第43話 前戸満須雄

「あいつ、いつもあのノリでアホでしょ」


 金矢かなや林田はやしだと並んではしゃぎながら繁華街に消えていく前戸まえとの後ろ姿を見ながら言った。


「ええ、まあ」


 矢切やぎりはそう言ったものの、いい加減なところがありつつも、前戸まえと満須雄みすおが持つ特有の脳天気さによって、チームの雰囲気が救われている面もあると思った。


 今でこそまだ言いたいことを言い合える空気があるが、チームが結成された当初の空気は、よどんで重く沈んでいたと言っていい。

 そこに、前戸や林田のくだらない冗談や、後先考えない楽天的な物言いが、チームの空気を一段軽くしていたことは疑いようのない事実だった。


「でもあいつ、アレでまあまあ壮絶な生い立ちなんですよ」


 金矢そう苦笑して、これは総務の人間から聞いたことだと言って前戸満須雄の生い立ちを語り出した。


 前戸満須雄は、両親と妹を小学校一年のころに交通事故で失った。

 その日は日曜日で、両親は一家で外食をしようとしたのだが、満須雄は最近買ってもらったばかりのゲームソフトで遊びたくて強情に行くのを嫌がり、両親は苦笑しながら二つ下の妹だけを連れて車で出かけた。

 そして、多重事故に巻き込まれ、トラックに衝突されたのだった。両親は即死、妹も重傷で、搬送先の病院で二日後に亡くなった。


 親戚一同が集まり、父の弟、つまり叔父の家に引き取られることが決まったものの、満須雄にとっては居心地の悪い生活の始まりだった。

 遺産や事故の保証金は叔父夫婦の手で管理され、彼らは「やむをえず引き取ってやった、感謝しろ」という態度を露骨に出してきたし、二人の息子は満須雄と歳はあまり変わらなかったが、彼を召使いのように見下し、意地悪だった。


 食事や衣服こそ与えられたものの、それ以外では事あるごとに差別された。

 部屋は兄弟と一緒で、いつも意地悪をされた。廊下で寝かされたこともあるという。

 満須雄のゲーム機も兄弟に取り上げられ、遊ばせてもらえなかった。

「生活費の代わりだ」というのが兄弟の言い分だった。


 生活の大半を占める家での時間は窮屈極まりなく、そのためか満須雄は家でも、学校でも、極力目立たないようにして過ごす。

 そんな中、唯一の救いがゲームだった。

 一家のいない隙を狙っては、こっそりと居間のテレビでゲームをした。

 RPGなど時間がかかりそうなものは遊べる間が開いてしまうと内容を忘れてしまうので、アクションや対戦格闘ゲームや、レトロゲームと呼ばれるスーパーファミコンやメガドライブなどの旧世代のハードがプレイするゲームの中心となった。

 一度プレイしていたところを息子二人のうちの兄に見つかり、ひどく殴られたが、一家の目を盗んでのゲームプレイを止めることはなかった。


 ゲームをプレイしている間、満須雄はすべての現実を忘れることができた。

 拳法で戦い、戦闘機を操り、剣士を操り、地球の平和を守るためにエイリアンと戦う。

 しかし、それは一筋縄ではいかない。

 様々なトラップ、協力な敵、時に理不尽と感じさせる難易度のステージもある。それらをどうクリアしていくか。

 こうしたらダメだった、次はああしよう、こうしよう――。


 限られた時間しか遊べないからこそ、満須雄は考えて試行錯誤と工夫を繰り返し、ゴールに、エンディングにたどりついた時にえも言われぬ充実感に包まれることができた。

 ゲームをしている間だけ、否、それ以外の時間も、叔父夫妻からうける理不尽も、従兄弟たちから受けるいじめにも、空虚な学校生活を忘れ、ゲームをどうやってクリアするかを考えることで満須雄は思考と精神の骨格というものを保つことができたようであった。


 そして、もう一つの満須雄の楽しみはゲームセンターであった。

 辺り一面に美しいグラフィックのゲーム画面がで埋め尽くされ、人で賑わうゲームセンターは、まさに憧れの空間。

 もちろん、小遣いもお年玉ももらえなかった満須雄はゲームをプレイするためのお金など持っていない。

 自動販売機の下をのぞいて漁ることを繰り返し、数か月に一回、プレイすることができればいいほうだった。

 それだけに、プレイする時は慎重だった。プレイするのは対戦系の格闘ゲーム。対戦に勝ち続けるかエンディングに到達するまで、延々とプレイすることができるからである。

 自分のプレイデータを記録できるカードなどは買えるはずもなかった。


 学校のパソコンでこっそり攻略ページを見て技を憶え、他人のプレイを見て立ち回りを憶えた。

 フレームという概念もこのころに憶え、技のフレームや当り判定の強弱などの概念も頭に入れた。

 だが、絶対的にプレイ回数が足りない。

 それだけに、プレイするまでにじっくりと他のプレイヤーの立ち回りや動きを、それこそ瞬きを忘れるくらいに凝視し続けた。


 やがて、中学生になると、そのゲームセンターのとある格闘ゲームの常連の大学生と仲良くなり、彼のアルバイト先である『翔幸軒しょうこうけん』という中華料理屋で、一時間だけ材料を切ったり、買い出しにいったり掃除をしたりと小間使いのような仕事をして、代わりに数百円の報酬をもらえるようになった。


 店主は元気良く挨拶をすることと、仕事を丁寧にすることに関しては厳しかったが、それ以外は満須尾に優しかった。

 特に嬉しかったのは、店主が賄いだと言ってメニューから好きな料理を食べさせてくれることだった。

 店主は満須尾の家庭の事情を細かく聞かなかったが、大学生から聞いていたのだろう、とにかく仕事の後はいつもおなかいっぱい食べろと、厨房の中で好きなメニューを食べさせてくれた。

 家ではおかわりも遠慮していた須満雄にとっては、この『翔幸軒』の料理こそが、本当の食事と呼べるべきものになっていた。


 高校生になると、須満雄は正式に『翔幸軒』でアルバイトを始め、掃除やお使いだけでなく、下ごしらえや中華料理のいくつかを憶えていく。

 収入を得たことで携帯用ゲーム機を購入できたり、ゲームセンターでプレイできる機会も増え、腕前はめきめきと上がり、対戦を通して友人や知人が増えていった。


 アルバイトで得た収入の半分は家に入れることで、自らが家にいる後ろめたさをなくすことができ、そのころには叔父一家の仕打ちも少しずつ鳴りを潜めていった。

 あるいは、淡々と大きくなり、捻りも曲がりもせずに成長し、冷淡に反応する満須雄がある意味怖くなっていたのかもしれないし、そのうち成人を迎える彼が、自らのもつ法的権利から両親の受け継ぐべき遺産がどの程度目減りしているかをチェックする時が迫っていることを危惧したのかもしれない。


 ともあれ、ゲームの事だけを考え続け、成績も芳しくないまま高校を卒業することになると、満須雄は明確にゲームを作る側になることを志していて、ゲームの専門学校へ行くことを決めた。

 両親の遺産は思ったよりも目減りしていたが、満須雄は手切れ金の代わりだと思い、黙って叔父一家に世話になった礼を述べてから家を出て、一人暮らしを始めた。

 学費は遺産から出し、『翔幸軒』のアルバイトも続けて生活費を稼ぎ、パソコンもこのころになってやっと買うことができた。


 無駄な金は使えないという自覚から専門学校へは真面目に通ったが、そこでは知識よりも、満須雄にとっては卒業制作のグループによるゲーム開発がもっとも身になったことだった。

 だがそれでも、結局ゲーム開発でのプランナーでの実務というものは、何となく、という体でしか理解していなかったし、それでもどうにかなると思った。

 就職活動では自信満々で大手のゲーム会社を受けたものの、エントリーシートによる書類選考すら通らない日々が続いた。

 だが、彼の自信は崩れなかった。


 最終的に、ここトリグラフにギリギリで内定をもらい、働き出したが、面接でも前戸は過去のことは一切語らずに、ゲームによって救われたということだけを述べていたという。

 結局、入社にあたって必要な保証人が見つからず、そのことで相談を受けた総務の人間が初めて前戸から事情を聞いたとのことだった。


 以来三年。前戸満須雄は、お世辞にも仕事のできるプランナーとは呼べない。

 他の同期のプランナーは他に二人いて、彼らもまだ仕事はおぼつかないのだが、前戸は細かな仕様書などの作成を嫌がる傾向があり、その点でいきあたりばったりのプランナーとして評価は低いのだ……。


「それだけに、今回は初めて前戸の強みを見た思いがしますね。あいつ、アクションにこれまで造詣が深いとは思わなかった」

「そうですね」


 そう矢切は返したものの、前戸の強みは、やはりその人柄というか、陰気さの無いところにあるのではないかと思った。

 今聞いたほどの辛い過去を背負っていながら、そんなことを感じさせなかったのは、間違いなく前戸満須雄という人間の持つ心根によるものだろう。


 それだけでプランナーの仕事をこなせるわけではないが、人当たりの良さはどんな現場でも邪魔になるということはない。

 矢切は普段が普段だけに、スタッフとの関係が悪くなることのほうが圧倒的に多いものだから、それだけに前戸の持つそういった部分が、うらやましくなるのだった。

 まして、伏野ふしのの指導のせいもあって、きちんと仕様書の作成と実装の流れを理解し、身につけつつある……。


 プライドから口にこそ出していないが、自身も伏野のフォーマットや仕事ぶりを参考にして、ようやく仕様書のかなめというものが分かってきている。

 この考え方をもっと早く教えてもらっていたら、これまでの現場での仕事ぶりも変わっていたかもしれない。


 前戸はまだまだ若い。

 だが、自分はもう四十五歳になる中年だ。

 将来のキャリアなど、もはや考えるべくもないのは分かってはいるが、今後自分はどれだけゲーム開発に携わることができるのだろうかと考えると、矢切はふと不安に襲われるのだった。


 ともあれ、こうしてまたチームとしての目標が定まった瞬間を狙い撃ちしたかのように、翌週、当初の予定通り一ヶ月の延長でがんばってみるという開発チームの返答に対して、ヘクトルの嵯峨から届いたメールの形をした爆弾が、再び矢切を驚愕きょうがくさせたのだった。

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