第六章 旋風

第28話 ツインスティック

 アルファ2ROMは承認されてからほどなく、監修に出したアウラ・ハントのモデルについて、その結果が返ってきた。

 真上剣風まかみけんぷうは、その内容を見て、呆然となった。


 監修に出した機体二体どちらも、モーションに対しては数点の指摘のみで、モデルに対しては十五箇所以上のNG箇所が指摘されてきていた。

 設定と形状が異なる、という指摘が半分ほどで、あとは形状のバランスが悪い、関節の構造がおかしい、設置位置がズレている、テクスチャーの書きこみの精度が低いなど、モデリング技術に対しての修正要望が画像付きで事細かに示されている。

 真上まかみは最初驚き、次に憤り、やがて指摘された箇所を一つ一つモデルを見ながら確認し、そして指摘の内容のすべてにおいて妥当性があることを認めると、肩を落とした。


 確かに、自分では完璧だと思っていたものでも、翌日改めて見ると、おかしなところや直したいところというのは確かにあるものだ。

 だが、モデリング作業において、改めて第三者からここまで客観的に言語化されたダメ出しを受けたことは初めてである。

 丁寧に全項目に図解まで添えてあるのだからぐうの音も出ない。


 監修といっても、重箱の隅をつつくような指摘が二、三個だろうと思っていた真上は、監修作業が新アニメ版のアウラ・ハントのモデリングを担当したアニメーションスタジオにより行われたことを調べると、さらに落ちこみに拍車がかかった。


 (これが、アニメーションのプロか……。上には、上がいるんだ……)


 3D担当になり、これで思う存分腕を振るえる、自分のスキルを見抜けなかったシヴァの連中を見返してやるという意気込みに満ちていたが、この程度の実力で他のデザイナーにダメ出しをしていたのかと思うと、自分が恥ずかしくなる。

 そして、この監修結果を、モデリングやモーションを手伝ってくれている林田はやしだ堀倉ほりくらには見せられないと思った。舐められてしまう。


 帰宅してもその落ち込みは続き、香織かおりに今日は出前を取っていいかと確認すると、彼女はうなずいてくれた。

 ネットから香織が好きな中華料理店の中華がゆと野菜炒めを注文してから、リビングに大の字になって寝っ転がっていると、彼女が真上の頭を抱えて、膝枕をしてくれる。


「何かあったの?」


 香織はそう言いながら、真上の頭を優しく何度も撫でてくれる。

 上司やクライアントからの無茶ぶりやセクハラ、SEとしてのハードワークから心身を壊し、鬱病うつびょうになってしまった香織は、三十才には見えないほどやつれている。

 知り合った大学生のころに大学内でも十指に入ると評された美貌は陰を潜めているが、真上はそれでも彼女の顔立ちが好きだった。


 最初はただ単純に美人だからと気軽にデートに誘っただけだった。

 だがやがて、自分にも他人にも厳しい性格で、それを体現したかのような、凜としたこのまなざしを美しいと惹かれ、本気で交際するようになった。

 だが今は、鬱病を経て、今香織のまなざしには、どこか暖かみがあると真上は感じるようになっている。


「仕事でね、俺が作ったモデルにダメ出しされたんだ。監修担当者に山ほど」

「3Dができるってあれほど喜んでたのに」


 香織はそう言って真上の頬を両手で優しく挟んだ。


「でも大丈夫。これからどんどんうまくいくわ。大丈夫。ケンはやれる」


 最近、夜中に目が覚めても、隣にケンがいると安心してまた眠れるようになったと香織は言った。

 大丈夫、大丈夫と、いつも言ってくれて、何もしない私を放っておいてくれる、そんなケンが私は好きなのだと、香織はそっと真上の額にキスしてくれた。


「先生が勧めてくれた朝の散歩、明日から始めてみようと思うの。つきあってくれる?」

「もちろん」


 真上は香織の手を握り、改めて彼女が自分の傍にいてくれて良かったと思った。

 そして、今モデリングやモーションを手伝ってくれている林田や堀倉に対して、監修結果を見せようと決めた。


 監修はこれからも続く。

 ごまかし続けることなどムリだと考えたこともあるし、林田にも堀倉にも、3D関係のスキルのレベルを、これをきっかけに上げてもらう方が、ゲームのクオリティとしては良くなるはずだとも思った。


 自分のプライドなど、ゲームのクオリティが上がるならば小さな問題だ……。


 香織という存在が、自分の出っ張った、トゲのような心を解きほぐし、丸めてくれている。

 病気でもいいではないか。舐められてもいいではないか。

 それがどうしたというのか。

 好きな3Dの作業が続けられることに変わりはないのだから。

 翌日出勤すると、監修結果の追加が寄せられていた。

 格納庫のモデルについて、

「一部設定と違う箇所があります。その他は問題ありません。ゼロベースからなのに高クオリティであると思います」

 との文言と図解があった。


 (まだまだだ)


 真上は気持ちを引き締めながら、林田と堀倉に監修結果をまとめて送信した。


 出勤中に濱部はまべ一正かずまさに連絡を取った堀倉ほりくらは、仕事が終わってから会う約束を取り付け、定時後に待ち合わせの場所であるバーに向かった。

 山戸と待ち合わせた時と同じ店で、顔を合わせて急に時間を取ってもらったことの礼を述べてから、濱部に山戸からもちかけられた転職の件を説明する。


「ハマ、この話どう思う?」

「うーん」


 濱部はまべはウイスキーの水割りを一口飲んでから言った。


「まあ、ヤマも良かれと思って話を持ってきてくれたんだろう。ホリが挑戦したいって考えるならやってみたらいいじゃないか」

「お金の件は?」

「それだよな」


 濱田は少しあきれたように首をかしげた。


「まあ、釈然とはしないけど、そうバカ高いって額ではないし、それで採用が確実になるなら考えてもいいんじゃないか」 

「でもなあ、なんか悪いことしてるって感じがする」


 濱部は苦笑して、ウチの会社の上司も、それで小銭稼ぎをしてる人がいたと言った。


「その人も借金してたな。まあ、金もらっておいて不採用にする、みたいな事はしてなかったようだし、採用した人も仕事できたから俺も知らんフリしてたけど」

「いくらくらい取ってたんだ?」

「ん-」


 濱部は、思い出すように視線を天井に向けて、確か五十万くらいだったと思うと言った。


「五十万……」


 山戸が提示してきた額は、二十万。

 五十万に比べると半分以下だと堀倉は思った。


「ヤマの言った額はそれよりはずっと低いし、まあ考えてみてもいいんじゃないか。払わずに転職に挑戦するのでもいいし。決めるのはお前だ」


 その後、とりとめのない話をした後、濱部に礼を言って堀倉は帰宅した。

 香奈かなが用意してくれた夕食を食べながら、堀倉はどうするかを考えている。

 二十万で、確実に転職できるのであれば払ってもいいかもしれない。

 だが、その行為は堀倉に抵抗感を感じさせた。

 いわば裏口入社と言っていい行為と、そんなことをしなければ、自分はデザイナーとして入社できないのかという自分の能力に対する落胆。

 だが、このままゲームの仕事を続けるよりも、早く転職して実績を積みたいという気持ちも強い。


「ほいっ」


 妻の香奈がボール球を投げると、デニムはダッシュで取りに行き、口に咥えて香奈の元へ運び、彼女はまた別方向へボールを投げ、またデニムは喜んで取りに走る。

 妻の顔を見ながら、収入が上がれば、彼女にもデニムにもいい生活を送らせてやれるとの考えがまた頭をよぎり、堀倉の考えは山戸の話に乗る方へ、一気に傾いていった。

 冷蔵庫から発泡酒を持ってきて飲み始める。


 (そうだ、入社の形はどうあれ、仕事で力を見せればいい、やってやればいいんだ)


 一本を、あっという間に飲み干した堀倉は、妻に声をかけた。


「あの、香奈さん」


 堀倉は妻とつきあい始めた頃は彼女の旧姓「栗林くりばやしさん」と呼び、やがて彼女に下の名前で呼ぶよう言われて「香奈さん」になり、結婚した今でもそのままだった。

 彼女の方はつきあい初めてからずっと「蘭人らんとさん」と呼んでくれている。


「んー? 何ー?」


 香奈はデニムとじゃれあっている。


「ちょっと相談なんだけど……」


 堀倉がそう言うと、香奈はデニムを抱えて正座すると、夫に向き合ってくれた。思わず堀倉も正座になる。


「なになにー? 蘭人さんが相談なんて珍しいね」

「えーっとね」


 どう切り出したものか思案するが、もう素直に頼むしかないと決断する。


「頼む。何も言わずにお金を使わせてほしい」

「お金って、いくらくらい?」

「二十万円。頼みます」


 そう言って堀倉は正座のまま頭を下げた。

 それを聞いた香奈は三秒ほど黙ってから


「いいですよー」


 とあっさりと言った。


「えっ、いいの? 二十万円だよ?」 


 堀倉は頭を上げて驚いたが、香奈は膝を崩して笑った。


「いいよー。二人で貯めたお金だし」

「使い道、聞かないの?」

「何も言わずに使わせてくれって蘭人さんが言ったんじゃない。ねーデニム」


 香奈は膝で丸まっているデニムの身体を撫でた。


「そりゃ、そうなんだけど……」

「銀行のカードは蘭人さんが持ってるのにちゃんと私に言ってくれるんだもん。蘭人さんだったら変なことに使わないってわかるもん」


 そう言って香奈は、堀倉にデニムを差し出した。

 堀倉はそっと受け取って膝の上に抱いて、その背を撫でる。

 デニムは堀倉の膝の上で丸くなった。


「遠慮しないで二十万、使って。ね」


 そう言って香奈は、お風呂に入るといって立ち上がった。

 その後、二人で布団に入って寝る時間になっても堀倉は妻に金の用途を言うべきかどうか、いまだ迷っていた。

 香奈がいいと言ってくれたのだからそのまま使えばいいものを、心のどこかに引っかかりがあると、いつまでもそれを引きずってしまうのが堀倉の性格だった。


「ね、ほんとに聞かなくていいの? お金の使い道」


 暗闇の中で言ってしまってから、いい加減怒られるかと思った堀倉だったが、香奈は優しく言った。


「言わなくていいよ。さっきも言ったけど、蘭人さんなら変なことに使わないって信じてる」


 そう言って、香奈は堀倉の手を握った。

 その手はいつもよりもずっと柔らかく、暖かく感じて、堀倉はほうっと息を吐いた。


「香奈さんは、どうして僕を選んでくれた?」


 口にしてから、言わなければよかったと思ったが、香奈は、


「結婚して五年も経ってるのに今ごろ聞くかー」


 と笑ってから、答えてくれた。


「蘭人さんがね、人を押しのけない人だったからかな」

「押しのけない?」

「そ。私、大学生になってから急に男子に言い寄られる機会が多くなって、とまどってたの」


 高校時代はそうでも無かったのに、大学生になると急にもてるようになってしまった。

 男子が次々と自分に話しかけてくるようになり、それはうれしさよりもとまどいの方が強かった。

 好意を寄せられることはもちろんうれしいのだが、気持ちをぐいぐいと押しつけられているようで、とまどいはやがて嫌だなあという気分へと変遷へんせんしていった。

 デートの誘いも何も適当にあしらっていたが、その中で自分に話しかける男子を、別の男子が邪魔するという光景がよく繰り広げられ、自分はそれを見るのが嫌だった。


 でも、堀倉ほりくら蘭人らんとという人は他の人と違った。

 自分と話していても、他の男子のように、他人の話を途中で遮ったり、割りこんでくるようなことがない。

 たまたま自分と帰り道が同じになった時、強引に食事やデートに誘うようなこともなかった。


「何よりもね、蘭人さん、お話が面白く無かったの」

「えっ」


 蘭人は驚いて香奈の方に顔を向けた。


「他の人みたいに、物事を面白おかしく話す事が無くて。そういう人って、面白いことを言うために、冗談だってオブラートに包んで、他の人を茶化したり、おとしめたりするの。自分が芸人さんになったみたいにね。そういう人ってもちろんお話は聞いてると面白いのよ。でも私、どこかそういう人は心から信用できないなって感じてた。でも蘭人さんは違った」

「話すのが苦手だっただけだよ」


 堀倉は苦笑した。

 昔から引っ込み思案で、他人と話すことそのものが苦手だったのだ。


「ある日蘭人さんと話してて気づいたの。お話は特別楽しいわけじゃないのに、何か安心できるなって。この人、他の人を押しのけない人なんだって。同じ空気を持ってるって。それから、蘭人さんが他の女子部員と話してるのを見ると、ちょっとイラッとしちゃうようになって。つまり嫉妬ね」

「ええっ」


 また、堀倉は驚かされた。

 大学時代、つきあい始めるまでは、自分の一方的な片思いだとばかり思っていたのだ。


「蘭人さん、実は一部の女子に人気あったんだよ。清潔感があって優しそうで、真面目で誠実を絵に描いたような人で、旦那にするなら一番だよねって」

「それって褒め言葉なのかなあ」


 堀倉は苦笑した。

 真面目とか誠実とか、そういう当たり障りないキーワードは、女性はどうでもいい異性に使うと聞いたことがあるし、旦那にするなら一番というのは恋人としては二番以下という見方もできてしまう。


「褒め言葉だよ。女子だけの品評で出る言葉って辛辣なんだから」


 そう言ってくれてからは、香奈は最後の一押しはデニムだったと付け加えた。

 動物病院へデニムを運んでいる途中、たまたま道で堀倉と会った。デニムを見せてほしいと言われ、キャリーケースを開けて顔を覗かせたデニムに、触ってもいいかと許可を得てから、堀倉はデニムを優く撫でた。


「言ったことあるけど、デニムは私以外の人には絶対身体を触らせなかったの。動物病院でも毎回大変だったんだから。だからあの時もデニムはケースにすぐに引っ込んじゃうって思ったら、デニムが撫でさせて喉まで鳴らしてるんだもん。びっくりしちゃった」


 堀倉もその時の事はよく覚えている。

 たまたま道で香奈を見つけ、ときめく心を抑え、平静を装うのに苦労した。


「デニムが身体を任せる人なら、もう間違いないって思ったの」


 その後、香奈に頼まれ一緒に動物病院へ行き、待ち時間の間話をして、その帰りに堀倉は香奈とのデートの約束を取り付けることができたのだった。

 初デートから正式に恋人同士になるまで、三ヶ月とかからなかった。


「他人を押しのけない優しい人。一緒に人生を開いていける。だから私蘭人さんがいいの」


 恥ずかしいんだからこんなこと言わせないでと言って、香奈は布団をかぶり、だから信用してる、お金、遠慮しないで使ってと言った。


「香奈さん、ありがとう」


 堀倉はわき上がる幸福感のまま妻をそっと抱き寄せ、その手に指を絡ませた。


 翌朝、狭いオフィスへ出勤する途上で、堀倉は転職を現実のものしようと決めた。

 ついに、憧れていた仕事への道筋が開ける。

 そう考えると、いつもの胃の重さはずいぶんと軽くなっていた。


 転職時期は相談せねばならないが、今のプロジェクトが終わってからになるだろうか。

 どうせ、あと数ヶ月で終わる。

 だとしたら、最後の仕事として、自分からUIのデザインを提案するという冒険をしてみてもいいかもしれない。

 愛しい妻と愛猫の存在に加えて、転職が今大きな希望になって、堀倉の気持ちと身体の動きを、一段も二段も軽くさせていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る