第42話 コンティニュー

 ペルガモンは、トリグラフから遠く、電車を乗り換えてさらに終点付近にあった。

 駅前の繁華街を通り抜けて、徒歩数分のニ十階建てテナントビルの五階。

 オフィスの中に案内された三人は、現れた専務に会議室に通されたが、それまでの間に見たオフィスに人はおらず、床には多くのパソコンと液晶モニタが隅に集められていた。


 田村たむらたかしと名乗った専務は、五十代後半といったところだろうか。

 頭頂部は禿げ上がり、体型も大きくはないが、筋肉質で線の強い印象を与えてくる。


林田はやしだ君には申し訳ないことをしてしまっています。本来は、すぐに退職をしてもらった方が良いのですが、彼がそちらの現場に居続けたいとのことで、現在も彼は弊社のスタッフということになっています」

「会社は、どれくらいまで持ちそうなんですか?」


 林田の問いに、田村たむらは肩を落とした。


「あと二ヶ月程度です。今、最後の心当たりの投資者に出資をお願いしているところですが、だめでしょう」


 退職または仕事が無いので在籍したまま自宅待機してもらっているスタッフたちにも、資金のメドが立てば戻ってきてほしい旨は通達してあるとのことだが、そもそも社長をはじめとした幹部連中が逃げ出したペルガモンを再建できる可能性は低いと思うと田村は告げた。


「うーん、林田さんに給料を何とか支払ってはいただけないでしょうか。ご存じかと思いますが、彼は先日栄養不足で倒れてるんです。この現代日本でですよ」


 金矢かなやがそう言うと、田村はまた頭を下げた。


「申し訳ありません。会社はおろか、私の貯金もこれまでスタッフへの給与払いに回してもういくらも残ってないんです」


 田村は、妻子は現状を理解してくれているが、さすがに家までは処分できないのだとため息まじりに言った。

 矢切やぎりと金矢は顔を見合わる。


「打つ手なし、ですねえ。この業界じゃ現物支給ってわけにもいかないし」


 矢切はそう言って会議室の天井を見上げた。


「バイトでもしますかねえ」


 林田は冗談めかして言ったが、田村ははっとした顔つきになった。


「現物支給……」


 田村はそうつぶやくと、ひょっとしたら、といってお手数だがちょっと来てもらえないだろうかと皆に言った。

 彼に続いた矢切たちは、会議室を出て、オフィスの隅にある機材置き場らしい、段ボール箱が山積みされたエリアに案内される。

 田村は奥から段ボールを運んでくると、林田の足下に置いてからふたを開けた。


「あっ!」


 段ボールの中身を見て矢切は声を上げた。中身は、古いレトロゲームの箱がぎっしりと詰まっている。


「これはあの『メタルストライダー・グロリアス』、現物始めて見た……、あっ、これは幻と言われてる『悪魔城・アルカード』のカセット版!」


 そのほかにもファミコンからスーパーファミコンやプレイステーション、セガサターンなどに至るまでレアものと呼ばれるゲームばかりで、矢切は興奮気味に中を漁る。


「私でも知ってる様なレアものがありますね。これは御社のものですか?」


 三十三歳の金矢はファミコン世代ではないが、この業界で働いて長いので、さすがに一部のレアなゲームは知っている。

 モノによっては万単位、十万円単位の値がつくこともあるのだ。


「いや、これは私の個人的なコレクションでしてね。林田君、手間をかけて悪いが、これを売って給料の一部にしてもらえないだろうか」

「え! 売っちゃうんですか」


 矢切の声に、田村はもう自分のもので売れそうなものはこれくらいしか無い、家族も知らないものだから遠慮しないでくれと言った。


「林田君は在籍したままだと自由にお金を稼ぐ、というわけにもいかないだろう。遠慮せずもっていってくれ」

「え、ええ、まあ……」


 林田は二つ返事で受け取るわけにはいかなかった。

 大体、債務はあくまで会社のものであって、田村自身が身銭を切る必要は無いのだ。

 だが、田村が譲らない姿勢なのを悟ると、彼に深く頭を下げて段ボール箱を抱えた。

 矢切も金矢も、林田が自分で語っていたように、ペルガモンを辞めれば彼がゲーム業界に再び就職できる確率はかなり低いことはわかっている。

 この場では何も言わずに黙って林田と共に田村に頭を下げ、ペルガモンを後にした。


 田村のコレクションは、そのまま秋葉原の専門店で査定依頼をしたところ、二時間後にトータルで五十五万数千円の値がついた。

 林田はお金を自分の口座に入金すると、買い取り価格表と伝票を田村に渡してくるといって再びペルガモンへ向かい、矢切と金矢は会社へ戻ることにして、林田とは別の電車に乗った。


「これで当座はしのげるとしても、二ヶ月後ペルガモンは倒産になる。そうなれば林田さんは現場にいられなくなる」

「そうですねえ」


 金矢の確認に、矢切は淡々とした口調で答えた。

 林田にはもちろん現場にいてほしいのだが、矢切には何も解決策が思い浮かばない。

 恐らく、金矢もそうだろう。

 だが、深夜に鳥羽がオフィスに現れ、続いて他の皆も偶然オフィスに戻り、酒を飲みながらゲーム大会をやった夜の時間が矢切の頭をよぎり、そしていつしかトリグラフのトイレで聞いた「使えないやつらの集まり」という言葉が再び脳裏に浮かんだ。


 今は九月の頭。

 スケジュールでは、リプレイその他の要望対応で一ヶ月期間が延び、二ヶ月後の十月末でオールイン、十一月から二ヶ月のデバッグを経て一月の中旬に頭にマスターアップの予定だった。

 林田が現場に居られるのは、オールイン辺りまでだろうか。

 だが現在、チームとしては、嵯峨さがから二ヶ月からさらなる延長を要求するなら細かいタスクリストを提出するよう言われており、チームとしては当初の見積もり通り二ヶ月の延長を要求する想定である。

 そうなれば林田はマスターアップの前にチームを去らなければならない。


「まあ、俺も林田さんとは最後まで仕事はしたいさ」


 金矢はやや間を置いて、そう言った。

 嵯峨の提案通り、一ヶ月の延長でオールインまで林田と共に開発を続けるか。

 二ヶ月の延長を希望し、林田がオールインを目前にチームを去ることになるか。


「やるしかないか」


 金矢は言い、矢切もうなずいた。

 林田はデザイナー、自分はプログラマーだが、スタッフロールに名前が乗るなら納得のいく仕事をしたうえでという気持ちは、ゲーム開発者としてはよく理解できるのだと金矢は言った。

 だが、これは無理を通そうとするビジョンである。

 リプレイモードの実装で後ろにずれたタスクのうち、はみ出た分をこなすために残り二ヶ月の実装期間が必要なものを、一ヶ月で終えようというのだ。


 金矢は頭の中で仕事の分担を考え始めるが、特にプログラマーの仕事は人を増やしさえすれば開発効率が上がるという単純なものではない。

 開発環境の構築、ゲームの把握、目に見えない部分も含めての仕様の把握、コードのレギュレーション把握など、実際にプログラムを組む以前にやることが多いし、いざコードを組む段になっても確認事項が多く、単独で実装を進められる状態になるまでには時間がかかるのである。


 つまり、人員を追加すると言っても、その追加人員が戦力として力を発揮できるようになるまでは、どうしても時間がかかる。

 有能なプロジェクト・マネージャーならば、それを折り込んで事前に準備を進め、人材を投入し、戦力とするための助走期間を設けて追加人員を投入するのだが、今回の短期決戦でということになれば、今のスタッフでどう現実に対応するかを考える方が良いと金矢は考えた。


 プランナーはプランナーで、仕様書作成はもとより、実装が進んで形になるまでは紆余曲折を経る必要がある。

 これは、自然にそうなるのだ。

 仕様を決め、仕様書を作成し、打合せをして、素材を作成してもらい、実装し、データを作成しつつ実装確認を行い、バグを報告して修正してもらい、改善箇所を見いだす。

 これが、一つの要素が実装されるまで、また実装されてからの流れだ。

 最初から仕様書作成のみですべてを見通せるならば誰も苦労はしない。

 だが、矢切はもう実装確認はデバッガーに任せるという方式でいけばいいではないかと、本来の面倒な作業を忌避する性質が、今回ばかりは正しい方向に作用して、そう結論づけた。

 実際、そうなるプロジェクトや仕様の方が、比率として多いことも現実としてある。


 実装されたものが正しく機能するかどうかは、基本デバッガーに任せ、こちらは必要なデータやスクリプトの作業を強行して進めていく。

 そうすれば、一ヶ月の延長で一通り実装は終われるのではないか。

 最悪、細かなバグやデータのミスは、パッチでどうにかできる。

 半ば楽観論も交えた見通しを金矢と立てながら、それでもこれでどうにかしてやると矢切は本気で考え始めていた。


 そこには、「使えないやつらの集まり」と評されたこのチームで、自分が初めて充実したゲーム開発の日々を送れていることと、そのマスターアップを邪魔するものに対しては全力で戦ってやろうという戦意と呼ぶべき気持ちが芽生えていた。


 (使えない奴らの集まりだと? 冗談じゃねえ)


 頭の中で矢切は考え、降りる駅に電車がつくと、金矢より先に降りた。

 

 二人が会社に戻った時、二十一時半だが折よくまだ皆残業をしていた。

 林田がまだ戻っていないことを確認して、金矢は全員に話を聞いてほしいと声をかけ、事情を説明する。


「そういうことで、林田さんはあと二ヶ月が在籍の限度だと思う。で、これからは相談になるんだが」


 そこで金矢は一同を見渡してから言った。


「嵯峨さんの妥協案通り、一ヶ月の追加でマスターアップとしたい。林田さんがせめてオールインまで現場にでいられる様にするにはこれしかない」

「というところなんですが、みなさん、どうでしょうか……?」


 矢切もそうつぶやいてみたが、他のスタッフは皆顔を見合わせている。

 だが、それは探りあうという視線ではなく、どこか皆笑みがあった。


「たぶんそうなるんじゃないかと思ってましてね」


 真っ先に反応したのは鳥羽だった。


「鳥羽さんの発案でバランス調整のスケジュールを前倒ししてみようってことになったんスよ。真上まかみさん堀倉ほりくらさんも手伝ってくれるって言ってくれたッス。今ちょっと手のかかるデータ作成作業をやりやすくするためのツールを、鳥羽さんが作ってくれてるッス」

「そうなんですか?」


 矢切は驚いて鳥羽の方を見た。あの個人主義の塊の様な鳥羽が、その様な申し出を受けてくれるなど少し前の彼からは想像不可能である。


「まあ、乗りかかった船というやつですよ」


 鳥羽はいつも通り淡々とした口調で言ったが、以前までのような、相手を突き放すトゲのある目つきは見られない。


「プランナー側の残作業、まとめておきました」


 伏野ふしのがチャットで、矢切に残作業リストをアップしてくれた。

 真上や堀倉も加えて、残りのステージの配置と調整作業に人が割り当てられている。

 後で始まるデバッガー向けの資料は、伏野が一人でまとめてくれることになっていた。

 この通り進めば、何とか一ヶ月の延長で、マスターアップを迎えられそうである。

 だがそれは、どう考えても皆残業はもちろん、休日出勤もいとわぬ作業を強いられることを意味していた。


「よし、これでいこう」


 金矢は言った。


「ちょっと大変な状況だけど、よろしくお願いします」


 矢切が頭を下げると、皆がよろしくお願いしまーすと返事をしてからまた皆モニタに向かって作業を再開し、翌日には林田も交えて新たな目標と作業の割り振りと打ち合わせを行い、林田は、黙って皆に深々と頭を下げた。


 その日は、金曜日ということもあり、金矢が会社にかけあい、懇親会費用を出してもらって、皆で飲みに行くことになった。

 前戸は林田以上に陽気ではしゃぎ、飲み会がお開きになってからも、林田を誘って締めに自分の行きつけの中華料理屋でラーメンを食べようと腕を引っ張っていった。

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