第21話 リカバリー

「そのプロジェクトの中止が、会社にとどめを刺したみたいです。どこかから融資の話があったらしいのですが、プロジェクトが中止されて、結局会社の開発力そのものに対する信用がなくなって、融資の話も無くなったと」


 金矢かなや冨和ふわも、酒を飲みながらじっと井出野いでのの話に耳を傾けている。


「自分は、もっとできる人間なんだと思ってました」


 井出野は自分で思っていたほどの才能もスキルも無かったことを思い知らされたと自嘲した。

 あの自信の塊のような男が、目を腫らしている。


「自信があってディレクターになったのに、思い通りに成果をあげられなくて、焦りばかり募って……。どうして誰も自分の思う成果を出してくれないのか、どうして誰も自主的に動いてくれないのか。ずっとそう思っていました。皆、決断も判断もしないし、責任を背負いたくなくて全部俺に押しつけてきやがる」


 だから、昔金矢さんから言われていたことが分かるようになった、責任を背負い、自分で判断し、自分で決断をくだせるようにならなければならない、そういう人材が現場にいなければ開発は進まない、そのために仕事一つ一つを組み立てていく必要があったことを、やっとわかりましたと井出野は声を震わせた。


「いや……、俺の接し方もだめだったさ。今思えば、完全にパワハラだ」


 金矢は、落ちこんだ井出野が過去の自分を認めてくれたことで、何か、憑き物が落ちたように、自然とそんな言葉が口から出ていた。


「もちろん自分で気づいてほしい、プログラマーとして自立してほしいという気持ちはあったさ。でもな、それも結局、俺の独りよがりな自己満足から来たものだ」


 金矢は、井出野のグラスにビールをつぐと、自分のグラスにもついだ。


「とにかく、おまえはよくやったよ。見てないけどその様を見りゃわかる。今は休め。何も考えずに休めよ。おまえはよくやったんだよ」

「せやな。出社も一ヶ月後からやし、まずゆっくりと休んだらええわ」


 冨和もそう言って、また新たな料理と酒を注文した。


「それにしても、大変な思いをしたのに、やっぱりゲームが作りたいんだな」


 金矢がそう井出野に言うと、彼は赤木あかぎを憶えていますかと言った。


「赤木?」


 金矢は記憶に検索をかけるが、答えにたどり着く前に、自分と同期のプログラマーだと井出野は教えてくれ、それで金矢も思い出した。

 赤木あかぎ正人まさとは、やはり金矢のパワハラが原因で辞めたプログラマーだった。

 おとなしくて、木訥ぼくとつとしていて、これといって目立たない若手という印象しかなかった。


「赤木、一昨年に亡くなったんです。胃がんで」


 スキールニルを退職したのは赤木が先で、それから音信不通になっていたが、井出野がウールヴルーンに入った時、赤木をスカウトしたいと思って連絡を取った際、胃がんで入院していることを知らされたのだという。


「赤木はゲーム業界じゃなくて、システムエンジニアの会社に転職していたんです。けど、性にあわないって言ってて。それで俺がじゃあウールヴルーンに来ないかと誘ったら、本当に喜んでくれたんです。早くがんを克服して、またゲームが作りたいって」


 だが、がんの進行が早く、再会してから三ヶ月後に亡くなった……。


「最後にお見舞いに行った時、赤木は言ってました。もっとゲームが作りたかったって。俺自身ウールヴルーンで大変な目にあっていましたけど、それでも辞めなかったのは赤木のあの言葉が響いたからなんです。自分もゲーム作るのが好きだけど、一生の間に何本ゲームが作れるのかって」


 だから、会社が変わっても、やっぱりゲームを作り続けたいのだと井出野は言って、ビールを飲んだ。

 金矢は、赤木の言葉に、自分が間接的に彼を殺したのではないかという思いを抱かずにはいられなかった。

 自分が与えたストレスが源泉となり、新しい職場に逃げざるを得なくなり、そこでの仕事や人間関係に対する更なるストレスが、がんの拡大を加速させて彼の身体を蝕んでいったのではないか。

 自分のパワハラが無ければ、彼はあれからもずっとゲームを作り続けていられたのではないか……。


 だが、それを直接口にするのは避けた。

 新たな酒を飲みながら、金矢は自分もまた壁にぶつかっているのだと吐露した。


「俺もスキールニルを辞めてから今の会社に意気揚々と移ったけど、てんで駄目だ。やっぱり、何もかも思い通りに動かない。それに腹を立ててふてくされて、結局今は場末だよ」

「金矢さんが?」

「なんで思い通りにいかへんのやろなァ」


 冨和はそうつぶやいた。


「冨和さんはないんですか、そういうの」


 金矢が尋ねると、冨和は首をかしげて考えこんでいたが、


「まあなァ、こうしたらええんちゃうかなァとか、なんでこうせえへんのやろなかなァと思うことはようあったわ。それを自分から変えていくようにしてきただけやな」


 と言った。


 冨和は、スキールニルの中でも出世しているとは言いがたい。

 主任という肩書きは、彼の勤続年数から言えばとうの昔に通過すべきポジションでしかなかったし、彼よりも年下でスキルも劣るが、声が大きく、上役におもねるだけの輩が彼よりも出世している現状を金矢は知っている。

 主流だろうがそうでもないタイトルであろうが、開発チームの中でリードプログラマーとして活躍してきた彼の成果は、その上司の手柄のように会社からは扱われているのが実態だった。

 だが冨和本人は、そんなことはお構いなしに、課せられたタスクを黙々とこなし、自分の経験や知識を淡々と後輩に伝え、彼らの歩む道に一定の筋道をつけては自身を追い抜く部下の背中を見送り続けてきた。


 だが、冨和の様な人間が現場にいるからこそ、開発は前に進むのだ。

 他者を威圧せず、組織の中で特別であろうともせず、チームの目標を明確に見据えてそのために何ができるかを考え、チームが迷走している時でも常に手を変え品を変え、チームを陰に日向にハンドリングしてきた冨和の、部下の成長を待つことができ、他者を蹴落とそうとしない性格が、彼の元で育った多くのスタッフたちが成長し、行く道を自ら判断するに至るスキルを形成したのだと思うと、金矢はこの柔らかな関西弁の中年プログラマーに、言葉に言い表せぬ親愛と尊敬の念が沸いてくるのを感じた。


「自分は今、ちょっと変わったプロジェクトにアサインされてまして」


 金矢は、守秘義務に反しないレベルで今の自分のプロジェクトを語った。

 複数の会社のスタッフの寄せ集めであること。

 確かに各スタッフ、皆癖が強く、なかなか開発がうまく進まないこと。

 一人のプランナーが入ったことで、だんだん開発は進みだしたが、仕様変更の相談が多く、それを自分は拒否しがちになること……。


「正直、捨て鉢にはなってるんです。こんな、言ってしまえば損切りのプロジェクトでがんばる意味がどれだけあるのかって。当初の企画書通りのものを、納期に間に合うように納品すればそれでいいだろって。一昨日も仕様変更の相談があったんですが、もうそのキャラの実装期日は過ぎたって却下しました。でもずっとこのままでいいのかなぁって考えこむようになって」

「金矢君がそんな風に悩むちゅうことは、仕様変更の妥当性はあるわけやんな?」

「ありますね」


 新しいプランナーがアサインされてから、仕様書の精度や提案内容の妥当性が大きく上がった。これまでのプロジェクトのように、意図不明なもの、方法論が検討されていないものなどの、的外れな内容はお目にかからなくなった。

 だが、今更旬の過ぎた版権モノで、どう考えてもヒットの望めない出来にしかならないであろうゲームに労力を払う意味があるのか。

 またゲームを良くしようと立ち回ったところで、また煙たがられるだけではないか。

 大体、会社が自分に期待もしていないこともあってやる気もなかったはずだ……。


「でも、井出野君や冨和さんと話してると、今のままでいいのかって思いが強くなって」


 さらに胃がんで若くして亡くなったという赤木の話を聞いた時から、自分の中に何か小さな種火の様なもの生まれたのだとそれは心中でだけ吐露し、金矢はビールを一気に飲んでから静かに続けた。


「あと、やっぱり俺自身また失敗するのが怖いんだと思います」

「今の金矢君なら、うまくいくんと違うかなァ」


 冨和は穏やかにそう即答した。


「俺も、今なら金矢さんと仕事がしたいって思います」


 井出野もまた表現を変えてそう続け、金矢のグラスにビールをつぎ足した。冨和は続ける。


「金矢君は、もうパワハラはせんと思うで。大丈夫や。力になってやりィな」


 ゲーム開発において、きちんと目的の定まった、意図のある仕様を実装するのは、プログラマーにとってやりがいのある仕事ではないか。

 どれだけ優れた仕様書があっても、どんなに素晴らしいデザイン素材があっても、プログラマーが実装しなければ実態を成さない。

 ユーザーの目には触れない快適性に大きく貢献できるのはプログラマーをおいて他にない。

 だからこそ自分たちの仕事はやりがいがある。


「ぼくも色々なプロジェクトに関わってきて、今も仕事は楽しいと言える。そやけど、一番楽しかったと思えるのはプレイステーションやセガサターンが全盛のころやったなァ。チームも今ほど大規模でなくて、いろんな事をみんなでアレコレ言いながら試せたしなァ」


 金矢君の今のチームのような、少人数でコンシューマ用ソフトを開発できる機会など、そうは無い、思い切りやりたいことをチームの中でやってみたらどうだと冨和は言った。

 そうか、俺は俺で、ひょっとしたら貴重な開発現場にいるのかもしれない。

 だが、プランナーセクションがマシになってきたとはいえ、全体で見ればチームとしてのまとまりにかけることおびただしい。


 (それでも)


 金矢は無意識に頷くと、井出野が注いでくれたビールを一息に飲み干した。 


 翌日、始業後間もなく、金矢は矢切やぎりの席まで来ると、先日の『ブレイシア』の仕様変更に対応することを伝えた。


「うえっ」

「えっ」

「マジスか」


 矢切も伏野ふしの前戸まえとも、困惑の表情を浮かべて視線を交し合った。


「それはありがたいですが、本当にいいんですか?」


 矢切がいぶかしげな表情で再度確認してくる。無理もないと金矢は思った。


「ブレイシアⅡの方と、まとめて作業するから」

「ありがとうございます。でも急にどうして?」


 今度は伏野が笑顔で尋ねてくる。

 この男は、いつも明るい。調子に乗った明るさではなく、気質に陽性を帯びているというか、周囲の空気をどこか清涼なものに変えるような、そんな雰囲気を持っていると金矢は思った。


「仕様変更の妥当性が高いと思ったからだが」


 そこから金矢は続けた。


「それだけではなくて、ゲームが良くなる目があるかもしれないと思い始めたからな」


 矢切は一瞬、え、という表情を浮かべ、前戸は「おー」と声を挙げ、伏野は頭を下げた。


「ありがとうございます。それじゃ、改めて仕様のすりあわせをしたいので、後ほど打ち合わせさせてもらっていいですか?」

「わかった」


 オフィスと呼ぶには狭く貧相なこのスペースなので、今の会話はこの場にいる全員に聞こえたはずだと思いながら、金矢は自席へと戻った。

 プランナー陣以外の反応は見えない。

 そこへはらが来て、先日任された箇所を組んでみたので、コードをレビューしてもらえないかと小さな声で言った。


「わかった」


 思えば、原に対してもパワハラではないが、冷淡な態度を取り続けてきたと金矢は振り返った。

 だが、原は気弱ではあっても、自分を避けるようなそぶりはまるで見せていない。

 時間をかけて原の組んだコードと挙動を確認してから、いくつか質問をすると、原は例によって気弱さを絵に描いた様な表情ではあるものの、その答えは的確だった。


「OKだ。これで大丈夫。ありがとう」


 金矢がそう言うと、原はありがとうございますと、少しだけ笑顔になり、頭を下げて自席へと戻った。

 金矢も打ち合わせまで自分の作業を進めようと思ったが、とりあえず新たな『ブレイシア』の仕様書をパソコンで開くと、目を通し始めた。


 お昼休み一時間前から会議室で始まった、量産型アウラ・ハント『ブレイシア』の新しい仕様についての打ち合わせには、矢切、伏野、前戸、金矢、真上まかみ林田はやしだが参加した。

 そこで新たな仕様と、変更すべき挙動が確認された。

 真上も林田も、金矢も思う意見を挙げて、伏野が意見をとりまとめ、矢切に確認しながら、いくつかの仕様がさらに修正されることになった。


「これで、最初からアウラ・ハントを派手に動かせられますね。基本、もうバックビュー視点を基本にすること前提で作業してますし」


 伏野が嬉しそうに言う。


「そうだな、最初のステージは、チュートリアルも兼ねることになると思うけど、アウラ・ハントを操る気持ちよさを、段階的に提示する内容にしたい」


 矢切も、前戸がホワイトボードに書き連ねた仕様変更点をノートパソコンに入力しながら真剣な表情で言った。


「まだ先だとは思うが、チュートリアルってどうするか、何かイメージは?」


 金矢の問いに、矢切は頷いて、最初はフリーに操作してもらい、その後段階的に操作をレクチャーしてから実際に操作を行ってもらう方式を考えていると伝えた。

 金矢はほう、と素直に感心する。

 この男は、適当な発言の時と真剣な発言の時の落差が激しいが、後者の割合が日に日に増していくことを金矢は感じ取っていた。

 改めて仕様変更分のタスクが発行されることを確認し、来週末に迫った二回目のアルファROMに向けて、漏れている作業がないかも詰めてから、打ち合わせは終了した。


 仕様書はまだ更新されていないが、打ち合わせの結果を前戸がテキストでまとめてアップしてくれているので、現状の仕様書から何がどう変わるかは大体把握できている。

 真上の作ったキャラクターモデルは、以前のものとはクオリティが段違いだった。

 モーションは、修正分の作業を、林田がこれから手をつけていくのでその分はおいておき、現状できる挙動の仕様変更から手をつけることにする。


 (よし、やるか)


 ゲームの開発といっても、その作業は地味だ。

 仕様を決め、素材を作り、コードを組み、画面に出力して遊べるようにする。

 そしてプレイしてみてまた問題点を挙げ修正していく。

 それを期間内に愚直に地道に繰り返す以外にない。

 そしてこの繰り返す作業の中にこそ、ゲームの価値が眠っている。

 それをディレクター、プランナーの提示した地図を頼りに掘り下げていくのが俺の仕事だ。

 金矢は久しぶりに、どこか高揚感がわき上がってくるのを感じながら、コードを組み始めた。

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