第25話 堀倉蘭人

 アルファ2ROMの承認が下りてから、チームの次の目標は六月月末の進捗ROMの提出、ということになった。

 月末の進捗ROMに実装されるべき内容は、新しいアウラ・ハントが二体、ステージが二つ、それにステージ選択画面、ブリーフィング画面、武装選択画面を実装して、一ステージを通してプレイできるようにすることである。

 それらをチーム全員のミーティングで、伏野ふしのが説明した後、そのためにやらなければならないこと、「タスク」がそれらを管理するためのウェブツールにより発行されると、作業がまた進み始めた。


 追加されるアウラ・ハントの仕様は、矢切やぎりの概要を前戸まえと伏野ふしのが仕様化し、真上まかみが3Dモデルを並行して改善し、仕様書をもとに林田はやしだ真上まかみがモーションを作り、堀倉ほりくらがエフェクトを作り、それらを金矢かなやが組みこんで実装を進める。はらは、金矢かなやのヘルプとして細々とした仕事をこなしていた。

 UIは、前戸、伏野が協力して仕様書を作成して、林田がデザインを起こし、鳥羽とばが実装する。


 ステージ用モデルも真上が担当しているが、こちらはペルガモン時代から外注に頼んでいたもののクオリティは充分で、現状、あまり手を加える必要がない。

 とりあえず、作業を進めるにあたって、その流れが明確になったことで、開発は先月よりもさらに順調に推移していくように、思われた。


「んー、あの、ちょっとこのUI、クオリティに問題ないスかね?」


 ある日の夜の定時過ぎ。前戸がゲームを操作しながらそう言った。

 彼が今操作しているのはステージ選択画面だった。

 定時を過ぎたオフィスには矢切、伏野、前戸のほか、金矢と堀倉がいる。林田は体調不良、真上は健康診断のため休みで、鳥羽は定時になった瞬間に退社していた。


 その声に、エフェクト担当の堀倉の動きは止まり、矢切は苦い表情で前戸の方を向く。前戸は、アウラ・ハントの挙動を担当することになり、その成果が認められた事から自信をつけたのか、発言にもそれがあらわになることが多くなった。


「問題? 具体的には、どういうところですか?」


 矢切の隣の伏野が席を立ち、前戸の席まで歩く。


「仕様書通りっちゃ仕様書通りなんスけど……、デザインが古いっていうか、当たり前すぎるというか、普通すぎるっていうか」


 確かに、と矢切は思った。

 元々UIを中心とした2D関係は真上が担当していたが、3Dモデルに担当換えとなり、現在は林田が作業している。

 だが、林田は「甘めに見て五十点」というレベルのデザイナーと言ってよく、仕様書に記載されたデザインがほぼそのままで上がってくる。

 良く言えば仕様書通り、悪くいえば仕様書レベル止まりのUIだと言えた。


 仕様書に記載されているのは、その画面の目的であり、そのために必要な要素がレイアウトされた内容だ。

 デザイナーは、その目的やレイアウトを、より良くブラッシュアップして各画面の必要な要素をデザインして、仕様書以上のものに仕上げ、プログラマーと協力して実装していくわけであるが、林田のUIは、仕様書から想像できる範疇のものを超えることがなかった。

 実務のオペレーション的に問題はないし、陽気で人当たりは良いので、いつも不機嫌をまき散らしている鳥羽や陰気な堀倉よりは、よほど仕事はしやすいと矢切などは考えるのだが。


「ふむ。それで、前戸君としては、具体的にどこをどうしてほしいんですか?」


 伏野はいつも、曖昧な言葉のままにしておかかない。


「ええと、ええと、全体的にデザインをもっとカッコヨクしてほしいかなって思うっス」

「まあ、確かにな」


 前の席から金矢も同調する。


「アウラ・ハントのモデルやモーション、ゲーム全体が良くなってきている今、余計にUIやHUDといった2D部分のクオリティの低さが目立つようになってきてる」

「林田さんはよくやってくれていると思うんですが……」


 伏野のフォローに、金矢もうなずく。


「それは認める。2Dにも3Dにも関わっているのはあの人だけだ。2Dをメインに請け負ってもらいながら、3D関係のヘルプもやってもらっているんだから」


 だが、と金矢は続けた。


「特にUIは、仕様書の内容ほぼそのままで、言ってしまえばそこまで止まりだ。動きも無いし変化も乏しい。本来は、プログラマーも協力してあれこれ提案できたらいいんだが」

「鳥羽さん、何も言わないッスもんね。怖いし」


 前戸が苦笑する。

 鳥羽は、仕様書の打合せでも、ツッコミどころは必要な情報の有無に限られ、それらの問題が解消されると、後はただ黙って待ち、素材がデザインから上がってくると、そのまま組み上げる。

 それで自分の仕事を終わったとばかりに、次の仕事にかかる。

 話しかけても常時不機嫌な態度で、人当たりがキツい。

 陽気な林田ですら、鳥羽に話しかけるのは腰が引けるのか、やりとりはチャットで行うことが圧倒的に多い。

 その際の鳥羽の言動がまたいちいち攻撃的なのである。


「どうしたもんかな。このままだと、そのうち嵯峨さがさんもどうにかしろって言ってくるに決まってる」


 金矢が思案顔になる。

 トリグラフ社内でも鳥羽の人当たりの悪さは有名で、だから新人の原は彼の下にはつけなかった。

 プログラマーとしては単独で動きやすいUI担当にしたのも鳥羽の攻撃性が高いことに起因している。

 金矢自身も、社内では組むことを敬遠されている系統のプログラマーだが、鳥羽の人当たりのキツさは群を抜いており、新人と組ませるのは危険だと金矢は考えていた。

 そしてその判断は、現在のところ間違っていないと断言できる。


「うーん」


 伏野も腕組みをしながら、自分もUIのクオリティは改めて問題には感じると続けた。


「でも、今はとにかく、『ないものをある状態』にすることを優先しましょう。モノがあれば、開発としては進んでいることを示すことができますし、こうやって問題点としてあげることもできます。それはやっぱり、林田さん、鳥羽さんがちゃんと作業をしてくれたからですし……」


 甘い、と矢切は感じたが、反発は覚えなかった。

 この伏野ふしの誠太郎せいたろうという男は、仕事を機械的に進めていく流れを作るくせに、ガチガチのワークフローを作るのではなく、流動性というものを忘れない。

 結局、モデルとモーション関係の作業は、プロジェクトの末期にさほど大きな変更はかからないはずだ、その時に何とかUIをブラッシュアップできる態勢にできれば、という希望的観測の含む伏野の提案を受けて、その場は終わった。


 堀倉ほりくら蘭人らんとは聞き耳を立ててそれらの会話を聞きながら、開発機材に表示されているステージ選択画面をじっと見たが、何も心は動かされることは無かった。

 ただ黙々とエフェクトに必要な素材を作り続ける。

 無難に。

 当たり障りなく。

 情熱どころかやる気もない。

 堀倉蘭人は、ゲーム開発の仕事に就くことなど望んでいなかったのだから。


 定時を三十分ほど過ぎ、きりの良いところまで作業を進めてから、そっとという体で退社した堀倉は、駅への道を歩いていくが、今日は家にそのまま帰らない。

 学生時代の友人達との飲み会に誘われていた。

 普段とは異なる風景の見える電車に揺られながら、掘倉は望まないゲームの仕事に就き、あげく誰も行きたがらない出向でのプロジェクトに飛ばされた自分の運の無さを改めて思った。


 堀倉蘭人が、ゲーム開発会社であるシヴァに入社したのは、八年前に大学を卒業してすぐ、二十三歳の時だった。

 東京の美大出身である堀倉は、工業デザイナー、それも家電製品のデザイナーになることを希望していたが、メーカーはもちろんデザイン事務所も大小の規模を問わずにエントリーシートの時点で引っかからず、筆記試験で落ちることも多々有り、やっと面接まで進んだ二社からも結局、俗に「お祈りメール」と呼ばれる不採用通知を受け取る結果に終わった。 


 結局堀倉は、気乗りしないまま滑り止めのため受けておいたウェブデザインの会社とゲーム会社の双方から内定をもらい、給料がまだ高い方だったゲーム会社であるシヴァを選んだのだった。

 子どものころは、漫画やアニメも好きだったし、ゲームも楽しんでやっていたものだが、高校生になると、それらが子どもっぽくてカッコ悪いと感じるようになり、アニメを観ることもゲームをプレイすることも止めていたので、「いい大人が夢中になる子どもの遊びを作る仕事」だというのが、ゲーム開発という仕事に対する掘倉の見解だった。


 そうして、流されるままゲーム会社に入社した堀倉を待っていたのは、ゲーム開発現場の怒涛の様な仕事漬けの日々である。戸惑いと葛藤の連続だった。

 3Dモデリングの心得はあるものの、プロジェクトでの必要性に応じて、3Dモデリングだけではなく、モーションを動かすためのセットアップや2Dの素材作成と、色々な仕事をこなさなければならない。

 そのために覚えなければならないことも多い上、特に堀倉はいつも胃を痛めているような気弱な性格が災いして、面倒な仕事をよく押しつけられた。

 エフェクトをやり出したのも現場で必要に迫られたためで、一昨年から手をつけたという状況である。

 他の3D系の作業も並行していたため、また初期レクチャーを行ってくれるはずの同僚も、そこまで丁寧に教える時間もなく、堀倉は文字通り手探りで作業を進めてきたのだった。


 一口に3D関係のデザイナーと言っても、モデル作成に留まらず、スケルトンやリギング、スキニングと呼ばれる、モデルをモーションで動かすための準備・設定を施す工程や、モーションの作成方法一つとっても通り一遍なやり方ではない様々な方法を学ぶ必要がある。

 さらに、会社内でもプロジェクトによってモデリング担当とモーション担当が一緒だったり別チームだったりと、ゲーム業界はまさに日々変動し続け、ある技術が一年後には主流ではなくなったり、自動化されていたりすることなどが珍しくもなんともないという世界であった。


 仕事だからという義務感はあるものの、人体やモンスター、メカなどのモデリングやそのモーション作成を学ぶことそのものは、堀倉にとっては楽しかった。

 最初に開発チーム入りしたゲーム、『乱馬龍剣伝らんまりゅうけんでん』で、堀倉の成果物はモデルもモーションも現場で「しょぼい」という評価が度々下り、そのたびに堀倉は落ちこんだ。


 力を入れてモデルを作りこめば、「そのモデル、そんなに力入れる必要は無いだろ、ザコなんだから」と言われる。

 難易度の高いモデルを作れば、「しょぼい」と事あるごとに評された。 


 それでも挫けず、堀倉は努力を続けたが、生来の気の弱さもあって、彼は職場でも便利使いされるようになってしまった。

 さらに2D、エフェクトと事あるごとに担当を変えられていくうちに、堀倉は精神をすり減らし、憔悴していった。

 そんな彼を見かねた妻の香奈かなは、辛いなら仕事を辞めて休んだらと優しく言ってくれた。

 妻と愛猫デニムに励まされる形で、堀倉は何とか立ち直ったものの、低評価の烙印を押されるたびにやる気は萎え、結局力を入れたのは最初の一作目のみで、それからは割り切って仕事をすることにしたのである。

 後は流されるまま、言われるまま、ただこなすだけの仕事を続けた。

 掘倉は大学時代からつきあっていた香奈と結婚して五年になる。

 三十一歳同士の夫婦は子どもにもまだ恵まれていない。

 そして堀倉は、転職して工業デザイナーになる夢を、あだあきらめていないのだった。


「よっ、ホリ、久しぶり」


 居酒屋の個室に入った掘倉の目に入ったのは、高級スーツに身を包み、細身で整った顔立ちをして、丸いオシャレな眼鏡をかけた山戸やまと聖哉せいやの笑顔だった。

 堀倉は彼が苦手だった。

 大学時代の英会話サークルの同期なのだが、デザインセンスに長けて学生時代から大小の賞を獲得し、洗練されたファッションセンスと整った容姿から女性部員たちに囲まれる、いわばサークルカーストの上位である彼とは、なんとなくソリが合わないなと堀倉は感じていた。


 山戸の方はそんなところを気にするでもなく堀倉に接してくれるので、他の同期の男子部員、杉山すぎやまたかし濱部はまべ一正かずまさらと共になんとなく、という体でヤマ、ホリ、あだ名で呼び合う友人関係になった。

 ところが、ある時点から、山戸は事あるごとに掘倉を下に見て、冗談というベールに包んで小馬鹿にしたような言動をするようになった。


 その傾向は、山戸が有名なデザイン会社に就職を果たし、掘倉が希望とは異なるゲーム会社に入社したことでさらに拍車がかかった。

 冗談というオブラートに包んではいるのだが、堀倉を明らかに見下してやろうという意図が感じ取れる。

 卒業後、同期会や仲の良かった連中と集まって飲み会をする機会は何度かあったが、堀倉は山戸が来るなら欠席するようにしているくらい距離を取っていた。


「何だ、ヤマも来てたのか」


 堀倉が努めて平静を装って言うと、山戸はネクタイをゆるめて自慢げに言った。


「いや、ほんとは仕事が忙しくて無理だったんだ。家電メーカーのクライアントと次の新製品の打合せの予定が入ってたんだけど、先方の都合で急遽キャンセルになってね」


 個室には、他に同期の杉山すぎやま濱部はまべがいる。

 奥に座っている濱部が、そっと両手を合わせて掘倉に頭を下げた。


「そうか」


 それだけ言って席に座る。

 山戸がいるなら帰る、という行動はさすがにとれない。

 だが、久々の再会に乾杯してまもなく、互いの近況や思い出話の後、早速山戸の攻撃が始まった。


「ところでさぁ、ホリってまだピコピコの仕事してるわけ?」

「そりゃしてるさ」


 返事は素っ気なく簡潔にしよう。

 そう思っても山戸は執拗に絡んでくる。


「へーっ、今はどんなことやってるの?」

「エフェクトを作ってるよ」

「ゲームの爆発とか魔法の効果とか、そういうのだろ? 映画でも使われるような特殊効果」

「それにゲーム業界って景気いいっていうしな」


 杉山と濱田がポジティブな方にフォローしてくれると、山戸は興を削がれた様に言った。


「ふーん。まあ俺は今の会社でもうチーフ任されるようになったけどね。堀倉はそこんとこどうなわけ?」

「別に。普通のスタッフだよ」

「へー。スギとハマはもう部下もいるんだよな」


 杉山は中堅規模のデザイン会社に勤めており、現在は部下を数人持って一つの案件を進めるチーフになっていた。

 濱部は、ある食品メーカーのデザイン部門の仕事に就いており、主任の肩書きを持っている。


「やっぱりなあ、俺たちももう中堅の役どころを担って、今から会社の中心になっていくって年だもんな」


 山戸はそう言って生ビールを飲み干す。


「ホリ、お前さあ、学生時代のころからだめだったじゃん。もっと意識高く持って仕事しねえとな。例え望んだ仕事じゃなくてもさ」

「ヤマ、お前いい加減にしろよ」


 濱部が真顔で山戸をたしなめる。


「いいってハマ」


 堀倉は苦笑して、濱部をなだめた。

 いつものことだし、山戸がこんなに態度が悪くなるのは自分に対してだけなのだ。

 そして、山戸がなぜ自分を攻撃するのか、その理由も堀倉には分かっている。


「俺はな、ホリのためを思って言ってやってんだよ。任天堂とかメーカーならともかく、中小の下請けゲーム会社なんてオタクでガキみたいな人間ばっかりいるんだろ? そんなぬるい環境の中で成長するにはさ、やっぱり意識の持ち方って大事だと思うわけよ。大人の男の仕事ってのはさぁ」

「俺、そろそろ帰るよ。奥さんが待ってくれてるから」


 堀倉が席を立とすると、山戸は引き留めた。


「おい、まだ四十分しか経ってねえだろ」

「香奈ちゃん元気か? よろしく伝えておいてくれ」

「わかった」


 濱部が援護射撃をしてくれたので、山戸を無視してお金を机の上に置くと、堀倉は席は立った。


「おいホリ」


 山戸が絡み口調で背中から声をかけてきた。


「ゲームの仕事なんてして楽しいのかよ」


 堀倉は振り向かずに言った。


「ああ、楽しいよ」


 堀倉は嘘をついた。

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