人立ち入るべからず、と書いてあった。私は詳しい話を知らない。ただ、そうなのかと一人得心していた。翻訳小説に出てくる探偵の真似事をするならば、何処かの旅芸人が悪さでもしでかしたのだろう。窃盗、強請り、強盗、恐らくこのあたりのことをしでかしたに違いない。私には関係の無いことなのでこれ以上の詮索は止そう。


 次の日旅芸人の四人組は何事もなく出立していった。私はそれを見送り、しゃりしゃりと鳴る落ち葉の音が遠ざかって行くのをいつまでも聞いていた。

 私は地蔵であった。

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