第47話 オーダー

 オールインROMの提出は、デバッグチームの都合で幸い年明け二週目からとなったが、『放浪モード』の影響により、追加対応作業が順次発生し、また他の要素でもクオリティを上げたり、調整の精度を上げるため、皆は年末年始などないかのように、仕事に邁進まいしんした。

 広い範囲を受け持ち、判断も的確な金矢に、やることが明確であれば驚くほど手の早い鳥羽。

 はらはそんな二人に負けまいとするかのように、毎朝二時間早く出社して仕事をするようになった。

『放浪モード』の仕様は、実装してからわかる穴や矛盾している箇所も発生し、伏野と鳥羽が度々フォローして、レベルデザインの変更や調整まで助けてくれている。


 伏野の作戦としては、矢切には本編と合わせて、ひたすら『放浪モード』のプレイを繰り返し、修正してほしい箇所を伏野や前戸に伝えて調整精度を上げ、おおむねベースが固まってから、また矢切自身に細かなデータを調整していってもらおうというものだった。


 こうして仕様変更対応と必要なデータの設定を並行して進め、オールインROM提出まで一週間となった一月の頭、間髪入れずに嵯峨からまた要望が届いた。


「また嵯峨さがさんからの要望か……」


 金矢かなやが呆れまじりに言った。嵯峨からの要望は、毎週末に届き、それは年末年始もなんら変わるところがなかった。

 その内容も、例によってことごとく的を得た内容になっているから、基本的に対応せざるをえない。

 工数が多いものは断ってはどうかという意見も出たが、自分たちから実装を望んだモードだけに、期間を理由に妥当性のある改善要望を却下するのはいささかきまりが悪い、自分が何とかすると鳥羽とばが手を上げてくれたので、結局ほぼすべてに対応することになった。


 だが、翌日さらに追加の要望が届くと、全員が目の端をつり上げた。


「またか! いいかげんにしろって! 今でも鳥羽君がどれだけふんばってるかわかってない!」


 金矢がそう言って怒りをあらわにした。


「でもこれ、例によって妥当性はあります。嵯峨さん、よく見てる」


 当の鳥羽が、要望リストを見て嘆息しながら言った。

 嵯峨が指摘してきたのは、放浪モードの中の、『模擬戦』と呼ばれる機能についてである。

 模擬戦は、プレイヤー自身の率いる実働部隊を、実際のステージでテストプレイできる機能だった。

 誰をパイロットに、誰をサポートに据えるかを設定してステージとなるポイントに出撃するかがキモの放浪モードで、その試行錯誤のために実装された機能だが、模擬戦の相手はプレイヤーの部隊の残りから選出するようになっていた。

 嵯峨は、この模擬戦の相手が「味方の残り」から選ぶという点が問題だと指摘してきたのである。


「模擬戦の意図がプレイヤーが選んだ実戦部隊の強さを推し量ることが目的なら、その強さを計る指標である模擬戦の相手は常に同じ強さであるべきで、コンピュータ相手という設定にでもして、同じにするべきである」、というのが嵯峨の指摘であった。


「確かに、プレイヤーが組んだ攻撃隊の強さを推し量る相手は、同じ数値でないと、戦果が計りにくいです。戦果が果たして組んだ攻撃隊によるものなのか、相手との相性が良かったからなのかはわかりづらい」


 矢切がそう分析すると、伏野は少し驚いた表情を見せてから同意すると、鳥羽もうなずいた。


「やりましょう。対戦相手を選択するステップの際、コンピュータAIを選択するという仕様にして、それ用のデータを選択するという流れでいいでしょうか?」


 鳥羽はそう提案すると、伏野ふしのと内容を詰め、今まとめたことをチャットにテキストで流すよう頼んだ。


「それよりも、こっちのほうがやっかいですよ」


 鳥羽ははらの方を見た。原がいささか気落ちした表情になっている。

 その隣で、堀倉ほりくらも表情を硬くしていた。


「カスタマイズモードのパーツ選択画面において、カーソルが選択中のパーツが、仮状態でも機体に仮反映されているべきである……うーん」


 ゲーム全体で利用できる『カスタマイズモード』は、プレイヤーが入手したアウラ・ハントの武装を、任意のアウラ・ハントに装着できるというモードで、これによってアウラ・ハントのパラメータをある程度変化させることができるものである。

 そのUI画面は、パーツを選択し、決定すると、そのパーツが実際に3Dモデルのアウラ・ハントに装着される演出が挟まれる。

 見た目もパーツによって変わるため、見た目のクオリティは高い演出となっているが、嵯峨はこの「決定しなければアウラ・ハントの見た目がどう変わるのかが分からないのは不親切」という点をついているのであった。


「選択中の武器が、決定操作をしなくてもアウラ・ハントに反映され、決定操作を行うと、改めて演出が流れるようにすればいんだろうけど……」


 鳥羽が原を見やる。

 原も、どうすればいいか分かっていた。

 否、実はこの嵯峨が上げた修正要望の妥当性は、開発途中から皆分かっていたのだった。

 だが、その修正に工数が思いの外かかってしまうため、「とりあえずおいておこう」となった項目だった。


「すいません……ぼ、僕の組み方が、悪くて……」


 原はそう言ってうなだれたが、すぐに顔をあげた。


「でも、やります。やらせてください」


 原は、UI全般以外にも請け負っている作業があるため、作業負荷はさらに大きくなる。

 金矢は少し考えてから、原にいくつか質問をした。

それは、原が今から行おうとしている作業に対してどれだけ見通しをたてられているかを確認しているものだということが矢切にも分かった。


「うん、それじゃ原、大変だけど頼むよ。正直助かる」


 金矢はそう言って原の肩を軽くたたいた。


「は、はい!」と言って、原は自分の席に戻ると、堀倉と話しながら、早速作業を始める。その目には、もはやおどおどした雰囲気はない。


 鳥羽も自席に戻ると、いらだちをコーヒーを飲むことで抑え込んでいた。

 彼は自分に対していらだっている。嵯峨の要望の件。


 もっと早くゲーム内容や仕様を把握してやりこんでいれば、打ち合わせやコードを組む時に指摘できていたはずなのだ。

 それが、自分のタスクさえこなしていればいいと、「他人から文句を言われないよう」仕事をしていたがために、それらの課題に気がつけなかったのだ。

 鳥羽は、今までの自分を呪った。

 白けたフリで仕事を続けていたら、思わぬところでゲーム開発に対しての嗅覚や触覚が鈍っていた。

 それは、自分がそのような態度で仕事に接してきたからなのだと、唇をかみしめる。


 (やりなおすんだ、何もかも)


 鳥羽は、伏野が先ほど口頭で詰めた仕様を簡潔にテキストでまとめた内容にして投稿したのを確認すると、『ありがとうございます、これで作業に入ります。』と返答すると、コードを組み替え始めた。


 チーム内でのバグ対応、データの作成、新規仕様の実装、テストプレイに加えて、嵯峨からの要望対応が加わった開発チームは、連日深夜までの残業が続く。

 さすがに徹夜や泊まり込みで作業をする者はいなかったが、皆作業の区切りが悪いと、特に金曜は終電を過ぎても会社に残って作業をする者が多くなっていった。

 だがそれでも、殺伐とした空気になっていないのは、チームが少人数で皆がよく意思疎通できているからだろう。

 何が起きても、誰かのせいという視点はなく、ただ淡々と発生する問題を解消していった。


 そのハンドリングは主に伏野が行うが、最終決定は必ず矢切に委ねた。

 それは、これまでの開発人生においては皆無の経験であり、このチームに入る前までの彼ならば到底任されることのなかった仕事であった。

 今の時期は実装状況を手戻りさせることが難しいため、その判断がより重要性さを増している。

 矢切の下した判断に皆異論を唱えることはなかったが、次々と判断を要求されることに、矢切は疲れ始めていた。


 日曜日の朝、矢切はいつも通り午前七時に目を覚ました。

 昨日は休日出勤していて、今日やっと休める。

 ゲーム開発の常とはいえ、追い込み期間の疲労度は普段以上に身体にのしかかってくる。

 それでも瀬野木せのぎ明日香あすかとのデートの約束でもあれば気分も高まるのだが、あいにく今日のデートの約束は、彼女の急用で昨日キャンセルの連絡が来たばかりだった。


 ふとんに入ったまま、矢切は今日何をするかを考えた。

 掃除をしようと思ったが、ここのところ掃除グセがついたおかげで、部屋はきれいで掃除機をかけても五分とかからないだろう。

 数か月前とは見違えるように整理され、清潔感のあるワンルームになった自分の部屋をぼうっと見つめながら、今日は何をしようかと考えたものの、結局は疲労感から一日寝ていようと思い、再び目を閉じる。


 再び目を覚ましたのは、十二時前で、寝て起きてしまってからは頭もすっきりと冴えていたので、矢切はのろのろと布団を片付けたが、顔を洗うとさらに精神がしゃっきりとして、きれいに維持されている部屋を見てから瀬野木明日香の顔を思いうかべながら部屋に掃除機をかけ、洗濯物を取り込んでたたんでからタンスにしまうころには、今度の瀬野木明日香とのデートに備えて、何かおいしいお店でも発掘しておこうという考えに至った。

 ことが彼女のことになると、矢切の行動力は普段の五倍に跳ね上がる。


 身だしなみを整えてデニムのパンツに白シャツ、ジャケットの上にハーフコートを羽織り生まれて初めて二万以上のお金を払って買った革靴を履き、電車に揺られながらスマホで飲食店をニヤケ顔で検索し、繁華街にたどり着いた時には十四時過ぎだった。


 スマホで検索した、美味しいと評判の串揚げ屋を目指して歩いていた矢切は、その途上、カフェの屋外テラス席のテーブルに座る人物が視界に入ったとたん息をのんだ。

 瀬野木明日香である。

 ベージュのワンピースに薄い紺色の上着を羽織った彼女の向かいには、三十代と思われるスーツ姿の男性が座っていた。


 (こんな偶然……、いやそれよりも誰だあの男……。)


 とっさに、視線が彼女と交錯しないようにしゃがみこみ、周囲の通行人の奇異の視線を受けながら、そのまま抜き足、差し足、といった足運びで、カフェの方へ向かう。

 斜め向かいのカフェテラスをうかがえる場所に折よく電柱があり、そこに身体を隠して目だけを出し、そっと瀬野木明日香の様子をうかがう。心臓の鼓動が速くなる。


 彼女と話している男は、三十代であろうか、髪の毛はきちんと整えられ、掘りの深いやや日に焼けた肌色がいかにも健康的そうで、どことなく俳優を思わせた。

 笑顔で何か話をしているようだが、その内容までは聞こえない。


 (やっぱり彼氏か……? けどそれならどうして自分とつきあってくれているのだろう)


 矢切は胸がヒリついた感触に浸食される思いを味わいながら、頭の中で状況を必死に整理しようとしたが、瀬野木明日香と自分の関係はいまだ友人以上のものではないということを再確認しただけで、それ以上のことは何も考えられなかった。


 結局そのまま引き返して自宅へと戻ったが、家に帰っても、寝る時間になっても頭の中は、瀬野木明日香と、向かいに座っていた男のことでいっぱいで、そのままいつの間にか眠りこけ、翌日会社に出勤した時に前戸まえとから開口一番、こう言われた。


「うわー、いつにもましてひどい顔ッスねー、ひょっとしてふられでもしたんスか?」


 周りのスタッフたちは、ここ数か月、特に矢切が半端なく明るくなっていたので、女だな、ということは察しがついているようだったが、前戸の冗談口に矢切が反応しなかったので、皆視線を交わし合って、前戸が地雷を踏んだことを察した。


「前戸君、君のスクリプトでコンバートエラーが出てるぞ」


 五分後の不機嫌な矢切の声に、林田と雑談をしていた前戸は慌てて「すいませんッスすぐなおしまーッス」と言って自席に戻った。

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