第31話 ブランチ

 翌日、鳥羽とばが出社して始業時間になると、金矢かなやが全員に聞いてくれるよう声を掛け、UIの改修問題についての結論を出した。


「鳥羽君とはら君の担当を入れ替えてもらいたい。これらUIについては、原君にやってもらう」

「えっ」


 驚いたのは当のはら才人さいと本人だった。


「鳥羽君が作ってくれているモジュールはそのまま使えるものも多いと思う。とにかく困ったら俺に相談してくれればいいから」

「は、はい」


 原は自信なさげにそう返事をした。

 鳥羽は興味なさげにわかりましたとだけ答えた。

 彼にしてみれば、自分の作業が一部無駄にはなったが、タスクが増えないのであればまあ、いい。


「原君に任せていた細々としたタスクは、鳥羽君と俺が引き取る。ちょっと大変だが、失敗を恐れずにやってみてくれ。必ずフォローはするから」


 金矢に改めてそう言われると、原は、なおも表情は硬いものの、はい、やりますとはっきりと声に出した。

 金矢は仕様にバックビュー視点が追加されたあたりから、変わりだしたと鳥羽は感じている。

 以前は自分と同じく、やる気もなく義務感のみで仕事をしている様に見えたし、原に対する態度も面倒くさそうでぶっきらぼうだった。

 それが、プランナー陣らとの打ち合わせの態度も柔らかくなったばかりか、仕様変更の相談にもきちんと対応し、陰に日向に原の面倒も細々と見ている。


 何よりも、金矢の表情が最近明るくなったと鳥羽は気づいた。

 快活、というべきだろうか。

 毎朝出社すると明るく挨拶してくるし、仕事中でも原や自分にも雑談を振ってくるようにもなり、プランナー陣と話す時にも真剣な表情で相づちを打ち、たまに皆で爆笑している時すらある。


 チャットでの言葉使いも柔らかくなった。

 同時に、仕事の進捗も順調どころか、仕様変更に対応できる時間を捻り出せるほど作業の手が早くなっている。

 鳥羽もコードを組む早さには自信があるが、金矢はメインプログラマーとして、開発環境も含めて対応や判断しなければならない範囲が広い。

 全体のシステム管理やメインゲーム部分、各アウラ・ハントの挙動、ツールの開発なども原と進めていた。


 (まあ、確かに今の仕様書は精度が高いからな……)


 仕様書にある、仕様の意図と方法がある程度明確であれば、そのためにどう実装すればいいか、何が必要になるか、どう用意したらいいかに頭を集中して使うことができる。


 これまで鳥羽が組んできたプランナーの作成する仕様書は、必要な情報が抜け落ちていたり、仕様書上で破綻していたり、ひどい場合は意図不明なものすらあった。

 フローチャートを面倒くさがって作らないも多いし、仕様書の更新などろくに行われず、デバッグ時期になってやればまだいい方だった。


 だが、仕様書は伏野ふしのが統制しているせいか、精度が以前と比べて格段に上がり、打ち合わせもマメに行い、その結果も数日中にすぐ仕様書に反映され、実装後もその結果に基づいて更新されるものだから、精度が高い状態がキープされている。


 だが、それだけが金矢が変わった原因とは思えなかった。

 彼の心境に一体どのような変化が起きたのかは分からないが、鳥羽としてはあまり興がわかない。

 それよりも、やる気を見せているらしい金矢が、このプロジェクトをプログラマーのリーダーとしてどうまとめていくのか、その手腕はいかにかと意地悪な物の見方をしてしまう。


 (原がどこまでやれるか、か)


 鳥羽は原の顔を一瞥いちべつすると、席に戻って自分の仕事を再開した。


 原の方は、堀倉ほりくらと打ち合わせ後に早速作業を開始し、まずはステージ選択画面から手をつけた。

 一週間かかってやっと実装できたものの、その日数は予定を超過していた。

 金矢か鳥羽ならば、三日もあれば終わるタスクである。

 原は最初こそ焦っていたようだが、金矢や伏野から気にするなと言われると、もがくというよりは夢中になる、といった形容が似つかわしい奮闘を続けて実装を終え、次の画面の作業に入った。


 鳥羽にもおっかなびっくり、という体だが質問を直接してくるようになったし、その内容は具体性があった。

 朝も早く出勤し、夜も遅くまで作業を繰り返しているらしい原は、それでも活力に満ちていた。

 歩く姿にすらやる気が満ちあふれ、お昼休みでもサンドウィッチを咥えながら手を動かしている。

 気弱な堀倉も、似たような性格の原には相談がやりやすいらしく、実装後のバグ報告や変更要望を行っているようだった。


「大丈夫です。それに楽しいです」


 作業量は大丈夫かと聞いた金矢に、原はそう答えた。


「今までは目に見えない部分の作業が多くて、それはそれで嫌いではないんですが、でもUIは成果が目に見えるせいか、思っていた以上にやりがいがあります」


 金矢は苦笑しながらも、要望対応は後に回して、とりあえずUIを形にすることを優先する様アドバイスした。

 原はわかりましたと言うと、すぐに堀倉に相談して作業優先を了承してもらっていた。


 原も、堀倉も顔が明るい。

 納期は短く、普段の自分の担当外であったり初めて挑戦する分野の作業であるにも関わらず、何を恐れるでもなくどんどん手を動かしている。

 その様を見て、鳥羽はどこか面白くない感情が芽生えているのを感じずにはいられなかった。

 それでも手を動かし、予定通りに作業を進めると、定時になると同時に退社の準備にかかった。

 そのまま無言で退出する鳥羽の背中に、伏野の「お疲れ様でしたー」の声がかけられる。

 オフィスから出る間際、チラリと背後を窺うと、週末の金曜日だというのに皆まだ仕事を続けていた。


 矢切やぎりは伏野と何か仕様について話し、前戸まえとは実機で挙動のチェックをしており、真上まかみと金矢は何か工夫したい点について話しており、堀倉と原も実機端末を手にあれこれと話しをして、林田はやしだはノリノリで一人手を動かし続けている。


 (くだらない)


 どんなにがんばったところで、ヒットが望めるようなタイトルではない。

 これからあの嵯峨さがとかいうプロデューサーも無茶を言ってくるに違いない。

 徹夜や休日出勤で対応したりする必要に迫られるはずだ。

 冗談ではない。自分はもうこんな業界とはおさらばするのだ。

 鳥羽はそう思いながら、一人退社した。


 (僕がデザインした画面だ)


 堀倉は感慨深く、ステージ選択画面と機体選択画面を何度もコントローラで操作した。

 UIを実装するのは初めてではないが、これまでは上からの指示書通りに作業をこなす、文字通り「作業」でしかなかった。

 だが今回は、自分でデザインした画面である。

 製品の形の一端を担う画面、それを自分で手がけている。嬉しい。

 堀倉は何度も何度もステージ選択画面と機体選択画面を操作した。

 しかしステージでもプレイしてはまたステージ選択や機体選択を繰り返して操作しているうちに、気になる点が出始めた。


 (機体を選択する時、どんなスキルを持っているかだけじゃなくて、その内容も確認できないと不便だな)

 (マスクパラメータになってるけど、旋回速度はやっぱり必要じゃないかな)

 (機体を選択した時、やっぱり演出が欲しいな)


 改善すべきところ、手を加えたいところが、ゲームを通してプレイすると、次々と浮かんできた。

 堀倉はどこをどう改善すべきかを考え、パソコンに自分の考えをまとめていく。

 スキルや機体に関する仕様書は、詳細なものが作成されているので、それを参照しながら、いつ、どこに、どんな情報を、どう表示すべきかを単独で考えることができた。


 (よし)


 UIの改善案を、書面にまとめることができた時、気がつけば時刻は二十一時を回っていた。

 しまった、と慌てて妻の香奈かなにチャットアプリの『サークル』で、仕事で遅くなることを伝え、連絡が遅くなったことを詫びた。

 妻からはハートマーク付きで、『がんばって』と返信が届いて、堀倉はほっとした。


 (それにしても……、仕様書を作るってやっぱり大変なんだな)


 堀倉は溜め息をつく。

 今作ったのは画面のどこをどう変えるべきかの指示書なので、仕様書という類のものではないのだが、どこで、どんな操作で実装すべきか、どの様な情報を表示すべきかを決めていくのは、思っていたよりもずっと大変なことだった。


 さらにそれを、他人に理解してもらえるように、画像や書面として作っていく作業は、堀倉にとっては骨が折れる作業だった。

 実装されているゲームを元にできるだけまだマシで、普段プランナーである伏野ふしの誠太郎せいたろう前戸まえと満須雄みすおは、ゼロからこれを作っているのだ。


 頭の中にあるイメージを形にする、という作業においてはデザイナーと同じだが、大変さのベクトルが異なると堀倉は感じた。扱う情報量の多さを考えると、初めてプランナーの仕事をリスペクトできるなと思った。


 もっとも、自分が今まで仕事をしてきたプランナーは、今の現場ほどの仕様書を仕上げてくれていることなどなく、結構な時間をかけて、確認や質問を繰り返して実装を進めていったことを思い返すと、やはりプランナーの質はマチマチだなと苦笑する。

 オフィスを見渡すと、金矢も原も伏野も、ついでに矢切も残業していた。

 堀倉は丁度いい機会だと思い、伏野、矢切に声をかけて、原にも自席に集まってもらうと、モニタを皆に向けながら説明する。


「え、えーっと……」


 堀倉は人前で話すのは苦手だった。加えて、成果物に対して「もの申す」ことは、それが自分のものであろうが他人のものであろうが、堀倉のもっとも苦手とするところだった。それでも何とか、言葉を紡いでいく。


「その、実装された機体選択画面について、なんですが」


 堀倉は、つっかえながらも現在の画面に問題点があると思うこと、それに対する改善案を考えたことを告げ、資料をパソコンに表示した。


「おーっ」


 皆が声をあげてモニタを注視する。

 問題点の指摘と、それに対する改善案を説明し終えると全員が異論なく、即仕様変更と実装が決まった。


「ありがたい。堀倉さん助かります」


 矢切は笑顔でモニタと実機端末を見比べて礼を言ってくれ、伏野は堀倉を拝み、原は作業が増えることを詫びた堀倉に微笑を浮かべてどんどんやりましょうと言ってくれた。

 数日後、機体選択画面の仕様変更部分が実装されると、皆が前よりも良くなっていることを認めてくれた。


「が、画面遷移というより、シームレスにつないでステージ選択画面と機体選択画面とが連動するような演出にしたらってアイデアを出してくれたのは、原さんなんです」

「原、他の作業と並行してよく実装してくれたな、本当に助かるよ。それにステージ選択と機体選択の使い勝手がほんとに良くなった」


 堀倉の発言を聞いた金矢はそう言って堀倉と共に改修を担当した原の肩をぽんと叩くと、原は嬉しそうに何度もうなずく。

 矢切は、自分が提案し、伏野と前戸が仕様化してくれた「機体スキル」という要素が、ステージ攻略上重要な要素になっているのを知っているので、この改修は本当に嬉しかった。

 いつか手を加えねばならないと考えていたところを、自分で気づき、自主的に改善案を考えてくれたのだ。こういうスタッフは本当にありがたい。


「残りのUIの実装もがんばります」


 原が小声でそう言い、堀倉は原と目を合わせてうなずきあった。


 その日、また仕事をして気づいたら二十一時になっていた堀倉は、妻に詫びの連絡を入れてから退社した。

 夜のオフィス街の通り。

 人混みの中、堀倉は心地よい疲れを感じていた。


「使い勝手が良くなってユーザーフレンドリーになったのはもちろんだけど、デザイン、雰囲気がいいいよ。アニメのブリーフィングっぽいイメージそのままなんだ。こんなUIはなかなかないぜ」


 矢切武がそう評してくれた言葉を、堀倉は何度も反芻はんすうしていた。彼は直接堀倉に言ったのではなく、伏野とゲーム機の端末を手にして座席で打合せしていた時に発したのだった。


 使い勝手がいい。デザイン、雰囲気がいい。

 こんなUIはなかなかない。


 自分の成果物がこんなに認められたのは初めてのことだった。

 よく考えれば、画面を構成する要素のレイアウトはもちろん、カーソルを移動させた時や決定した時のアニメーション、画面遷移時も原作のアニメを意識して複数パターンのコンテを描き、矢切にも見てもらって選りすぐったものを、原とつきっきりになってその通りになるように実装してもらっている。


 これまでの様に、指示されたものを適当に作ってプログラマーに渡して実装されたものを確認して終わり、という流れ作業ではなく、考えに考えた演出を、画面上で再現できるように粘った。

 小規模なプロジェクトで関係者が少なく、またプログラマーの原が自分と同じような性格で、気軽に報告や相談がやりやすいことが何よりもプラスに働いた。

 今まで携わってきたUIの実装作業よりも倍近い手間がかかっているが、仕上がったものはそれに見合ったものになっている。


 そして堀倉は、この、腹の底からこみあげてくるような充実感は何だろうか思った。

 社会人になって、ゲームの仕事をして、初めて味わう感覚かもしれない。

 入社して最初のタイトルに携わり、3Dモデルを担当した時も、最初はうれしさはあったがそれはすぐにしぼんでいってしまった。

 それが今感じているこの気持ちはどこから来ているものか、堀倉は歩きながら考える。


 堀倉は、以前は転職して仕事をする自分のイメージを想像ばかりしていた。自分が転職して別のデザイナーになったら、どんな風に活躍するのか。それを夢想していた。

 それが今は、次に実装する予定のUIの画面を頭に思い浮かべるようになっている。


 望まない出向での仕事だった。

 それが今、自分がデザインし、それが実装されて目に見えて操作できる形となって現実化され、チーム内で良いものだと評価されている。

 そうだ、自分は、自分で作った物が、チームに貢献できているという事実が嬉しいのだと堀倉は気づいた。

 評価されたことも勿論含めて、自分で作った物で他者を喜ばせたいという事が、そもそも自分が望んでいたデザイナーという仕事に就きたいと思った動機ではないか。


 だとしたら――。


 その時、スマホの着信を知らせる振動が堀倉を我に返らせた。

 スマホの液晶には『山戸やまと聖哉せいや』の名が表示されている。


「ホリ、例の転職の話、どうするんだ? 俺以外の担当者も何人か候補を出してる。そろそろ返事を聞きたいと思ってな」


 堀倉は、今週末に会って結論を出すことを伝えた。


「了解、時間を作る。そん時は上司に渡す二十万も持ってきておいてくれよ」

「わかった」


 堀倉は通話を終えたが、山戸やまとの声を聞きながら、次に実装するUIの画面を思い浮かべた自分に、転職の話に乗るべきかどうか迷いが生じていることを認識した。

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