第23話 ミーティング
大手ゲームメーカー、株式会社ヘクトルのプロデューサーである
複数のプロジェクトを担当している嵯峨だが、その中の一つである『HSG』のアルファ2ROM出し日が今日であることは当然チェック済みである。
午前中は部署の打合せが一件、午後からは開発会社との打合せが一件。『HSG』のROMは今日の十八時までにアップすると連絡が来ている。
さて、あのダメダメだった『HSG』がどうなっているか。
ちゃんとゲームになっているのか。
おそらくは無理だろうと嵯峨は思った。
よしんば、多少マシになっていたとしても、激的にゲームとして良くなる、という目はないだろう。
『HSG』は企画書の時点から致命的な欠陥があるのだ。
今回のROM出しにダメ出しを行う際、嵯峨はそれを徹底的に説明してやるつもりだった。
それだけに、その日の夕方、アルファ2ROMをアップしたという連絡のチャットでの報告内容を読んで驚き、続けてゲーム内容をチェックした時にさらに驚かざるを得なかった。
嵯峨が指摘してやろうと思っていた、サードパーソン視点に変更すべきだとの考えが、バックビューモードという形でテスト実装されていたからである。
それだけではない。本来の仕様である主観ビューモードでプレイしても、内容は格段に良くなっている。
嵯峨は、具体的にどこが良くなっているのかを冷静に、一つ一つ言語化していった。
まず、見た目。
モデルのクオリティが格段に上がっている。
大事な要素であるアウラ・ハントの造型も色味も、アニメを忠実に再現していた。
新規実装された機体選択画面の格納庫も質感が高まり、製品版として広報しても問題のないクオリティに達している。
次に操作感覚。
以前の論外な問題点が解消されるのはある程度予想していたが、それ以上に操作感覚が気持ちよくなっている。
歩く、走る、ダッシュ、ジャンプ、攻撃、回避がモーションと合わせて違和感無く、思う通りに操作できた。
ゲーム性も考えられていることがわかる。
メインの目的は与えられるが、ゲームとしてのポイントは、時間の経過と共に変化する戦場への対応をプレイヤーに要求する形になっている。
戦況の変化は、リアルタイムに映像通信でやりとりされる登場キャラクターの会話で伝わるようになっており、その戦況の変化に応じて、次にどこへ行くべきか、何から倒すべきかを判断し、状況に対応してアウラ・ハントを操作する。
アウラ・ハントの操作についても、ブーストをどう利用するかを考えさせる作りになっていた。
ブーストは、高速移動やガード、緊急回避にも使えるが、使用にはゲージが必要で、使いすぎるとオーバーヒートして一定時間使用不能になる。
よくあるといえばよくある仕様だ。
だが、それが違和感なくゲームに収まっていることを嵯峨は認めざるを得なかった。
武装にも弾数制限があるため、考えなしに無駄弾を撃つとすぐに弾切れとなって一定時間使えなくなる。
武装には威力や切り替えた時に使用可能になるまでの時間、リロード時間などの要素があり、機体ごとにどんな武装をどう使って攻撃を回転させていくかを考えないと、効率良く戦えない仕組みになっていた。
何よりも、バックビューモードでプレイすると、プレイ感覚が今までとまるで異なり、自分の思うようにアウラ・ハントが操作できて、しかもアニメにあるような派手な挙動を再現している。
これが見た目の派手さと爽快感に繋がっているのだ。
この主観モードの廃止が、嵯峨が指摘してやろうと思っていた企画当初からの欠点の最たるものだった。
嵯峨からすれば主観ビューのゲームとして企画立案した側もそれを承認した側も、双方のセンスを疑いたくなる。
アニメが原作もので、派手な挙動もあるのに主観ビューにする理由がまったくわからない。
自機がどうなっているか把握できないし、派手な挙動も入れられない。
FPSでのオンライン対戦を主眼にしたマルチプレイゲームとするならばまだ理解できるが、今回の企画はそれを想定していないのだ。
だから、今の開発の面々も主観ビューでの開発ということでリスタートしたことから、そこに何の疑いもなく、機械的にそのままでの開発を続けてくる。
嵯峨はそう思っていた。
現状問題があると感じるのは、地味な2DのUIやエフェクトだが、他の要素はこのまま量産とブラッシュアップを続けていけば、間違いなく製品として売り出せるレベルになりえる。
ステージ1を数回クリアして、嵯峨はアルファ2版ROMとしては承認せざるをえないと感じた。
前回のROMからここまでの進歩を考えると、現場に何か起こったか。
確か、後から合流する予定の派遣会社からのプランナーがチーム入りしたはずだ。
そのプランナーの力だろうか?
嵯峨は腕組みする。アルファ2ROMアップの報告チャットには、ゲームの視点をバックビュー視点に変えることを提案したい、今回はそれをテストとして実装している、その点について検討をお願いしたいとあった。
嵯峨は、とりあえず現場に行かなければならないと判断した。
納期通りにマスターアップする前提で、ゲームが良くなるのは一向に構わない。
だがそれは、クリエイターを気取り、それでいて開発の本質を理解せず、プライドだけが高い現場スタッフの手によるものではなく、自分の指示によるものでなければならない。
主導権を握るタイミングを早めにした方がいいかもしれない。
嵯峨は、『HSG』のプロジェクト打合せの準備に入った。
二日後にトリグラフを訪れた嵯峨は、会議室で
伏野とはチャットで話したのみで、実際に会うのは初めてだった。
名刺交換をしようと思ったが、伏野誠太郎は派遣社員のため名刺がないという。
「いや、もうアルファ2ROMの出来は素晴らしかったですね。今回は問題なく承認です」
前回とはうって変わって、破顔の表情を作って開口一番そう言って場を柔らかくする。
三人が笑顔になったところで間髪入れず真顔にして本題に入る。
緩急で不意をついて場の主導権を握る。
こんなものは交渉術とも呼べない小手先の技術だが、ゲーム開発者相手などその程度で場の主導権を握れるのを嵯峨は心得ている。
「で、本題の視点を変えたいという件ですが」
と言って、三人の表情を真顔にさせる。
「改めて、意図をご説明いただけますか?」
声をやや硬くすると、伏野と矢切が顔を見合わせ、矢切が伏野に向かってあごで頼むというジェスチャーをすると、伏野が話し始めた。
「はい、今回のROM出しの前に、ゲームをどう改善するかについて話し合ったのですが……」
伏野は、簡潔に、しかし的確にバックビュー視点に変更したい理由を説明した。
ゲーム概要を見直す過程で、アウラ・ハントの挙動も修正することになったが、その中でもっとアニメに入れられる派手な挙動をゲームに入れられないかという話になった。
アニメに出てくるような派手な挙動は、コックピット視点では表現しづらい。何が起きているかわかりづらいからだ。
そこで、バックビュー視点にすれば、プレイヤーはアウラ・ハントの機体そのものの挙動を見やすくなり、アニメに出てくる派手な挙動も実装できるようになる……。
「もちろん、企画書にある内容を勝手に変更するわけにはいきません。ですから、今回はテスト実装ということでカメラの視点だけを変更したテスト版を実装させていただきました。コックピット視点にする必要性が低いなら、ゲームの流れそのものは変わらないので、メリットの方が大きいと開発側は考えているでのすが、いかがでしょうか」
嵯峨は、ノートパソコンに伏野の発言の要点を入力してから口を開く。
「それを実装すると、ゲームはどうなりますか?」
これは鳥羽が開発者に対してよく投げる設問の一つだった。
開発者たちは、仕様を変更したいという相談をしてくる際、「その理由はこうです」という話まではする。
だが、その結果、ゲームがどう変わるのかまでに思いを至らせる開発者はなかなかいない。
答えは理由とほぼそのまま重なるのだが、この質問をすると答えに窮する者が、存外多い。
それはどこか自信の無さの表れであると嵯峨は経験から分かっていた。
「はい、まず、ユーザーが機体が今どういう挙動かを把握しやすくなります。これは、操作しているユーザーが、操作感と見ている機体の挙動との不一致感が薄まるということです。第二に、挙動を把握しやすくなるということから、アニメにも出てきた、無茶な挙動を特殊技として実装することが可能になりますから、原作らしさという点も強化できることになるかと」
伏野誠太郎はすぐにそう答えた。
「ほう」
嵯峨は表情を変えずに次の確認事項を投げる。
「工数はオーバーしないですか?」
「HUD、カメラの仕様は変更する必要がありますが、それ以外の点で大きな変更は無く、まだ期間内に吸収できるという見通しです」
今度は金矢がそう答えた。
このプログラマー、前とは顔つきが違う。
以前はもっと活力に欠け、無精髭と強がりが表に出たいかつい顔つきが印象だったのに、無精髭はそのままだが、表情が明るい。
これが本来のこの男の顔なのだろうか。
「わかりました。それではバックビュー視点も追加ということで」
嵯峨がそう言うと、三人ともえっ、という表情をした。
「追加ではなくて、仕様の変更を、ということでお願いしたいところなのですが」
「えーとですね」
金矢に対して嵯峨は、一点して表情を柔らかくする。
「最初の企画を立ち上げた時に、原作者であるところの
「ああ……なるほど」
伏野はそう言って苦笑したが、金矢は真顔になっていた。
「ええと、仕様追加、ということになると、工数はその分上がる、ということになりますが」
金矢の指摘は当然のことだった。
主観視点をバックビュー視点に変更する、ということであれば、期間内に吸収できる。
だが、主観視点に加えて、バックビュー視点も選択できるという仕様の追加になると、単純にカメラやHUDの実装、それにチェックの工数は倍になるのだ。
「当然ですね」
「では、期間はその分延長していただけるのでしょうか?」
「持ち帰って検討することになります」
伏野の問いに、嵯峨は冷静に答えた。嘘ではない。
版権モノのゲームである以上、仕様変更が原作のイメージにつながる性質のものであれば、版元である
版権モノゲームで、勝手に大元の仕様を変更することは許されないのだ。
「ですので、当面は主観視点とバックビュー、両方で開発を進めてください」
「ファン目線で考えたら、両方選べるというのはいいかもしれませんね。エアーコンバットシリーズもそうだし」
そう言ったのは、今までろくに発言しなかった矢切武だった。伏野と金矢は、えっ、という顔をして彼の方に顔を向ける。
「ガンファルコンのようなリアルロボものでは、コクピット視点でアウラ・ハントを操作してみたいという欲求は、ファンならば確実にあります。確かに主観視点では派手な挙動がどうなっているかわかりづらい。でも、デフォルトの視点をバックビューにしておけば、操作すれば機体の挙動はこうなる、ということは自然と憶えていくでしょう。その上でのバックビュー視点でゲームをプレイできるのであれば、やりこみ要素と割り切って実装してしまうのもありかもしれません」
「ファン目線か……確かにそれはあるかもな」
「そうか、主観視点そのものを切り捨てるという選択はまだとらないほうがいいかもしれませんね」
伏野も金矢も矢切の意見に納得しているようだった。
「それでは、バックビュー視点変更について、改めて先方へ出すための資料をください。この前の資料の抜き出しとリファインで構いません。それから、明後日までで結構ですので、次の進捗ROMの実装予定の内容を送ってください」
そう言って、嵯峨は会議を終えた。
ヘクトルへ帰る途上で、嵯峨は盤古社との打合せの段取りを考え始めている。
だがそれとは別に、開発陣に対する印象が、当初抱いていたものとやや異なる色彩を帯びていることを感じ、それが嵯峨の中で違和感を生じさせていた。
(やはり伏野誠太郎がキーマンか? それにしても、工数が増える作業は極力やりたくないという今時の開発陣の中で、金矢も矢切も前向きになっていやがった)
特に矢切武は、アルファROM出しでの動きと結果から、やる気も見えないし、段取りもぼろぼろでROMの結果もさんざんだったことから、想定通りの「使えないスタッフ」の筆頭だという烙印を押していたのだが、存外、まっとうなものの見方を持っていると嵯峨は思った。
ファンゲームとしてどうあるべきかという作り手の視点は、版権モノゲームの開発に当たって極めて大事な視点である。
(いや、まだ余裕があるからだろう)
嵯峨は、結局そう結論づけた。今はまだ納期間際ではない。
そうであれば、仕様の変更や追加も、気軽に何とかなるさと軽く考えてしまい、自分の「作り手」「クリエイターとして」との自己顕示欲を前に出しがちなのが開発者だ。
これが納期間際になれば、突然ゲームの質は脇に置いて納期を優先する優秀なサラリーマンになる。
さて、どうするかと嵯峨は思案する。
自分としても最終的にはバックビュー視点一択しかないだろうと考えていたが、矢切武の両方実装するという選択肢は一考の余地がある。
託されているプロジェクト終了のための予算にはまだ余剰がある。
それをどう使うかは自分の裁量の範囲内にあるのだ。
嵯峨を見送った後、再び会議室に戻った矢切、伏野、金矢の三人は、伏野の議事進行で今後の動きについての打合せを行っていた。
「さてと。今の打合せから、やることはと……」
伏野がホワイトボードに書き出していく。
矢切は仕様の事かと思っていたが、伏野が書き出したタスクはより細かいものだった。
1:打合せ結果のアナウンス
2:進捗ROMでの実装内容決定
3:バックビュー視点のカメラ&HUD仕様実装
「えーと、今の打合せ結果は、僕がまとめておきますね。次に、進捗ROMの内容についてですが、これはまた別に全員で打合せした方がいいでしょうねえ」
「そうだな、夕方にでもやるか」
金矢がノートにメモを取る。
「バックビュー視点のカメラとHUDの仕様は、僕が切ります。で、矢切さんにチェックしてもらうってことでいいですか?」
伏野の提案は望むところではあったが、矢切はどこか面白く無かった。
自分で大変な作業はしようとしないくせに、それを他人が進んでこなすことが面白くないのだ。この男の駄目なところである。
「ん、まあいいけど」
と言葉に少し含みを持たせるという行為が、矢切武という男の器量の狭さを露呈している。
だが伏野も金矢も気にした様子はなく、月末の進捗ROMに実装する内容も夕刻の打合せで決まった。
伏野への屈折した感情が、矢切の中で生まれつつある。
打合せ前には必ずラムネ状のお菓子を食べる伏野を見て、どこかいらだちを覚える矢切だった。
だがそれでも、無事にアルファ2ROMの承認を勝ちえたのは間違いない。
その事実は、今まで自分が携わってきたどのゲームのROM承認よりも、喜びに満ちているのだった。
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