第29話 ボトルネック
そのプロジェクトがまだ終わっていないにも拘わらず、異動してきたのには当然ながら理由が存在する。
「これ、今まではどうしてたんですか?」
実装対象となる仕様を、どんなスタッフの手を経由して実装していくかについて、プランナーがその流れを鳥羽に確認しにきたのである。
「え、僕は途中からこのプロジェクトにアサインされたもので」
「だから、他のプランナーに今までどうしてたのか聞いたのかという意味です」
冷徹に言い放つ。
「あ、ええと、その、タスクチケットをデザインから回していくのですが……サーバーさんとクライアントさんと、どちらを先にしたらいいのかと悩みまして」
「無知ですか。工程でいったらサーバーが先に決まってるでしょ」
また冷徹に言い放つと、プランナーの男はわかりましたと小声で言ってから急いで鳥羽の席から離れた。
周囲に沈黙が広がっている。
これが、前のプロジェクトでの鳥羽の日常風景だった。
鳥羽琉一は、株式会社トリグラフのプログラマーの中でも、腫れ物扱いというよりも、多くのスタッフから嫌われているプログラマーだった。
嫌われ度合いで言えば、金矢をも上回るかもしれない。
とにかく、常時不機嫌な態度で他のスタッフに接し、落ち度やミスがあろうものなら徹底的に厳しい言葉を投げかける。
その様子はもはや仕事のやりとりをしているというよりも、攻撃していると表現の方が似つかわしかった。
直接の会話だろうがチャットだろうが、その不機嫌さと攻撃性に富んだ言動は変わることはないが、鳥羽の指摘は
妥当性のある作業内容と、精度の高い仕様書があれば、プログラマーとしては相当に手が早いこともあってか、会社からも上長からも特に何も言われることもなく、入社から数年を経ている。
彼は納得したタスクしか引き受けず、それを期間内に終わらせ、定時で退社する毎日を過ごしていた。
「以前はもっととっつきやすい人だったのに」という鳥羽の人当たりの悪さは会社内でも明確に問題視されるようになっている。
鳥羽と仕事をしたくない、という人間が増えてきているのだ。
鳥羽が、所属しているプロジェクトが終わっていないのに『HSG』のプロジェクトに異動させられたのは、そんな事情があってのことだった。
もっとも、本人はそんなことは意に介していない。
いわゆる場末のプロジェクトに回されたのは感じていても、「それがどうした」という気分である。
(どんなプロジェクトに回されようが同じさ。程度の低いプランナーにいいように使われるのなんてごめんだ)
倉庫として使っている部屋に無理矢理空きスペースを作ってあつらえたみすぼらしいオフィスに移ってもその考えは変わらない。
プロジェクトがいざ始まると、案の状、プランナー連中は「使えない」連中ばかりだった。
それを直せばまた別の箇所でおかしなところが見つかり、プランナーが決めるべきところもいいようにやってくれとのたまう。
それを拒絶したため、仕様書の作成は遅々として進まず、当然後工程であるデザイナーの
最初の一ヶ月のROM出し結果は散々だった。
当然の結果ではあるものの、俺の知ったことかと鳥羽は他の作業を進めていったが、流石にうんざりし始めていた。
上から責められたところで、プランナーの仕様書の精度が低いことと、その作成の遅さのせいであるとするロジックは完璧に用意しているが、ここまでゲームの実装状況に変化が起こらないと、さすがにイラついてくる。
そして鳥羽は、もうゲーム業界から足を洗うことを決めていた。
もう、こんな連中に振り回されるだけの仕事はごめんだ。
非ゲーム系のプログラマーとしての転職活動を、鳥羽は開始していた。
プロジェクト状況が変わり始めたのは、
派遣のプランナー、ということで鳥羽は当初、その能力を低く見ていた。
これまで接した派遣社員のプランナーが、社内のプランナーと五十歩百歩の連中ばかりであったからだが、
数日でプロジェクト状況を理解したのか、自ら
元々、伏野とは知り合いであったらしいことも幸いしたのか、矢切も彼に引っ張られるように、プランナーセクションとしてアイデアを具体的な概要に落としこみ始めた。
こうして、ぼんやりとしていた「どういうゲームにするのか」の部分がプランナーセクションによって言語化され、可視化された概要書に落としこまれると、その内容が全員に説明された。
とりあえず目指すゲームのイメージが共有化されたことになる。
後は、このイメージ目指して、必要な仕様を策定し、素材を作成し、実装していきながら、随時問題点を解消していくことが開発だ。
鳥羽の懸案だった、UI関係の仕様書も、伏野が精度の高い仕様書を作成し、同時に前戸に指導してくれたこともあってから、仕様の変更はあったものの、順調に実装が進行していった。
精度の高い仕様書と素材があれば、実装の早さは鳥羽の得意とするところであった。
実装後の問題や修正のために相談に来る伏野や前戸に対する態度は、相変わらず不機嫌でキツイままではあるものの、そのケンカ腰と言わんばかりのやりとりの頻度はゲーム本編にバックビュー視の仕様が追加され、アウラ・ハントの操作性も大きく向上し、基本的なゲーム性が把握できるようになったアルファ2ROMのころには極度に下がっていた。
他のスタッフとは一線を画し、毎日ゲームを触っていると、日々内容が良くなっていることを鳥羽は体感している。
それでもゲーム開発の仕事に感じている
その日も、鳥羽は普通に始業時間ギリギリに出勤して仕事を開始した。
仕事中、矢切武と伏野誠太郎は、しょっちゅう会話をしている。
矢切がアイデアを書面化し、伏野がそれを仕様化しているようだった。
それには
前戸はひたすらアウラ・ハントの挙動の仕様書を作成したり、実装された挙動をチェックしては修正点をリスト化している様だった。
鳥羽はそれらの声が耳障りに感じ、音楽再生用端末とヘッドフォンを取り出して装着すると、環境音楽で周囲の音を
そしてその様を、
とてもUIの仕様をやり直してはどうかと言い出せそうにないこの現場で、普段の
だが、堀倉の心に生じた「提案を蹴られたとしても、どうせ辞める仕事なんだから」という気軽さは職場でも消えぬまま、彼にカバンからスケッチブックを取り出させ、画面案としてデザインとレイアウトをパソコン上で作り始めさせていた。
「事件」、とでもいうべきか、普段では見られない光景が展開されたのは、午後の業務の開始時刻が過ぎて十一分が経過した時のことだった。
堀倉蘭人が、恐る恐る、という体で、
滅多に席を離れることがないし、会話はチャットで済ませるのが大半の堀倉が、
何事か。
オフィスにいる皆は耳をそちらに向けている。
だが堀倉の声は輪をかけて小さく、話の内容はよく聞き取れない。
林田は最初驚いた顔を見せ、次に画面を見て口をOの字に開け、次に堀倉を見て笑顔を浮かべて何やら言いながら頷いていた。
堀倉に引っ張られてか、林田の声も小声になっていて聞こえない。
だが、やがて林田はカタカタとパソコンに向かって何やら入力し、ほどなくチャットに林田の発言がいくつかの画像つきで投稿された。
画像は、堀倉が画像処理ソフトで作成した、新たなステージ選択画面を始めとするUIの画面案の数々だった。
『おつかれさまでーす。
堀倉さんが新たなUIのデザインを考えてくれました!
俺としてはこっちの方が断然イイと思うですけど皆さんどうですかね?』
林田は、そう発言していた。
自分の手がけたUIよりも、堀倉のものが出来が上だと言っているのだ。
だが、確かに、現在実装されているものよりも、堀倉が作成したデザインの方が格段に見映えが良い。
静止画にも拘わらず、動きを連想させる。
デザイン全体がアニメの雰囲気をにじみ出しており、一目見ただけでソレと分かる……。
実際の使い心地は実装されなければ分からないが、各種ボタンや情報の配置も、現在実装されたものとずいぶんと異なる。
「おおー」と声をあげたのは前戸だった。
「イイッすねぇ」と言いながら、賞賛する発言をチャットに投稿している。
矢切も、見た瞬間これはいいと直感した。
世界観にあう。かっこいい。
原作ファンである自分が、直感で納得する形にいきなりなっている。
ふと横を見ると、伏野が林田の席まで歩いていた。矢切、前戸、金矢も続く。
「これは、堀倉さんが自主的に作ってくださったんですか?」
伏野の声に、堀倉は黙って頷いた。
「これは……確かにいいな」
金矢があごひげを触りながらつぶやく。
鳥羽は嫌な予感を感じるのと同時に、表情をさらに不機嫌にさせた。
もう実装済みのUIのやり直しを迫られることが、容易に想像できるからだ。
「ええと、林田さんはよろしいんですか? その、ご自分が作られた成果物が使われなくなっても……」
伏野は遠慮がちに林田に確認する。
何せ、モデルに続いてUIまで代えられる。
普通の開発では、まずありえない。
簡単に担当を代えないのは、「指導を受けながら、最後まで責任を持って作業をやらせないとスキルが伸びない」という育成面での理由があるからだが、もっと言えば、「仕事を取り上げる」ということは、当人のプライドを深く傷つけるからである。デザイナーという職業の人間は、特にその傾向が強い。
「別にいいっすよ! こっちの方が断然クオリティが上がるっしょ!」
林田は、いつも通り明るくそう言うと、堀倉さんUIお願いしますと言った。
堀倉はエフェクトもやらなければならないので、そちらも林田がフォローすることになった。
「あともう一つ問題が……」
堀倉は、自分のUIが認められたことで、いつもは見せぬような明るめの表情を浮かべたが、その視線が鳥羽の方に向くと、とたんに暗い顔になった。
皆も鳥羽の方を見る。鳥羽は無視して作業を続けていた。
伏野と金矢が鳥羽の方に向かって歩いて行き、その後を矢切と堀倉が慌てて追いかける。
「鳥羽さん、今ちょっとよろしいですか」
口火を切ったのは伏野だった。
鳥羽は伏野の方に顔を向けることすらなく、例によって不機嫌そうに「何ですか」と冷淡に答えた。
「ええとですね、相談になるんですが。実装済みのUIなんですけど、堀倉さんが新しいデザインを起こしてくれまして、これがまたすごくいい感じになっているので、こちらの方を実装したいと思うんですが、いけるでしょうか……?」
流石の伏野も恐る恐る、といった話し方で、表情も硬くなっている。
鳥羽は椅子を回転させて伏野の方に向き直ると、まるで怒っているかのように、
「ああ?」
と言った。場の空気が固まる。
「今更何言ってるんですか。もう実装終わってるでしょうが」
それはまさに不機嫌の三文字を現実化した様な表情と声だった。
「それはそうなんですが……何とかお願いできないですか」
矢切も食い下がる。
「この後の作業、どうするんですか、やらなくていいんですか」
「鳥羽君、もちろん俺も
金矢もフォローを入れるが、鳥羽は再びモニタに向き直ると、とにかく期間がもらえなければ仕様変更には対応しませんと冷徹に言い放ち、無言でキーボードを使って作業を再開した。
金矢が「分かった、こっちで何とかするさ」と言って堀倉と林田に後で会議室で詰めようと言って自席へ戻り、皆もそれぞれ無言で自席に戻っていった。
現場は普段以上に静まりかえり、普段は軽口を叩きがちな前戸や林田ですら何も
鳥羽は構わず、そのまま今日予定のタスクである画面を実装するために、仕様書と林田の指示書通りに画面を組んでいき、区切りのいいところまで組み終えると、コミットしていつも通り定時に退社する。
カバンを手に無言退社する時、いつも伏野だけは「お疲れ様でした」とあいさつをしてくれるが、鳥羽は無視して、オフィスを出た。
電車に乗った鳥羽の目は、窓の向こうの、駅の壁に掲げられたとあるゲームの大きな広告に吸い寄せられた。
そのゲームは家庭用ゲーム機、いわゆるコンシューマで大ヒットした人気作の続編だった。もうじき発売予定とのことである。
「あっ、『ルーン・ハンター』の新しいやつ、もう出るんだ!」
「めっちゃ楽しみだな」
電車内の高校生らしきグループが、広告を見ながら賑やかに話し始めた。
(楽しみだな、か……)
鳥羽は、昔の自分を重ね合わせて、ゲーム業界に入りたてころを思い出し始めた。
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