第13話 真上剣風
ベッドの隣には、同棲している恋人の
彼女を起こさないようにそっとベッドを出て台所に立つと、ベーコンエッグを作り、トーストを二枚焼いて、コーヒーで朝食を取った。
香織のベーコンエッグはラップでくるみ、電子レンジで暖めるだけで良いようにしておき、身支度を整えると九時には家を出て、出向先の会社トリグラフへ向かう。
出向となってから通勤風景は変わったものの、真上の心には何も変化はない。
始業時間ギリギリに出社し、昼休憩は六十分きっかり取り、終業時刻になるとなるべく早く退勤する。
仕事は、2D、UIの担当者として言われたことだけを淡々とやる。余計なことはしない。それが、真上のゲーム会社での日々だった。
だが、その日出社して二時間後、真上剣風は不満を抱き続けた。
林田はあれから一週間程度で3Dモデルを作成した。
それは確かに一見、そこそこの完成度を誇っているかのように見えるのだが、真上から見ればまだまだ手を入れる必要があった。
ところどころ簡略化しすぎている。
テクスチャーの描きこみが足りない。
資料であるアニメや関連の設定資料集と見比べても、それなりに雰囲気は似ているが、そこまで止まりと言えた。
(機体選択画面は描画負荷にも余裕があるんだから、もっと作りこむべきところを)
基本的にゲーム画面に描画するモノが多いほど、本体にそのための負荷がかかる。ゲーム機の描画性能を超えてしまうと、画面の表示がおかしくなるなどの不具合が生じるため、一つの画面に表示されるものは、ゲーム機の性能の範囲内に抑えるのが普通だ。
機体選択画面では、画面に表示されるのは背景と機体、他にはUIのみで、画面を描画するための負荷はさほど高くはなく、その分モデルを構成するパーツを多く作りこむ事が可能なはずだった。
林田はもうこの作業は終わった、という
ヘッドフォンで音楽を聴きながら、ノリノリで手を動かしている。
もちろん、今後ブラッシュアップ(よりクオリティを高めていくこと)はするのかもしれないが、初稿としてもモデルの出来に真上は不満だった。
このモデルの上に、自分のUIが乗っかって機体選択画面になるのかと思うと、落ち着かない。
そして何よりも、真上はモデリング作業がやりたかった。
だが、それと同じくらいやっても無駄だ、しょうがないという気持ちもある。
結局、表だっては何を言うこともないまま、真上はUIのデザイン素材作成作業を進め、定時になるとお先ですとだけ言って退社した。
定時である十九時直後の外は四月下旬ということもあり暗くなっている。
オフィス街ということもあり、会社帰りと思わしきサラリーマンの姿があちこちに見えた。
真上は、今年三十歳になる。
東京の中堅大学を卒業し、下請けのゲーム開発会社であるシヴァに就職してから八年。
大手ゲームメーカーではむしろアートディレクターやキャラクターデザインなどに携われる機会は少ないとみて、あえて中小の開発会社であるシヴァを狙った。
いつか自分でゲームのキャラクターデザインやアートディレクションを手がけたいと考えていたが、そんなチャンスはまったく巡ってこなかった。
シヴァは下請けのゲーム会社であり、ゲームと、パチンコやパチスロの映像やランプ制御部分の受託開発のみを専門に請け負っている会社だった。
時代が携帯電話やスマホでプレイできるゲームが新たな市場として興ってからも、ひたすら堅実に受託開発のみを続け、オリジナルのゲームを開発しようという気配は
元々、シヴァは「きちんと納期を守り、質もそこそこ」という手堅い開発手腕を評価されている会社で、社内の開発スタイルも、ワークフローがガチガチに整えられている。
受託開発するゲームタイトルも、キャラクターデザインやアートディレクションは、発注元の会社のデザイナーによって行われ、下請けであるシヴァはその指示に従い、作業をするだけであった。
真上もまた、右も左も分からないまま上長の指示に従って業務をこなしてきた結果、いつからか2Dを主体とするデザイナーになっていた。
それは、会社のデザインスタッフに、2Dを担当する者が一定割合はいなければならないという方針に則った結果であり、真上自身の適正を観ての判断では無かった。
もちろん、彼自身に2Dの適正が無ければ話は違ったであろうが、彼は良くも悪くも2Dの業務を、キャラクターから背景からエフェクトからUIから、大抵の事はスタンダードにこなすことができた。
だが、彼自身は、3Dをやりたかった。
会社の業務の合間に3Dモデリングツールを触り、家でもプライベート用として安くはない金額を支払ってツールのライセンスを購入して、夢中になってキャラクターや背景のモデルを作り続けた。
業務でも再三、モデリングの作業をしたいと上司に訴えたが、2Dの担当者は貴重なのだ、君にしかできないのだと退けられてしまった。
ならば、プロジェクト内で3Dモデルを担当しているスタッフに手伝いを申し出たが、それも断られてしまった。
やりたいことができないから転職しようと思うと、その時から同棲していた恋人の香織に嘆くと、IT業界で、システムエンジニアとして勤めている彼女はやりたいことがそう簡単にできるわけじゃないのと怒られた。
そういう彼女自身、仕事だから大変なのは当たり前だと毎日、時には帰宅できないほどのハードワークをこなしていたので、真上はやはり自分の考え方が甘いのだろうかと思った。
だが、大人しくしていたのは最初の一年だけだった。
真上は、どうやったらこの受託開発のみで事業が成り立っている、中規模のゲーム会社で自分が上のポジションに立てるかを考えた。
そうしなければ、やりたい仕事に近づけない。
答えは単純だ。自分のスキルを、センスを、知らしめればいい。
株式会社シヴァは、総務部を除けばネットワーク管理部、GM事業部、PS事業部の三部門しかない。
ネットワーク管理部は、社内のインフラはもとより、すべてのサーバーエンジニアが所属している部門で、ゲームでネットワークが関係する要素がある場合、この部署から人がアサインされる。
PS事業部は、パチンコ、スロットの略称であり、それら遊技機と呼ばれる機械で使われる映像や、ランプ機器の制御プログラムを部分的に受託する事業である。
GM事業部がゲーム事業で、スマホのゲームから家庭用ゲーム機まであらゆるハードの受託開発を請け負っていた。
GM事業部は、部長を頂点に、プログラマー課、デザイン課、企画課に分かれて、真上は当然デザイン課に属している。
課長は、
真上から軽部のデザイナーとしてのセンスやスキル、能力を推し量る機会は無かった。
軽部は新規案件の打合せに出向いたり、プロジェクトに対して誰を、何のために、いつまでアサインするのかをスケジュールと共に管理し、プロジェクトがデザイン方面において円滑に進むよう調整するのが仕事で、本人がデザインの成果物を作ることはほぼ無かったからである。
軽部は表面上は面倒見が良い上司のように振る舞っているが、会社にとって少しでも不都合な場合はかたくなにスタッフの言うことを聞き入れず、一度その方向に天秤が傾くと、説得や話し合いも面倒がって放置しておく傾向が強いので、スタッフからの評判は高いとは言えない。
自分の気に入ったスタッフは、話題性があったり、報奨金が見込めるような「おいしい」プロジェクトに入れたりするという噂もあった。
真上は、この軽部の下でとりあえずチーフになろうとしたが、そのための取った手法は、彼におもねることではなく、自らのセンスとスキルを、例え担当外であっても誇示することであった。
真上は、自分の所属するプロジェクトの3Dモデルを見て、修正すべき点を口頭でスタッフに指摘し始め、
「ここ、ちょっと作りこみ甘くないですか? もう少し分割した方が」
「ここもテクスチャーの書きこみが弱いですね」
「あー、このモーションの時、関節が破綻してます。リギングからやり直した方がいいですね」
と、暇を見つけては他のスタッフの席を回り始めた。
最初は相づちだけを打って聞き流していたスタッフたちも、段々不機嫌さを隠そうともしなくなり、やがて真上は軽部に会議室に呼び出されて説教を受けることになった。
「真上君、他のスタッフの仕事に口を出すのはやめてくれませんかねえ」
そらきた、と真上は思った。
自分が一番仕事に、ゲームを作ることに対して真剣なのだということをアピールするチャンスだと考えた。
「ですが軽部さん、モンスターのモデル、今のクオリティのままでいいと思いますか?」
「リーダーの
「だったら、日野さんの判断がおかしいでしょう」
だが、真上から見れば、滅多に他人の成果物にダメ出しをしない、もっと言えばダメ出しをできない、温和な性格だけが取り柄の凡百なデザイナーにしか見えない。
当人の力量が低いのに、他人の成果物の善し悪しを測り、修正指示を出すことなどできるはずもないと真上は考えている。
だが真上の発言を聞いた軽部は一気に不機嫌な顔つきになった。
「それで? 君はどうしたいんですか?」
「私をモデル班に入れてください。クオリティを段違いにしてみせます」
真上には自信があった。
自分をモデル班にいれば、日野以上にモデル班を引っ張り、クオリティを段違いのものにしてみせる。
「ほーお」
軽部は腕組みをして考えこんでいたが、やがて、日野君と相談してみると言って真上を下がらせた。
そして三日後、真上は、「他人の仕事に口出しをせず、現在の仕事も引き続き担当することができれば」という条件つきで、モデル班にも加わり、実作業を行えることになったのであった。
真上は張り切って、自分自身のモデル作業に取り組んだ。
もちろん、他のモデル班スタッフの成果物へのダメ出しも続けた。
当然だと思った。駄目なモノは修正しないと、いいゲームになどならない。
だが、事態は真上の思った様には推移しなかった。スタッフは真上の駄目だしを成果物に反映しようとしない。
日に日に、
だが、日増しにモデル作業ができる喜びよりも、周囲に対するいらだちで心を乱されることの方が多くなり、貧乏揺すりが癖になるほど落ち着きを無くした。
(なぜ誰も俺の言うことに従わないのか。修正指示を出したのに手をつけずに定時になるとみんなとっとと帰りやがって)
ゲーム業界は、労働環境的に『ブラック』だというイメージが強いが、それは一昔前の話で、現在は会社によってその落差が激しい。
基本的に、下請けと呼ばれる受託開発で事業が成り立っている会社ほど、どうしても納期的に無理が生じやすいのだが、ここシヴァは、比較的ホワイト寄りの会社と言えた。
マスター前でも無い限りは、長大な残業や休日出勤が必要になるような、過大なタスクを課されることは無い。
だがそれは同時に、「光るモノ」を生まないゲーム開発の土壌にもなっていると真上は考えていた。
良いゲーム、面白いゲームに仕立てるためには、労働基準法など糞食らえだ、そのために我が身を削るのは当然のことだ、そこまで自身を追い込まなければ、ユーザーに認められるようなゲームなど作れはしない。
自分がその姿を見せれば、皆もついくてるはずだと思っていた。
だが、現実はそうはならなかった。
今日も終業時刻直前に、別のモデル班のスタッフ、
明日のROM出しに実装されるモンスターなのに、このままでいくつもりなのか。唐田だけではない。
真上の修正指示に従った人間は、誰もいなかった。
(くそ。こうなれば、実力行使だ)
真上は歯ぎしりして、唐田のモデルデータを自分の手で修正し始めた。
面倒ではあったが、リギングと呼ばれる、モーションで動かすための仕組みを設定する作業まで工程を戻らせて修正を行い、モデルも実装予定のモーションもクオリティを上げ、コミットし、午前三時にタクシーで帰宅した。
翌日、唐田の担当モンスターのモデルや、モーション担当者のモーションまで真上の手で上書きされたことが発覚すると、覚悟の上であったが真上は自分の席で唐田、日野、軽部の三人に詰め寄られた。
「真上さん、どうして勝手に僕のモデルを触ったんですか」
「言ったじゃないですか。ショボイんだから修正しないとって。あなたがやらないから、僕が代わりにやってあげたんですよ」
真上のその言葉に唐田は目を吊り上げたが、チーフの日野が、他の人の仕事に口を出さないことがモデル作業の仕事をするための条件だったはずだと先に口を開いて、さらに続けた。
「チーフの私がOKを出したものですよ。それを本人以外が勝手にいじるって、これは完全に越権行為です。あなたにこんなことをする資格はない」
日野の表情は普段通り無表情だったが、その口調は静かながら、明らかにうんざりといった感情を感じさせるものだった。
「何を言ってるんですか。大事なのはクオリティを上げることでしょう!」
今度は真上が目を吊り上げる番だった。
「あんなショボイものをそのままにしておける神経がわかりませんよ! 言ってわからないから、僕がやってあげたんです! 本来の自分の仕事も遅らせてない。何か問題でも?」
モニタには、真上が手を加えたモデルが、基本フットワークと呼ばれるモーションをループ再生しながら、実機上で描画されている。
どうだ、と真上は思った。
明らかにそのクオリテイは上がっているのだ。
リギングやモーションまで作業をしたことに加えて、本来のUIの仕事も全部こなしている。勤怠にも問題は無い。
文句は言わせない。言えるはずがないと真上は思った。
「結構、それなら、君一人でモデル作業をやってもらいましょうか」
それまで何も話さなかった軽部が冷淡に言い放った。
「は?」
「そんなにクオリティを上げたいなら、全部君がやればいい。今後、君にすべてのモデル作業をお願いすることにします。実作業はもちろん、プランナーやプログラマー、モーション班との折衝、進捗管理、品質管理、渉外、全部やってもらいます。他のスタッフは全員、他のプロジェクトにアサインしなおします」
「そんなこと、無理に決まってるでしょうが!」
真上は吐き捨てた。
できることならそうしたいぐらいなのだが、それでは納期には到底間に合うわけが無い。
「どうして無理なんですか?」
軽部が聞き返す。この野郎、と真上は思った。
「期間的に無理でしょう!」
「ほう、無理なんですね。真上君にはすべてのモデル作業を納期に間に合わせることはできないと」
「誰だって無理でしょうよ!」
「そう、一人ではゲームは作れない」
軽部は腕組みをして、首をかしげた。
「この程度のことは新人でも理解していることですよ? 自分一人じゃできないから、みんなで作るんです。それが分かったら、今後他のスタッフの仕事には口を出さないでください。品質管理は日野さんがやってくれてます。今回のモデルも、後で修正すればいいと判断しただけのことです」
「あんたたちのは協力じゃなくて、なれ合いと妥協ってぬるま湯につかっているだけでしょうが!」
真上は劣勢にあるのを自覚していながら、なお反撃した。
だが、軽部は引かなかった。
「どうします? 全部自分で作業しますか? 納期に間に合わなかった場合、責任はとっていただきますが」
真上は答えられない。歯がみして、ギリ、と口の中で音がした。
「今後はこのようなことをしないと誓ってもらえるなら今回だけは大目に見ますが、約束を守れなかった以上、モデル班からは外れてもらいます。次、こんなことがあったらもう容赦しないですよ。いいですか」
軽部の問いにも真上は答えられず、椅子の向きをモニタに変える。
ふて腐れたような態度になってしまった。
それを了承と理解したのか、軽部は腕組みを解き、日野が言葉を続けた。
「コミットされたデータは、唐田君のものに戻しておいてください」
真上はまた日野の方を向き、にらみつけた。わざわざクオリティの低い方に戻せというのか。
「唐田君本人に修正作業をしてもらわないと、本人のスキル上昇につながらないでしょう」
軽部が必ず元に戻すようにと念押ししてから、三人は真上の席から去った。
それから、真上はスタッフ間で完全に孤立した。
モデル班から外され、元のUIの仕事のみとなったが、モデル班はもちろん、他のカテゴリースタッフも、彼に話しかける者はほぼいなくなってしまったのである。
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