第46話 デベロップメント

 矢切やぎりは自宅のマンションで目を覚ました。

 時計を見る。午前六時半。

 昨日は日曜日だったが、瀬野木明日香と二人で水族館に行ってから夕食を共にした。

 高揚した気分のままで帰宅し、そのままフロに入って早めに床についたせいか、頭がすっきりしている。


 矢切は起きると布団を片付けて部屋を見渡す。

 以前とは見違えるように整理され、清潔感のある部屋。

 今まで独身男性のワンルームマンション居住イメージそのままの、掃除をしておらずほこりまみれで雑然として缶や洗濯物があちこちに転がっているような部屋だったが、最近掃除をマメにするようになったのだ。


 (いつ、瀬野木せのぎさんが部屋に来てもいいようにしないと)


 矢切はもう瀬野木せのぎ明日香あすかとのデートで緊張することはほぼ無くなっていた。

 彼女と歩くたびに周囲の男たちがチラチラと視線を送ってくることにも、言いようのない優越感を味わえる。

 そのくせまだ彼女に、はっきりと恋人としてつきあってほしいと告白はできていないのだが、ここまで何回もデートにつきあってくれるのであれば、矢切にとってそれはもう超えたに等しいハードルだと思っていた。

 もっとも、まだ彼女の手すら握れないあたりに自分の余裕の無さも見えて、劣等感を感じてもいる。

 だが、もう時間の問題だろうと矢切は考えた。


 夜のデートを終え、矢切が瀬野木を部屋に誘う。

 彼女はちょっと照れくさそうに笑ってから「はい」と言う。

 コンビニで二人でお酒やおつまみを買ってから部屋に戻り、二人でテレビでも観ながらお酒を飲む。

 やがて彼女の手を握ると、そっと握り替えしてきてくれて、そして……。


 (ぐへへへへへへへへ)


 そんな妄想をするだけで、矢切は部屋をきれいに保ち続けることができた。

 本やゲームソフトは大量にあるが、きれいに棚で整理して不要な本や漫画は売り払い、ラグ代わりにしていたこたつ用敷き布団も放り捨てて生まれて初めてきちんとしたラグを買い、布団も新品のものに買い換えた。

 本当はベッドがほしかったが、ワンルームマンションでベッドを入れると、本やゲームソフトの置き場所が無くなってしまうので我慢している。


 妄想しながら朝食を食べ終えた矢切は、気分良く自宅を出た。

 数ヶ月前まであった陰鬱いんうつな気分は、かけらもない。

 十二月。

 クリスマスの予定を瀬野木明日香と合わせようと考えていた矢切だったが、その週から来年の一月半ばまで、実家の仕出し弁当屋を手伝うため、広島に帰省する予定なのでと申し訳なさそうに言われ、やむなくデートをあきらめた。

 残念ではあるが、実家のことまで教えてくれたことと、おみやげを買ってきますねと言ってくれた時の彼女の笑顔を思い浮かべると、冷え込む風などまるで気にならない。

 駅までの道を歩きながら、今日の仕事の組み立てを考える。


 まずはメールをチェックしてから、今日は月曜日だから全員での進捗会議からだな。

 その後最新のゲームを落としてきて、実装された箇所の実装確認だ。

 修正や調整の指示を出してから、放浪モードのデータを作成していこう。

 今日でマップは設計しておきたい……。


 割り込みで多々相談や確認や質問が入ってくるので、どれもスムーズにはいかないが、今はスタッフの誰もが気心が知れているので、仕事はどんな種類のものでもやりやすくなっていた。

 矢切が苦手な打ち合わせも、今のメンバーとなら気軽に開催できた。

 まずい点があれば、伏野ふしのがフォローしてくれる。


 何か問題が生じても、「誰のせいなのか」というこれまでの現場でよくあった犯人捜しではなく、「なぜそうなったのか」「どうすれば解消できるのか」という相談をプログラマーやデザイナーともできるようになっていた。

 風通しがよいという言葉で、開発現場の雰囲気を言い表せる。

 仕事量は多く大変でも、自らの裁量でそれを捌くことができ、何か問題が生じれば、すぐに相談できた。


 一つ仕事を終えるたびに、確実に開発が前に進んでいる実感がある。

 残業はしても、きりのよいところで切り上げ、駅までの道のりで明日の仕事をどう進めるか考えた。

 土曜日も出勤して仕事を進め、日曜日は極力休むが、後工程に回すものが遅れそうな場合は出勤して間に合わせる。

 矢切はこんな風に、自ら手応えを感じつつ、後のスタッフの事も考えながら仕事に前のめりになったことは今までなかった。


 疲労はあっても、その後に飲む酒のうまさは段違いである。

 夜更かしを止め、朝早くきちんと起きれる。

 仕事や周囲との人間関係がイヤで会社に行くのがいやで仕方なかったオストマルクでの日々とはまるで違う。

 充実した仕事環境に、恋人同士になるのは時間の問題と言える美人とのおつきあい。

 矢切は、忙しくとも毎日が充実している。

 彼は、今自分は四十六歳にして黄金時代にいるのだと思いながら、トリグラフの二階にある、狭いが、しかし彼にとっての黄金郷であるオフィスへ入っていった。


「おはようございまーす」

 ろくに挨拶もしなかった出向当初と違い、矢切も挨拶をするようになっていた。

 他の皆も挨拶を返してくれる。

 特に、プロジェクトに最後まで在籍できることになった林田は元気がいい。

 始業時刻と同時に大型テレビの前に皆が集まり、朝礼という体で、連絡や報告、それに課題を話し合う。


「伏野さん、昨日頼まれてた『放浪モード』用スクリプトのコマンド、コールバック使えるようにしましたのでもう使っていただいて大丈夫です」

「ありがとうございます! これでイメージしていたものが実装できます」

金矢かなやさん、相談なんスけど、最後のアウラ・ハントの『ヴァルド・ヴァン』、スペシャル技の挙動を変えたいッス」

「何が現状問題で、それをどう変えたいのかまとめてくれ」

林田はやしださん、ステージ五と六の修正指示対応お願いできますか?」

「合点承知」


 各自、現在の作業での問題点を解消してから、作業に入る。

 作業中は基本静かだが、必要であれば皆相談や報告もするし、雑談も多い。

 だが、皆手は動かし続けている。

 皆、各自のペースで仕事を進め、残業もまた日常の風景となり、土曜日も気がつけば全員が出社して、平日と代わらない空気があった。

 土曜日の晩は、仕事が終わってから皆で談笑をしたり、一部の人は飲みにいったりもしている。

 納期が迫った、それも新たな仕事が次々と積み上がっていく状況なのに、矢切はこれまでの現場であったような、圧迫感や焦燥感を感じなかった。


 日々、ゲームの改修が進み、並行して『放浪モード』が稼働するようになると、早速実装確認を開始した矢切だが、そのバグの少なさに驚かされた。

 鳥羽の優秀性を表すかのように、作業に支障のあるレベルのバグは、ほぼ散見されない。

 矢切は、あらかじめ設計していた調整の内容を早速データに入力し、一通り稼働する状態にすると、『放浪モード』を嵯峨さがに見てもらうため、毎週末にROMを出すようになった。


 そして年末が差し迫ったある日、ROMをチェックした嵯峨から送られた五十項目にも上る改善要望を見て、思わず息をのんだ。


「なんだこの量……?」


 その矢切の声に、皆の視線が集まる。


「何かありました?」


 伏野の問いに、矢切は黙ってモニタを彼の方に回転させる。


「あー……これは」


 伏野は画面を見てから苦笑した。


「とりあえず、後で打ち合わせですね」


 矢切はうなずき、とりあえず嵯峨からの要望をチャットにアップした。

 ほどなく皆の「多いなー」という声が上があがる。

 デバッグが開始されるこの時期に出される要望としては多すぎるという感想は皆同じであった。

 嵯峨は製作、矢切たちは開発、という立場から、言わばお金を出して仕事を発注する製作側の嵯峨は要望を出してくることは当然ではあるのだが、今回の開発に限らず、ゲーム開発においてこの手の要望に対応するとしても、時期と内容と量が問題となるのだ。


「ええと、おおかた対応するのは以上ってところですねえ」


 伏野がやや疲れた声で言う。

 残業に休日出勤を重ね、疲労が蓄積している状態である。

 会議室で、全員で嵯峨の要望リストを検討し終えた時点で、対応する項目は四十三項目中四十項目となった。


「にしても、よくもまあこれだけ要望を挙げられるもんだな」

「それだけゲームをよく見てくれてるって好意的に解釈しましょうよ」


 金矢かなや鳥羽とばが、年末年始休暇はほぼ無いな、と苦笑しあう。

 嵯峨からの要望は、画面上の表示物から操作の改修、ゲーム上の細かな挙動の修正にいたるまで、様々なカテゴリーのものが含まれていた。

 画面表示物関係の修正はすべてが『放浪モード』に関するものばかりで、その指摘の妥当性は高くて対応すべきと判断するものばかりである。

 鳥羽は伏野、堀倉ほりくらはらの三人と相談しながら片っ端から修正内容を決め、前戸まえとがその場でテキストファイルに記録したその修正内容に、すぐに着手し始めた。


 (そうかあ……あっちの要望だからってすぐに対応っていうことじゃなくて、その妥当性と目的を検討して、それでどうするのが今のベストなのかを考えるのが大事なんスね)


 前戸は、このプロジェクトに入ってから今までの日々を思い返して、ある時から、自分の仕事に対するスタンスが大きく変わってきていることに気がついた。

 目から鱗が落ちることばかりである。

 前戸は、仕様書という言葉は知っているし、専門学校でもそれなりに勉強はしたが、ゲームはもっと、感覚のみで作っていくものだと思っていた。

 だが、専門学校で学んだ知識の大半は実務では役にたたなかったし、周囲の先輩たちを見ていても、仕事を進める上で、確固たる流れを持っている人はいないように見えた。


 仕様書の書き方についても、すでに作成されたそれを参考にしてみても、内容は朧気でよくわからない。

 先輩たちは、口頭のやり取りを中心にして実装を進めていたので、やはり自分のイメージは間違っていなかった、ゲームプランナーはこうやって指示を出すのだとそう思っていた。


 ところが、やはり現場のプログラマーやデザイナーからは「仕様書をちゃんと作れ」と怒られる。

 しょうがいないから仕様書を作ると、またあれが足りない、穴が多い、分かりづらいと責められる。

 これだ、という唯一の正解がないのが、仕様書作成という仕事だった。


 (口頭で指示した通りにやってくれればいいのに)


 前戸はそう思った。

 仕様書作成など面倒くさいし時間もかかる。

 オフィスにプランナーがいるのだから、口頭で聞いてくれればいい、なまじいちいち仕様を書面に落とし込んでいるから時間がかかるのだ。


 だが、心ではそう思っていても、それだけでは到底今の商用ゲームなど作れない、ということは分かっていた。

 ゲーム開発はチームで、集団で開発する。

 未来はともかく、今はそうならざるをえない。

 集団で開発するからには、どうしてもどのようなものを作るのか、そのイメージの共有化が必要になる。

 そして実装する場合には、細部に至るまで矛盾無くつながるように組まなければならない。


 常にプランナーが隣にいるというわけにもいかない。

 前戸も自分でプログラミングしてゲームを作ろうとしたことはあったから、「イメージを考えつつ、頭から終わりまで整合性を取って実装する」ことがどれだけ大変かは分かっていた。

 仕様書が可視化されていれば、その負荷は確かに減る。

 けれども、アイデアを仕様書に落とし込むという作業を、前戸は忌避していた。

 苦手、といってもいい。

 フィーリングだけ伝えて、後はプログラマーやデザイナーがいいように実装してくれれば、後はそれをまた自分が触って修正の指示を出せば同じことだ……。

 そう考えていた。


 だが、そういった態度を続けるうちに、入社してわずか二年で自分が現場で軽んじられているのを感じ取れるようになった。

 それには気づいても、結局自分が先輩たちの劣化版でしかないことを分かっている前戸には、どうしようもなかったのだった。


 (プランナーの具体的な仕事って何なんスかね……)


 その疑問は入社して二年たった今でも、心の中に刺さった棘として前戸にいつも疑問を投げかけてきた。

 なんとか「仕様書らしいもの」を作ってプログラマーに渡してもため息をつかれて突き返される。

 ある時は社内他のプロジェクトで実装されたある要素の仕様書が、そのまま使えると思い、ほぼ内容をコピーして、自信満々に担当プログラマーやデザイナーに持って行ったこともあったが、「これ、なんのためにやるの?」の一言に前戸は絶句し、結局そのまま没になったこともあった。


 (なんのため? ゲームとして実装してもらうために決まってるじゃないッスか!)


 前戸は腹が立ったが、それを口にはできなかった。

 だが、今ならあの仕様書が没になった理由がわかる。

 自分は、仕様というものも、仕様書というものも、よくわかっていなかったのだ。

 このプロジェクトにアサインされて、矢切と伏野の動きややりとりを見ていると、それがよくわかる。


 矢切はアイデアを考え、時には概要にまとめる。

 それを、伏野があれこれヒアリングして矛盾を解消しながら、概要から仕様を考え、それを可視化したものが仕様書だった。

 そして、伏野が矢切に必ず質問することがある。


「これは何を目的として実装するんですか?」


 これに対して、矢切の答えはしどろもどろになることが多かったが、伏野は根気よく「こうですか?」「ああですか?」と手を変え品を替え、質問によって矢切の思考を掘り下げ、彼が頭の中でイメージしていた風景にたどり着き、それを言語化させるのだ。


「なるほど、これは、ステージマップ攻略中に大きな失敗を取り戻させるために実装したいんですね。でもそうなると、『事前にステージ攻略のために機体を選択編成する楽しみ』を低下させませんか? どんな編成でもこの援軍でカバーできちゃうってことになりますから」

「え、これはなんとなくかっこいいから? うーん、かっこいいのはわかりますけど、その結果ゲームがどう変わるのか、考えてみません?」


 伏野の問いはいつもシンプルだった。


「それは何のために、何を目的に実装するのか?」

「それが入るとゲームはどうなるのか?」


 毎回毎回、伏野は矢切に、そして仕様書を作成するようになった前戸にも「これは何のために存在するのか」ということを事あるごとに問うてきた。

 何度も聞かれると、さすがに前戸も仕様書を作成する時に自問自答するようになる。

 そうして仕様書の作成を繰り返すうちに、前戸も仕様書を何のために作成するのかが理解できるようになってきた。


 (そうか、仕様書は、スタッフに実装してほしいものの意図と、そのために必要なものを伝えるために作るんスね)


 伏野が言っていたことを前戸はかみしめる。


「どんな仕様でも、目的、理由、方法、結果をまずきちんと言語化できないとだめですよ」


 前戸は、初めてプランナーとしての仕事の進め方を明確に実感することができていた。


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