第35話 オーバータスク
数日後、
このメールが送られているのは、矢切と
チラリと彼の方を窺うと、目が合った。苦笑している。
矢切も苦笑を返してからうなずき、メールの内容をテキストにしたものを添付した上でチャットルームで発言する。
『矢切武:wrote お疲れ様です。こちらのリプレイ実装期間に対する嵯峨さんの返答が来ました。
確認してください。』
『前戸満須雄:wrote キター!』
『金矢拳:wrote まあ、とりあえず中身確認してください。後で打ち合わせやろう」
『伏野誠太郎:wrote えっ、……どきどき。』
『真上兼風:wrote 確認します。』
『堀倉蘭人:wrote 緊張しますね。』
『原才人:wrote 何言われたんでしょうか……』
『林田啓文:wrote 大丈夫っしょ!』
やがて、アップしたファイルを読んでいるであろう皆の口から、次々と「嘘でしょ」とか「無理無理」とかの感想が上がってきた。
頃合いを見計らって、全員での打ち合わせのため、会議室に移動する。
「えーと」
矢切が、議事を進行する。
これまでは
「すでに読んでもらったかと思いますが、例のリプレイ実装に要する期間に対して嵯峨さんの返答が来ました」
矢切が、前戸が用意してくれた大型モニタに手元のノートパソコンの、嵯峨からの返答メールを映し出す。
すでに全員が知っている内容だが、矢切は改めて説明した。
「期間の延長は位一ヶ月でやってほしいと。つまり納期は一ヶ月しか延びない」
皆が一斉にうめき声を挙げる。
改めて不満と呆れと怒りが入り交じった発言が相次いだ。
「まあまあ」
伏野がなだめる。
金矢も気を取り直して、無理なものは無理だときちんと伝えよう、話はそれからだと言うと、皆が頷いた。
「無理だということはもちろん伝えるよ。リプレイモードだけならともかく、他の実装に加えて要望対応もあるんだ。個人的にはそっちの方がゲームのユーザビリティにつながるから対応したいんだが、リプレイ優先で実装して、それで間に合わない箇所はもうオミットを提案する方向で考えてる」
現在実装している部分に対する要望対応も含めると、おそらく当初の見積もり通り二ヶ月はかかるだろう。
「人は追加してもらえないでしょうか?」
矢切がそう言うと、金矢は首を振った。
「話すだけなら上にしてみるが、期待しない方がいいと思う」
開発はここトリグラフで行っていることもあり、必要な機材や経費、人員については、金矢を窓口に、トリグラフの名目だけのプロジェクトマネージャー
何しろ、ヘクトルから見て、このプロジェクト自体すでに赤字がほぼ確定なのである。
「それに、人って追加したからってすぐどうにかなるものではないですよ、矢切さん」
伏野が、矢切をなだめる様に言った。
開発中タイトルに関する知識や情報がない人間がアサインされても、まずはゲーム内容や要素、システムの把握から始めなければならない。
どんなに技術力があるスタッフでも、すぐにその力を発揮する、というわけにはなかなかいかないのだ。
おまけに、追加されたスタッフに対して、どんな仕事を任せ、その進捗や成果を管理するのにも新たに時間が必要となる。
「人さえつっこめば何とかなる」と考える人間はゲーム開発現場の上層部にも多いが、投入された人材がそのスキルを戦力として発揮するには、そのための環境・制度が必要となるのだ。
人を追加するだけですぐにプロジェクトがうまく回り始めるなどないということは、この場にいる全員が理解していた。もちろん、矢切も。
「それはわかるんだけど」
矢切は肩を落とした。
彼としては、人が追加されれば『放浪モード』が復活する目があるかもしれないと踏んでいるのだった。
「まあとりあえず、最短でも二ヶ月は必要って話はしてみるよ。何せ、全員でこの少人数だから予算的にどうにかなるかもしれない」
金矢が、矢切の肩を優しく叩いた。
矢切は、プロジェクトに参加した初期のような、やる気のなさや適当な態度は陰を潜め、コツコツと仕事を進めている。
伏野のサポートがあって初めて活きていると言える矢切の能力だが、それでも金矢は
熱意という点ではチーム随一と言ってもよいかもしれない。
とりあえず、二ヶ月の期間が必要であるという根拠となるスケジュールを、金矢から口頭で聞いた伏野が怒濤の早さと勢いで資料としてまとめげ、金矢はそれを確認した上でプロジェクトマネージャー後川に提出した。
後日、ヘクトルの嵯峨剣聖とトリグラフとの間で打合せが行われ、そこでどうなるかが決まることになっており、チームからは金矢が出席予定になっている。
「どうなってるんですかねえ」
打合せ当日。
「リプレイ仕様自体は嵯峨さんは問題ないと言ってましたけど、期間伸ばしてもらえますかね」
伏野も難しい顔でキーボードを叩いている。
昼過ぎに、金矢が内線で上役に呼ばれて、今現在、嵯峨らと打合せをしているのである。
追加予算が認められて期間延長になるか。
追加予算が認められないが、期間が延長されるか。
それともリプレイの話自体が立ち消えになるか。
鳥羽は開発中のゲームを触りながら、当初より格段に良くなったゲームの画面をじっと見ていた。
確かに、ゲームとして良くなっているという感触を得ている鳥羽は、黙って何度もできあがっているステージをクリアした。
頭の中で、リプレイモードを入れるとしたら、どのようなプログラムを組むかをイメージする。
もちろん、作業がトレードオフされなければ、担当を振られても絶対に拒絶するつもりなのだが、何か胸に小さなしこりを感じながら、そっとコントローラを置いた鳥羽の耳に、オフィスのドアが開く音が響き、金矢が入ってきた。
その表情は渋い。いつの間にか日が沈み、定時間近になっていた。
「どうなりました?」
伏野が席を立ってそう問いを発すると、金矢は渋い表情のままで立ったまま腕を組んだ。
「ええと、みんな会議室へと来てもらおうかな」
そう言った金矢に対して、矢切が席を立って言った。
「ここには全員いますよ。報告だけなら、ここでもいいんじゃないですか」
「確かにそうだな」
金矢は苦笑して、改めて全員にちょっと聞いてくれと声をかけた。
「例のリプレイの実装そのほか、要望についての打合せの報告だ」
金矢の表情と声がネガティブである。
「期間は一ヶ月だけの延長になった。どうしても無理だというのなら、今度はタスクレベルまで作業の見積もりを出せと」
今度はまじかよ、と反感の声が上がった。
鳥羽は無言で首を振り、
「期間は二ヶ月必要って話はされたんでしょうか?」
伏野が冷静にそう問うと、金矢は事情を説明した。
「もちろん、作業リストと工数、それに想定してるスケジュールも概要と一緒にマネージャーの後川さんには出してたさ。ところが、先に打ち合わせをしていた後川と嵯峨さんの打ち合わせで、期間が二ヶ月じゃなくて一ヶ月でどうにかならないのかって話になったらしい」
金矢が会議室に入った時には、すでにおおかたの話はついていたのだろう。
そこから今までの時間まで会議が続いたというのは、金矢も大分抵抗したのだということが矢切にも分かった。
「せめて人の追加はないんスか?」
前戸が期待をこめた顔を金矢を見る。
「無理だそうだ」
「いや、期間も伸びない、人も追加しないじゃどうにもなりませんよ」
「そんなこと誰だってわかるでしょうに」
普段は明るくて陽気に振る舞う伏野が、珍しく厳しい顔つきになり、真上もため息をついて同調する。
「あの、その、でも結局間に合わなかったら、会社も困るんじゃないですか」
原の遠慮がちな発言に、金矢は天を仰いでから言った。
「そこなんだがな」
全員の視線が金矢に集中する。
「まず期間が二ヶ月にならない理由は、予算の都合だ。このプロジェクトはヘクトルとしてはもう赤字が見えている状況で、ヘクトルとしても妥協した上で、この人数でも一ヶ月分の予算までしか出せないと。次に」
金矢がそこで一端言葉を切ると、全員を見渡してから続けた。
「人員が追加されない理由として、俺らのチームに入りたがる人間がいないそうだ」
「えっ……」
金矢はさらに言葉を続けようとしたが、前戸と原が同じタイミングで声を挙げると、口をつぐんだ。
矢切も金矢の口から出た理由は意外なものだった。
だが、冷静に考えれば、少人数のチームで、しかも商業的成功の見込みのないプロジェクトである。
受託開発のゲーム会社でも、契約によっては、ロイヤリティが発生するケースもあるが、そんな契約をアテにできるほど売れるとは思えない。
だがすぐに、矢切の脳裏にはあの時の言葉が浮かんだ。
「何せ、使えないやつらの集まりだからなあ」。
矢切はすぐに首を振って、その考えを打ち消そうとしたが、真上がすぐに発言した。
「社内は無理でも、出向や派遣をお願いするとか……」
金矢はまた首を振った。
自分もそれはお願いしてみた。だが、出向や派遣は案外高くつくため、予算的に却下されたという。
「それにしても……、か、会社としても、間に合わないと、け、結局損すると思うんですが……」
恐る恐る、という体で原がそう言うと、金矢はため息をついた。
「俺ももちろん、言ったよ。これまでの経験から見ても、がんばっても成果は出ないことは目に見えていると。けど、会社としては、トリグラフとの契約で、延長分一ヶ月以内に納めれば遅延金は取られないから、期間内にどうにか体裁が整っていればいいからって」
「体裁って」
矢切は、嵯峨の顔を思い浮かべた。
リプレイ仕様を追加してくれと言ったのは彼なのに、それでいて期間も人員もくれないというのは道理に合わないではないか。
「そんなにクオリティは高くなくていいから、リプレイ実装して要望対応こなして納期に間に合わせればそれでいいと。そういうことですかね?」
伏野が苦笑しながら言う。金矢は返答しなかったが、何よりも間に合わせることの方を優先させろというトリグラフと嵯峨の、ヘクトルの意思は明確に全員に伝わった。
「だーっ、どうするんスか。リプレイモード。他が中途半端になるくらいならやらない方がいいじゃないスか」
「と、とりあえず、どう作業をこなすかを考えないと……」
前戸が面倒そうな声を上げ、原が不安そうな顔と声でなだめる。
「……一ヶ月でどうにかできないですかね」
矢切がそう言うと、全員の視線が矢切に集まった。
彼としては、二ヶ月の予定を一ヶ月で終えられたとしたら、この先ひょっとして『放浪モード』を追加できる目があるかもしれないと考えたのだった。
「いやいやいやいや」
林田が声に出して笑う。だがすぐに真顔になった。
「でもー、結局それしかないですよね!」
林田に続いて、堀倉も顎に手をやって言った。
「何とか、作業を割り振りできないでしょうか」
「デザインの素材作成は何とかなるでしょう。追加分も少ないし、今のところみな順調に作業をこなせてる」
何よりも、デザインセクションの強みは皆、複数のカテゴリーの作業を請け負えることだと真上は言った。
皆が頷く。全員が、ほぼ全カテゴリーの作業をこなせるのだ。
「問題は、プログラマーだな。とにかく、仕組みを作り上げないと」
金矢が考え込む。
「無理でしょう。二ヶ月延長も余裕のないギリギリの妥協点だったのに」
冷淡に言い放ったのは、パソコンで作業を続けていた
現在続けている作業が消えるわけではないので、リプレイモードや他の要望を実装する期間は人が追加されない限り、そのまま現場を圧迫する。
具体的には、残業や休日出勤、場合によっては深夜まで作業を行い、そのまま会社に泊まり、早朝から作業を続け、さらに過酷になると寝ずに作業を続けて何とか実装していくという「修羅場」になる。
「俺も手一杯だしな。休日に出たところでまかなえるかどうか」
金矢が腕組みする。
彼と原は、すでに土曜日も出勤するようになっている。
作業を入れる目があるとすれば、鳥羽だった。
鳥羽は始業時間ギリギリに出社し、就業時間の十九時になると同時にオフィスを出て行く。
だが、課せられたタスクは期日内に確実に終わらせる上、実装精度も高く、バグも少ない。
「僕は休日出勤はしませんよ、絶対」
鳥羽は口をとがらせた。金矢はわかってるよとだけ言ったが、矢切は言い返した。
「でも鳥羽さんだって間に合わせないと、会社での評価が下がりますよ」
矢切は思わずそう言ってしまった。
拙劣ではあったが、矢切としてはどうにか作業を納める方向に持って行きたいとの思いから出た言葉である。
そんな思いを抱いたゲームは、仕事は、これまでで初めてのことだった。
だが、鳥羽は冷たく言い放つ。
「別に構わないです。どうせ辞めるつもりだったし」
皆が無言になったが、真上が言った。
「別の会社に移るんですか?」
真上の問いに、鳥羽は嘲笑する。
「別の会社? 冗談じゃない、こんなくだらない世界はもうお断りです。僕は足を洗います」
鳥羽はそう言ってから時計を見て、定時なのでお先にといってオフィスを出て行った。
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