第十章 聖戦
第50話 コール
「なるほど……」
会議室で、
この打ち合わせに参加しているのは、矢切、伏野、
鳥羽はじっと矢切の説明を聞いていたが、伏野に続いて発言する。
「目的、理由は納得できますね。ただ、この方法論のところ」
鳥羽は、モニタに映し出された仕様書の、仕様の部分を指さした。
「これは仕様として安直じゃないでしょうか?」
「侵攻先のポイントを選択した際、偵察のスキルを持っているキャラが自軍にいれば、そのポイントの戦力と補給物資量が表示される、っていうのは確かにそれっぽくはなるんだが……」
金矢も、無精ひげの生えた
「安直? いや、きちんと必要な情報は提示しているつもりですが」
鳥羽の指摘に、矢切も態度を硬化させる。正直、受け入れられないという結果は予想していなかったのだ。
「安直、という意味は確かに不適切だったもしれません。ええと……」
鳥羽は、言葉を探すように考え込む。
「仕様書としては、きちんと整っています。ポイントの戦力や補給物資をどう評価してUIに反映表示するか、そのUIについても仕様書として抜けはありません。私が言いたいのは」
そこまで言った鳥羽は口をつぐんだ。これまでの癖で口調がきつくなってきたのを自覚したからだった。
「これが、本当に矢切さんがやりたいことなんですか、ということですね」
伏野が、穏やかに続け、鳥羽はうなずいた。
「だったら、どうするって代案を出してくれよ。反対だけして代案を出さないってのはだめだろう」
反対するなら代案を出せ、というのはゲーム業界でなくてもよく言われることだが、とかく決めるべきことだらけなゲーム開発の現場では特に登場頻度が高い。
同時に、そう杓子定規にいかないのもまたゲーム開発だった。
提案された仕様には反対、だがどうするべきかはわからない、という状況は、現場ではよくある。
それでも、何らかの結論を下して実装を進めなければならない。
だが伏野は首を振って言った。
「もう一度聞きます。これは、本当に矢切さんがやりたいことなんですか?」
「いや、だから反対なら代案をだな」
そう言う矢切を今度は金矢が遮る。
「矢切さん、このプロジェクトはあんたがディレクターなんだ。まず、あんたが本当にやりたいことを言ってほしいんだ」
「いや、だからこうやって出してるでしょう。この仕様書が俺のやりたいことですよ」
「矢切さん」
鳥羽が仕様書を見ながらいった。
「もう一度言います。仕様書としては申し分ないんです。やりたいことは把握できるし、実装のために必要な情報も網羅されてる。こう言ってはなんですが、プロジェクト初期のころとは比べるべくもないくらい仕様書としては問題がない。でも」
そこで鳥羽は初めて矢切の目を見据えた。
「間に合わせるための仕様書です、これは」
矢切は冷笑で応じた。
「いや、そんなことを言ってもなあ。
「確かにその点は問題ない。要望には一応対応できていると思うし、期間的にもこれなら問題ない。いつものプロジェクトならそれでいいさ。けどこれはあんたのアイデアでここまでよくなってきたゲームだ」
鳥羽が、会議机の中央に置かれたニンテンドースイッチを手に取り、ゲームをプレイする。
「私もこれまでIPものは開発したことがあります。IPものでポイントになるのは原作らしさをどう落とし込むかという点にあって、そこに開発者は四苦八苦するわけですが、現状の『HSG』は見事だと言っていい。スタッフの私が言うのもどうかと思いますが、距離をおいていた時期が長いから、ゲームがどう変わってきたかが客観的によくわかるんです。そして『放浪モード』がファンの心に刺さる内容であることも」
「けどこの偵察の仕様はだめだと?」
「だめ、というわけではありません。ただこれまでのプランナーが出してきた仕様に比べて、守りに入ってるような気がします」
鳥羽がそう言った後は誰も何も話さず、沈黙が場を包んだ。
矢切は不機嫌の三文字を表情に出して、自分の手元にある仕様書を乱暴に何度もめくりなおしていたが、伏野が彼へ声をかける。
「矢切さんがディレクターとして、原作ファンとしてはこうなってほしいという方向性を提示してくれたから、このゲームはここまでこれたんですよ。逆に言うと、矢切さんがディレクターとして方向性を提示しなければ、このゲームはどっちへ向かっていったか、わかったもんじゃなかった」
伏野は、例えば自分がディレクターだった場合、当初のコクピット視点にしばられたまま開発を進めただろう、それはそれで、それなりに形にはできたかもしれないが、今のゲームほどおもしろくできたかどうかは自信がないと言った。
「まして、『放浪モード』なんて新しいモードを入れようなんて考えもしなかったでしょう。それが僕の限界です。でも矢切さんは原作を知るディレクターとして臆せず『放浪モード』を提案してきた。それが実装に至ってデバッグ時期にも入っている今が勝負どころです。このゲームが銀になるか金になるか、それともプラチナになるか」
「そんな大げさな」
矢切はおどけて見せたが、誰もそれにはのってこなかった。
金矢は改めて仕様を考え直してもらいたいと言った。
「期間なんて考慮しなくていい。ディレクターの、矢切さんのやりたいことをまず提案してくれ。それをどうにかするのが俺たちの役目だ」
「あ、あの……」
それまで一言も発さなかった塀倉がおずおずと手を挙げ、UIの仕様変更についても遠慮なくいってくれと続けた。
「ぼくはこの仕事が今までやってきた中で、一番楽しくて……。だ、だから、僕も、とことんつきあいます」
結局、矢切が仕様を再検討し、明後日に再度打ち合わせをすることとなり、その場は終わった。
打ち合わせを終えて自席に戻ると、時刻は十七時過ぎだった。
デバッグを請け負う部門からのバグ報告がまた大量に届いており、バグを管理するサイトで自分の担当分チケットに一つ一つ対応していきながら、ほう、と矢切はため息をつく。
『偵察』の仕様の再検討。今日、明日中に仕様をまとめなければならない。
だが、矢切はもう疲れていた。
デバッグ時期に入ってゴールが見えてきたことで、今までの疲れが一気に噴出してきたような疲労感がある。
「矢切さんが、本当に今出してくれた仕様のままでいい、というなら俺たちもそれに従う。文句は言わない。バシッと決めてくれればいい」
打ち合わせの最後に金矢はそう言ってくれたのもあって、改めてゲームを触りながら『偵察』の仕様をどうすべきかを考えてみる。
このゲームにおいて『偵察』はどうあるべきか……。
考え始めた矢切ではあったが、何をどうすればいいのかのとっかかりを見出すことはできなかった。
あれこれと考えているうちに、自分の考えた仕様のどこが「守りに入っている」のかという疑問と、今のゲームに落としこむ理想とすべき形がごちゃごちゃになり、何度も矢切は頭を振る。
おぼろげに、なんとなくイメージはできるのだが、今一つ具体的な形に落とし込むことができないのだった。
他のバグ報告や、伏野や
――もう、今日出した仕様でいいじゃないか。
その思いが、何度も頭をよぎった。
作業を一区切りつけて時計を見ると、二十一時を過ぎている。
オフィスにはまだ皆がいた。堀倉は先週まで妻の体調がよくないと心配そうに言って早めに帰宅していたが、もう大丈夫ですと言って今週は深夜まで残業して、修正作業や他のバグ対応を行った項目の確認を続けてくれていてる。
この状況だ。とにかく時間がない。
今の仕様なら影響範囲も狭い。
自分なりに考えて、これがベターだと考えて考案した仕様だ。
やはり、このままの仕様で実装してもらおう。
そう決意すると、矢切は明日、今の仕様でいいと金矢に伝えようと思った。
と、その時、机の上のスマホが振動した。
液晶画面に目をやると、連絡用アプリ『サークル』の通知が届いている。
『矢切さん、こんばんは
しばらくご連絡してないなと思って……
お元気ですか?』
彼女と男が一緒にいた光景を見た日から、もう一週間近く連絡を取っていなかった。
彼女には実は恋人がいるのではないか、という推測が事実になるのが怖い。
実際に話をしたらそのことを聞いてしまいそうで、矢切は連絡をとることができないままだった。
矢切がしばらく考えこんでからスマホで返信すると、すぐに返事が届く。
『すいません、このところ仕事が追い込み期で』
『そうなんですね、すいません、お忙しいのに
前回のお約束を私がドタキャンしてしまってからご連絡をいただけないので、怒っていらっしゃるのかと…』
『そんなことはありません』
そう返したものの、矢切は胸の内に広がっている疑惑を払拭したいという思いが急速に広がっていくのを感じた。
同時に、止めておいたほうがいいという心の声が頭をよぎる。だが、考えるよりも先に指が動いていた。
『実はあの日、
瀬野木明日香からの返信は無い。
『今度一緒に行くお店をチェックしようと、町に出たんです。そこでオープンカフェで瀬野木さんが男の人と一緒なのを見ました』
あの人は誰なんですかと入力しようとしている間に、瀬野木明日から返信が届く。
『今からお会いできませんか』
――今から?
時計を見ると、時刻は二十一時二十分。
『まだ仕事中ですが』
それを返信してから、すぐに矢切は続けた。
『じき終わります。俺も会いたいです』
瀬野木明日香は、あるシティホテルのバーで待っていると返信してきた。
急いで追加で報告が上がったバグチケットの仕分けを済ませると、矢切は帰宅の準備を始める。
そこへ伏野が立ち上がって、矢切にちょっといいですかと声をかけた。
「すいません、僕もやっと『放浪モード』を通しプレイできたので、その結果調整した方がいいと思う箇所をまとめました。明日にでも見てもらえますか」
わざわざプリントアウトしたのは、図解を書き込みたかったからだと付け加えて、手書きの図解入りのA4用紙を伏野に渡す。
「わかった。見ておくよ」
矢切が紙を受け取り、そのまま折りたたんで胸ポケットにしまうと、伏野は頭を下げて席に座った。
『偵察』の仕様が矢切の頭にちらつく。
だが、もう自分は今の仕様のままでいいと決断したのだと言い聞かせ、パソコンの電源を落とし、上着を着てかばんを手にした。
まだ仕事をしている皆からの視線を一瞬感じるが、基本的に「皆が残っているんだからお前も残れ」という同調的な圧力は今の現場にはない。
「……お先に失礼します」
そう言ってから机を離れると、皆が次々と「おつかれさまでしたー」と声をあげてくれた。
伏野も前戸も、金矢も鳥羽も
矢切は、普段でも疲れた演技をして皆よりも先に退社することが多々あったが、その時よりも皆の声が胸の奥に、何かに響いた気がした。
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