第55話 嵯峨剣聖
幼少のころからゲームが大好きで、ウィンドウズのパソコンで自分なりにゲームを作ったりしてみたが、
プログラミングもできるプランナーとして業界で活躍できる自信にも満ちて、ゲーム業界の一本に絞って就職活動をした。
当時は、自分なら任天堂でもソニー・コンピュータエンタテインメントでもカプコンでも、どこでも活躍できると思っていた。
入社してからヒット作を手がけ、周囲から賞賛される姿を夢想していたものだった。
会社説明会に集まる人数には面くらいはしたが、嵯峨はこの中を勝ち抜き、ゲーム業界の中を泳いでいけると思っていた。
だがほどなく、自らが井の中の蛙であったことを思い知らされる。
とにかく大手のハードメーカーやゲームメーカーには箸にも棒にもかからず、大半の会社は書類選考で振り落とされ、面接に進めた会社も一次で落とされるという有様だった。
慌てて中小のパブリッシャーやゲーム開発会社にもターゲットを広げて、やっと中小の開発会社であるレオニダスに、プランナーとして内定したのだった。
レオニダスはよくある受託開発業務によって事業が成り立っているゲーム開発会社で、コンシューマやスマホのゲームの双方を扱っている。
新人プランナーとして入社後、あるはずと思っていた研修らしきものは何もなく、そのまま現場に放られた形となった嵯峨だったが、自分ならば大丈夫だと自負を持ち、意気揚々としていた。
最初に任されたのは、開発中のコンシューマ用ゲーム『
「クライアントのローカライズチームから翻訳テキストが送られてきたら、それをゲームのテキストに反映してくれ。翻訳テキストは、翻訳依頼をかけたリストがあるから、そっちの管理も頼む」
そう言われただけで、後はすべて丸投げされた状態だった。
嵯峨はつまらない仕事だと思ったし、仕事としてどう処理すればいいのか思案に暮れたが、まずは仕事を地道にこなしていくことだと気を取り直して仕事に取り組んだものの、すぐに上司や先輩プランナー陣たちから怒鳴られた。
「翻訳リスト、どこが翻訳済みで、修正しなければならないところがどれだけあるのかがわからないとだめだろう、何やってんだ!」
「おい、ローカライズチームから、翻訳済みのところが翻訳依頼出てるって苦情が来てるぞ!」
いつの間にか、翻訳依頼をかける仕事も回され、嵯峨は不満と不安で日々がいっぱいとなった。
注意点があるのなら、なぜそれを最初から教えてくれないのか。
体育会気質の現場なのだろうかと思ったが、とにかく適切に仕事をこなせばいいのだと考え、翻訳テキストの管理表を工夫した。
だが、当時の嵯峨は、まだ仕事の目的や理由、そのためにどんな方法で、どんな結果を得られればいいのかというところにまで考えが及ばなかった。
翻訳テキストの管理表は更新した箇所や修正が必要な箇所を色分けしたため、カラフルで、注釈や備考欄でいっぱいになり、次第に一目しただけではよくわからない状態になっていき、先輩たちから怒られる日々が続いた。
だが嵯峨には、具体的に何をどう改善すればいいのかがわからない。
翻訳テキストの管理という仕事に四苦八苦しているうちに、また次の仕事が振られた。
外注のシナリオライターから送られてくるシナリオを、ゲームのストーリーモード用のスクリプトに落とし込むというスクリプターとしての仕事である。
翻訳テキストよりはマシな仕事かと思ったが、ストーリーモードを統括している先輩プランナーは、シナリオのここの部分をスクリプトで実装しろ、書き方は他のスクリプトを見て学べといったきりで、嵯峨はまた手探りで仕事を進めなければならなかった。
プログラミングの素養はあるので、スクリプトの構造はすぐに理解できたものの、嵯峨が作業したシナリオの箇所はすぐに先輩からダメ出しを受けることになった。
「全部同じカメラじゃねえか。動きをつけろ。カメラ位置をどこで切り替えるか考えろ。キャラもフットワークだけで全然動きがないだろ。使えるモーションがないか調べろ。なかったらデザイナーに頼んで作ってもらえ」
シナリオをスクリプトに落とし込む作業には、組むこと以外の「シナリオを、どうゲーム上に表現するか」といういわば演出家としての側面も必要になる。
だが、当時の嵯峨はその部分の素養に欠けていた。
嵯峨もこれはもっともな指摘だと自分に言い聞かせ、早速言われたことを改善すべく動き始めた。
だが、それはことごとくスムーズにいかなかった。
カメラの位置や切り替えタイミングは、好きなテレビアニメを参考になんとかそれっぽくできはしたのだが、キャラクターに演技をさせるモーションの扱いに困り果てた。
現状各キャラクターにどんなモーションがあるのかはリスト管理されておらず、デバッグ機能でいちいち挙動を確認する必要があった。
そして不足と思われるモーションの発注をデザイナーに頼みにいくと、なんだかんだ理由をつけて断られるのである。
デザイナー側でも作成したモーションはスタッフごとにしか管理しておらず、「手の空いている人が作業する」という方針のせいか、モーションを作成した人は同じキャラでもバラバラで、全容を把握している人はいない。
「いや、同じようなモーションが、もうあるかもしれないじゃん。それ調べてから、ほんとになかったらまた来て」
などと言われる。
やむなく嵯峨は自分で膨大な全キャラのモーション管理リストを作った。
この時点で、嵯峨はこの現場にある空気が形成されていることを悟る。
新人プランナーで仕事のできない嵯峨剣聖にはキツく当たってもいい、という空気である。
現場では、当然だがすでに人間関係ができあがっており、仲の良いスタッフ同士は明るい雰囲気で仕事をしている。
だが、新人の中でもプランナーとして一人だけ入社した嵯峨は、仕事ができなくて当然で、それを正すためには、怒鳴ることもこんなこともできないのかと嘲笑することも、先輩としての当然の義務という空気感が形成されてしまっていた。
嵯峨はもがいた。
振られる仕事振られる仕事、ことごとくスムーズにいかない。
翻訳管理テキストこそやっとそれらしい管理ができるようになったが、スクリプトの仕事は新人の嵯峨に回されるのは組むのがやっかいな、見せ場的なシーンが多く、そこで演出をどう仕上げていいか分からず、結局ややこしいフラグ管理を制御して、とりあえず話が貫通(会話のテキストや演出は仮の状態でも、イベントが始まり、終わるところまで止まらずに進行する状態)するようにしたところで、他のスタッフに取り上げられてしまう。
初めてある要素の仕様作成を任された時こそ意気揚々と、それでも必死で仕様書を作成して打合せも主催したものの、先輩や実装スタッフたちからは内容そのものよりも書き方についてばかり欠点をあげつらわれ、挙げ句没にされてしまった。
それからいくつか作った仕様も同様である。
それでも嵯峨は自分を鼓舞し、自分が仕事ができるようになればいいのだと、毎日会社で責められ、怒鳴られ、馬鹿にされる日々を耐えていた。
だが、その意地の壁にも、少しずつひび割れが生じていく。
開発中のゲームをプレイしていると、いくつか仕様的に疑問がわくところがあった。
「この仕様って、どうしてあるんですか?」
「いや、売れてる他のゲームもやってるだろ」
嵯峨は、ゲームを構成する要素は、それを実装する目的があることを皮膚感覚で分かっていた。
その要素が無くなればゲームがどうなるのかを想像すればいいと思うのだが、上司や先輩たちには、その視点が無いようだった。
実装された仕様に問題があると感じて、それを先輩や上司に指摘しても、
「指摘するだけじゃなくて具体的にどうしたらいいかも考えろよ」
と言われる。
そこで、改善案を出すと、
「今から作りかえるなんて期間がかかるし、プログラマーもデザイナーもいやがるだろ」
と返され、あげくにお前がそれに費やした時間は無駄になっているんだからなと文句まで言われた。
そんなやりとりを繰り返しているうちに嵯峨は、自信を失っていく。
自分に力がないから、センスがないから、言うことを聞いてもらえないのだ。
少々プログラミングができる程度の素養はあっても、本職のプログラマーたちにはかなうはずもなかったし、先輩たちにはいつまでも使えない新人扱いされ、たまに仕事を振られても、途中で取り上げられる。
結局最後までできるのは、面倒で雑用のような仕事ばかりだった。
嵯峨は、入社してから、仕事上で気がついたこと、改善すべきこと、自分のやらかしたミスをノートに書き連ねて工夫を重ね、それは着実に成果に結びつくようにはなっていたのだが、半年経っても職場での扱いは変わらなかった。
上司や先輩たちの「指導」は日々嵯峨の心を蝕んでいくようで、開発中のゲームをプレイする気力も失せていく。
そして何ヶ月か後、開発も終盤にさしかかろうかというころ、クライアントであるメーカーのプロデューサーからの評価コメントが届き、そこにはあるシステムの出来がいいとの一文があった。
それを見て嵯峨は愕然とした。
以前没にされた自分のアイデアが、仕様として実装されていたのである。
仕様書を確認すると、フォーマットこそ違えど、中身は以前自分が考え、仕様化したもののほぼ引き写しである。
他にも、自分が考案した仕様のいくつかが、実装されていた。
嵯峨は愕然とした。そして気づいた。
上司である企画課の課長も、先輩プランナーたちも、頭の中にあるのは納期通りにいかに楽な仕事をするか、ということだけなのだ。
面倒な仕事はできる限り他人に回るようにする。
組むのがややこしそうなスクリプトやシステムの仕様。
どれも高確率で嵯峨に回り、成果物は評価されずに途中で他のスタッフが仕上げるということばかりだった。
いずれも、皆自分が手に負える範囲での仕事しかしていないということに、嵯峨は気づいたのである。
皆、効率も質も、このゲームがどうしたらよくなるかも、何も考えてない。
言われたゲームを、「なんとなく」という体で、プログラマーやデザイナーの機嫌をとりつつ開発している。
リードプログラマーやリードデザイナーはまだ責任感を持ち、管理監督を適切に行っている様だが、それはプランナーの領域にはなかなか及ばないようだった。
会社が受託案件をとってくる。
プロジェクトの責任者に振られる。
責任者はディレクターに振る。
ディレクターは企画書だけ投げて後は成果物だけチェックする。
そして現場は誰もハンドリングすることもなく、ややこしい、面倒なタスクにはできるだけ手を出さず、失敗しない、下手をうたない、自分の手に負える範囲のみの仕事をする。
それがこの会社の実態だった。
嵯峨は他人とのコミュニケーションは苦手ではなかったが、成果を評価もされず、周囲から常に攻撃され、嘲笑されるだけの日々は、さすがに我慢ができなかった。
彼は急速にやる気を失い、変わらない現場での扱いや周囲との人間関係にも疲れ、ついにプロジェクト終了前に退職を申し出た。
辞める理由としては一身上の都合というのをかたくなに崩さず、上司からは、無責任だ、この程度で辞めるなんてこの先どこの会社でも通用しないぞと言われたが、嵯峨は目も合わせずに冷淡に退職手続きを済ませ、八ヶ月だけ在籍した会社を退職したのだった。
二十三歳と若くはあっても、最初の会社をたった八ヶ月で辞めたことは職務経歴としては傷になるという自覚はある。
だが、嵯峨にはレオニダスという会社がひどすぎただけで、他のゲーム会社ならばきっと自分は活躍できるのだと信じて疑わなかった。
だが、他のゲーム会社に中途採用として応募し、そしてことごとく書類選考で落とされ続けると、さすがに落ちこんだ。
発売された『欅坂防衛隊』が、「クセはあるが好みの人にはたまらない佳作」として評価され、しかしスタッフロールには自分の名前が無かったことも、輪を掛けて嵯峨の心を傷つけた。
自分でスマホのゲームを作り広告収入で独立する、という手も考えないではなかったが、やはり商用の、大規模なゲームを手がけてみたいという欲求は強まるばかりで、自分の思い描く自分と、現在のそれとを比較して、歯ぎしりする日々が続く。
実家暮らしだったのが幸いして生活に困るということはなかったが、両親の目もあって働かないわけにもいかない。
そこでアルバイトをするにしても好きなゲームでと考え、大手ゲームメーカーである、株式会社ヘクトルのQA(品質管理)部門で、デバッガーとして働き始めた事が、嵯峨の人生を大きく変える。
デバッガーとして働いているうちに、ゲーム上のバグの中でも、いわゆる仕様バグと呼ばれるものに対して、嵯峨はバグを指摘するだけではなく「こうしたら問題は解決する」という改善案を必ず書き添え、調整面で問題があると感じたら、意見というカテゴリーで問題点の指摘と改善案を出すと、それが採用される事が多かった。
また業務の改善を提案し、これも採用されたりしているうちに三年が過ぎ、嵯峨は正社員にならないかと打診を受け、快諾した。
QA部門の現場責任者としてさらに二年を過ごしている間に、嵯峨は制作部門への転属を望んでアピールを繰り返し、そしてそれは現実のものとなる。
会社で大ヒット作が出て、それに伴い会社の規模も拡大している時期と重なったのも幸運だった。
嵯峨は、QA部門から制作部第二開発課所属となり、一年のアシスタントプロデューサー期間を経て、正式にプロデューサーへと昇格した。
それから二年の間に、嵯峨は手堅い手腕で三本のプロジェクトで黒字を出し、うち一本はスマッシュヒットとなっている。
途中から引き継いだ案件も何本かあり、そのうちの一つが、この『HSG』だった。
QA部門のころから制作部門に異動してから現在に至るまで、嵯峨は現場の開発者たちに対しては懐疑の念しかもっていない。
本当に精魂こめてゲームを作っているのか。
提出された仕様に、嵯峨がちょっと突っ込みを入れると答えに窮する。
明らかに手抜きの実装データに、「これはどういう意図でこのようにしたのか」と聞いても同様だった。
フィーリングでゲームを作り、周りもそれを指摘しない。
嵯峨は、ミーティングでROMの不出来やさ仕様の穴や、意図不明な箇所を指摘するのが密かな楽しみとなっていた。
開発側は、色々な理由をつけてはまず要望には対応しないような返答をすることがデフォルトになっている。
それを木っ端みじんに言葉の刃で切り刻むのが、嵯峨の愉悦なのだ。
お前たちよりも俺のほうがゲームのことを分かっている。
レオニダスを辞めたのは、俺がプランナーとして使えなかったからではない。
あの連中が俺を使えなかったからだ。
俺こそがゲームの真の作り手だ。
予算をもち、こんなゲームを作るのだと企画を出し、開発会社に作らせる。
連中は、いかに楽をするかしか考えていない。
俺が鞭をふるい、ゲームを商品として仕立てていく。
俺こそがゲームクリエイターだ。
そう思っていた。
だが、損切りであったはずのこの『HSG』の連中はどういうことだろう。
自発的に仕様変更してクオリティアップを図り、自分の出す要望も、妥当性を考慮して次々と対応していく。
そこには、詭弁もてらいもない。
「確かに良くなりますね、対応します。」
こちらの出す要望は、ことごとく対応する旨の返答で、そして、実際に実装されていった。
嵯峨は面白くない。
いつもの開発者たちのように、反発してみろ。
詭弁で対応しないと言ってみろ、期間的に無理ですと言え。
だが、いくら嵯峨が要望を出しても、それが妥当な内容である限り、開発スタッフは対応、実装し続けた。
そして、今度こそ断るだろうと思っていた今回の『偵察』の仕様変更要望にも対応してきた。
――くそ。
嵯峨にとって、現場の開発スタッフは自分にひれ伏すべき存在であり、それが自分こそがゲームの作り手である証だった。
嵯峨は、自分の守りたいものが一体何なのかわからないまま、電話に手を伸ばす。
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