第33話 アイドルタイム

 嵯峨さが剣聖けんせいは、オフィスの自席で、ニンテンドースイッチの開発機材にインストールした『放浪戦記ガンファルコン』の進捗ROMを繰り返しプレイしていた。

 新規ステージは一つ、アウラ・ハントは二体しか入っていないが、懸念だったUIの質が大幅に向上している。

 今回提出した要望リストに、UIの低クオリティさについてくどくど書いてやるつもりだったのに、言われる前に改善されてしまっていたので、一端その項目は削除せざるをえなかった。


 UIのクオリティが上がっても、代わりに他の実装予定だった項目が間に合わなかったりすると、そこを攻撃できるのだが、いかんせん予定の項目はすべて実装されており、これでは実装項目に対しては文句はつけられない。

 言い換えれば、開発チームは「進捗ROM提出日までに予定以上の作業をこなして、クオリティをアップさせた」ことになる。

 プロデューサーとしては本来喜ぶべきことだった。

 だが、嵯峨さがは面白くない。もっと言うと、気に入らない。


 嵯峨にとって、開発チームに対して上から要望という形であれこれと仕様変更の指示を出すのは密かな楽しみだった。

 嵯峨が容易に指摘できる問題点や課題を放ったまま実装を進める開発者たち。

 普段の打ち合わせでは、「ゲームとは」、「ユーザーのために」とかそんな言葉を並べ立てて、意気揚々と「俺はゲームクリエイターなんだ」という自負心を言葉と態度の双方で醸し出してくる連中。

 ところがいざ開発が始まると、リテイクや仕様変更をことごとく嫌う。

 これも直接言葉には出さなくとも、結局面倒くさいことはやりたくないというスタンスが前提になっているのだ。あげく、納期が押す。


 こだわりを納期遅れのお為ごかしに使うプランナー、マスター前にいきなりやる気を出し始めてクオリティアップし始めるデザイナー、難しい言葉を並べ立てて、要望をできませんと断るプログラマー。


 (結局ゲーム開発者なんてえらぶっててもこんなもんさ)


 嵯峨にとってゲーム開発者とは、そういう存在だった。

 だが、この『HSG』は、損切りのプロジェクトであり、嵯峨の役割は言ってしまえば敗戦処理。

 上司からとっとと追加予算内に、納期通りに終わらせる様指示された通り、よほどひどい内容でない限り、あれこれ要望は出さないつもりだった。


 それなりに形になって、納期通りに終わればいい。

 ユーザーからの評価だの売り上げだのは、嵯峨自身の失点にならないことが確約されている以上、どうでもいいことであった。

 だが、ここに来て嵯峨は、何度もゲームをプレイしては、開発側に修正や仕様変更をさせる箇所を次々と洗い出し始めていた。


 それでもまだ現時点、俯瞰ふかんして遊んでみた時に、ひとまず当初の企画書にあった予定以上のクオリティのゲームになっていること、見た目のクオリティはもはや現時点で製品レベルにあること、そして、バックビュー視点でプレイすると、「面白い」内容であることは、嵯峨も認めざるをえない。

 だが、嵯峨はやはり、それが面白く無かった。

 ゲームを何度もプレイしているうちに、ふと嵯峨は口角を上げる。

 そしてコントローラーを放ると、要望リストをまとめ始めた。 


 ゲーム業界で仕事を始めてからの矢切やぎりたけしの人生は、仕事が順調であったこともなければ私生活が充実していた時期も無かった。

 憧れだったゲーム業界でのプランナーとしての仕事は、何もかもが想像と違っていて、自分の思い通りになることなど何一つありはしなかった。

 それでも、ゲームを作ることから離れたくはないと仕事にしがみつき、しかしリスクを避け、周囲に流されるだけの日々を怠惰に繰り返していた。

 ところが、齢四十五にして、仕事だけではなく、私生活に至るまで、生きる充実感をひしひしと味わえている。


 何よりも、瀬野木せのぎ明日香あすかとのデートから、定期的に連絡を取りあう仲になれたことが、矢切武という男の人生に華々しい彩りを加えていた。

 最初こそ、彼女のお礼という体での食事の誘いに何か裏の意図があってかと警戒していた矢切やぎりだったが、彼女が予約してくれた洋風居酒屋、それも個室での食事はいたって平穏に終わった。


 矢切は女性と二人だけで食事など生まれて初めてのことで、ネットでの検索を駆使して服装の準備を整えた上で、当日出発前にもシャワーを浴び、身だしなみを整え、緊張と警戒の四文字を体中に充満させての食事となったが、それが却ってこれまでの女性にアプローチする際のマイナス要素の噴出口に蓋をしたらしく、互いに趣味や仕事の話で時間は流れていった。


 瀬野木明日香は矢切の仕事により興味を抱いたようで、色々な質問をしてくる。

 そしてそこから互いの趣味である映画の話へつながり、矢切は思い切って彼女を映画に誘ったところ、考えこんだのはものの数秒で、すぐに予定をまた後日合わせましょうと言ってくれたのだった。


 二回目の映画デートを終えた時には、もう矢切は有頂天だった。

 互いに好みだというミステリー系の映画を観た後、喫茶店で映画について話した。 

 矢切明日香は矢切の話にも耳を傾けてくれ、退屈そうな顔も面倒くさそうな顔をしない。

 受け答えに品がある。柔らかな微笑がたまらなくそそる。

 そして彼女といると、絶えず周囲からの視線が集まるのを感じる。

 彼女の様な美女と一緒にいること自体が、矢切の自尊心をひときわ満足させるのだった。

 すでに次の約束も取り付けた。

 今度は彼女の提案で、美術館に行く予定を立てている。

 まだ連絡用アプリでのやり取りは最小限なものの、矢切は、ひょっとしたら生まれて初めて「彼女」ができるかもしれないという期待に胸を膨らませている。


 矢切はもう瀬野木明日香のことが好きになっていた。

 そしてそれは、彼女と家庭を持つことで、最初で最後の恋になるかもしれないという夢想すら抱いている。

 惹かれているというより、もう夢中だと言っていい。

 美人だからというだけではない。

 彼女と一対一で話していると、幸福とはこのようなものかと思えるような、暖かみを感じることができた。

 まだ友人というべき仲だが、それでも矢切は人生初の女性とのやりとりに、幸福の二文字以外を感じることはできない。


 仕事では、矢切は現在、チーム内でディレクター的な役割を果たしている。

 原作に一番詳しいこともあって、矢切はアイデアを出し、その内容を元に概要を作成して方向性を示す。

 それを元に伏野ふしの前戸まえとが仕様化し、仕様書に落とし込む。

 各スタッフとの打ち合わせには矢切も参加した。

 実装が終われば、最後の確認が矢切に回ってくる。

 実際に実機で触って、OKか、気になる点を挙げて変更または修正してもらうかを判断するのだ。


 そういった、いかにもディレクター的な仕事を行うなど、矢切にとっては初めてのことであるが、それは充実した時間になった。

 もっとも、仕様変更や修正を希望すると、必ず伏野が出てきて根掘り葉堀りまた目的やそれが必要な理由を細々とヒアリングしてくる。

 だが、穏やかな態度ながら曖昧な言葉で逃げることを許さない伏野のスタイルが、矢切はもう嫌いではなくなっていた。うざったくはあるのだが。


 同時にステージのスクリプト作成やアウラ・ハントのデータを設定・調整する作業も、伏野、前戸らが中心になって進められていた。

 矢切は、ディレクターはあまり細かい仕事に注力すべきではないという伏野の指示に素直に従って、テキストデータを作成するなどの作業のみを手伝っている。

 すでにステージの全ステージのうち、半数近くが実装されている状況だった。

 これから実装されるアウラ・ハントやギミックに合わせての修正や調整作業はまだまだ続くにしろ、量産体制は順調に推移しているといっていい。


 スタッフとの距離がここまで近くなったのも、初めてのことかもしれなかった。

 唯一、鳥羽とば琉一りゅういちは常時不機嫌で態度も攻撃的で矢切も苦手、というよりはもはや嫌いだったが、他のスタッフとは比較的気軽に話しができるようになっている。 

 これまでのオストマルクでの日々とは真逆の充実感があった。

 倉庫の中にこしらえられたオフィスにもすっかり慣れて、鳥羽とばが醸し出す不機嫌のオーラに辟易することこそあるものの、毎日の仕事に手応えを充分感じることができるようになっていた。


 伏野の提案で、毎朝チームの皆と作業の進捗を確認しあい、問題や相談があればすぐに話し合っている。

 仕様書の打ち合わせに参加して、自分の仕様や意見が否定されるとすぐにむくれることの多かった矢切だったが、最近ではそんなことも珍しいことになっていた。

 オストマルクでの仕事では時折合ったような、自分は何のために何の作業をするのかも考えず、目的意識の無い状態で仕事をすることは無くなり、自分の裁量で仕事を進め、それがきちんと形になっていくということの充実感を、矢切は初めて感じている。


 瀬野木明日香との交際も間は開くものの順調に進み、矢切は彼なりにファッションやデートの時のマナーをやっとこさ学び、髪の毛も定期的に美容院で切ってもらうようになった。彼女に恥をかかせるわけにはいかない。


 (ここまでつきあってくれるってことは、もう間違いない)


 瀬野木明日香。年齢は三十五才だという。

 二十代だと想像していた矢切は驚いたが、むしろ嬉しくなった。


 (四十五と三十五なら、それほど年齢差に違和感ないカップルじゃないか)


 矢切は妄想が炸裂し、日々瀬野木明日香と代わす連絡用のアプリ『サークル』でやりとりをするたびに、顔のにやけを抑えることができず、伏野ふしの前戸まえとからも「何かいいことあったんですか?」と言われる始末だった。


 次のデートで、矢切は瀬野木明日香に告白し、恋人としての交際を申し込むつもりだった。仕事にも余計に張りが出てくる。


 七月に入り、オールインと呼ばれる、後はデバッグと調整作業のみを残すROMの提出まで後二ヶ月のころになると、各作業は順調な進行を見せ、ステージの実装も全十七ステージのうち、未実装は残り二ステージのみとなった。

 ボイス収録用台本も伏野と前戸が作成して提出済みであり、順調と言っていい。

 だが、このごろ矢切は、ゲームをテストプレイするたびに、どこか心にひっかかりを感じるようになっていた。

 それが何に対するひっかかりなのか、明確に言葉にはできないものの、何かこのまま作業を進めていくことに違和感を感じる。


 (ゲームとしては……面白いと思う。どのステージもバラエティに富んでいるし、どのアウラ・ハントを使うかでプレイスタイルが変わるのもやりがいがある)


 ステージの設計は伏野や前戸が中心で作成しているが、その大元ともいうべきレベルデザインは、伏野のアドバイスを受けながら矢切が作成している。

 レベルデザインとは、プレイヤーにどんな要素をどんな流れで提供するのか、またそのためにどんなマップで、どこにどう敵やアイテムといった要素を配置するのかを設定する作業である。

 それを元に、伏野や前戸がスクリプトやデータをで、ステージの中身を作成する。

 

「ディレクターがあまり細かい作業しちゃだめですよ。もっとゲーム全体をプレイして方向性は合っているかとか、改善点を見つけてもらわないと」


 と伏野にたしなめられ、矢切自身はあまり細かいデータの調整作業には手をかけていない。

 そして、全体を見渡して通しプレイを続けていくと、確かにそこかしこに修正すべき点を見いだすことができた。

 ステージによって専門用語の表記が異なっていたり、あらかじめ打ち合わせで詰めていたコンセプトから、ステージの内容がずれていたり、バランスが極端に難しかったり易しかったりする。


 今回の様なアクション系のゲームの場合、パラメータをいじれば済むという話でも無いので、ステージの敵や障害物、ギミックの配置や、出現タイミングも調整してもらう必要があった。

 矢切はその修正すべき箇所をいくつもリストアップしては、伏野や前戸と話し合って、納得のいってもらったものは随時対応してもらうことで、ディレクターとしての仕事ぶりを自ら感じることはできるようになっていたが、同時に、やはり心のどこかで引っかかる感触を拭いさることはできないでいた。


 (何がひっかかっている)


 言語化できぬ違和感を抱えたまま、日々が過ぎていいった。


「わあ……すごいボリュームですねえ、私、食べきれるかしら」

「えっ」


 はっとすると、矢切の目に瀬野木明日香の柔らかな微笑が映った。

 まぶしすぎて、視線をそらす。

 今日の彼女の服装は、白い長袖の上に、薄グレーのニットのロングカーティガンを羽織り、薄オレンジのフレアースカートにローヒール。

 相変わらず、その清楚さと美しさに周囲の視線が度々集まるのを矢切は感じていた。

 テーブルの上には、大きな塊のハンバーグとこぶりなパンにスープ、それにサラダが二人分おいしそうな匂いと湯気を立てている。


「矢切さん、どうかなさったんですか? なにか考え事?」

「あ、ちょっと仕事のことで考え事をしてたんです。食事中にすいません」


 今日のデートは、また映画を観てから矢切が予約した手作りハンバーグが評判のレストランに来ているのだった。

 瀬野木明日香は気を悪くした風でもなく、矢切の仕事について、どんな考え事をしていたのかを聞きたがった。


「開発そのものは順調なんです。ゲームとしても充分面白い形になってきてる。ただ、何かこう……引っかかるものがあって。でもそれが何なのかが分からないんです」

「引っかかるもの……」


 矢切は頷いて、今まで作成したステージを、頭から何度もプレイしているうちに、何かこう、足りないものがあるような気がしているのだが、それをうまく言葉にできないのだと言った。

 言い方が得意げになるのは、この男の性質上やむをえない。


「ああ、確かに日常でもありますよね。何というか、言葉にできないけど引っかかるものって」


 その時、目を伏せた瀬野木明日香の表情が沈んだ様に矢切には見え、そして唐突に、美人で、性格的にも取り立てて問題があるとは思えない、彼女の様な魅力的な女性に、恋人がいないのはどう考えても不自然だと思った。


 当初は、何か危険なビジネスや宗教勧誘の可能性を感じた矢切ではあったが、もはやそんな可能性は無いと信じて疑っていないし、これまでのデートでの彼女の態度から見ても、何か裏があるようなそぶりも感じられない。

 だが、一番可能性の高い、彼女には特定の恋人がいるのではないかという疑問になぜぶつからなかったのか、矢切は自身に対して呆れ返る思いだった。


 そう考え出すと、今日、瀬野木明日香に告白しようと考えていた気持ちはたちまち後退して、また会話を続けていく間に雲散霧消してしまった。

 もし告白して、ごめんなさい、私彼氏がいるんですなんて言われた日には、この幸せな時間は終わりを告げてしまうのだ……。


 瀬野木明日香は俺のことをどう思っているのだろう。

 ただ恩義がある相手から無理につきあってくれているのか。

 しかし、今までの彼女の態度を見るにそんな風には思えない。

 だが、自身の女性経験を顧みると、そう確信できるほどの根拠があるのか分からず途端に頭を抱えて悶絶するしかない矢切なのである。

 だがそれでも、瀬野木明日香が「次は水族館につきあってもらえませんか」と言ってくれたので、二つ返事で二週間後の約束を取り交わした。


 駅で別れるまでの間、自分のことをどう思っているのか、恋人はいるのか、何度も尋ねようとして、口を開いては閉じを繰り返すものだから、矢切の表情は挙動不審の実物見本のようにコロコロと形を変える。

 あげく、結局最後まで抱いている疑問を言葉にすることは結局できずじまいだった。


 だが、一人帰りの電車に乗って今日の瀬野木明日香とのデートを反芻はんすうしている最中、矢切の頭に閃光が走った。

 開発中のゲームに感じている引っかかり。

 それが何なのか、彼女とのデートを通して矢切は気がついたのである。

 だがそれは、今更どうしようもない性質のものであり、解決策となるべき手を矢切は何ら思いつくことはできない。


 (何か手はないか)


 瀬野木明日香の顔は脳裏から消えて、電車の外のビルの明かりやネオンが流れる夜景をぼんやり見つめながら、矢切は頭の中で開発中の『ガンファルコン』を動かし始めるのだった。

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