第20話 志を継ぐ者

「ちょ、ちょっとそうなの!? ならここ危ないって事じゃない!?」

「本能寺の変が起きたのは早朝。今は夜だから、大丈夫……だと思う」

「大丈夫だよ陽菜ちゃん、そもそも本能寺の変がこの日に起きるとは限らないよ」


 そう言った私の言葉を否定するように、唯ちゃんは首を横に振る。


「それはどうかしら? 前回私たちがタイムトラベルした時は、桶狭間の戦いの当日だった。わざわざ日付も書いてあるし、今夜——というより明日の早朝がそうである可能性は十分すぎるくらいにある」

「じゃあやっぱり危ないじゃないの!」

「し、静かに。誰かくるみたい!」


 ギイギイと、板張りの廊下を歩く足音が聞こえる。数は……そんなに多くないみたい。私たちはとりあえず、部屋の隅へと隠れた。


「ではお蘭、俺は休むぞ」

「はっ、お休みなさいませ。本当に護衛はつかずともよろしいのですか?」

「よい。今日はうぬらも疲れておろう、よく休め」

「はっ、お心遣い感謝いたします」


 二人の会話が終わった。

 片方は上様と呼ばれるおじさん。もう片方はお蘭と呼ばれた男の子だ。


 そして上様と呼ばれた方が、戸を開けて部屋の中に入ってくる。

 顔が見えた。年をとっているけれど、あれは……!


「信長さん!」

「ちょっと彩花さん!」


 私は唯ちゃんが止めるより前に、思わず飛び出していた。

 おじさんになったけれどわかる。この人は信長さんだ。


「うぬは……上林か!」

「はい!」

「松田に長谷川もか。久しいな」


 信長さんは一瞬だけ驚いた表情をしていたけれど、すぐに冷静になって私たちに座るよう言ってくれた。そして棚の奥から、あのアロハシャツを取り出した。


「うぬらに会う時にはこれを着んとな」


 髭の生えたおじさんが白い着物にアロハを羽織った姿は、本当は違和感を抱くんだろうけれど、もう見慣れてしまった私たちには違和感がない。

 

「それにしても、うぬらは出会った時から少しも変わらんな」

「あ、あはは……」

「まあ良い。うぬらの素性については、なんとなく心当たりがついておる」


 本当に!?

 戦国時代の人にとって、誰かが未来からやって来るなんてことは頭の片隅にもないはずだ。本人は普通と謙遜けんそんするけれど、歴史に名を残す人はやっぱり違うんだなあ。


「信長! えーっと、あかしけんじ?」


 と、勢いよく陽菜ちゃん。でも誰だろう?

 すかさず唯ちゃんが訂正する。


「明智光秀」

「それよそれ! 明智光秀って人は知ってる?」

「もちろん存じておるぞ松田よ。明智日向守ひゅうがのかみは俺の重要な家臣だ」

「じゃあ――」


 そこで陽菜ちゃんの口が止まった。きっと本能寺の変の事を伝えようとしたんだと思う。けれどそれはルール違反のネタバレだ。しゃべったら最後、元の時代に帰れなくなる。


「どうした?」

「……いいえ、なんでもないわ」


 陽菜ちゃんはしゅんと黙り込んでしまう。

 まあそれはね、帰れなくなるのは嫌だもんね。


 でもそれだと、今回私たちは何をすればいいんだろう?

 ネタバレしないように、本能寺の変から信長さんを助ける?

 それだと歴史が変わっちゃう。


 じゃあ何をすれば? 変なモノである『織田信長のアロハシャツ』は、いったい私たちに何を見せたくてこの時代へと連れてきたんだろう?


「信長さん……」

「なんじゃ長谷川よ?」

「もし明日死ぬとしたら、何をしますか?」

「もし明日この俺が死ぬとしたらか……。元よりいつ死するかもしれぬ戦国の世を生きる身。常に全力で生き抜くだけよ!」


 信長さんは迷いなくそう言い切ると、ニカッと笑った。

 吉法師くんの時と同じ笑みだ。


「信長さん!」


 どうにかして伝えたい。でも伝えると元の時代に帰れなくなる。

 そんなモヤモヤが、信長さんの名前となって口に出た。


「……わらべの時にうぬらへ語ったな、俺には夢があると」


 最初のタイムトラベルの時に聞いた。いつか尾張国だけではなく多くの国をまとめて、みんなで商売をして笑顔になるのが夢だって。


「あれから四十年あまり、俺はあの夢をこころざしとして抱いてこの戦国の世を駆け抜けてきた。俺が起こした戦によって苦しむ者が生まれることに、悩んだこともあった。だが己を信じて突き進んだ。そしたらな、新しい夢ができた」

「新しい夢?」

「この日本を統一して、広く世界で戦うのよ!」

「それって、外国に行って戦争をするってことですか?」

「そうではない。戦は戦でも商人の戦じゃ。大船団を組織して広い海を飛び越えて、大明国だいみんこく琉球りゅうきゅうだけではなく、遠くイスパニアやポルトガルとも直接商売をする!」


 唯ちゃんがこっそり、大明国というのは今の中国で、琉球は沖縄県、イスパニアはスペインだって教えてくれた。ポルトガルもたしかヨーロッパの国だよね。


 それにしてもすごい。この時代にはネットもなくて、外国のことなんてほとんどわからない。それなのに信長さんの中には、星空の様に鮮やかな夢が描かれている。そしてそう語る彼の瞳は、昔と同じようにキラキラと輝いていて、本当に楽しそうだ。


 でも織田信長は明日ここで死ぬ。つまり彼の夢は――。


「なんじゃ、そろって心配そうな顔をして? そうか、俺が年をとったからポックリ死んで計画倒れになることを心配しておるのだろう?」

「そ、そんなことは……」

「なあに、心配無用! 俺が志半ばで倒れても、いつの日か俺の夢を――が現れる!」

「志を継ぐ者?」

「そうだ! 俺の志に共感し、同じ道を歩んでくれる者がな。それは俺が死んですぐなのか、百年いや二百年先かもわからん。けれど必ず現れる! 俺には見えるぞ! 世界で大商おおあきないをする、日本ひのもとの民の姿が!」


 私は気がついてハッと息をのんだ。唯ちゃんと陽菜ちゃんもだ。

 だって彼が語るその光景は、そっくりそのまま現代の光景だ。

 世界で活躍する日本のビジネスマンたち。外国で活躍するデザイナーの陽菜ちゃんのパパだってそうだし、他の人たちだってそうだ。


「仙人でもない限り、人はいつか死ぬ。それが遅いか早いかだ。なればこそ、生きている間に何を成し遂げたか、志を残せるかが重要なのだ。源九郎判官みなもとのくろうほうがんを見よ、近きであれば憎き武田信玄でもよい。たとえ死したとしても、名を残しておるではないか。それがということだ!」


 武田信玄というのは確か信長さんと同じ戦国大名だ。それはともかく、言いたいことはわかる。情熱的に語る信長さんが、伝えたいことは心で理解できる。


 少し忘れていた。織田信長は私たちが生まれるずっとずっと前、何百年も前に死んだ人だ。けれど私たちは彼の名前を知っている。彼が何をしたかを知っている。それがということなんだ。


「ほう、うぬら最初は深刻な顔をしておったが、もう大丈夫なようだな?」

「は、はい!」


 心配していたのに、逆に心配されてしまったな。

 私は安心と感心で少し泣きそうだ。それは二人も同じみたいだ。


「信長、あんたすごい男ね」

「勉強になりました」

「カッハッハ! 当たり前だ。第六天魔王、織田信長をなめるでないぞ? それに俺は大うつけだからな。ウツケソウル、忘れてはおらぬわ。どうせ吹かすならデカい吹かしだ!」


 信長さんはそう言って、もう一度ニカっと笑った。

 真っ赤で花柄のアロハシャツが、不思議と炎のように揺らめいて見える。


 変なモノがどういった事情で過去に存在するかは関係ないとマダムさんは言っていた。けれどこの真っ赤なアロハは夢を情熱的に語る信長さんにすごく似合っていて、彼がこれを着ているのは偶然じゃないように私は思える。そしてきっと、私たちがこうして信長さんと出会ったのも偶然じゃなくて必然だ。


 ポケットから、「ピピピ、ピピピ」と元の時代へ帰ることを告げるポケベルの音が鳴り響く。私たちは白い光に包まれていく。その中で私たちは、戦国の英雄織田信長へ静かに別れを告げた。


 さようなら、そしてありがとう。

 あなたの名前は決して忘れません。

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