第十一章 春

第56話 クレジット

 嵯峨さがはトリグラフに電話をかけた。

 通常、会社への電話は、代表として総務課宛てに掛けてから取りついでもらうのが普通だが、このプロジェクトに限っては、嵯峨から現場へ直接かけてもよいことになっている。


「はーい、トリグラフッス」


 社会人としてあるまじき電話対応をする者が出た。

 おそらくは前戸まえと満須雄みすおだろう。


「お世話になっております。トリグラフの嵯峨ですが、矢切やぎりさんお願いできますでしょうか」

「嵯峨さんッス」


  すぐに矢切やぎりたけしの声が聞こえた。


「お電話代わりました、矢切です」

「どうもお世話になっております。嵯峨です」


 嵯峨は、すぐに用件に入った。

 声は、硬質化している。


「『偵察』の仕様、ありがとうございます。内容を拝見したのですが、中身はまあいいとして、これ間に合いますか?」

「はい、現場のスタッフとも協議したのですが、間に合います」

「新規実装の処理に加えて、リソースも新しくしなければならない。その箇所のチェックもやり直しになりますが」

「デバッガーさん向けの資料はすでに用意してあります。チェックすべき項目は明確で、影響範囲もさほどありませんでした。元々あるデータを参照して、それをどう表示するか、という部分の仕様の追加と変更ですので、現在のバランス調整にも大きく影響しません」


 矢切の返答は明確で、根拠も納得しうるものだった。


「セリフ部分のボイスはどうされるんですか?」

「収録済みのボイスの中から、流用できそうなものをすでにピックアップしてあります」

「ふむ……」


 そう答えながらも、嵯峨の胸の中には、目の前のいる人間を言葉で打ちのめしてやりたいという黒い衝動がわき起こっていた。


「しかしですね、やはりこの時点でここまでの仕様変更をかけるのはリスキーだと思うんですが」


 これは罠である。

 矢切は「嵯峨さんが言い出したことでしょうが」と怒りをぶつけてくるに違いない。

 そうなればこちらの思惑通りだ。

「こちらの要望だったら何でもやるのか、その内容を吟味して最善の答えを提示するのがそちらの仕事ではないか」と返してやれば、矢切は二の句が継げまい。

 何だかんだ言っても、仕事を発注している側はこちらである。


 ヘクトルにとっては損切りの案件でも、トリグラフに対しては相応の開発費を支払っているのだ。

 仕事としてベストなものを提示しろという言葉は、正論だが意地悪で現実的ではないということを承知で、嵯峨はその言葉を使ってやるつもりだった。


「でも、この仕様が実装されれば、『放浪モード』はずっと面白くなります」


 それが、矢切の返答だった。


「嵯峨さんのご指摘はもっともだと思いました。それで考案した仕様です。さきほど述べた通り、仕様書はすでにあり、ローカルではすでに作業を開始しています。新規リソースの追加や使用するボイスの選定、デバッガーへの資料も準備済みで、影響範囲と再度チェックすべき箇所も明確です。ゲームがずっと良くなるうえで、実装からデバッグまでの見通しも立てられているのに、これをやらないという手はないでしょう」

「……QA部門的に作業は増えることになりますが」

「それは申し訳ないのですが、デバッグ作業開始時に、仕様変更や追加が生じた場合は、速やかに連絡の上その内容と影響範囲、チェックすべき項目を共有するということを事前に申し合わせてあります。人員的にどうしても無理だということになれば再考が必要でしょうが、現時点ではそれはQA部門に打診しなければわからないのでは」


 道理だった。

 矢切としては、開発側が勝手に実装して勝手にQA部門に作業を依頼するわけではない、嵯峨がOKを出して、初めてQA部門に相談をするのが筋なので、まずは嵯峨がこの仕様にOKを出すか否かが先だろうと言っているのだ。

 ここまで準備万端を整えているとは思わなかった。

 嵯峨の方が二の句を告げず、相づちを打ってごまかす。


「嵯峨さんの要望のおかげで、このゲームはここまで良くなった。今ここで、最後の一線を越えないともったいないですよ」


 その言葉は、嵯峨の身体を突いた。


「私の?」

「ええ。嵯峨さんがよく小まめにゲームを見て、プレイして、要望を的確にこちらに投げてくれたからこのゲームはここまで良くなった。スタッフのみんなも、今回の仕様変更も納得して、ここが最後のふんばりどころだとがんばってくれてます」

「ああそうですか」


 嵯峨は何の感慨も無くそう答えた。

 仕様の内容にも、実装にも、チェック作業にも現時点でケチをつけるべき点が見当たらない以上、後はQA部門の作業が間に合うかどうかだけで、自分が反対する筋道が無く、開発の言うことを通すしかないことを、自分が道を空けるしかないことを自覚したからであった。


「わかりました、それでは実装してください。QA部門にも私が了承したということで作業を打診していただいて結構です。QA部門がNGを出したら、この仕様はもうオミット、ということで」


 嵯峨は冷淡にそう言い終えると、後で正式にメールで返答を返すことを付け加えた。


「ありがとうございます。それでは進めさせていただきます。ああ、そうだ」


 矢切は何か思い出したように付け加えた。


「スタッフロールのリストなんですが、嵯峨さんの名前は、プロデューサーだけじゃなくて、プランナーの方にも載せたいんですがいかがでしょう?」


 矢切のその一言は、嵯峨を文字通り絶句させた。

 矢切武はやはり馬鹿だ、何も分かっていない。

 プランナーとプロデューサーの違いを……。


「嵯峨さん?」

「あ、いや、私はプロデューサーですけど」

「そちらも当然クレジットは出します。加えて、プランナーの方にもお名前を載せたいんです。嵯峨さんの指摘がなければ、短期間でこのゲームはここまで良くはならなかったと思うので」

「……ご好意はありがたいのですが、会社的にプランナーとして私の名前がクレジットされると、いろいろ面倒くさいことになるかもしれませんので、お気持ちだけいただいておきます」

「そうですか」


 矢切の口調に、残念の心情を感じつつ、嵯峨はそれではよろしくと電話を切った。

 電話を切ってから、背もたれに全体重を預けると、親指と人差し指で、両目のまぶたを軽くもむフリをした。


 俺のおかげだって?

 ゲームが良くなったって?

 笑わせるな。

 俺はプロデューサーだ。プランナーではない。

 

 プロデューサーが、ゲーム内容に口を出すことは珍しくもなんともない。

 そして、それは開発現場からすると、面倒くさい事案以外の何物でも無いのが普通である。

 開発現場は自分たちの視点からでしかゲームを見ないし、プロデューサーはプロデューサーで、売る側の都合しか考えない。

 だが、遊びの部分にしろ文化的な問題にしろ、開発現場からでは見えづらいものは確かにあって、それを現場に向けて提示し、修正や変更を要求するのはプロデューサーの大事な仕事だ。


 だからこそ、嵯峨はこれまで担当した案件でも、根掘り葉掘り、仕様で疑問を感じた点や、商品として明らかに欠点と感じたところは修正するよう現場に強制してきた。

 そして、それに愉悦を感じた。

 だが今回は、嵯峨の要望に対応するだけにとどまらず、想定を超えた仕様を提案し、実装してきた開発チームに初めて相対したのだった。


 一本のゲームの制作スタッフとしてクレジットされる場合、現場でのプランナーとしての地位というものは、イメージほど評価の対象にはならない。

 ディレクターやリーダークラスならともかく、プランナーという肩書きからだけでは、どんな責任を負い、どんな仕事をしたのかが推し量れないからである。

 乱暴に言えば、外部から見て「換えがきく」人材と見做されるのがプランナーだった。


 もちろん実態としては、陰に日向にプロジェクトの推進や質向上に貢献しているプランナーの方が多いのだが、肩書きだけで評価されるとなると、特定分野のスペシャリストでもない限り、ディレクタークラスの経歴が無ければなかなか評価されないのがプランナーというポジションである。


 任される仕事の責任や範囲が異なるにしても、プロデューサーという肩書きの方が、職務経歴としてはよほど評価される。

 商品を仕立て、周囲を説得して企画を立ち上げるのが仕事のプロデューサーは、言うなれば仕事を作る大元の責任者であり、これが無ければプロジェクトそのものが発足しようがない。

 つまり、お金が発生しない。

 そしてそれが出来る人間は、多くはない。


 だがそれでも、開発現場で、実際に物を作るのは現場スタッフであり、プランナーは間違いなくその中核を担う職務なのだ。

 嵯峨は、ゲームの制作スタッフとして、プランナーとして、彼の名前を載せたいと言った矢切の言葉を再び反芻する。


 この俺を、プランナーとしてクレジットしたいだと?

 プロデューサーであるこの俺を。

 このタイトルの制作のトップであるこの俺を、開発の一員として、プランナーとしてもクレジットしたいだと?


 脳裏によぎるのは、自分がレオニダスで初めて開発に参加した『欅坂防衛隊けやきざかぼうえいたい』のスタッフロールだった。

 あれだけ自分が作った仕様書を採用しておきながら、まるで退職に対する報復のように、スペシャルサンクスにさえ名前が載らなかったスタッフロール。

 それが、ゲームをプレイして要望をつきつけ続けた『放浪戦記ガンファルコン』では、プロデューサーとしてだけではなく、プランナーとしての働きをクレジットしたいと。


 違うだろう。

 自分は商品として、ゲームとして、こうあるべきではないかという点を意地悪く開発現場に指摘し続けただけだ。

 ゲームとしてどうあるべきか、面白くなる様ビジョンを打ち出し、仕様化し、実装まで持って行くのがプランナーだろう。

 かつてレオニダスで、『欅坂消防隊けやきざかぼうえいたい』の仕様を作った時の自分の志のように――。


「俺がゲームプランナーだと……? 馬鹿に」


 そこで独り言の口をつぐんだ嵯峨は、口角を上げて苦笑しながら目元を押さえ、マッサージをするフリを続けた。

 

 嵯峨から改めて、『偵察』の仕様の承認と、「ラストスパートです、よろしくお願いします」の返答が届くと、現場は仕様を一気に実装し終えた。

 それに加えて後日、嵯峨から差し入れとして宅配ピザや栄養ドリンク、インスタント食品やお菓子が段ボール箱で山ほど届き、オフィスは活気にわく。


 QA部門からは、仕様変更や調整箇所の再チェックについてはいずれも可能の返答があり、仕様の実装と同時に即チェックが開始された。

 そのチェックが終了するころには、『HSG』は『ノータッチデバッグ』と呼ばれる、基本的にもう修正を行わないチェック期間を経て、マスター候補のROMをアップできる状態となっていた。

 いくつかの不具合は、俗に、『デイ1パッチ』と呼ばれる、発売日当日に配信されるパッチで対応することが決まって、そられの修正内容の見通しも立つと、開発現場は一気に終息へ向けて加速していった。



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