第七章 加速

第34話 リプレイモード

 ある日の月曜の朝、クライアントである株式会社ヘクトルのプロデューサー、嵯峨さが剣聖けんせいから矢切宛にメールが届いた。

 件名は「【HSG】要望リストです」とある。


 (来やがったか)


 六月末のUIを改良した進捗ROMをチェックした上で、プロデューサーとしてこうしてほしい、という要望内容のリストが添付されていた。

 このこと自体は、受託開発で食べている開発会社だけではなく、ゲームメーカー社内での開発でも必ずある工程であり、珍しいことでもなんでもない。

 開発の長い過程の中で、実装されたものがそのまま最後まで何も変わらない仕様など、ほぼありえないいのだ。問題は、その内容である。


 矢切やぎりは、懐疑的な気分のまま添付ファイルを開く。

 これまでの開発経験から、ROMを出すたびに突きつけられる「要望」の内容は、発注元である会社の担当者、すなわちプロデューサーによる。

 千差万別と言っていい。

 内容的に納得のいくものもあれば、残り期間から実現が難しいもの、要望に応えると大がかりな変更が必要になるもの、他の要素とのかみ合わせが悪くなるものとが、それこそ混沌といった体でリスト化され、並んでいるのが普通だ。


 それら一つ一つに対して、開発チームとして対応する、しないを決め、対応しない場合はその理由を説明する必要があった。

 ディレクターによっては要望をすべてのんで、後は現場によろしくと丸投げしたりする輩もいたりする。

 ヘクトルの嵯峨剣聖の要望はどうか。矢切は要望リストを開いた。


 鳥羽とば琉一りゅういちはいつも通り、始業数分前に出社し、仏頂面のままパソコンに電源を入れる。

 先週木曜日に進捗ROMを提出し、週明けの月曜日となる。

 鳥羽とばは担当のモジュールが完成したので、次の担当予定であるステージギミックに手をつける予定にしていた。

 早速仕様書を確認しようとした際、ふとこのオフィスという名の倉庫の空気が、どこかおかしいところに気がつく。

 すでに出社していた矢切やぎりの席に、伏野ふしの金矢かなや真上まかみが集まっている。四人とも渋い表情だった。


 (俺には関係ない)


 鳥羽は我関わらずの態度を変えずに、今日の作業予定を考え始めたが、耳に入ってくる会話の内容に気を取られがちになるのはやむを得なかった。

 とにかくこの倉庫として扱われているエリアの中で、オフィスとして使っている面積は狭すぎて、会話の声は嫌でも耳に入ってくる。

 その内容を総合すると、どうもクライアントであるヘクトルから、何やら面倒な要望が届いているらしかった。


「うーん、ここに来てリプレイモードか……」


 (リプレイモード? 今さらか?)


 リプレイモードとは、ゲーム内のスタートから終わりまでの様子を、ゲーム後に再生・観賞できるモードのことだ。

 主に3Dのレースゲームや格闘ゲームや主観視点のゲーム、そして『ガンファルコン』の様なロボットゲームでもよく実装されている機能である。


 ゲーム内を箱庭形式で作成し、カメラ位置により様々な視点からゲーム中の模様をプレイヤーに見せることができる3Dならではのコンテンツであり、ゲーム的にもプレイヤーは自分のゲーム内での立ち回りを振り返り、次のプレイに活かしたり、プレイがうまくいった場面などの見せ場を観賞して楽しむことができるという意味がある。


 特に『ガンファルコン』の様なロボットものでは、格好良くモデリングされた機体の様々な挙動を、色々なカメラ視点から再観賞できるのはファンにとって地味だが楽しみとされている。

 だが、現時点、『ガンファルコン』にはリプレイモードの機能は実装予定になく、当然スケジュールにも折り込まれていない。


 今は七月末。オールインまでの残り期間は二ヶ月。

 その期間内の作業予定はギチギチで、とても大きな仕様を追加できる余裕はない。

 これまでの実装過程を見ていて、これまでやってきた作業期間が大幅に減らせる感覚もない。

 これまで携わってきたタイトルでも、作業量が増えるが期間は延びない仕様変更など日常茶飯事ではあったが、鳥羽は自らの作業許容量を超える分はきっぱりと断るようになっていた。

 その代わり、課せられた仕事は絶対に期限内に終わらせるようにしているが。

 さて、どんな無茶を言われるものかと考えていた鳥羽だったが、お昼前に会議室で全員での打ち合わせをしたいと伏野から連絡があった。


「ヘクトルの嵯峨さがさんから要望が届きまして、その中の一つに、『リプレイモードを実装してほしい』という内容のものがあるんです」


 そう説明したのは伏野ふしの誠太郎せいたろうだった。

 ヘクトルの嵯峨が、改めて内容を精査したところ、「IPモノロボゲーとして、リプレイモードがないのはありえない」ことに気づいたのだという。


「そんなこと言われても企画書にのってないッス、話も出なかったじゃないっスか」


 前戸が不満顔で言う。


「嵯峨さんも、追加の開発期間と予算はもちろん検討するとのことなので、とりあえずその他の要望項目と合わせて実装に必要な期間を出してくれとのことです」


 嵯峨の要望は大小二十項目ほどあったが、やはり最大規模の仕様となるのはリプレイモードだった。


「で? 仕様はいつ決まるんですか?」


 鳥羽はすぐにそこを質問した。

 リプレイモードと一口に言っても、どんな機能を実装するかはゲームによって様々だった。

 よくある機能としては、リプレイが再生されている最中、カメラを切り替えられるというものだが、どんなUIにするか、どれだけのカメラの種類を用意するのか、操作はどうするのかなど、決めなければならないことは多い。

 もっとも、鳥羽はリプレイモードの実装を自分でする気は一切無かった。

 手持ちのタスクをその分減らしてもらえば話は別だが、まずありえないだろう。


「そこは急いで仕様を決めます」


 伏野は矢切の顔を見て言ったが、矢切はどこか心あらずと言った感じだった。

 疑問を感じた伏野だったが、矢切が手にしている紙が目に入った。


「矢切さん、それは? ひょっとしてリプレイの仕様書とか?」


 伏野は冗談めかして言ったが、矢切は首を横に振って答えた。


「実は、リプレイモードとは別にちょっと相談があるんだけど」


 矢切はそう言って、皆の顔を見渡した。


「リプレイモードとは話が違っちゃうんですけど、俺、一つ気づいたことがあるんです。今のゲーム、面白いんだけれどトータルでボリューム的に物足りないんじゃないかって」

「ボリューム?」


 伏野が首をかしげたが、すぐに頷いた。


「まあ言われてみて冷静に考えれば、ステージ数が十六というのは確かに物足りないかもしれないです」

「それで、単純にステージを増やすことも考えてみたんだけれど、それだと現実的な期間にならない」


 現在、ステージはすでに量産の態勢になっている。

 背景モデルはすでにあるが、それは外注によって作られたもので、社内に背景モデルを追加作成できる余裕はない。

 さらに、そこにシナリオに沿って敵を配置し、敵の強さや挙動シーケンス(どう動くかの設定)を設定し、それらをシナリオの台詞テキストを、キャラの顔グラフィックと共に表示される様に、スクリプトに打ち込んでゲームが最初から終わりまで流れるようにする必要があるが、それを組み上げるには、どう急いでも半月から一ヶ月はかかってしまうのだった。


「シナリオもないし、ボイスは新規収録できないしな」

「いえ、そこはシナリオとシナリオのつなぎとして、一定時間敵の襲撃に耐えるようなミッションにしたり、収録済みのボイスの部分を切りとって再利用するとかで工夫の余地はあると思います。ただ、さっきもいいましたけど、期間に対して増えるボリュームはどうも見合わない。例えば一ヶ月で二ステージを追加したとしてもたかが知れてる。そこで、新しいモードを追加してボリューム面の不足を補えないかと考えました。それがこれでです」


 矢切がプリントアウトしていたアイデアシートを全員に配る。

 鳥羽以外の者は、おおーと声を上げた。鳥羽は仏頂面で紙を受け取る。

 思いつきのアイデアだけが書き連ねられたものなど意味はない、仕様書でないのなら、まだ自分の出番はないと考えているのだ。

 大体、新しいモードを入れる期間などあるはずもない。

 だが、矢切はA4の紙三枚に、ボリュームアップとやらの案をまとめていた。


 まずモードの流れの説明があり、その後で必要な要素が大枠で説明されている。

 概要といっていい。


「一言で言うなら、戦略マップを追加した上で、マップ上のポイントにステージを配置して、各ステージを攻略していくというモードを追加します。名称は仮ですが、放浪モード」


 矢切の説明を聞きながら読み進めていった鳥羽はその意外な内容に、内心驚きを隠せなくなった。


『ガンファルコン』の世界観では、地球同盟軍と宇宙独立解放同盟軍との戦いが描かれているが、宇宙独立解放同盟軍が地球に侵攻後再び押し戻され、運命の一戦、『ジブラルタル作戦』で敗戦後、再び宇宙に追いやられることになっている。


 ゲーム内の設定がその期間に挟まっていることから、ユーザーに、宇宙独立解放軍の敗残部隊を指揮してもらい、宇宙への脱出路を目指して戦略マップ上で指揮を執ることになる、というのがバックボーンだった。


「プレイヤーは、取り残された敗残兵として、戦略マップ上の各ポイントで探索を行ったり戦闘を行うことで、仲間や補給物資を手に入れます」

「仲間って、どんな仲間?」


 金矢が質問する。


「現在実装中の、便宜上ストーリーモードと呼びますが、そのモードで登場する友軍キャラクターが十五人いますよね? 無線通信用に顔グラもあるので、それを利用して『仲間』という要素を作ろうと思います。仲間は、それぞれ固有のスキルを持たせることで、仲間にするメリットを設定します」


 戦略マップ上の各ポイントを放浪しながら、敵基地を襲って補給物資を手に入れたり、友軍のキャラを探して仲間に加えたりしながら、宇宙への脱出路までの道を開く、というのが「放浪モード」の内容だった。


 戦略マップは、ステージ選択画面で使っているマップ画像を流用し、そこにポイントとルートを追加する。プレイヤーは、敗残兵のリーダーとなって舞台を動かして、マップ上のポイント=ステージを攻略して、仲間や物資を手に入れ、脱出路へのルートを開くことを目的とする……。


「これなら、リソースをあまり増やさずに、ボリュームを増やせるモードを追加できると思うんです。リプレイモードと合わせてこれも何とか実装できませんか」


 矢切はそこで言葉を切って皆を見渡した。


「確かに、リソースはあまり増えないだろうが、仕組みは別ものが必要になるな」


 金矢がそう言ってから、腕を組んで続ける。


「いいとは思う。面白そうだ」

「僕もこれはいいと思います。マップに出撃する時は、自分で隊の編成を決められるのが面白い。これはストーリーモードにも入れるべきですね」


 伏野もそう続けたが、それを鳥羽の冷たい声が遮った。


「そんな時間がどこにあるんです? リプレイモードもあるのに、それに加えて新しいモードを実装? 正気ですか?」

「そうッスね……」


 前戸が天を仰ぎ、他の皆も同調する。


「そりゃそうだよな」


 金矢も苦笑する。

 金矢としては、一旦受け入れてから、期間を理由に柔らかく却下するつもりだったが、鳥羽がばっさりと一刀両断してしまった。

 言い方は冷たいが、鳥羽の言った内容は正鵠せいこくを射ている。


「矢切さん、内容的にはいいと思うんだが、まずリプレイモード実装のカタをつけないといけないんだ。現時点、新しいモード入れる余裕はない」


 やっぱりか。流石に矢切でも、この結果は予想がついていた。

 だがそれでも、矢切はこのモードを入れたかった。


 原作ファンとして、原作アニメに登場するキャラクターを仲間として集めて、それを部隊として運用してマップを攻略するという内容は、ファンに必ず刺さると信じている。

 単純に原作をただゲームに落とし込みました、という作業的な構造を超え、原作の世界にあわよくば入り込んで楽しみたいというファンの欲求に答えられるのがゲームというメディアの強みなのだと、矢切は昔から信じていた。


 本編のステージ攻略でもそれは確かに味わえる出来にはなっているという自負はあるが、この『放浪モード』が入れば、その原作の世界に入り込める深みはより一層深く濃くなるという確信が矢切にはあった。


「やっぱり期間的に無理ですか?」


 伏野が金矢に尋ねる。金矢は頷いた。


「無理だな。リプレイモードの実装だけでも、仕様によるがまあ一ヶ月はかかる。他の要望混みだと二ヶ月は欲しいんだ。そこへ『放浪モード』追加となると、最低でも四ヶ月は欲しい。面白いとは思うんだが、優先的には却下せざるをえない」

「そうですよねえ」


 矢切は、苦笑した。分かっている。予想はできていた。

 それでも、『ガンファルコン』のボリューム不足をそのままにはしておけないと思った。

 だからこそ、リプレイモードの実装に便乗してボリュームアップの案を提案してみたのだ。


「とにかく、まずはリプレイモードの仕様の検討ですよ」


 伏野が優しく矢切の肩を叩く。 


「リプレイの仕様的には……想像ですけどステージリザルト時に指定操作でリプレイ画面に遷移して、そこでリプレイを再生、カメラ切り替え操作でカメラをいくつか切り替えられる……そんな感じですかね」


 真上がそう言うと、金矢も同意した。


「プログラムの方は、まあ大体必要なものは推測できるんだが」


 金矢が腕を組んで困り顔になった。


「あの、リプレイは誰がプログラム担当するんですか? みなさんまだ作業が残っているわけだし……」


 堀倉の疑問はもっともだった。

 金矢は全体のシステムを構築・管理しているうえ、アウラ・ハント全体の挙動も担当している。

 原はUIやエフェクトを中心に引き受けているが、他の作業にも細々とヘルプで手を出している。

 皆の視線が、鳥羽に集中した。

 鳥羽は今まで原が担当していた細かいシステム面のタスクやステージ上にあるギミック(仕掛け)を担当することになっている。


「期間がちゃんともらえるか、タスクを入れ替えてもらえるならやりますよ。今のままだと他の作業を差し込む余地はありませんね」


 鳥羽は冷淡に言い放った。

 ともかく、嵯峨のリプレイ実装要望に対する返答として、伏野が仕様書を作成した上で嵯峨に送信し、打合せを行うことになった。

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