第54話 インプリメント

  オフィスにはもう誰もおらず、矢切やぎりは電灯もつけずに自席に座ると、パソコンの電源を入れた。

 さて。

 まずは、バグ報告をチェックする。

 退勤してから新たなバグ報告は上がってきていなかった。

 バグ管理用のデータベースサイトを確認すると、バグの修正率は七割、順調と言ってよい。

 矢切は、自分担当のバグの確認と修正をしようと思ったが、すぐに止めた。


 (まず俺は『偵察』の仕様を作らないと)


 偵察の仕様書のファイルを開く。


 ああ、そうだ、この仕様ではファンは楽しめない。

 今のままでは「ただそういう要素がある」だけの仕様だ。

 よし、『偵察の仕様』を変えよう。

 プログラマー陣は、明日、いや、今日まで待ってくれると言っていた。

 今から作れば間に合うさ。


 改めて自分の作った仕様書を見直す。概要、フロー、仕様、画面構成仕様、データと、必要なものが網羅されている。

 矢切は、伏野ふしのが作成している仕様書の形態を見よう見まねで作成しているうちに、仕様を構成する項目というものがようやくわかるようになっていた。

 仕様とは結局、ゲームのある要素が、どんなルールで、ユーザーにどんな情報を提示し、操作を通してどうするのかの意思を受け取り、その結果を画面に反映する、その内容であり、それをゲーム中起こりえるあらゆるパターンを想定して可視化したものが仕様書だった。


 それは、今まで適当で、頭に思いついたことを雑然と書き連ねていただけのかつて自分が作った仕様書とは、読みやすさや穴の無さにおいては雲泥の差である。

 今回の『偵察の仕様書』もその点では自信があったのだが、鳥羽に、「これは本当にディレクターのやりたいことなのか」と問われたのだ。

「仕様書としては問題ない、だが、ゲームとしてやりたいことはこれでいいのか」と。


 矢切は改めて伏野に言われたことを思い出す。


「でも結局、なんといっても大事なのは、プランナー自身が『どうしたいのか』ということですよ」


 伏野は、自分の仕様書のフォーマットを前戸まえとに解説した時、最後にそう念押しした。 

 プランナーにとっては、まずは自分の、心からやりたいこと、こうあるべきだと感じることを打ち出すことが、仕様書の書き方よりも何よりも、大事なことなのだ、仕様書とは極端な話、そのやりたいことを、他人にわかりやすく説明するための道具に過ぎない――。


 伏野の言葉を頭に浮かべてから、矢切は改めて『偵察の仕様』について考える。

 偵察をこのゲームに落とし込むのであれば、もっと「らしさ」が無ければ――。

 矢切は、偵察の仕様のビジョンの「方法」、この箇所を全変更することにした。

 まずは、頭に浮かぶことをかたっぱしからテキストファイルに書き連ねていく。


 そうだ、偵察をする場合は偵察を行うポイントと誰に偵察をさせるかをプレイヤーに選んでもらおう。

 偵察そのものは確率で成功、不成功を決めればいいか、いや、もう成功だけでいい。失敗はしない。

 スキルの強さで、どれだけの情報が得られるかを決めよう。

 演出は……。


 矢切はいつになく集中して『偵察』の仕様を考え、それを仕様書へと落とし込んでいく。

 頭の中は、想定しているゲーム画面と、それを言葉にしたり、図にすることでいっぱいとなり、瀬野木せのぎ明日香あすかのことはいつしか頭の中から消えていった。

 思いついたことをかたっぱしから書き連ねていくうちに、矢切は見えている風景はいつもの狭いオフィスのはずなのに、どこか既視感を感じた。

 この感覚は、どこか懐かしい。矢切の頭に呼び起こされたのは、中学生や高校生のころだ。


 中学生のころは、ファミコンが大人気になっていた時代である。

 ファミコンの『マッハライダー』や『スーパーマリオブラザーズ』では、誰が一番先へ進めるか競いあった。

 一人が雑誌の攻略記事を読み上げながら、『ドルアーガの塔』を代わりばんこでプレイした。

『ファミスタ』でトーナメント戦や紙に成績を書いて記録してペナントレースをやった。


 友人がMSXという規格の、家庭用テレビにつないで使用するパソコンを持ってきて、皆で二人同時にプレイできるシューティングゲーム、『スーパーレイドック』を攻略しようと躍起になった。

 今と違ってネットも何もない時代。ひたすらトライ&エラーを繰り返して、身体で敵の出現パターンや攻撃パターンを覚え、皆でパイロットとコ・パイロットの役割を区分し、初めてラストステージをクリアした時は皆で歓声を上げた。


 友達らでゲームマスターと呼ばれる進行役が作成したシナリオに沿って、皆で会話をしながらゲームを進めていくテーブルトークRPGもよくやっていたものだった。 

 ゲームマスターという、ゲームの進行役をかって出た矢切は、皆が集まる日曜日の前日など、深夜までシナリオを作っていた。徹夜になることもあった。

 それでも、皆が自分の作ったシナリオをプレイし、楽しんでくれるのがうれしくて、コーヒーを飲んで眠気を覚ましながらノートにシャーペンで整合性も何もない、ただのあらすじに過ぎないシナリオを書き連ねていった。

 真っ暗な部屋で電気スタンドだけをつけ、ファンタジー世界のモンスターや魔法に関する資料本を机の上に重ねてシナリオを考えていると、まるで自分がプロのゲームクリエイターになった様な気がして、気分も高揚したものだった。


 うまくまとまってなどいなくても、自分の頭の中にあるファンタジー世界をゲームのシナリオへと落とし込んでいく作業は楽しい。

 日曜の午後になると、友達が矢切の家の二階の六畳間に集まる。

 先週の続きからなとゲームの準備をして、友達とプレイし、夕方になって皆が楽しかったと言ってくれると、すべて報われた。


 もちろん、一人でもゲームを楽しんだ。

 テレビゲームというものが世の中に広く知られるようになったころは、単純なアクションゲームやシューティングゲームが多く、RPGなどは『ドラゴンクエスト』がブレイクするまでは、パソコンユーザーの中でファンがいる、というレベルのジャンルだった。

 それが、『ドラゴンクエスト』が大ヒットしてから、このジャンルは大隆盛を遂げ、矢切もその例にもれず、『ドラクエ』をプレイしてからRPGに夢中になった。

 年に何本もゲームソフトが買えるわけでもない矢切にとって、長く遊べるRPGは救いの様なジャンルだった。


『ウィザードリィ』というRPGの原点と呼ぶべきタイトルのファミコン版には特に夢中になった。

 そして高校生になると、対戦格闘ゲームの金字塔『ストリートファイタ―Ⅱ』が大ブームとなり、矢切もまた、小遣いを握りしめてゲーセンに通った。

 大学生になると一人暮らしを始めた矢切は、仕送りの食費を削ってまでゲーセンに通い、ゲームを買ってはプレイしたものだ。

 中でも、『タクティクス・オウガ』や『ときめきメモリアル』は何度もプレイし、大学四年のころに、セガ・サターンやプレイステーションが発売されると、驚異的な進化を遂げたゲームに夢中になった。


 社会人になってからも、もちろんゲームをプレイすることは続いたが、それまでと比べると、プレイ頻度が落ちたのはやむをえない。

 だがそれでも印象的なタイトルは多い。

 最初の次世代機群なら『プリンセスクラウン』、『東京魔神学園剣風帖』、最近のものならプレイステーション4の『ペルソナ5』や、ニンテンドースイッチでプレイした『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』は、矢切にとって世界最高峰のゲームだった。


 それでも、プレイしたゲームで一番好きだったのは何かと言うと、矢切の答えは決まっていた。高校生のころに発売されたファミコンのRPG、『ドラグーン・クエスト4』。

 ラスボスを倒した後。勇者の仲間は皆それぞれ帰るべき場所へ帰り、待ってくれている人たちと会い、周囲から称えられ、これからの人生が開けていく。

 でも、主人公である勇者には何も無い。

 帰ってきた故郷はもう廃墟で、待っている人もいない。

 そこへ光が溢れ、自分のために死んだ幼なじみが蘇り、二人は抱き合う。

 そこへ、他の仲間たちがかけつけたところでスタッフロールが始まる――。

 勇者もまた、最後に報われた。


 セリフも何もない、ドットで描かれたキャラクターたちが無言で織りなす演技が、心を揺さぶった。

 いつか自分も、こんなに人を感動させるゲームを作るのだと、矢切は思っていた。

 矢切は友人たちにこのエンディングを見せて、どれだけ感動したかを熱弁して語ったものだった。 

 あのゲームをプレイして、矢切はゲームを作ることを仕事にしようと決心したのである。


 自宅の二階の六畳間で毎日味わえたあの至福の時間が、今ここで形を変え再現されているような気がして、矢切は手と頭を動かしていく。

 そして、仕様書が一通り完成した時、時刻は午前三時になっていた。


 (うん、これでいい)


 一通り全体を見直してから、「偵察」の仕様書を仕上げた矢切は、もう一度ゲームをプレイしてみようと思った。

 伏野がくれた箇条書きの気になる点を参照しながらゲームをプレイし、気になったところ、変えてほしいと思うところを伝えればいい。

 そのためのテストプレイを、最初からやりなおすのである。

 ゲーム本編を終わらせるのにはおおむね二時間もあれば充分だった。

 そこから、『放浪モード』を再度プレイしよう。

 矢切はコントローラーを握ると、ゲームを最初からやり直し始めた。

 気になるところをテキストエディタでメモしていく。


 前戸まえと満須雄みすおは、最近出勤時間を早めていた。

 以前は始業時間である午前十時ギリギリに出社していたのだが、『HSG』で、午前十時に朝礼が行われるようになってから、三十分前に出社するようにしたのだ。

 余裕を持って出社することで落ち着いて準備ができるようになり、そうなるとこの倉庫のゴミやほこりが気になって、掃除をするようになった。

 この辺りは、掃除について口やかましく言われたアルバイト時代の習慣が身についている。

 口笛を吹きながら倉庫に作られたオフィスに入ると、矢切やぎりたけしが電気もつけずにすでに仕事をしている姿が見えた。


「おはようございまーッス、矢切やぎりさん早いっスねー」


 そう挨拶すると、矢切もおはようと、挨拶を返してくれた。


「いや、ちょっとな、『偵察の仕様』を作り直してたんだ」

「おおーっ」


 前戸まえとは矢切の席に寄ってきて、モニタの仕様書を覗く。


「正直、今のままでいくのかと思ってたッス。変えるんスね!」

「ああ、急に気が変わってな」


 そう答えた矢切の口周りに、うっすらと髭が見え、前戸は矢切が昨日会社に泊まったことを察すると、上着のポケットに入れていた、買ったばかりの缶コーヒーを矢切の机の上に置いた。


「おつかれッス」


 午前十時に始まった朝礼で、矢切は『偵察の仕様』を変更したい旨を告げた。

 意外な表情の伏野ふしの金矢かなや鳥羽とば堀倉ほりくらにどう変更するのかを口頭で簡単に説明する。

「今のでよくわかりました。後は仕様書を確認して、不明な点があれば随時質問します」

 鳥羽はそう言って、打ち合わせは不要な旨を告げた。

 金矢と堀倉も同意し、二人とも仕事が増えたにも関わらず、笑顔である。


「いや、嵯峨さがさんにはもう仕様書を提出したんだけど、その返答を待った方がいいんじゃないですか」


 矢切のその懸念に鳥羽は笑って首を振った。


「今の仕様でだめだっていうわけないですよ。もし文句言ってきたら僕に回してください。コテンパンに言い負かしてやります」

「ありがとうございます。それと……」


 矢切は伏野の方を見て、プリントアウトしたリストを渡した。


「伏野君の気になる箇所も含めて、改めてゲームを通しでプレイして、調整周りで気になる点をあげてみたんだ。対応できる範囲でいいから、前戸君と手を入れてくれるとありがたい」


 伏野はえっと驚いてリストを受け取り、中に目を通していたが、うなずいて言った。


「わかりました、いいですよね、このちゃんとしたディレクションを受けてる感じ」


 嵯峨さが剣聖けんせいは、この「使えないやつらの集まり」に驚かされるのは何度目かと振り返らざるを得ない衝撃を受けていた。

 このギリギリのタイミングで、『放浪モード』の『偵察』に関する仕様の改善要望を出した。

 その返答がメールで送られてきたため、その内容を確認してからのことである。


『Re:対応

 ・「偵察」の対象となるマップポイントを選択し、偵察スキルを持っているキャラはそのレベルに応じて、マップポイント内で得られる情報が可変する仕様とします。詳細は添付の仕様書をご参照ください』


 添付されていた仕様書を確認しても、その内容は嵯峨の予想を超えたもので、納得せざるをえなかった。

 だが、果たして残りの期間で実装し、デバッグを終えることができるのか。

 懸念するのはこの点であるが、嵯峨の心には、ある感情がはっきりと顔を覗かせていた。


 ――あいつらは、どうしていつもの下請け開発会社の連中のようにならないのか。


 妥協に妥協を重ねたような、自分らにとって楽な仕様しか提案してこなかったり、こちらの修正要望への対応も、「断る」ことを前提にしたようなそぶりがないのか。

 下請けの、開発会社のスタッフになど、ゲームのことを本当にわかっている者などいないと嵯峨は思っていた。

 自分を新人だからと舐めて、いびってきたあの連中などよりも、自分の方がずっとゲームが好きで、ゲームのことを分かっていると、そう思っていた。

 それを現場で実証すべく、下請けの開発会社をとことんいびりぬいてきたのだ。


 ――あんな連中に、舐められてたまるか。


 嵯峨は、新人プランナー時代の、暗い記憶を再び呼び起こしていた。

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