第四章 視点

第16話 マネージメント

「それは認められませんね」


 嵯峨さが剣聖けんせいは、静かに、冷徹に言い放った。

 目の前では、下請けとしてヘクトルのゲームソフトを開発している開発会社のディレクターと、その会社のマネージャーが驚愕の表情を浮かべている。

 二人は、オールイン(全要素を実装し、後は調整とデバッグのみが基本作業となる状態のこと)が定義となるベータROM出しを一ヶ月ほど遅らせてほしいと、直接お願いに来たのだった。

 これまでの嵯峨は、腰の低い、下手に出る様な態度と表情と声のトーンで接してきたので、落差に面くらったようだった。


「で、ですが、ちょっと今のペースでは到底間に合いそうにないので」


 そう言葉を返したマネージャーの言葉を、嵯峨は遮る。


「どうして今なんですか? 先週までは順調だと仰られていましたよね?」


 大声を出すのではない。

 下腹部にグッと力を入れ、肚から声を出す。

 室内全域に響き焦るように意識するだけで、声が相手によく響くことを嵯峨は知っている。


「も、申し訳ありません、残りの未実装項目を洗い出してリスケしたところ発覚したというか」

「お話にならないですね」


 嵯峨は詰めたく突き放した。


「遅れるということであれば、遅延による損害金を支払ってもらうしかありません。まあ、納品時の支払いからさっ引くという形になると思います」

「そんな!」


 マネージャーは悲痛な声をあげた。

 契約内容にもよるが、ヘクトルに限らず、メーカーから下請けの開発会社への支払いは、総額をすべて一度に払うのではなく、開発費用を開発期間で割って月単位で支払い、さらに「マイルストーン」と呼ばれる一定の成果物を実装したゲームの納品単位も混みで、分割して支払われることがある。

 マイルストーンでのROM出しの結果、ヘクトルが「承認」すれば支払いが行われるのであるが、納品が遅れるとその分の支払いはされない。


 さらにマスターROMの納品が、開発会社のせいで遅れる場合は「損害遅延金」を課される。

 だが、昔と違って、今は開発会社もそれなりに経験を積み重ねて、何とか納期までに間に合わせる会社が多いし、メーカーも鬼ではない。

 よほど怠慢で劣悪な事情が無い限り、遅延が生じても、追加の開発費は出さないが期間は延ばすなど、どこかで妥協点を見いだすのが普通だった。

 それが、この嵯峨という男はいとも簡単に、書面上の契約文言という銃口を向けてきた。


「マ、マスターまでには何とかしますからそれだけは勘弁してください!」


 嵯峨は答えず、考え込むフリをする。

 ゾクゾクする瞬間だ。

 相手の生殺与奪をこの手で握っているこの時が、嵯峨の密かな悦楽と言えた。

 これまでは、明らかにこちらを見下し、自分が常に正しいと信じて疑わない現場の人間に、恥をかかせ、頭を下げさせざるをえないような状況に追いこむ。

 嵯峨は心の中で相手を侮蔑し、「所詮開発の人間などこんなものだ」と嘲笑することに楽しみを覚えているのである。

 

 嵯峨は、打ち合わせを終えると、遅めの昼食を取るべく、正社員のみが利用可能な社員用食堂でランチを頼んだ。

 席上にノートパソコンを広げて、打ち合わせの要点をメモしていく。


 (相変わらず開発者どもは)


 嵯峨は先ほどの打ち合わせを思い起こしながら冷笑を浮かべた。

 結局、次のオールインを遅らせてほしいと直接交渉に来た二人を、嵯峨は散々なじり、皮肉を吐いて追い詰めてから、検討してやる、といった体で追い返したのだった。

 実のところ、この事態は嵯峨にとって想定された事態であり、対策の手はとっくに打っている。

 あらかじめ上司にもそれを見越した納期を報告していた。

 これまでの実装の進め具合から見て、間に合うわけがないのだ。

 一ヶ月ほどくれと言っていたが、まずもって三ヶ月は必要になるはずだというのが嵯峨の読んだ見積もりで、上司には三ヶ月後オールインの想定をスケジュールとして報告してある。

 だが、それを開発会社にストレートに伝える気は無い。

 納期が伸びたことを伝えれば、また連中は「緩む」だろう。

 脅しすかし、緊張感を持って開発業務に尽力してもらおう。


 ランチの唐揚げ定食を食べながら、現在抱えているタイトルの現状を改めて振り返る。

 大手ゲームメーカーであるヘクトルに限らず、プロデューサーは複数のタイトルを抱えていることが普通だ。

 嵯峨が現在抱えているタイトルは、立ち上げ中のもの以外では二本。

 現在、コンシューマ市場と呼ばれる家庭用ゲームソフト市場は、一昔前の濫造の時代とはうってかわって、まるまる新規のゲームソフトを開発できるメーカーはごく一部に限られていた。


 スマホでプレイできるゲームが莫大な利益をもたらしていることもあり、ヘクトルでも当然それを事業とする部門があるが、嵯峨はコンシューマ専用部門のプロデューサーだった。

 安価なダウンロード専用ソフトを除けば、一本のソフト開発には、膨大な予算がかかることもあり、メーカーが手がけるコンシューマの新規タイトルは数が絞られる。

 その分プロデューサーの椅子も減るわけで、嵯峨はその中でもやり手として頭角を現していた。


 それは、嵯峨の納期を遅らせない管理能力を、直属の部長が高く評価してのことだった。

 その評価はうなぎ登りで、「嵯峨に任せれば、外部の開発会社を使っても、きちんと納期通りに納品させる」とコンシューマ事業部でも評判になっている。

 現在手がけているタイトルの一本が、先ほど納期を遅らせてくれて泣きついてきたRPGで、もう一本が、HSG――『放浪戦記ガンファルコン』であった。


 嵯峨にとってこのHSGは、「とっとと終わらせるべき案件」である。

 会社としても「損切り」のタイトルであり、確実に納期内に終わらせることで名を馳せている嵯峨に、いわば後始末の処理が託されたのだった。

 嵯峨は内心舌打ちしながらも、損切り案件として普通に開発を終わらせればいいのであれば、さほど難易度は高くはないと考えていたが、その認識をアルファROMの結果から改める必要を感じた。

 スタッフの質とやらにも大きく問題があるようだ。

 各社、急遽手空きのスタッフをアサインしてもらい、不足の分は派遣会社のプランナーまで使う形となったとは聞いていたが、これは確かに「使えない連中の集まり」だ。

 まあ、せいぜい納期通りに終わるよう仕事を進めてもらうさ。


 嵯峨にとって、ゲーム開発の現場にいる連中は侮蔑の対象でしかなかった。

 現場の仕事をしているというだけで、自分たちを業界の中で特別な存在だと勘違いをしている。

 クリエイティブな仕事をしているとうぬぼれながら、そのくせ自己管理も作っているものの客観的評価もできずに、予定より遅れて実装されたゲームは問題だらけ。


 嵯峨は、ヘクトルのQA(品質管理)部門に、デバッガーのアルバイトとして入った時から、ゲーム開発の流れや、仕様の要というべきものに、徐々に気がついていった。

 問題がある箇所について報告を挙げると、それは仕様ですと答えが返ってくるが、具体的にどういう仕様なのか、またどうしてそうしたのかという「意図」を問い詰めていくと、とたんに返答が来なくなる。

 返答できないので、「時間切れのため仕様で押し通す」つもりなのだと悟ってからは、デバッグチームのリーダーに速やかに報告するようにした。


 特に、バグのみではなくて、ユーザー目線で見て不便だと思われる実装状態に対して「仕様です」と答えてくる開発者に対しては、その仕様の詳細ではなく、どのような意図でその仕様にしているかを訊くことは、開発側がロジックではなく、フィーリングで実装を進めていることの証左となった。

「売れてるあのゲームがこうしているので」という返答を返してきた開発会社もいた。

 嵯峨は冷笑した。

 ゲームの開発者などと偉そうにしていても、多くの開発者の実態はこんなものか。


 嵯峨は、デバッガーとしての手腕からリーダーになり、さらにそこから管理能力を評価され、正社員へと昇格すると、そのまま短期間でコンシューマ事業部の開発部門へ異動、アシスタントプロデューサーへと抜擢され、数年でプロデューサーへととんとん拍子に出世していった。

 開発現場の面々と直に接するようになってからは、開発中のゲームの問題点を指摘して、開発会社に改善を促すと共に、納期に間に合うよう、後で致命的な問題になると思われる箇所は、その進捗や仕様変更を巧みにコントロールしてスケジュール通りにプロジェクトをいくつも終了させ、会社に黒字をもたらした。


 だが、嵯峨にとっての喜びは、開発現場の人間を顎で使えることだった。

 偉そうにご高説を垂れていたディレクターも、仕様の問題点を指摘してやるとすぐに返答に詰まる。持ち帰りますという。

 嵯峨にしてみれば、自分にやらせればすぐに解決する仕様を考案できた。

 大半の開発者は仕様をフィーリングで実装している。

 そう悟ってからは、嵯峨は自らの手で現場をもてあそぶことに密かな快感を感じるようになっていた。


「嵯峨さん、隣いいですか?」


 同じコンシューマ事業部のプロデューサーである黒野くろのが話しかけてきた。

 嵯峨よりも七つも年上だが、この先輩は年下の同僚に対しても言葉遣いが丁寧だった。


「どうぞ」


 嵯峨が了承すると、黒野は席に座り、ハンバーグ定食の乗ったトレイを置いてから水を飲んだ。

 彼は、下請けの開発会社へ赴いての打ち合わせを終えて帰ってきたところだという。

 開発は順調といいっていいが、これから通信対戦の実装を進めるので、それが大変だと黒野はため息をついた。


「そちらは? HSGでしたっけ、あれはもう損切りのプロジェクトで大変ですね」

「ええまあ」


 嵯峨はせいぜい控えめに答えた。

 損切りのプロジェクトだから、無事に終わらせればそれでいいのだった。


「とりあえず、きちんと終了させなければならないですからね、そのための段取りを考えています」

「大変ですねえ」


 黒野は気の毒そうにいいながら、ハンバーグを食べ始めた。

 こんなソフト、手がけたところで話題性もさほど無ければ大したできにもならない。

 となれば、開発の連中を脅し、尻をたたいて、納期に間に合うよう尻を蹴っ飛ばしてやる。

 嵯峨はノートパソコンをしまうと、キツイ目で鶏の唐揚げを力強くかみちぎった。

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