第40話 ローバッテリー

「どういうこと?」


 鳥羽とば怪訝けげんな顔をした。


林田はやしださんの会社、大分ヤバイらしくて。ここ二ヶ月給料が半分以下になってるそうなんス」


 前戸まえとの発言に、全員がえーっと驚きの声を挙げる。

 林田の所属会社は、元々『ガンファルコン』を開発していたペルガモンという会社で、彼はそこからデザイナーとしてただ一人、出向に来ているのだった。


「林田さんから、みんなには絶対に内緒にしてくれって言われてたんスけど……」


 前戸はしょんぼりと肩を落とすと、林田のことを話し始めた。


 自分はこのプロジェクトにアサインされてから、林田と初めて知り合った。

 自分は二十三歳、林田は三十三歳と歳は離れているが何となくウマが合い、よくお昼を食べに行くようになったし、たまに帰りに飲みにいくようにもなった。

 そんな林田が、ここ二ヶ月前から「今日は食欲がないから」とか「弁当を持ってきた」という理由で、昼食を一人でとることが多くなってきて、飲みの誘いにも滅多に応じなくなった。

 自分は、林田の顔色が徐々に悪くなっていること、そしていつもカップラーメンばかりを食べている様を見て心配になってきていた。


 そんな折、つい最近自分は週末にパチスロで珍しく大勝ちして、自分が奢るから飲みにいこうと林田を誘ったところ、彼はそういうことならと応じてくれた。

 リプレイモードが実装されることが決まったころだ。

 ほぼ一ヶ月ぶりに二人で飲んだこともあり、仕事のことや互いの趣味のことで話は弾んで、深酒をした。

 そしてその際に、酔った林田から実は今月の給料が半分になったことを聞かされた。

 給料日の振り込み額が少なく、林田が会社に戻ってみると、居るのは年配の専務一人と数人のスタッフのみで、従業員の半数は皆すにで退職しており、社長らとは皆連絡が取れないのだという。

 専務が一人で、債権者に頭を下げ会社の金策に奔走しているとのことだった。


 専務から給料が払えないことについて詫びを入れられ、後日必ず払うということで退職を勧められたが、自分は今の現場から離れたくない、このゲームだけは最後まで開発をやり通したい、だから会社が存続する限りは在籍させてほしいと頼んだ。

 専務はその意を汲んでくれ、自らの懐の中から十万円を渡してくれた。

 その十万円と貯金で粘れるだけ粘ってみると、林田は笑っていたという。

 次の出勤日に顔を合わせた時、真顔で頼むからあのことは誰にも言わないでくれと彼に頼まれた。

 何とか援助をしたいとは思っても、露骨な援助は林田が嫌がるから、結局何もできないままだった……。


 それでか。矢切は理解した。

 前戸はやたら林田とつるんで、最近はよく二人でお煎餅などのお菓子をぼりぼり食べているものだから、うるさいなと感じていたが、それは前戸なりの、林田への気遣いだったのだ。


「今のプロジェクトのお金の流れってどうなっているんですかね」


 真上まかみが首をかしげ、鳥羽がこれは推測ですがと自分の考えを述べた。

 仕事の発注側である株式会社ヘクトルから、下請けとして開発を請け負ったペルガモンには開発費が支払われているはずだがそれは初期の話であり、開発が遅延、炎上し、現在のように株式会社トリグラフが開発を引き継いだ今となっては、改めてヘクトルとトリグラフとの間で契約が交わされて開発費が払われ、出向している各社や派遣元へ人月分に応じたお金をトリグラフが支払っているものと思われる……。


「なので、ペルガモンにも一人月分の支払いはあると推測はしているんですが」

「給料の遅配とか減額って、わかりやすい倒産の前触れですから……、一人月分の入金くらいではどうにもこうにもならなくなったのだと思います」


 堀倉ほりくらがしんみりと言った。

 彼にはゲーム業界ではないが、他業種で働いていた友人の何人かが会社の倒産によって職を失っており、話をよく聞かされたのだという。


「で、でも、林田さん、ど、どうなっちゃうんでしょう?」


 はらが不安げに鳥羽を見た。


「わからないけど、そういう事情なら退職した方が彼のためだと思う。給料もちゃんともらえないのに働くなんていくらなんでもあんまりでしょう」

「でも、林田さんこのタイトルは何としてでもやりとげたいって言ってたッス」


 前戸が顔を挙げて、林田が語ったことをまた話し出した。


 林田は、ゲーム業界に入る前は、大学を卒業後に就職したOA機器をレンタルリースする会社で営業マンをしていたという。

 ただ本人は昔からゲームが好きで、社会人になってから、ゲーム業界で働いてみたいという想いが強くなっていった。

 昔から絵心はあったこともあり、独学の果てに二十七歳でついに会社を退職してゲームの専門学校に入った。

 二年後就職活動をしたが、どこの会社も大半は書類選考で落選し、ゲーム業界でのアルバイトの口もなかなかデバッガー以外では見つからず、やむをえずアルバイトをしながら何とか就職活動を続け、三十歳にしてやっと契約社員として雇ってもらえたのがペルガモンだった。


 給料はびっくりするくらい安かったが、とにかく憧れだったゲーム業界で働けることで張り切っていたものの、現場は炎上続きな上に人も毎月のように誰かが辞めて、また新しい人が入ってくるということの繰り返しだった。

 なにせ、仕事をやりだしてから、あなたのレベルでも採用しなければならないほどウチは人手不足だと言われたことがあったと林田は笑いながら語ったことがあった。


 ペルガモンで働いて三年が経過し、何とか正社員にはなれた。

 が、その間林田はある時は様々な雑用、ある時はウェブ系の素材作成や、他のネット関係の会社に出向に行かされたりして、ゲーム本編の開発に携われたことは数えるほどの期間しかなく、スタッフロールに名前が載ったことすらない。

 デザインのどんなカテゴリーの仕事も怒られながら何とか手がけるようになりつつも、これといった得意分野も見いだせないままだった。


 何度も辞めようと思ったが、ペルガモンを辞めれば、再びゲーム業界で仕事をする機会は、自分は恐らく得られないだろうと考え、必死で会社にしがみついた。

 そうしているうちに、会社が『放浪戦記ガンファルコン』の仕事を取ってきた。

 自分はそのプロジェクトに入りたかったが、実力的に無理だと言われ、相変わらず雑用やウェブ系の会社への出向が続いていた。

 その間に、『ガンファルコン』の開発は炎上し、ついに座組みから見直されることになった。

 他の会社が中心になって立て直すことが決定されたが、ペルガモンからも、デザイナーを出向させなければならない。


 ところが、元チームの人間は、誰も行きたがらなかった。

 それどころか、メンバーは次々と退職していくという有様だった。

 ちょうど、会社がそろそろ危ないという話が出ていたころで、皆業務中も平然と転職についての話しをするようになっていた。

 そこで、自分が手を挙げ、行かせてもらえるようになった……。


「林田さん、言ってたっス。自分はペルガモンを辞めれば、たぶんもうゲームの仕事に携われることはないだろうって。だから、せめて一本くらい正々堂々スタッフロールに名前が載るだけの仕事をしたと言えるゲームを作りたい、この『HSG』がその最後のチャンスだって」

「だから、給料が半分でも仕事をしていたってことですか」


 鳥羽が、腕を組んで思案顔になる。

 もし自分がそんな、給料がもらえないような状態になれば、すぐに会社を辞めてしまっているだろう。

 以前までの自分であれば。

 今なら、林田の気持ちは理解できると鳥羽は思った。


「このままこのプロジェクトで仕事をしてもらいつつ、別の会社に入社するって手はないんでしょうか?」


 伏野の発言に、事はそう簡単でないことは、彼も含めて皆理解している。

 鳥羽が言っていたように、トリグラフはヘクトルから支払われた開発費で、派遣元の会社やスタッフを出向させてくれている会社に人月に応じた費用を支払っているはずだった。

 仮に林田が別の会社に所属したり、極端な話、フリーのデザイナーになったとしてもこの現場で働いてもらうのであれば、トリグラフはまた新たに費用を支払うことになるのだ。


「可能性としては」


 真上が言った。


「林田さんがペルガモンを退職すれば、ペルガモンから出向する人は居なくなります。となれば、契約を履行できていない、ということでトリグラフからペルガモンへの人月費の支払い義務も無くなります」


 そうか、と皆が一瞬納得しかけたが、真上は厳しい顔で続けた。


「それでも、問題としては林田さんを雇う会社があるかどうか、ということになります」


 皆が沈黙した。確かに、林田のデザイナーとしてのスキルは、弱い。

 ルーチン・ワークはこなせても、それならばアルバイトで事足りるだろうという論理で詰められてしまう。

 前戸の話やこれまでの仕事のクオリティからすると、職務経歴的に同年代のデザイナーと比較すれば数段見劣りがするのだ。

 正直なところ、彼がどこかのゲーム会社の中途採用で、正社員として内定を勝ち取るのは非常に難しいと言えた。


「じゃ、じゃあ派遣社員とか……」


 はらがそう言ったが、伏野は首を振った。


「前にも話が出てましたが、派遣社員って必要な期間が終わればすぐに切れるんですが、その分案外単価は高めになるんです。会社の取り分がありますから……。単純に人月費で比べると、フリーランスの人を雇う方が、出向や派遣社員よりも安く上がる。フリーランス側も派遣会社を経由するよりは取り分は断然多くなりますから、そっちの方が優位なんです」


 一人月に百万円かかったとして、スタッフの取り分は三十万円、七十万円が派遣会社の取り分とすると、雇う側からすれば、フリーランスの人に五十万渡す方が、結果的に安くなるし、フリーランスの人も収入が多くなる……。

 結局、誰も明確な解決策を出せないまま、悶々とした時間が過ぎた。


「結局、これは林田さんの課題です。決めるのは林田さんです」


 鳥羽がそうピシャリと言い切って、この場を終わらせた。

 前戸と鳥羽以外のスタッフがいささか重い気のまま帰り支度を始めたところへ、オフィスにある固定電話が鳴った。すかさず鳥羽がとる。


「はいもしもし……、はい、鳥羽です」


 電話は、金矢からだった。

 鳥羽が電話を終えた後かいつまんで内容を皆に教えてくれる。

 林田は、やはり栄養失調による貧血が倒れた原因とのことだった。

 大事には至らないが、今日と明日は念のため点滴を打って入院して安静が命じられた……。

 皆、ひとまず安堵したが、ひょっとしたらスタッフが一人減るかもしれないという予感を抱かない者はいなかった。

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