第49話 アブストラクション
だが、それらは現場ではことごとく不評または使えない扱いされたものが大半で、内容が無視され異なる仕様が実装されたことすらある。
無理もない、と今になって矢切は思う。
ゲーム会社にアルバイトとして入社してから、仕様書の作成方法など教えてもらったことなどない。
それが当時のゲーム会社の普通だった。
矢切がゲーム業界にアルバイトとして入った一九九六年ごろは、周囲の先輩プランナーも後輩プランナーも、皆がそれぞれ独自のやり方で仕様書を作成していたし、仕様書などほぼ作らず、口頭のやりとりで仕事を進めていた人もいた。
時代はプレイステーションやセガサターンの全盛期だったが、ゲームの規模は今よりも小さく、デバッグの報告と対応はまだ「デバッグ報告用紙」で、ファックスでやりとりをしていたような時代であったのだ。
だが、ゲームはまたたく間に要素や容量の肥大化が始まり、インターネットの急速な発達と浸透もあって、決めたことを可視化することの重要性は増す一方だった。
自然、プランナーをはじめ、現場のスタッフの仕事量はあっという間に増えていったし、ゲームの規模が大きくなるにつれ、それを作るための開発も複雑さを増していく。
プランナーという職種が、明確に確立されていったのはこの時期であったかもしれない。
その過程で、矢切は仕様書の作成も打ち合わせも、苦手意識を抱いて特に何ら改善も工夫もしないまま、惰性で仕事をこなす日々だった。
自分が思い描いてたようなゲーム業界での日々が現実にならないことに、不満といら立ちを覚えるようになっていたのである。
矢切は、ゲーム会社に入り、自分の企画が採用され、それが商品化され、ゲーム雑誌にそれを企画したゲームクリエイターとしてインタビューを受け、脚光を浴び、やがて独立するか大手のゲームメーカーに引き抜かれ、よりビッグなタイトルを手掛けるようになり、憧れの声優と出会い、結婚するといった未来を妄想していた。
それも、根拠なく自然にそうなると思っていた。
だが現実は、企画書はおろか、自分のアイデアや意見はことごとく採用されず、仕事といえば仕様書を作ったり、多くのデータを作成・調整したり、翻訳テキストを管理といった地味なものばかりで、華やかな場面など
仕様書を作ってもデザイナーやプログラマーからいちいち呼び出されては、細部の意味がわからないから説明しろだの、これが足りない、あれが足りないときつい突っ込みを受け続け、ますます不満は高まるばかりだった。
後輩のプランナーたちは、アイデアが認められたり、アクションゲームの仕様を切らせたら周囲をうならせるものを上げてくるなどして次々と頭角を現していったのとは正反対に、
子どものころから憧れていたゲーム業界にいるという満足感だけが、心の支えだった。
そんな中、後輩たちが次々と会社を移っていたのを見て、矢切もまた、自分が力を発揮できないのはこの会社のせいだと、環境を変えるべくオストマルクへと転職したのだった。
オストマルクはゲーム業界でそれなりに名のあるクリエイター、
オストマルクに転職してから三ヶ月も経つと、最初の意気込みはどこかへ消え失せて、矢切の仕事ぶりは結局、あまり変わるところがなかった。
現場でなあなあと、表面だけをさらった、穴だらけの仕様書を作成しては、打ち合わせをやらずに仕様書をアップしたから見てくれというスタンスを続けたが、自分はそれで仕事をしたつもりになっていた。
だが、有形無形の周囲の評価を通して、心の奥底では、自分がダメな、「使えない」プランナーであることがわかっていた。
企画力が低い。
ゲームデザインに優れているわけでもなく、光るアイデアを出せるわけでもない。
レベルデザインや調整設計に秀でてもない。
シナリオが書けるわけでもない。
仕様もきちんと決められない。
仕様書はそれっぽいものは作れるが、内容は異様に読みづらく、フローチャートや画面構成一つとっても、要素を構成する多くの情報を整理して系統立て、設計図として可視化するということができない。
もちろん、どのような仕事も、誰であれ最初からあれもこれもできはしない。
それでも、シナリオを別とすれば、仕事をこなすたびに改善を意識して、ああでもないこうでもないという工夫を繰り返せば、レベルの高い低いはあっても、それなりにスキルを上げることはできるはずだった。
だが、矢切はそれを面倒なこととして可能な限り避けてきた。
その結果が今、だった。
言ってみれば、矢切はゲーム開発において、目立ったスキルを持ち合わせてはいないのだ。
強がってみせても、もう自分がこれといったスキルを身に着けないまま年数だけを重ねてきたプランナーとして、底辺にあることは心の底では理解できている。
プライベートでも、仕事でも、自分はこのまま、せめてゲーム業界にいることだけを目標に、定年まで居続けるしかない。
心のどこかで、そう思っていた。
だが、この狭いオフィスで
だが、仕様書の作成という仕事に対して、独自の「
ある要素の仕様を決めるとして、まずその要素のビジョンを明確にする。
それは何のために実装するのか。
それが必要な理由はどこにあるか。
どんな方法で目的を達成するのか。
それが実装されることで、結果ゲームがどうなるようにするところを目指すのか。
それを明確にしてからでないと、仕様は決めるべきではない。
伏野のそういったスタンスを、矢切は身体で感じてきたといえる。
何せ、伏野誠太郎という男は、表面上の、口頭のやりとりだけで逃げるということを一切許さないのだ。
決して怒るのもで不機嫌でもないのだが、矢切がゲームの要素として実装したいことを、曖昧にしたままにしておくことを許さなかった。
伏野に問われることで、矢切はやむなく必死になって、自分の頭にあるイメージを言語化したり、図に描いたりしてとりあえず目に見える形にする。
彼に問われた答えを、言語化したり図化することで、自分の頭の中もまた整理されていく感覚を味わった。
そうなると、矢切は伏野の仕様書の内容や仕事の進め方を真似するようになる。
するとなおさら、定型化された彼の仕事ぶりに内心感心させられた。
「プランナーの仕事の本質って、『決める』ことだと思うんですよ。仕様を決める。そのためには、これはなんのためにある要素なのかを……」
そこまで言って、とたんに口を閉ざした伏野の表情に色が無くなったのを矢切は覚えている。
伏野から学んだというべき仕様を考案する時のポイントに沿って、矢切は終電ギリギリまで自分のイメージを言語化し、パソコンに入力していった。
矢切は、
伏野の仕様書を参考にして、まずは自分のイメージを言語化していった。
彼の仕様書は、必ず冒頭に『ビジョン』」という項目で、定義、目的、理由、方法、結果、という区切りで、その仕様の存在理由と目指す形が言語化されている。
――まず、この仕様を実装する目的だ。
『偵察の仕様は、放浪モードで、侵攻先のポイントを決める際、そのポイントにどれだけの戦力があるか、補給物資の量がどれだけあるかを事前にユーザーが確認できるようにすることで、侵攻先のポイント決定する際の指標にできることを目的として実装する。』
――次に、この仕様が必要な理由。
『偵察の仕様が必要な理由は、侵攻先のポイントの情報がなければ、ユーザーが侵攻先を決める際、目標ポイント以外の基準が無いため、それ以外に侵攻先を選択するための判断基準が必要なため。』
――次に、どうやって目的を達成しようとするのか、その方法。
『①偵察の選択方法
偵察はそのスキルを持つキャラを選択し、『偵察』スキルを選択決定することで実行される。
②偵察の実行
偵察を実行すると』
そこで、矢切のキーボードを打つ手は止まってしまった。
目を閉じ、『放浪モード』をイメージする。
原作の『放浪戦記ガンファルコン』は、レーダーを妨害する物質があるため、距離が開きすぎると「敵がそこにいる」以上のことはわからない。
索敵のために、文字通り敵に接近して近距離レーダーか目視しないと、敵の詳細は分からないという世界だった。
索敵、偵察をテーマとしたエピソードが複数あるくらいで、軍事を扱う小説ということもあろうが、その重要性や手法の描写が丁寧だった。
ゲームとしてどうあるべきか。
矢切は悩んだ。もうデバッグ期間に入っている。
デバッグ期間に入っても仕様変更が入るのは珍しくはないが、それは内容の重要性と影響範囲を考慮して実装の可否が検討される。
実装したはいいが、他の箇所を調整しなおしたり、他の要素とのかみ合わせが悪く、バグが多発するような事態になると、ネズミ算式に、それこそ驚くほど作業量が増えてしまう。
――そうだ、間に合わせなければ。
矢切は初めて真剣に、納期を考慮した仕様というものを考える。
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