第38話 ゲームプログラマー

 土曜日の朝。オフィスの自席で目を覚ました鳥羽とばは、時間を確認した。

 午前六時二十分。

 結局、酒を入れての打ち合わせは早朝四時過ぎまで続いて、ホワイトボードはびっしりとした書きこみで埋まっていた。

 周囲を見ると、皆寝ている。

 金矢かなやはら伏野ふしのは自席で突っ伏して。

 矢切やぎり前戸まえと林田はやしだは、床に段ボールを敷いていびきをかいている。

 真上まかみ堀倉ほりくらは、打ち合わせがお開きになった際にタクシーで帰ると言って二人で帰っていった。きっちりとしている二人らしい。


 鳥羽は酒が強いせいか、また今までオフィスで過ごしたものと真反対の性質を帯びた時間を皆と共有して神経が興奮しているのか、早めに目が覚めてしまった。

 寝る前に水を飲んだせいか、喉の渇きもそれほどではない。


 オフィスは酒の匂いはあるが、空き缶などのゴミは分別され、大きなビニール袋にまとめられている。

 そうだ、お開きの際に皆でオフィスを綺麗にしたっけ……。

 鳥羽は皆を起こさないように、そっとオフィスを出て駅へと向かい、折良く来た電車に乗った。


 (たった一晩の間に、ずいぶんといろんな事が起きた)


 合コンに参加したことがきっかけで、自分の本当の気持ちに気づくことなど予想だにしていなかった。

 それから何となくオフィスに戻ってしまい、そこに矢切がいて『同帝』で対戦をして、他のスタッフが酒とつまみを持って集まり、ゲーム大会が始まり、その後は『ガンファルコン』の打ち合わせの場と化した……。


 鳥羽は、昨晩のことは、ひょっとしたら酒の勢いだけのことで、酔いが覚めたら気持ちがまた冷めてしまっているのではないかと危惧したが、それは杞憂だった。

 むしろ身体から嘘のように力が抜けている。


 そうだ。本当は、自分はゲームが今でも好きなのだ。

 そして、ゲームを開発する仕事も。

 それがどうして今みたいな自分になってしまったのか。

 あの、栄村えいむらの胸ぐらを掴んだ開発タイトル。


 あの時、自分は逃げたのだ。

 素直に自分の力量不足を認めることが悔しくてたまらなかったのだ。

 できるだけのことはやった。

 あの時の自分の仕事ぶりに、後ろ暗いことなど何一つない。

 それでも結果が出ないことなど、ざらにあるではないか。

 結果は伴わなかったかもしれない。

 だが、自分を恥じる必要などなかった。

 反省すべきところは反省し、次に活かす。

 ただそれだけで良かった。


 栄村えいむらとも、開発中にもっと話し合うべきだったのだ。

 自分が前に出すぎたことで、彼の仕事を奪ってしまったとも言える。

 確かに、栄村を始め、プランナーセクションの仕事ぶりは褒められたものではなかった。

 だが、それならそれでどうしていくかを話し合うべきだった。


 自分が自分がと前に出ることで、うまくいかなくてもそれはプランナーセクションのせいにできるというロジックが、心のどこかにあったのかもしれない。

 つまりは自分のエゴだ……。


「でも、それって本当に嫌いなわけじゃないんですよ。なんていうか、こんな仕事おもしろくないって思うことで、自分のできてなさをごまかしてるっていうか……。好きなのに、そこに自分の思い通りになる姿が無いから、嫌うことで自分を守ろうとしてたっていうか……あれ、私何言ってるんだろ」


 高木たかぎもえのあの言葉は、まさに自分の仕事に対する姿勢を的確に言い当てていると鳥羽は思った。

 顧客であるプロデューサーの前で、具体的に自分の仕事ぶりを否定された時に、「キレてみせる」ことで、「俺は悪くない」ことを周囲にアピールしたのだ。

 結局、自分を、自分の評価を護りたかっただけだ。

 その後の仕事に対する姿勢も、周りのスタッフへの態度も、そしてゲームへの気持ちも、結局は「俺は悪くないのだ、俺は使えないスタッフじゃないんだ、誰かそう言ってくれ」というアピールに過ぎない。


 そうこうして数年が経ち、いつしか好きだったゲームを否定し、ゲーム開発者への否定という姿勢を取るまでになっていた。

 白けたフリをしていたつもりが、本当に白けてしまっていた。

 ところが、ゲーム開発になど関わったことのない赤の他人にゲーム業界を「ウケが悪い」と否定された時、心のメッキの薄皮が一枚はがれた。


 ゲーム業界の人間は合コンで受けが悪い? 

 それがどうした。お前らがゲームの何を知っているというのか。

 俺たちは知っている。ゲームの楽しさを。そしてそれを作る悦びを。


 手探りで開発を進めて、問題を解決しながらルールを決め、素材を作り、プログラミングして、要素一つ一つを実装し、データを作成し、調整して、デバッグして、最終的に一本のゲームとして始めから終わりまで楽しめるように仕立てる苦労と充実感を。


 俺たちは職人だ。ゲームの作り手なのだ。

 口先一つでモノを作らせるカタカナ文字の並ぶ職業ではない。

 頭を使い実際に手を動かす、ゲームクリエイターなのだ。


 鳥羽は帰宅後、ゲームソフトを入れている棚の奥から、一本のソフトを取り出した。

欅坂防衛隊けやきざかぼうえいたい』。

 プレイステーション2で昔発売されたゲームである。

 ヒット作とは呼べなかったが、コアなゲームファンに支持され、そして鳥羽はその中の一人だった。

 これをプレイして、鳥羽は絶対ゲーム開発者になるのだと決意したのだ。

 ハードも取り出して、ソフトをセットする。

 プレイステーション2自体はもう生産を終了しており、もはや昔のゲーム機であるが、改めてプレイしてもゲームとしての楽しさは色あせていない。

 鳥羽は一通りプレイすると、今度は自分が初めて手がけた移植もののアクションゲームを取り出し、久々に起動させたプレイステーション3にセットしてプレイし始めた。


 憧れだったゲーム業界。

 そこに入って痛感したのは、商用ゲームを作る大変さだ。

 人間関係の軋轢あつれき

 ゲームクリエイターとしてもてはやされている人の実態。

 面白いゲームを作ったところで、必ず売れるとは限らない。

 鳥羽の好きなコンシューマ用のタイトルの開発は、開発費の高騰から、特にパッケージとして発売されるタイトルは、昔よりもぐっと少なくなった。

 今のプロジェクトの前は、鳥羽もスマホゲームの開発ラインに投入されていたのだった。

 にも関わらず、自分は今コンシューマのタイトル開発に関われているのだ。


 (こんなチャンスを。俺は今まで何をしていた)


 鳥羽はキャラクターを操り、ボスキャラに攻撃をたたきこんでいく。


 月曜日。出勤した鳥羽は、いつもより早く出勤しているらしい金矢に、改めて自分がリプレイモードを組みたいことを告げた。


「他の追加タスクも、引き取れそうなところは僕が引き受けます。一ヶ月で」


 それでも足が出るだろうな、と金矢は自分の経験に照らしてみて、期間が足りないことは皮膚感覚で分かった。

 だが、やるべきことが明確になれば、鳥羽の手の早さは尋常ではないことも金矢は知っている。


「分かった。それじゃ、苦労をかけて悪いけどよろしく頼む。これは君には釈迦に説法になるし、俺自身にも原君にも言い聞かせてるんだが、泊まりでの仕事はしないでくれ。身体を壊されると困る。どうあがいたって無理なものは無理なんだから、嵯峨さがさんが要求していたタスクレベルの作業見積もりを用意して、期間を延ばしてもらうよう再交渉する想定で俺は動くよ」


 そう言うと、金矢は矢切と伏野と真上を呼び、鳥羽が「リプレイモード」を正式に組むことを告げた。

 二人ともよろしくお願いしますと言ってくれた。


「色々と手間がかかりそうですが」


 と矢切がまだ怪訝けげんな表情のまま言う。


「ええ、大変なのは理解しています。でも」


 そこで言葉を切って、手元の概要を見る。


「面白いじゃないですか、このゲーム。リプレイモードはやはりあった方がいいい。やる価値はあると思います」


 鳥羽がそういうと、伏野が深々と頭を下げた。

 金矢は二人にも、期間延長のためにタスクレベルの作業リスト作成について相談したいことを告げた。


「リプレイモードのカメラの仕様については、真上さんから指示をもらいたいです」


 鳥羽の頼みに、真上はうれしそうに任せてくださいといった。


「よろしくお願いします」


 鳥羽は黙って浅く頭を下げてから、自席へと戻った。

 現在抱えている作業に加えて、「リプレイモード」を完成させるには、仕事へ取り組み方を変えていく必要がある。

 だが、リプレイモードの仕様は伏野が作成済みで、内容も精度が高いものだった。

 打合せは今日のお昼だ。

 もっとも、必要な機能は大体想像がつく。

 鳥羽は、現在の情報だけで組んでいけそうなところは手をつけることにした。


 プランナーが作成する仕様書は、プランナーの頭の中にあるゲームをバラして書面化したものだと言えるが、これを作成するのは口で言うほど簡単なことではない。

 現に、開発現場で実際に作成される仕様書は、プランナーによってその書き方も精度も読みやすさも、もう何もかもが千差万別と言って良かった。

 読みづらいもの、精度が低い(プログラマーが作業をするために必要な情報が足りない)もの、何をしたいのかさっぱり意味が取れないものなど、鳥羽がこれまで仕事をしてきたプランナーの大半は、レベルの低い仕様書しか作成できなかった。


 もちろん、現場では打ち合わせをしたり、不足部分をヒアリングして確認しながら作業を進めるが、要所にもかかわらず、「そこは任せます」と無責任にプログラマーに判断を投げてくるプランナーも多く、鳥羽は有り体に言ってプランナーという職種の人間に対していいイメージを持っていない。


 だが、冷静にこの現場を見てみると、伏野誠太郎の仕様書は精度が高いだけでなく、読みやすかった。

 彼の指導を受けて、前戸の仕様書も以前よりずいぶんとレベルが上がっている。

 矢切がディレクター的な立場になってはいるが、彼のアイデアを汲み取り、仕様化しているのは伏野誠太郎だと言える。

 伏野がうまく、矢切をコントロールしてくれれば。


 いや、と鳥羽は気づいた。

 既に、うまく進められる状態になっているのではないか。

 矢切の作った初期の仕様書は精度が低く、把握もしづらかった。

 だが、現在まで改良したゲームの概要は、彼の手によるものだ。

 内容は確かに良い。面白い、と言っていい。

 だがそれを仕様化する面で問題があったのを、伏野が吸収している。

 そこには、確かに矢切の考えたアイデアが、仕様化され、それが実装されているのだ。


 原作に通じ、細かなこだわりのポイントを指摘できる矢切がディレクターとして方向性やアイデアを提示し、それを伏野が、言わばリードプランナー的なポジションに立ってかみ砕き、咀嚼そしゃくして仕様化している。

 前戸は、アウラ・ハントの挙動を引き受け、操作できるロボットモノゲームとして、不自然な点や、性能差を出すべき部分に対して修正指示を出し、矢切からまた指示を受けてアウラ・ハントらしさを挙動に反映されるよう、適宜チェックと修正を出している。

 これは、案外うまく回っていると言えるのではないか。


 原作を良く知っておりアイデアもいいが、仕様化できない矢切。

 ルーキーに等しいが、キャラクターの挙動についてはフレーム単位で修正点を見いだせる前戸。

 そして、二人をハンドリングし、現場の作業レベルに落としこむことができる伏野。


 このプランナー陣の役割分担ならば、うまくやっていけるかもしれない。

 キーマンはやはり伏野ふしの誠太郎せいたろうだろう。

 鳥羽は、しばらくは細かいことは言わず、このプランナー陣の動向を観察しようと思った。

 同時に、自分も改めてゲーム開発というものと向き合わなければならない。

「ゲームなんて。俺は仕事でやってるんだ」というスタンスを作ることで、自分のスキルの足りないところを覆い隠そうとした。

 それが、自然と周囲に対してより大きな壁を作ることになってしまった。


 だが、皮肉にもそれで却って周囲に舐められまいと勉強熱心になり、自分のスキル向上につながっていたと実感できたのは、実はこのプロジェクトに入ってからだった。

 これまでの経験を活かして、構造を想定し、必要な作業をあらかじめ見据えることができるようになっていた。

 仕様変更にも耐えうる作りにしておかなければならない。


 (これが、俺のゲームプログラマーとしての再挑戦一作目だ)


 ゲームプログラマー、という言い方は一昔前の呼称で、今は単に「プログラマー」や、包括的に「エンジニア」と呼ばれる。

 だが鳥羽は今、ゲームを作る仕事に就こうと決心した時の気持ちを、あの『欅坂防衛隊』をプレイした時の気持ちを、初めて手がけたゲームが発売された時の気持ちを、思い出していた。

(僕は、またゲームプログラマーになるんだ)

 鳥羽は失われたこの数年を取り戻すため、コードを組み始める。

 

 リプレイモードを担当した鳥羽は、八月いっぱい土曜日も休まず夏期休暇も取得せずに作業を進め、結局は会社に泊まることなく八月の最終週までにはリプレイモードに加えて他の要望の大半を実装を終了させ、金矢を改めて驚愕させた。


「オンラインゲームだったらこんなにスムーズにはいかなかったと思うんですが、スタンドアローンでプレイするゲームなのが幸いしました」


 リプレイモードでは様々なカメラからプレイの様子を振り返ることができるようになっており、そのカメラの挙動は、スクリプトで真上が制御している。

 リプレイモードは、普段は背面しか見えないプレイヤーのアウラ・ハントの全身を眺めることがき、そのダッシュ、ジャンプ、飛行、攻撃、被弾、着地といった各種の挙動をじっくりと眺めることができる。


「すごい。かっこよすぎる」


 こうしてリプレイモードで、実際のゲーム中の挙動を見ると、3Dモデルとモーションのクオリティに改めてほれぼれする。

 途中から登場する敵軍のアウラ・ハント『マクガッフ』など、アニメではダサく感じていたその造型が、無骨だが重厚感があって、移動や攻撃も重々しく表現され、重量級アウラ・ハントとしてゲームの中で特別な存在感を感じさせるほどだった。

 嵯峨さがの言った通り、確かにリプレイモードは必要だったと矢切は思った。


 そして嵯峨さが剣聖けんせいは、八月末の進捗ROMを確認し、憮然とした表情でプレイを続けた。


 (リプレイモードと要望を、予定通り一ヶ月で実装してきやがった。それも、このクオリティで)


 嵯峨は面白くない。ゲームが、ではない。

 自分に折れて頭を下げてこない開発陣が面白くないのである。

 嵯峨にとって開発陣とは、プロデューサーである自分に期間を延ばしてくれと頼み、どうすればいいか教えを請うべき存在でなければならないのだった。

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