第九章 障壁

第44話 ボリューム

 嵯峨さがからのメールを見た矢切やぎりは、伏野ふしのを手招きで呼び、まずはそれを見てもらった。

 伏野はメールの文面を見て苦笑する。


「今さら、ボリュームアップの話ですか」


 嵯峨は、「現状のゲームでは、フルプライスのソフトとしてはボリューム面で物足りない感があり、それについて明日打ち合わせをしたい」とのことだった。


「どうするかね、これ」


 矢切も嘆息する。


「とりあえず、明日のことですから、まず事実として報告し、皆の意見を聞いたほうがいいんじゃないでしょうか」

「そうだな」


 矢切が同意すると、伏野が早速動いて、全員に打ち合わせをしたい旨、チャットで連絡してくれた。


「えーっ、今更ボリュームアップスか」


 会議室で嵯峨からのメールを見せると、まず前戸まえとが不満顔で言った。

 彼はアウラ・ハントの挙動調整が作業中心だが、ステージデータのスクリプト作成・調整作業も行っており、これ以上の何かしらボリュームが増えることは、自らの作業がさらに増大することを意味する。


「ボリュームアップといっても、具体的に何を実装してくれっていうのは決まってないんですよね」


 真上まかみが確認すると、伏野が答えてくれる。


「今見てもらった通り、嵯峨さんからのメールには何も記載されていません」

「ボリュームアップ……、ステージを増やせってことでしょうか?」


 鳥羽とばが思案顔で言った。

 こういう会議の時、今までの彼ならば自分に関わりのない箇所では決して発言せず、厳しい表情でスマホをいじっているだけだった。


「ステージを増やすくらいなら、何とかなるかもしれませんが……」

「期間とお金さえもらえれば、対応すると言いたいとこだがな」


 堀倉ほりくら金矢かなやがやれやれといった顔つきで苦笑した。

 先日、林田はやしだのために二ヶ月でデバッグができる状態にまでゲームを持っていこうと皆で目標を共有したばかりだというのに、それが根底からひっくり返ってしまう。


「絶対、断ってほしいッス」


 前戸が珍しく凜とした口調で言った。


「そりゃ、こっちとしても断りたいさ。でも前のリプレイの時みたいに、会社から業務命令でやれって言われたらどうしようもない」


 金矢が頭をかく。


「と、とりあえず、ボリュームアップとして使えそうな案を出してみませんか……」


 はらがそう言うと、堀倉も賛同したが、前戸は反対した。


「今更の話しッスよ。今の作業で手一杯でそれどころじゃないって突っ返したらいいじゃないスか」


 いつもお調子者の前戸だが、いつになくその態度が硬い。


「君は打ち合わせに出ていないからそんな風に言えるんだ」


 金矢が前戸をたしなめる。

 会社組織の人間である以上、個人やチームの都合だけを前面に押し出せるわけではない。

 チームとしてはノーでも、会社としてはイエス、と上の人間に言われればそれまでなのだ。


 前戸は仏頂面のまま何も答えない。

 矢切は前戸が反対する理由が分かっていた。

 林田のためにも、予定通り二ヶ月で実装作業はほぼ終わらせ、デバッグ対応にする体勢に持っていきたいのだ。

 結局、とりあえずボリュームアップのアイデアを出そうということにはなったが、なかなかこれといったものは出ない。


「ステージの追加はできないかな」

「新規でステージを起こすととてもじゃないけど間に合わないですよ」

「既存のステージを流用して、配置物や敵の変更くらいならどうにかなるんじゃないか」

「でもそれでボリュームアップの要件満たせますかね」

「機体が破壊されるまで、延々敵が出続けるモードを作るとか……」

「ちょっと今風な感じがしないッス」


 色々意見は出るものの、結局残り期間のことを考えると、皆似たり寄ったりなアイデアしか浮かばないようであった。

 誰もが発言しなくなったその時に、それまで何も発言しなかった林田が口を開く。


「ボリュームアップなら、いいアイデアがあるじゃないですか」


 え? という皆の視線を受けて、林田は笑顔で言った。


「ほら、以前矢切さんが出してくれた『放浪モード』ですよ。あれならボリュームアップのアイデアとしては充分でしょ。おまけにもう概要もある」

「あ……」


『放浪モード』を考案した矢切自身が一番驚いている。

 忘れてしまっていたのだ。

 他の皆も、確かにあれなら……とうなずいた。


「確かに『放浪モード』ならたぶんボリュームアップという目的も達せられる。ただ、あれをやるとなると、短期間では終わらない。今からやったとしてもオールインの時期は確実に超えてしまう。デバッグしながら調整、という状態になる」


 金矢が林田に言った。


「みなさんご存じでしょうが」


 林田は、穏やかな笑みのままで続ける。


「僕はあと二ヶ月くらいしかこの現場にいられないです。確かに、本当は最後までいたい。最初で最後になるだろうゲーム開発を終わりまで見届けたいです。でも、それ以上に、このゲームをもっと良くしたい」


 林田は、印刷して持ってきていた『放浪モード』の概要を机の中心に置いた。


「以前、矢切さんが言われていた懸念、ボリューム不足という点、それは確かに僕も感じてました。そのまま最後まで押し通すという手もあるんでしょうが、それは、ゲームを買ってくれる人に対して申し訳ない」


 林田は、新ためて最初で最後のゲーム開発になるなら、納得のいく内容にしたい、自分がどこまで貢献できるかは分からないが、これを実装してこのゲームの開発に参加したと胸を張りたい……。


「あと二ヶ月ですが、僕もがんばりますので、どうでしょうか」


 林田がそう言い終わると、鳥羽が『放浪モード』の概要を手に取ってめくり始めた。


「矢切さん、これの仕様書ってどれくらいであがりそうですか?」


 矢切は記憶をたどる。

 皆を驚かせようとコツコツ進めていた分はどれくらいあったか。


「一週間もらえれば。実はフローの初稿はもう出来てます」


 以前の提案時に、やる気を見せようと、コツコツと朝や残業で伏野の作成した仕様書を参考に作成を進めていた時期の貯金である。

 矢切の発言に、皆がおぉーと声をあげ、伏野が細かな画面構成や仕様は自分が作ると言ってくれた。


「矢切さんは引き続き、全体のチェックと修正指示をお願いします。僕と前戸君で残りを仕様書化するので、それを随時チェックしてください」


 前戸も「任せてくださいッス」と真剣な顔で言った。


「わかった。よろしく頼む」

「画面構成仕様は、簡単なものでいいですよ」


 堀倉がそう言ってくれたが、伏野は首を振った。


「画面構成は、フローと要素をきちんと作らないと、後で大きな手戻りが出る可能性が高いので、丁寧にやったほうがいいと思うんです。ただ、演出については、意図を説明しますので、内容はお任せにしたいです」


 任せてくださいと堀倉は言った。

 金矢と鳥羽とはらは三人で仕事の割り当てを話し合い、鳥羽が『放浪モード』の実装を担当することになった。


「鳥羽君は手が早いからな。それでも大変だと思うけど、よろしく頼む」


 金矢にうなずいた鳥羽は、必要に応じて原の手を借りたいと言った。


「UI周りをやってくれていたので、そちらを手伝ってほしいでのすが、どうですか?」

「だ、大丈夫です! やらせてください」


 原も顔を紅潮させてうなずいた。

 皆が、やる気になっている。


「とにかく、何か詰まったり、悩んだりがあったら、遠慮せずに相談してくれればいい。どんどん解決していこう」


 金矢がそう言うと、皆がはーい、と自然に返事をしていた。

 皆次々と会議室を出ていく。誰もが作業の相談をしながら、いつもの狭いオフィスへと戻っていくのだった。


「俺は明日の嵯峨さんとの打ち合わせの準備を進めるから、伏野君と前戸君はそのまま今の作業を続けてくれ」

「わかりました」

「了解っス」


 矢切も指示を出すと、オフィスへと戻っていく。その足取りは力強かった。


 嵯峨さが剣聖けんせいは、内心の驚きを表に出さないよう苦労していた。

 その日の打ち合わせは、株式会社トリグラフで進行中の、『放浪戦記ガンファルコン』の課題についてである。


「フルプライスのゲームとしては、物足りない感がある。ボリュームを増やすアイデアはないか」。


 それが、嵯峨さがが開発チームに対して掲げた課題であった。

 それは事実として気になる点ではあったが、本心としては、この当初の想定を上回るクオリティで開発を進めている「使えない連中の寄せ集めチーム」を上から目線でこきおろしてやりたい、という欲求の実現が目的なのだ。

 あと二ヶ月でデバッグが開始されるという時期に持ち出す話ではない。

 それは嵯峨も分かっている。


 だが、ボリューム不足感があるのは事実だ。

 嵯峨としては、開発チームに「このままでいいのか、何とかアイデアを出してみろ」という無理を強いた上で、散々イヤみを言った後で、最終的には流用ステージの追加程度で勘弁してやるつもりだった。


 ところが、会議室であいさつもそこそこに嵯峨の「それでは今日は、ボリュームの件についてということで、何か案は出ましたか」との冷淡な切り出しで始まった打合せは、すぐに予想外の状況に陥ることになった。


「えーと」


 と言った矢切やぎりたけしの目にはクマができていた。

 ふん、「がんばって考えたけどだめでした」アピールか。

 俺はそんなことを汲んで手加減なぞしないぞと、嵯峨はほくそ笑んだ次の瞬間、矢切武は、スッと印刷資料を嵯峨のほうに向けて差し出した。


 (なんだ?)


 嵯峨は矢切から渡された資料を手に取り違和感を感じた。

 文書名は『放浪モードの概要』とある。


 (放浪モード?)


 かすかに口元を引き締める。全部で五枚はあるだろうか。


「それでは、ボリュームアップの案として、『放浪モード』の説明をさせていただきます」


 矢切武が、ゆっくりとした口調で、概要の説明を始める。


 矢切武は、こんなにきちんと話せるプランナーであっただろうか。

 一通り矢切の説明を聞き終えてから、まず嵯峨が思ったのはそれであった。

 渡された概要書もわかりやすく、『放浪モード』のコンセプト、流れ、どの要素があるのかが簡潔にまとめられており、どのようなモードを目指しているのか、イメージを膨らませて想像することができた。


 もしかしたら、伏野ふしの誠太郎せいたろうあたりが作成したのかもしれない。

 だが、今目の前で内容を説明したのは矢切だった。

 慌てず、書面の内容を丁寧に読みほどき、簡単なところは簡潔にまとめ、ひとつの大きな区切りが終わるごとに、「ここまで、よろしいですか」と聞き手がついてきているかを確認する。

 何よりも、話し口調にごまかしや焦りが現れていない。


  ここ数ヶ月のやりとりで徐々に感じてきた変化ではあったが、目の前でここまで披露されると、この「使えない」呼ばわりされ、そして実際に使えないはずだった中年のプランナーに何が起きたのか、嵯峨は興味をそそられた。


 (だが、問題はこれからだな)

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