第14話 バックグラウンド処理

 (やってられるか、こんな職場辞めてやる。実力が正当に評価されない現場なんてばからしい)


 自分の腕なら、すぐに次の職場は見つかる。

 そう思って転職活動を開始しようとした真上まかみだったが、同棲していた香織かおりがついに鬱病うつびょうを発し、会社に行けなくなってしまった。

 早くに両親を亡くし、実家と呼べるべきものが無い彼女を、真上は見捨てることができなかった。

 真上はこのまま二人で暮らしていこうと思った。

 だが彼女は滅多に喋らなくなり、大学時代にもてはやされた美貌は影を潜め、無気力に一日マンションで寝ている。

 香織を医者に診せたり、生活の世話をしている間に、転職をする気力も無くなって機械的に指示されたことだけをやり、余計なことは言わないしやらないようになったのだった。


 あれから数年が経つのに、自分はまだ同じ場所に居続けている。

 真上は自分の今の立ち位置を改めて振り返った。

 あの出来事以降、軽部からは完全に厄介者というラベルを貼り付けられたらしく、黙って仕事をこなしているのに仕事の評価も給料もなかなか上がらない。

 あげく、今回はこの出向だった。


 今の自分は本当の自分ではない。

 俺はもっとできるやつなのだ、と真上は歯がみする思いで、香織との生活のために日々を過ごしてきた。

 香織の鬱も回復したとは言えないが、薬さえ服用していれば、さほど心配はいらない。

 また転職活動をしようと真上は決意した。

 こんな腐れたやる気のないチームにいつまで居続ける義理はないのだ。

 真上はまだ慣れたとは言えない通勤経路の風景に違和感を覚えつつ、帰宅の電車に乗ったが、自分はいいゲーム、面白いゲームを作りたいと思っていただけなのに、どうしてこんな状況になってしまったのかと視線を落とした。


 翌日から真上は、改めて機体選択画面のUIを作り始めた。

 矢切から提供してもらった資料を見つつ、伏野ふしの誠太郎せいたろうが作った仕様書を再度見直してみた。


(……これは)


 真上は伏野の仕様書の精度の高さを、改めて認めざるを得なかった。

『概要』で、何を目的とした画面なのか、どういう流れを実装したいのか、全体像を提示している。

『フローチャート』がきちんと作成されている。

 機体選択画面は、どう始まって、どのような操作にどう対応して画面が遷移していき、どう抜けるのかが漏れなく網羅されていた。

 これを面倒くさがって作らないプランナーが多いが、伏野はきちんと作っていて、それも圧倒的に見やすかった。

『画面構成仕様』に最も感心させられた。

 画面ごとに、何を目的とした画面なのか、どんな表示すべき物があるか、それはなぜ必要かがきちんと名称と共に定義されている。

 また表示物に状態や種類が複数必要な物は、それについてもすべてが網羅してあった。


 (うん、これだけの情報があれば、デザインに集中できる)


 精度の低い仕様書を渡されると、細かい画面のつながりはもちろん、個々の表示物の意図を汲み取ることから始めなければならないため、肝心なデザインやレイアウトに割ける時間が減ってしまう。

 だが、最初からこのレベルの情報があれば、画面の存在意義や、個々の表示物の目的を考慮しながら、コンセプトに沿ったデザインやレイアウトを考える方に、より多くの時間を割ける。


 早速、作業を開始した真上だったが、すぐに集中力を欠いている自分に気がつく。 

 手が何度も止まった。原因は明確だ。

 格納庫のモデルのクオリティが気になって気になって、集中できない。

 しばらく悶々としていた真上だったが、ついに意を決して、3Dツールを立ち上げてしまった。

 支給されたパソコンは、新品ではなく誰かが使っていたものを回されたのだろう、ライセンスが必要となる3Dツールがすでにインストールされ、使用可能な状態になっているのだった。


 (やめておけ。どうせ無駄になる)


 だが、手は既に動き始めていた。


 (やめろって。林田はやしだともめるぞ)


 自分を始めとして、デザイナーという人種はとにかくプライドの高い人間が多い。

 自分の成果物にケチをつけられるのを特に嫌う。

 すでに作成した格納庫のモデルを勝手に触ったとなると、唐田と同様、林田は気分を害するだろう。衝突は避けられない。


 だが、すぐに真上は作業に没頭した。

 シヴァでは2Dの仕事しかしていないが、家ではどんどん自分で3Dモデルを作り、リギングを設定し、モーションを作り続けた。

 時には、頭に浮かんだシーンを作るべく、BGを作り、エフェクトを作り、それらを素材としてムービーとして仕立てる、という事を趣味として続けていたから、3Dツールはお手のものだった。

 気になっていた箇所や無駄な箇所をどんどん修正していく。

 手で作業しながら、その先にやるべきことがどんどん頭に浮かんでくる。

 自身の頭の中に見えた完成形を目指して、真上はひたすら手を動かし続けた。


「真上さん、それは?」


 その声に、ハッとして真上は後ろを振り返る。

 仕様書を手にした伏野が驚きの表情で立っていた。


「あ、いや、これは」


 咄嗟とっさに返答ができず、言葉を濁す。


「うわ、なんだこれ、すげえッス! 矢切やぎりさん矢切さん、ちょっと来てくださいよー」


 前戸もモニタを見て、矢切を手招きしていた。

 矢切もすぐにやってきて、モニタをのぞきこむと、口を開けて「これは」と驚いた表情を見せた。


「これはすごい。すごい!」


 矢切は興奮した。

 格納庫のモデルが、あのアニメの雰囲気を保ちながら、それでいて細部が徹底的に作り込まれ、臨場感が格段に増していた。

 矢切は脳内で言葉を探す。

 どこが、どういいのか。

 そうだ、質感だ。

 アニメの格納庫と比べて以前のモデルが素組みのプラモデル感があったとしたら、こちらはジオラマの様な本物の質感がある。


「これは、真上さんが?」


 伏野の問いに、真上は即答できなかった。

 だが、これはどうにも誤魔化しようが無かった。


「ええ、まあ……」


 歯切れ悪く答える。

 林田が気を悪くするのが火を見るより明らかだったからだ。

 ちらりと横目で林田の席に視線をやるが、彼はヘッドフォンを付けて音楽を聴きながら、ノリノリで作業中だった。

 こちらの会話は聞こえていないのかもしれない。


「ちょっとまあ手なぐさみに触ってみただけです。もうやらないですから」

「いや、これはすごいだろ真上さん」


 いつの間にか、金矢も席に集まっていた。

 鳥羽は我関わらずといった体で自席でモニタと向きあったままだった。


「このクオリティのものを使わない手は無い」


 矢切は珍しく力強く言った。


「いえ、ですが」


 真上は目線だけで林田の方を向いた。全員の視線が林田に向けられる。

 ただでさえ寄せ集めのスタッフなのだ。

 余計な波風を立てるべきではない。

 真上は自分の行いを後悔し始めていたが、矢切やぎりたけしというプランナーは、すたすたと林田の方に歩いて行った。


「林田さん」

「ほ? なんすか?」


 林田は矢切が歩み寄ると、ヘッドフォンを外した。

 ヘッドフォンからは大音量で何やらロックめいた音楽が流れている。


「ちょっと見てもらいたいものがあるんです。ちょっと真上さんの席へ」


 矢切に促され、林田は怪訝けげんな表情で真上の席まで来ると、モニタをのぞき込んだ。

 さあ、面倒なことになるぞと真上は内心舌打ちした。


「これは?」


 林田の問いに、伏野が答える。


「真上さんが、格納庫のモデルにちょっと手を加えてくれたんです。それで相談というのは」


 伏野の声を手で制すると、林田はじっとモニタの格納庫を見つめた。


「いいっすねえ。真上さんこれすごいじゃないですか」


 その声には、皮肉も冷笑も何もこもっていなかった。


「はーっ、俺のあのモデルがこうまで良くなるんですねえ」

「ど、どうも……」


 予想と外れた林田の態度は、真上を困惑させた。


「それで相談なんですけれども……この真上さんの作られたモデル、使わせてもらっていいですか?」


 矢切ははっきりと言った。


「クオリティが段違いです。『ガンファルコン』をゲームに落としこんだらこうなる、というそのベースにすらなりうる。ファンが見たら興奮する。どうでしょう?」


 この馬鹿がと真上は思ったが、林田はあっさり言った。


「いいっすよ」


 またモニタの格納庫を見ながら林田は続ける。

 その言い方にも態度にも、悪態や下卑げびた感じは見られない。


「いやこっちの方がいいでしょそりゃー。雰囲気や質感すげえわ。俺はいいです、真上さんのこのモデルを使ってもらうってことで」

「い、いや……その、シェーダー通して実機でどう見えるかまだ分からないですし……」


 当の真上の方が、困惑した。


「それに、ありがたいんですが、その、アウラ・ハントのモデルとのバランスが……」

「うーん。それは確かに」


 伏野が腕組みをして考えこんだ。

 今の大半のアウラ・ハントのモデルのクオリティだと、この格納庫とアンバランスさが際立ち、見た目として不自然に感じられる。

 綺麗な背景に下手な人物画が乗っている絵画のようなものだ。


「じゃあ、いっそ真上さんを3D担当にするとかー」


 語尾に冗談の気を混ぜて、矢切は思いつきをそう口にした。

 真上はまた驚いて矢切を見て、続いて林田を見た。周囲の空気が固まる。


「あー、いいんじゃないですかそれも」


 だが、当の林田はあっさりと矢切の思いつきを肯定した。

 今度は真上が疑問を呈する。


「いや、じゃ、2D、UI周りはどうするんですか?」


 まさか自分に3DモデルとUIの双方を担当しろというのか。

 そんなオーバーワークはさすがに断るほかないと思った真上だったが、林田はあっさりと矢切の方を見て言った。


「あー……、矢切さん、本当に担当チェンジってありです?」

「え」


 矢切も固まっている。


「林田さん、2D、UIもできるんですか?」


 固まった矢切に代わって伏野が確認する。


「一通りのことはできると思います」


 林田は微笑を浮かべている。

 やけっぱちで言い出した様には到底思えない。


「いや、それにしても、……本当によろしいんですか?」


 伏野もまた、丁寧に林田に確認を取る。

 デザイナーが、クオリティの問題で配置換えになるということは、プライドに関わるデリケートな事態なのだ。

 通常、それを行わなければならないとなれば、納得してもらうよう個人面談を行うべき処遇である。


「俺は構いませんよ。2D、UIもまあ、得意な方ではないのですが、このモデルのクオリティは捨てるのはもったいない」


 それを聞くと、伏野は今度は真上に意思を確認する。


「林田さんはこう言ってくれています。真上さん、3D担当になって本当によろしいですか? モーションもやっていただくことになるんですが……」


 アウラ・ハントは監修に出す必要もあり、その準備とフィードバック対応といった渉外も必要になると伏野は付け加えたが、真上は何ら異存無い。

 3D担当者――。

 それは、真上が望んでいた、最もやりたい仕事のポジションなのだ。

 それが、社内ではなく、出向先での、こんな寄せ集めスタッフのプロジェクトで実現するとは。

 真上は唾を飲み込むと、やらせてくださいと言った。


「モデリング、リギング、モーション、一通りのことはできます。やらせてください!」

「じゃあ、後で今まで用意している分のモデルをリストで送りますよ」

「お願いします。私の方も引き継ぎの資料を作成します」


 話はそれで終わり、真上はこうして、思わぬ形で3Dモデル担当として初めてのプロジェクトに参加することとなった。


 唇をかみしめ、よし、やってやるという気になってくる。

 これからは、好きなだけ3Dモデルを作れる。作り倒せる。

 高揚感に浸りながら、林田が送ってくれた作成済モデルリストを確認していく。

 モデルの状況。

 登場予定アウラ・ハントは敵味方混み、全種類で三十二体。

 そのうち、十五体は素体から部分的な変更をかけるバリ替え(バリエーション替え)と呼ばれる流用。

 モデルが存在しているのは素体十五体のうち七体だが、そのうち完成品としてみなせるのはペルガモンが外注会社に出したモデル四体のみ、残りの三体はペルガモンが作成したものだが、クオリティが低く、大幅に手を加えてやらねばならなかった。


 林田が作成中の新規モデルは「七割完成」と本人が言っていたが、真上から見るととても完成にはほど遠い。

 林田の方に視線を移すと、彼はまたヘッドフォンを付けて、ノリノリでキーをたたいていた。真上は彼が作成したモデルを確認していく。


 (やはりしょぼいな)


 林田が作成したモデルは、粗い。簡略化しすぎているところが多かった。

 プレイステーション2時代ならばこれでも通用したかもしれないが、ハイエンドなゲーム機が全盛の今、これはクオリティの低さが露骨で、手を入れるべきところが次々と目につく。

 だが、ここまでベースが出来ていれば、どこに手を入れていくべきかの道筋を、はっきりと自分で見いだすことができる。


 (よし)


 真上は、作業済みのUIに関する資料を簡単に作成して林田にメールで送信すると、自らも雑音を遮断するためのヘッドフォンを付ける。

 まずは、量産機で次の監修に提出するアウラ・ハント『ブレイシア』のモデルから手をつけ、格納庫とのギャップを解消する。

 久しぶりに感じる高揚感とやる気を姿勢で無意識に表わしながら、真上はモデルの作成作業に没頭していった。

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