T.L.0 縞馬に憧れて

 主人公は一人ではない。

 人命一つにつきひとつの物語がある。同じ事象に遭遇したとしても、目線が違えば別の物語になる。十人、百人、千人、一万、十万、百万──衣食住を通して数えきれないほど多くの命と間接的につながり、一呼吸ごとにすれ違い、ぶつかりながら物語は進んでいく。

 偉業を成す必要はない。生きていることが主人公になる条件だ。


 しかし僕はいつもどこかで思っている。


「主人公になりたい。」


 輝くばかりの会話、動作、関係、容姿、能力、展開。

 何か欠けている気がして、漠然と不安になったりもする。彼らにあって、自分にはないもの。

 『みんな主人公』という言葉から香る“虚偽”のにおい。ニセモノの匂い。

 何かが足りない。何か、もっとすごいものが欲しい。


「俺は 主人公になりたい。」


 飽くなき欲望。その矛先はどこに向いているだろう。今の自分が恵まれているとは思うが、幸せだとは感じない。ふとした瞬間の疎外感。

 あっ、先を越された。いけない、話聞いてなかった。今のは失敗だったかも。あの時こう言っていれば。


 僕の居場所はどこだろう。


「私は、主人公になるために──」


 答えは出ない。


「だから僕は」


 ……。



「ほーん」


 携帯の画面をぼんやり見つめながら、沢井は気の抜けた声を漏らした。

「これ、面白いのか」


 畔田あぜたは答えづらそうに苦笑する。

「そういう言われ方をすると黙るしかないんだけど。つまらなかった?」


「いや、つまんねーってわけじゃねーんだけど。なんか、つかみどころがないっていうか」

 沢田は続ける。

「これがお前の言う『疎外感』?」


「お、かっこいいじゃん」

「まあな」

 沢井は得意げに口角を上げた。


「沢井は、小説とか読んだとき、やっぱ主人公の目線になる?」

 畔田は沢井から目を逸らすことなく言う。


「どうだろ。そうなんじゃないか。語り手の目線になってる気ィするけど」

「神視点の場合は?」

「あー。まあ、別に他意はないんだが、第三者視点って文学的っつーか、イマドキの作品には少ない気がするよな」

「イマドキって古めかしい言い方だな」

「あぁ。感情移入してるなってわかるとき、第一者……当人視点の場合がほとんどで、神視点だとなんか、哀れみとか、距離がある」

「本人が感じる辛さ苦しさじゃなくて、『誰か』が見てるような哀れみってことか」

「そういう意味では、やっぱ感情も語り手準拠かもしれね。主人公の目線にはなってないだろこれ」


 十秒の間隙。

 昼下がりの教室が音を取り戻した。

 

「それって、主人公いるのか」

 畔田はそう問うた。


「あ?」

「誰かと誰かの会話、行動、関係、展開。誰にもなれない神の視点。主人公って、なんだ」

「全員を同時に俯瞰出来て、別段誰かを注視しなけりゃ、文字通り抜群ばつぐんの一人が存在しない、まっ平らで平等な価値視点になるっていう話か?」

「そんなかんじ。誰が主人公かわかんないじゃん」


 誰かが大声で喋っている。ボールが飛ぶ音、ぱたぱたと途切れることのない足音が二人の間を満たす。

 ざわざわ。

 波のように、誰かの出した音が満ちている。


「それは違うだろ」

「お、わかる?答え」


「活字も、映像も、音声も、全部を描けるわけじゃない。必ず抜けがある。その世界の中で起きた出来事の描写に、抜けが。

 だから、一番抜けがない奴が主人公だ。ずっとカメラに映り続けて、周りの人の描写がそいつに関わる部分に限定されてる奴が中心」


沢井は自分の言ったことに納得したように「ああ」と呆れ混じりのため息をつく。


「主人公になりたい、ねえ」


「なりたいよね、主人公」

 長い長い数秒のあとに、畔田はにこりと笑って言った。


「この会話の主人公はどっちだ?」

 沢井は問う。


 畔田は、笑顔で応えた。

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