第12話 ポケット学会会長及びポケット調査団団長の手記

 ある博士が死んだ。博士の遺品はノート一冊だけであった。そして、以下がそのノートである。


 未知……と言えば宇宙だの深海だの生物だの、人を惹き付けるものばかりを想像するだろうが、私はそうは思わない。いや、何も宇宙や深海生物の未知を否定するつもりはない。宇宙に広がる暗黒物質のことを考えて夜を明かしたこともあるし、深海に棲む巨大な生き物を考えて恐怖したこともある。生物の多様性の源泉を考えたこともある。


 私が言いたいのはそういうことではない。科学は学問体系として成立して以来、指数関数的に発展してきた。そして、その他の学問体系も伴って発展してきた。幾つの未知が既知に変わっただろうか? 誰もその答えは知らない。私も知らないし、エジソンもアインシュタインも知らないだろう。だが、私は思うのだ。こうして数多くの未知が消えてきた現代に於いて、未来になってもきっと解明されないだろう未知の存在は一体あるのだろうか……と。


 実は、その答えこそが私の言いたかったことであったりする。宇宙よりも深海よりも生物よりも、私が心惹かれる未知とは――


 ――ポケットの中身だ。


 今、町を歩いていたとして、何人の人間とすれ違うだろうか……一人、二人、三人……大きな町だと何百人もの人間とすれ違うだろう。では、考えてみよう。今すれ違った人間のポケットには何が入っているのだろう……。家の鍵? 携帯電話? 財布? お菓子? 通常、尋常普通平凡まともな人間ならばこう答えるはずだ。だが、私はこう答える。


 ――君のポケットには未知が入っている。


 きっと誰もが私のことを笑い飛ばすであろう。君は馬鹿かと言われるかもしれない。私はその評価を受け入れる。誰しも他人に馬鹿と言う権利は有しているからだ。そして、私はそっと心の内でほくそ笑む。ポケットの真理に気が付かない皆を思い切り笑い飛ばしてやるのだ。


 薄い布越しの未知にここまで心踊るとは、私自身大きく戸惑っているといっても過言ではない。しかし、私を魅了した未知はこれ以上ない。ああ、こうしている今もポケット調査団を結成して、他人のポケットというポケットをすべて調査してやりたい衝動にどうしようもなく駈られる。


 きっとポケットには金銀財宝が埋まっているはずだ。私のポケットにはない何かが埋まっているはずなのだ。例えば未知なる宇宙を探索する研究者にとって、暗黒物質の解明は大きな課題であろう。それと同じくポケット調査団の課題はビスケットが出てくるポケットの発見である。この世界の何処かに存在するビスケットが出てくるポケットの発見は、私のポケット学会に於いて早急に解決しなくてはならない課題である。


 とはいえ、この調査は非常に難しいものであると言わざるを得ない。何せ、宇宙や深海と違い、ポケットの持ち主には意思がある。いきなり人のポケットに手を突っ込むなど、下手をしたら警察の御用になるかもしれない。その限りに於いて私の調査は難航している。被験者を募りたいところだが、今現在、ポケット学会は非常にマイナーな学会であり、一万人に訊いて一人知っていたら御の字というくらいの知名度しかない。故に、私がこの状況を打破するためにこうして筆を執ったわけであるが、上手く書けているかどうか不安であることは言うまでもない。


 何せ、いきなり人のポケットが気になりますと言われて――私もだ――などと賛同出来た方がおかしい。私も驚く。だが、一度は言われてみたものだ。一緒にポケットを調査する団員は常に欲しい。


 ポケットに広がる未知には想像もつかないものがあるだろう。ポケットにブラックホールを入れている人間もいるかもしれない。土星や、シーラカンスが入っているかもしれない。


 ここで、私が特別に人のポケットに何が入っているのか、外から見て推測する術を伝授しよう。これはポケット理論に基づいて提唱されたものであるからある程度の精度があることを保証する。


 まず、ポケットに膨らみがあるかどうかを見るのだ。膨らみがあれば、それは次元紐によって構築された亜空間であるので、それに入るものを絞ることが出来る。因みに次元紐の亜空間には板チョコ、電子辞書、リュックサック、包丁、車、が入る。それ以外はもちろん入ることは出来るが、色々と条件があるので、ここでは割愛させてもらう。


 次に、膨らみがない場合――膨らみがないということは次元紐ではなく、代わりに四次斥力カラーコーンが眠っているということなので、扇風機、ダイヤモンド、ポプラ、新聞、が入っていると見て間違いない。


 これが外れていたらきっとまだ要素があるはずなので、それをきちんと考慮してみること。そうすればポケットに入っている物の特定は容易になるだろう。因みに私が一番驚いたポケットの中身は、ビッグベンだ。普通の何処にでもいそうな女性だったのだが、開けてびっくり、中身はビッグベンだったのだ。


 人間は皆自分のポケットの中身しか知らない。それはつまり、全人類七十億分の一ということだ。宇宙は四パーセント探索済みらしいから、それよりも探索が進んでいないことになる。つまり、ポケットの方が広がる未知は広いのである。そう考えると、少しはポケットの未知に興味が湧いてこないだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る